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西頸・田海川支流倉谷~千丈峰大ギラ

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○山行地 西頸・田海川支流倉谷~千丈峰大ギラ
○山行日 2016年5月21日
○メンバー L松木智 古川
○報告者 松木智

 糸魚川の千丈峰は標高807.2mの低山だがその東西には大ギラ、小ギラと呼ばれる岩壁が広がっており、千丈峰東尾根の北面には小ギラが、千丈峰の南西976Pから延びる北尾根東面の岩壁帯が大ギラだ。
 糸魚川から大糸線に入ると黒姫山から明星山の山並みの中にその岩壁帯を認めることができる。興味はあったが登山道の無い奥山であり、アプローチ、下降ともに厄介なことから今まで手を付けずに眺めるだけの岩であった。
 昨年この辺りをウロウロした際、倉谷に下りる作業道を見つけ、沢を使ってこの岩壁にアプローチできるのではないかと考えた。どこまで行けるか分からないが、せめて岩壁の写真だけでも撮ってこようと、リカチャンを誘った。

 糸魚川の姫川を渡り田海川に沿って南へ車を走らせる。横地集落でマイコミ平に向かう分岐を見送り林道岡~倉谷線を進む。ダムの少し上流、地形図上で林道表記が途切れた少し先に谷に下りる作業道がある。ゲートを突破して藪の煩い急勾配の作業道を下ると河原の平坦地にでる。作業道は川を渡って左岸へと続いているが橋は無く、ここで車を降り歩き始める。

 左岸に上がると「私有地につき立ち入り禁止!」の看板に迎えられるがそのまま先に進む。藪に覆われた作業道を上流へと向かう。川には4つ程堰堤が掛かっているが高さ6mの最後の堰堤に進路を阻まれこれを乗り越すと倉谷の流れに降り立つ。
 ここからいよいよ沢歩きとなる。入渓点の標高はおよそ150m、しばらくは平坦な沢歩きが続く。標高約200m、行く手を三段20mの滝に阻まれる。もちろん直登は無理!「今日はもう終わりだな…」と、山菜採りへとモード変換を考えていたところ、「ここから巻けそうですよぉ~」と左岸の急な斜面を指さしてキラキラした眼差しを向けてくる。
 仕方なく、のろのろと斜面に取りつくと草付の上部はカヤの木の枝を掴んでの木登りであり、滝の左岸にあったルンゼの上部に出る。このルンゼを左上気味にトラバースするが、ブッシュが無く、足元が心許ない。失敗すれば滝の基部まで落ちてしまうのでザイルを出して確保する。40mのトラバース後獣の通った後を見つける。沢に向かって下降気味に伸びており、これを辿れば難なく沢に下りられると踏んで跡を辿る。途中カヤの木を使ってトラバースをしているうち跡を見失うが、水音が聞こえており、その方向へ進むと滝の落ち口に飛び出した。

 滝の基部から吹き上がってくる風は心地よく、日陰に居ても少しの寒さも感じない。下界は真夏日の暑さとなっているようだ。ところで、二股はいつになったら現れるのか?標高約250m付近の沢の分岐をとりあえずの目標にしていたので、とにかくそこまでは行きたい。

 再び遡行を開始してほどなく沢は二つに分かれ、その先右手前方には大きな滝が見えたため、はやる気持ちを押さえながら右の沢を進んだ。滝の正面に立つとその流れは途中で空中を舞い霧となって周囲を濡らしていた。高さは30m位だろうか…。今度こそ「終わりだな」と遅い昼食を取っていると、「あの辺から登れませんかねぇ~」と、リカチャンが煽ってくる。左岸の藪っぽい中の薄いルンゼが登れそうだが、そう簡単には行かないだろう。案の定、滝の落ち口と同じ高さになると行く手を垂壁帯に阻まれ、生半可な装備では登れなくなった。それでもと、垂壁体の基部を移動し、登れそうな場所を見つけてザイルを伸ばすが、岩が脆くあえ無く敗退となる。さすがのリカチャンもこの事態に撤退を決め下降する。

 垂壁帯の基部から見た滝は、上部のスラブ帯から続いており、スラブ帯の末端が断崖となっていることから滝状に落ちているものであることが分かった。この滝は倉谷の標高約250mに位置し、大ギラの岩壁に達するにはまだほんの序の口である。この先谷にはどんな悪場があるのか計り知れず、沢登りならばまだしも、大ギラのアプローチとしては現実的ではない。別のルートを考えなおさなくてはならないだろう。

 目的を達成することはできなかったが、女性二人で未知の沢に入り、それなりに緊張を強いられた山行を安全にできたことに久しぶりの充実感を覚えた。年々守りに入った山行が多くなる中、若いメンバーにはっぱをかけられるのは情けないことではあるが、反面仲間の成長を頼もしく嬉しく思った今山行であった。

北ア・宇奈月温泉~僧ヶ岳

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○山行地:北ア・宇奈月温泉~僧ヶ岳
〇山行日:2016年5月22日(日)
○メンバー:L松木昭 、古川 、中村、 松矢、 今泉、 小山、 村田
〇報告者:村田

 最近アスタークに加入し月例山行初参加の若いメンバーの参加があり、「初顔合わせ」の月例山行となった。山頂までの距離は長いと聞いていて多少の不安をいだいての参加の「アラセブンティ」、3人以上で山に登るのは生まれて初めてという「アラトウェンティ」の新人、前日も山に入っていて連日となる面々など、7名の多彩な顔ぶれとなった。大勢で登る良さや楽しさはまた格別だ!
 また、山域としても面白い魅力を持った僧ヶ岳。富山湾を背にして富山の海岸の中央に立つとして、長い立山連峰の左端あたりに位置するこの山は、海岸からは近く、魚津市街地をはさんですぐに延びる海岸線も見下ろせる。標高が1855mと、ある程度の高さがあり、この時期銀嶺輝く北アルプスを東側から望み、南方間近にはやけに堂々とした毛勝山。実に見ごたえのあるロケイションであった。(剣岳は毛勝山の裏になる)登りが休憩も含めて5時間20分、下りも4時間10分と、長い行程となった。

 早朝5時、全員時間通りに集合し、車2台に分乗し上越高田ICを出発。約1時間で黒部IC。宇奈月温泉街からスキー場に至る山道に入る。じきにガードレールのない「高度感たっぷり」の道を進む。かなり高度を稼ぐところまで車であがる。舗装された道はさらに続くがゲートがある手前の広い駐車場、トイレ施設もある小屋の前に駐車(標高600m)して支度して歩き始める。

 青空に山の残雪の白と緑が素晴らしく鮮やか。少し舗装された道を進んだ後じきに山道に入る。いきなりの急登が始まる。報告者にとっては雪のない縦走登山は今年初であり、山の草花が「今年の初もの」ばかりで登りは楽ではないがとても気持ち良い。カタクリの花が出迎えてくれる。登りは次々と現れる様々な植物を愛でながら、また高度を稼ぐことで見えてくる山々も楽しみながら楽しい登りとなった。
 花が豊富でサンカヨウ、ツマトリソウ、バイカオウレン、ツバメオモト、マイヅルソウ、エンレイソウ、山桜など。
 山頂少し手前でみる毛勝山は惚れぼれするくらい堂々としていて見事であった。毛勝は初め予定の山であった。標高も高いし、そそり立つ真っ白な雪渓を登るのは随分とレベルの高い技術と体力を要求しているようにみえる。その左手に北アルプスの山々が続いている。鹿島槍ヶ岳、白馬鑓ヶ岳、朝日岳と続いている。

 山頂からの眺望は素晴らしいの一言。山頂には地元魚津あたりからの中高年登山客らが既に昼食を取っていて人数の割ににぎやか。晴天ではあるが高温でガスが薄くかかり海岸線はすっきりみえない。あまり贅沢を言ってはいけないのだが、実家からこの山を立山連峰の左側の一点としていつも見て育った者としては我故郷水橋の街や海岸線がクリアーに見えなくてとても残念であった。
 途中で採取したウド汁も振舞われ、ゆっくり昼食をとって休息。残雪で眩しい中記念写真。途中、山菜の詳しいメンバーから山ブドウの花を教えてもらう。ちなみに報告者の私は、翌朝、天ぷらで生まれて初めて食した。山ブドウの花のてんぷらは、本当に美味しかった。

 精力的に山行を続けているメンバーは、みんなのために自主的に非常用のロープ、スリング、カラビナを持参。それぞれが受け身でなくて参加していることを実感。上の方では残雪のトラバースが続き注意して慎重に進むところもあり。下りもゆっくり着実に降りる。

 最後は、お楽しみの温泉。初め予定していたダム湖脇にある「とちの湯」まで車2台を走らせわざわざ前まで行ったが、5時で終了ということでやむなく引き返す。
 では「宇奈月温泉会館」でやむなしかと行ってみれば。なんと4月26日で終了。翌27日から新しくリニューアルオープンした「湯めどころ宇奈月」へ。
 500円。女湯は2F、男湯は3F。ゆっくりこの日の疲れを取る。男性軍は二人の女性軍を待つこと〇〇分、ようやくロビーへ。
 陽が長くなったとはいえ辺りは真っ暗。いつもなら夕飯はとうに終えている報告者にとってはお湯の後は宇奈月で夕食かと思うが。今日のご褒美としての冷たい本当のビールを熱望するリーダーらに合わせお湯のあとすぐ帰路に就く。

○コースタイム
   5:00 上越高田IC
   7:00 駐車場(宇奈月温泉スキー場終点広場)
  12:20 僧ヶ岳
  13:20 僧ヶ岳
  17:30 駐車場(宇奈月温泉スキー場終点広場)
  18:20 宇奈月温泉「湯めどころ宇奈月」  
  19:20 宇奈月温泉「湯めどころ宇奈月」
  20:30 上越高田IC解散

2016年 6月山行・活動予定

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○2016年 6月山行・活動予定
第28184号

○今月の一言  災害  船山(康)

 70年も生きて来ると、何かしらの災害に出合うものです。
 中学の時には第2室戸台風の洗礼を受け、暴風雨の恐ろしさを体験した、無防備のまま廊下のガラス戸を家族全員で必死に押さえていた。目の前のガラス戸が風の唸りと共にしなるのを感じ、これが割れたらと思うとぞっとした記憶がある。瞬間最大風速50mであった。
 高校の時にはマグニチュード7、5の突然の揺れに、何が起きたかを認識するの時間がかかり、気が付いた時には多くの生徒が階段に集中しており、私は逆に冷静に校舎や柱の揺れるのを観察していました。普段は太くて丈夫と思っていた柱がプラモデルのように細く頼りなく感じられ、グラウンドに避難すれば水だまりの水がぽちゃぽちゃ揺れているのを見て地面が揺れるのを実感した。新潟地震である。
 大学の時には大雨による床下浸水で大騒ぎし、尾瀬では原が一面水浸しになるのを目撃し、木道も多くが流されていました。大雨による崖崩れも凄まじかった、関川でも大きな被害を出した平成7年の水害時、私は小谷村に住んでいたが、至る所に見られた崖崩れの爪痕に唖然とし、常に生活している大地の脆さと叫びを感じ、自然の成り立ちの厳しさ、美しさ、そしてそこで生活して行くことの大変さを目の当たりに体験した。
 事情があって上越に越して来たときも、知人に言われた「板倉も地滑り地帯なんだよ」。そして10年、近くの部落での地滑りは何日にも渡って土砂が動いて行き、建物を押し潰した。

 一生の間には何かしらの災害に合う確率は皆にある、人によっては東北大震災の様な圧倒的な津浪によるダメージを受けるかも知れないし、逆に穏やかな生涯で終わる人もいるだろう。災害は自然の一部であり、それに出会う人も出会う機会のなかった人も自然の恩恵を受けて生きている。恵み無しでは生きて行けない。私は自然の恵みを素直に受け入れたい。出来るかぎり!
 上越の大雪は災害か恵みか? その体験もするのかな?焼山の噴火は出来うれば見たくないですね。
 天災は止めようが有りませんが、人が人を殺す戦争だけは止めにしましょう!

○6月の山行・活動予定

 06月04日(土)~05日(日) 矢代・桑取川本流~西野谷 L丸山
 06月10日(金) リーダー会 19:00~ 新井いきいきプラザ
 06月16日(木) 定例会 19:00~ 新井いきいきプラザ
 06月18日(土) 矢代・南葉山古道整備 事前準備 CL小林 SL松木智
 06月19日(日) 矢代・南葉山古道整備 CL小林 SL松木智
 06月25日(土) 谷川・谷川岳一ノ倉沢~二ノ沢本谷 L松木(昭)
 06月25日(土) 上州・裏妙義 入山川裏谷急決 沢登り L永田
 06月25日(土)~26日(日) 中央アルプス・千畳敷~空木岳 L関原
 06月26日(日) 西頸・青海黒姫山青海川衝立岩 L松木智

07月の山行・活動予定
 07月01日(金) リーダー会 19:00~ 新井いきいきプラザ
 07月07日(木) 定例会 19:00~ 新井いきいきプラザ
 07月22日(金) 夏合宿最終打ち合わせ会 19:00~ 新井いきいきプラザ

会津・会津宮下登山口(二子岩コース)~志津倉山(細ヒドコース)~登山口

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〇山行地:会津・会津宮下登山口(二子岩コース)~志津倉山(細ヒドコース)~会津宮下登山口
〇山行日:2016年5月21日
〇メンバー:L船山了、船山康子
〇報告者:船山了
 一昨日は会津朝日岳を登り、一日のんびりドライブで昨日も登山口でテント泊まり。奥会津一帯は都会からも遠く、静かな寒村ばかりだ。平野部も程々にあり、部落を繋ぐ山間の道路も災害にあった形跡はない。だから流れる川は気持ちが良いほどきれいだ、周りの山々の木々も元気で病気は見当たらない。山紫水明とはこういう状況を言うのだろう。

 上越からは小出から只見を結ぶ60里越街道をドライブし田子倉湖を眼下に重々と連なる会津の山の展望を楽しみ、会津に入っても、300、400番台の国道を40kmで走行していても追い越す車もない程の静かな寒村が続いている、こう言う状態を寂れていて淋しいと言うのか?コンビニが何軒もあるような町が良いのか私には何とも言えないが、わたしが好んで向かうのは、こう言う寒村である。

 会津朝日岳にはブナ原生林の伐採あとが所々に感じられたが、志津倉山は登山口から良い雰囲気の登山道が迎えてくれた。沢筋沿いに歩き出せば程なく右手に雪渓が現れてき、上部はスラブらしき広大な斜面だ、と言うのも朝日の当たり具合で岩が白っぽく見え区別がつかない。このスラブを間近に見たく、沢コースから離れ二子岩コースの急斜面に取りつきスラブの一端からこの楽しそうなスラブをジックリと眺めた。スラブの真ん中には一本の線状に伸びた沢、上部には水が流れている部分が帯状に黒くみえる。このスラブが登れるか否かは判断できないが、こんな所で遊んではみたい。
 スラブと別れ尾根の反対側に廻れば大沢コースと合流し水場に着く。石楠花坂と書かれた看板を過ぎ、一時の急斜面を登れば三本松に着く。後は気持ちが良いブナ林を進めば志津倉山1234mの山頂だ。廻りは登山者への配慮かブナ林を伐採して見晴らしよく管理してある、最近はどの山でもそうであるが如何なものか?とは言うものの飯豊連峰、磐梯、吾妻の連山が展望出来るのはたのしい。

 下りの細ヒドコースも変化がありたのしいコースだ。栃、ブナ、沢胡桃の巨木も素晴らしい。登り2時間半、下り1時間の半日コースだが、スラブ、急登、ブナ林、巨木ありの満足の山行でした。

 この会津の山旅を計画したのは山の他に、温泉、それも昔ながらの共同浴場、川縁にわく、情緒的な湯舟、足元の石の間から沸く温めの湯、新緑の葉が揺れるそよ風が暖まった身体に心地好い。こんなのを経験してしまえば忘れられる筈がない。会津にはこんな温泉がある。
 今回は、大塩温泉、柳津西山温泉、木賊温泉を楽しんできた。昔よりは利用者は多いようだが、まだゆったりっと楽しめた。

矢代・矢代川水系コエンドウ川北口沢~小毛無山

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○山行地 矢代・矢代川水系コエンドウ川北口沢~小毛無山
○山行日 2016年05月22日
○山行者 L丸山 丸山美
○報告者 丸山

 連日の家業で疲れた体を癒そうと、慣れ親しんだ矢代山地へ向かった。山歩きで疲れが取れるか否かは分からないが、好きなことをやることでストレスが解消されるのは事実だ。初期の日本南極越冬隊のエピソードに以下のようなものがある。
 越冬隊の通信士は昼夜を問わない連日の業務で疲労の極致にあったという。現代のようにフォーンや映像通信ではなく、CWいわゆるモールス通信のため、専門職がたった一人で四六時中奮闘していたのである。
 この通信士がある時隊長に
「少しアマチュア無線をやらせてもらえませんか?」
「君はなに言ってんだ! 今でもこんな忙しいのにさらに無線をやるなんてむちゃくちゃじゃないか」
 隊付きのドクターは
「やらしてみたらいいんじゃないでしょうか。わたしが体調管理してやりますから」
 ・・・・・・
「隊長、おかげさまでアマチュア無線やってると疲れがどんどん取れます。公用通信よりアマチュア無線が圧倒的に楽しいですね」、仕事だから疲れる、好きなこと自発的なことでは同じことをやっても疲れないということらしい(未知への挑戦-昭和49年日本生産性本部-西堀栄三郎:第一次南極越冬隊隊長、京大山岳部OB、理学博士)。話がそれてしまった。

 矢代川右岸を走る日曹二本木工場発電所三基へ続く林道は、第一発電所分岐にゲートが施されマイカーの通行はできず、第二発電所分岐まで舗装された道路を15分ほど歩くことになる。第二の吊り橋を渡り、矢代川左岸沿いに下ればコエンドウ川が出合い、取入口まで300mほど登る。ピンクのウツギ、白いムシカリ、紫のフジの花が見事である。
 取入から右岸の踏み跡をたどればすぐに左岸から北口沢(国土地理院の地形図では-北の沢-)が合流する。平年であればこの時季のコエンドウ川の渡渉は結構厄介なのに、今冬小雪の影響で水量は少ない。北口沢はイワナが生息してもヤブがうるさく釣りにくい沢である。いいポイントだけを狙って竿を出すが、相変わらず魚影は濃い。ただし型は悪く、矢代川中流の種沢ゆえキープは避けたいもの。
 林道ゲートによって昨年から釣り、山菜採りの入山者が減少したことからか、わずかばかりあった踏み跡もまもなく消滅しそうである。のんびり歩いておよそ1時間半、北口沢の二俣である。この辺り、いつもの年であれば立派なヨブスマソウが群生しているのに今日は背の丈にちかいヤブ野原である。上流右手が小毛無山へ続くわたしだけの秘密の山なのだ。
 ちょっと信じられないような太さのタケノコを毎年採取している。量的にはせいぜい10-20kg程度の狭い場所なのだが、年に一度くらい訪ねなくては心が落ち着かない。ところが今年は雪融けが早く、連日の好天でタケノコは竹になっていた。あげく遅出の残された獲物はクマだかカモシカに食い荒らされ、収穫物は皆無にちかいものとなってしまった。

 まあこれも自然の姿であり仕方ないというもの。毎年ここまで続く踏み跡は薄いものの、たった2年の山岳文化を否定するような動きで「薄さ」が際立ってしまった。人の頭なら見通しが良くなっても、山道は灌木、蔓類がはびこり、ヤブ山に慣れたわたしたちでさえ閉口するような下山である。水量が少ないこともあって簡単に沢沿いの下降ができても、誰にも会わない静かすぎる山は寂しい限りだ。
 人間の痕跡として残る最奥のコエンドウ川、北口沢出合の杉林でゆっくりと休む。5月といえど、日向では暑すぎる贅沢な初夏の一日だ。取入口では発電所の職員が「こんにちわ!」と愛想良く声をかけてくれる。よく整備された山道を駐車地までのんびり歩いた。

 それにしてもこの地へ向かう林道を閉鎖した関係者の考えが理解できない。ゴミの投棄や勝手な山菜採取を防ぐためであっても、自然を開発し、そこから利益を得ているのであれば閉鎖ではなくもっと違った手段が考えられるはずだ。わたしが住む西野谷集落でも不法投棄問題はほぼ毎年発生していても、わたしたち住民が問題の解決にあたっている。閉ざされた山間地ではなく、誰もが楽しめる自然豊かな地を創造提供すべきだと考えている。
 この道にもともとゲートはあっても鍵がかけられておらず、第三発電所口まで誰もが自由に入ることが黙認されてきたのである。二本木工場の歴代水力発電担当部は山岳活動に伴う文化に理解が深く、火打山東面、妙高山北面のパイオニアたちはいずれもこの施設の人々の世話になってきた。とくに第三が無人化する以前、水槽前広場は、紅葉でにぎわう電気化学(株)海川第一発電所の取入口高地同様わたしのマイフェイヴァリットであった。現在、発電事業は子会社の上越エネルギーサービス(株)が担当しているようだが、地域との共存共栄を拒んでいるとは思えない。なぜなら発電用水の使用は年限を定めた県知事の許可が必要であり、地域と離反して事業自体が立ち行かなくなる愚は避けるはずだからだ。
 問題は岡沢町内会と矢代生産森林組合の存在にありそうだ。特に「生産森林組合」は行政から特別な人格権を付与された特殊な団体のはずだが、この団体が人・地域との共生を否定するようでは悲しすぎる。何本もの林道が開削された矢代山地東南面で入山を規制しているのはこのエリアだけである。立て看板によれば入山料を支払えば入域は可能なようでも、遠方からの来訪者では支払方法や許可の求め方さえ確認できない。今は廃道となっても旧新井市から矢代川を経由し、直接火打山を目指す登山道があったことは多くの登山者が知るところだ。ちなみにわたしは関川水系の遊漁承認を受けており、入渓に取りあえず問題はないのだがそれさえ無視しようと考えているようでもある。
 妙高戸隠連山国立公園の発足と時を同じくした、同公園東の玄関口矢代高原の入口を閉鎖した、人の足によってつくられ育ってきた「道」の文化を退化させる入山規制は皮肉でしかないと感じている。私人の欲得よりさらに入山の在り方をしっかり考えねばならないのが妙高・火打の表玄関笹ヶ峰コースでないだろうか。

矢代山地/中ノ岳(1,204.5m)を展望する

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○矢代山地/中ノ岳(1,204.5m)を展望する
○投稿者 AJ920

 中ノ岳という山は全国に数多い。有名どころでは越後三山最高峰がその一つである。 

 矢代山地では登山者の関心が低く目立たない山ながら、平成の市町村合併以前、上越市の最高峰が中ノ岳であった。山地北の南葉山、重倉山から中央部粟立山、大毛無山へ続く稜線上に存っても、目立つようなピークは存在しない。国土地理院発行の地形図に「中ノ岳」の表記はなく、登山者の間でいつ頃からそのように呼ばれるようになったかは知らない。地元西野谷では、中ノ岳から粟立山の山地主脈一帯を「ヒラキの山」と呼んでいる。万内川西俣の谷底が「扇の要」となり、その両岸山稜が「扇の親骨」両端を形成し、主脈が天部。山麓から眺めた場合、扇子を開いて斜めに立てかけたよう見える山容から名づけられたものだろう。
 だがそれも東面妙高市から望んだ姿であり、北西面名立谷からは深い渓谷と急峻な山襞にまもられ、ピークも判然としない近づきがたい印象を受ける。いずれにしても山頂付近は矢代山地を代表するような茫洋とした山容であり、三角点はやや名立側に寄った上越市地籍となる。

 中ノ岳東面、万内川西俣最上流の広い平坦地は“池の河原”と称され、この上部で右岸から流入する流浜谷が“いけのそ=池の臍(ほぞ)?”と云われており、寛永時代の土砂災害の名残りを伝えるものかもしれない。左岸のやや高台には西野谷「山の神」社の分祠があったと言われても、現在その地を正確に知る人は少ない。雪で倒壊、河原に埋没したかもしれず、一度探してみたいとも思っている。
 このわずか上流、西俣の二俣がイワナの生息限界地・魚止めである。両俣とも出合近くにそこそこの滝があってそれと知られ、渓流釣りの人たちが、シーズンにはこの辺りまで動き回る。
 さらに上流の山ふところには“げんのうやしき(=玄能屋敷?)”と呼ばれる住居跡があり、いつの時代か不明ながら、禅宗の僧呂“げんのう和尚”が住んでいたと云われる。古い陶器や生活用品が出土し、周辺には炭焼きなど山業にたずさわった人々による地名が今に伝えられても、現在山道跡を確認することは出来ない。

 中ノ岳が登山者の関心をひかない原因が夏道の無さにあっても、困難あるいはよりプラスを求めようとする登山者の減少と不在が問題である。積雪期においても、山スキーヤー、ボーダーを代表として、多くは単一峰のピークハントを目的とした入山者が多い。労力を要するアップダウンが嫌われ、中ノ岳を中心とした縦走形態の山登りが少なすぎるように感じている。
 四周を取り巻く尾根にもとりたてて興味をひくルートはない。アスタークのオリジナル記録がある南東尾根-西野谷(松木昭ほか)、北西尾根-東飛山(丸山、松木智ほか)ともにスキー滑走コースとしては物足りない。実を云えば「ヒラキの山」の扇の平面や南東尾根の南側がブナ疎林のツリーランを楽しむことができても、遠望する限りなかなか目立たない位置にあったり、真っ白な一枚バーンがないことから滑走実践者は少ないように思われる。ブナ林ということで雪崩危険は比較的低く、西俣谷際へ降り立つさいに充分な注意を払えば何本もの山スキーのコース取りが可能なのだが。
 ただし南東尾根の一部や重倉山との鞍部近くの東面には、矢代山地に珍しい岩壁の大露出帯があり、こちらは要注意だ。とくに重倉沢から右岸へ分かれるナメッツラ沢の源頭は、「ナメッツラ=滑っ面」と言われる傾斜の緩い岩壁帯で、ここへは絶対に足を踏み入れてはいけない。ここから発生した雪崩が巨大堰堤を破壊したり、信じられないことに3km以上下流の石高橋をも落下させている。ナメッツラ沢には現在も破壊された堰堤の痕跡がしっかりと残されている。

 地形図から中ノ岳を取り巻く沢筋を見てみよう。注目すべきは北西面の等高線の混み具合だ。粟立山へ突き上げる名立川紫雲谷の右岸は1/25,000図では表現しにくいほどの急峻さである。沢中間あたりで分岐する左俣は極端に悪く見えるが、実際はそれほどでもなく、出合の三段25mの直瀑が全てである。右岸を大きく高巻けば、あとは幾つかの小滝から源流となり「ヒラキの山」主稜線に立つことができる。1998年11月、わたしと直江津山岳会柳賢一氏ほかによる「左俣~万内川西俣下降」の記録が唯一初めてのものであろう。
 北の桑取川本流右俣は今だ登山記録を見ない、矢代山地で数少ない登山空白の地である。桑取本流との出会いは珍しい形態の10m滝であり、その上部しばらくは坦々とした流れである。源流部は急激に高度を上げ、わたし自身の足跡はそこまでしかない。山容からして地元の猟師もたぶん源流へ足を踏み入れていないと思われる。
 東面の万内川西俣、ナメッツラ沢は沢登りの対象としては余りに物足りなく、山菜採りの領域である。人煙最後の西野谷集落はいまどき珍しく山菜採り禁止の看板を掲げていない。山業にたずさわる人が居ないのであろうが、山は全て個人あるいは共同の所有地である。山菜、渓魚とも乱獲は慎まねばならない。
 中ノ岳は、矢代山地の中では最も南の容雅山とともに、全く人工物、人の気配がない山である。無雪期の登頂は難しく、積雪期・残雪期の山といえる。かなり以前に南葉山から大毛無山まで縦走したおり、主脈に王子製紙の境界標を見かけたことがあり、ひょっとしたら現上越市地籍の一部は大手企業に買収されているのかもしれない。
 上越市名立側は地勢厳しく、林道開削の跡もないことから、樹木の大規模伐採は行われていないものと思われる。山麓部を除けば杉などの植林地を見ることもなく、開発の爪痕が全くない。自然がそのまま残る貴重な山は数少なく、登山面から中ノ岳は玄人向けの山と云える。無雪期の三角点は拝んだことがなく、今後晩秋時の課題とし、これからも大切にしたい山の一つと思っている。

アルパインクライミングとは…

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○アルパインクライミングとは…
○投稿者 昭

 クライミングを始めるためには、まず基本を学ばなくてはならない。クライミングとは日常生活を離れた場所でさらに危険な行為をおこなうことから独学で覚えるには大きな危険を伴い非常に難しいものとなる。やはり山岳会に所属するのが一番確実で確かな方法だと思う。また高額な授業料を支払いプロガイドの講習を受けるしかないのだがあまり現実的ではない。しかしながら現在の山岳会は壊滅寸前、教える先生も少ないが教わる生徒がいないのが現状になっている。2020年の東京オリンピックでは、スポーツクライミングが競技種目として上がり注目を集めている中、アルパインクライミングの伝承は困難な状態である。
 冒頭にも述べたがアルパインクライミングとは道の無い山奥の岩場でクライミングを楽しむことが目的である。しかし岩を楽しむには豊富な知識と経験それに見合う体力が必要になる、どれか一つ欠けてもアルパインクライミングを楽しむことは出来ない。だが若い時にクライミングに夢中になればそれらは問題とはならない。

 先ずは行きたい岩と自分に合ったルートを見つけ出す事から始まる。勿論パートナーとの関係で行先が変更になることも多い。ここで重要なことは目的の岩が山の何処にあるのかが問題でアルパインクライミングの難しさでもある。岩壁までのアプローチそして目的のルートを見つけ出す。直接危険性には関係ないようだが、実際は目的の岩以上に危険なアプローチが多い。ルートのグレードが元蕕任盻薺藜圓簡単にたどり着けない岩場が多い。アプローチでは藪漕ぎや沢、ガラバといった道の無い道、一般道よりはるかに悪い所が多い。しかしここで重要なことはそのようなアプローチでも安全かつ普通に歩くことが求められる。またそれ以上に難しいのが下山(下降路)である。岩の終了点が山頂なら、まさにアルパインクライミングの神髄であろう。しかし日本の岩場では数える程しかない。また最も重要なのが天候である、多少の無理やトラブルがあったとしても天気が良ければ切り抜ける事が出来る。このことから登攀そのものより入山から帰るまでの総合的な力がアルパインクライミングには必要になってくる。

 ルートが決まったらその特徴を知ることが重要になってくる、フェースにクラック、ボルトにブッシュ、フリーに人工と色々な特徴がある。その特徴に合わせギヤを選択する事になる。例えばブッツシュ主体ならロープスリング、単調な人工ならヌンチャクも有効である。そんな風に有効最小限の装備で登攀することが望ましいとされている。またそれら以上に大事な装備はクライミングシューズとザックである。シューズは小さすぎると、クライミング処では無くなってしまう。またザックも背負った時に腕が上がらない、顔が上がらないでは登攀意欲が無くなってしまう。これらについては事前にゲレン等で確認した方が無難である。
 また装備や計画で問題になるのは時間である、限られた休日でいかに安全に登って帰ってくるかが難しい。日本の岩壁(無雪期)は殆んど一日で登攀出来てしまう。しかし岩壁によってはアプローチ等の関係で「取り付き」や「終了点」でのビバーグをする事も多い。そのため、装備重量が増える事によりそれぞれの行動が鈍り時間切れやその他の危険度が大きくなってしまう。そのためにも考えた装備と事前の調査計画が成功への鍵となる。昔から山の鉄則として「危険地帯は素早く通過する」とある。落石など危険な所では少しでも早く通過すことが必要になる。日本の岩場は脆いのが普通、従って登攀しないことが一番である。しかしクライマーである以上それは不可能。先行パーティーがいて如何しても不安を感じたら、中止もしくはルート変更を行うべきである。

 今回はアルパインクライミングとはどんなものかに触れてみた、アルパインクライミングは絶えず危険と隣り合わせである。基本を身に着け徐々に経験を積み重ね、己の腕を磨きまだ知らない岩壁を目指す、これがアルパインクライミングの醍醐味であろう。

富山/西頸・越中宮崎~小川温泉~青海(第1回お宝探し)

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○山行地 富山/西頸・越中宮崎~小川温泉~青海(第1回お宝探し)
○山行日 2016年06月04日~05日
○山行者 L丸山 早津 船山了 船山康
○報告者 丸山

 こんなの山岳活動って言えるのかなぁ・・・。でも宮崎、青海々岸の「お宝」は姫川水系上流の小滝川、青海川の山中が故郷だし、泊りの小川温泉も山の帰路いつも使っている宿であり、今回はおまけの登山活動としてもらおう。

6月4日 時間に余裕があることからR8で能生道の駅へ。今晩のカニ汁材料を仕入れ、海川姫川間の丘陵地帯にあるフォッサマグナミュージアムへ向かった。ここは糸魚川市のみならず世界の鉱物、鉱石が展示され、入館料は一人500円、9時からの開館である。
 簡単にヒスイの勉強をし、先日青海々岸で採取したヒスイもどきの石っころの鑑定をお願いした。ひとり10個まで無料でおこなってくれ、ありがたい話である。持参したもののうち2個がヒスイ輝石であった。これで俄然やる気が出てきた。
 今日の探索予定地は越中宮崎のヒスイ海岸。まずは腹ごしらえ、栄食堂のタラ汁は美味しかったー。海岸ではすでに複数のマニアが石拾いに興じている。きれいな石は数多いが、どれがヒスイやら全く分からない。本格的に装備した地元の人に石探しのポイントを聞けば「基本は白い石を探すこと。水中にいいものがある」とのこと。早津さん曰く「あまり丸いものより角のある石がヒスイである確率が高いかも・・・」、なるほど、ヒスイは硬度が高いゆえそんなこともありそうだ。
 いくつか拾った中から良さげなものをストックし、今宵の宿小川温泉に向かった。

 小川温泉は新館「ホテル小川」と元湯「不老館」からなる山中の一軒宿だが、年々利用者が減っているらしく、今年5月1日付けで、旅館再生を手掛ける愛知県の海栄館に事業譲渡したらしい(北日本新聞)。旅館名称は変えず、従業員約60人の雇用も継続するらしく、不老館フロントの男性も以前と同じ人物であった。特段愛想がいいというタイプの人ではないが、地元の人らしいほのぼのとした応対はたくさんの客に好感を与えているようだ。栄枯盛衰、古い宿が淘汰されてゆくのは寂しく、機会次第としても今後も小川温泉を訪れたいと思っている。
 まずは小川上流の歩いて10分ほどにある露天の岩風呂である。右岸へ渡る橋の上からホテル小川の露天が見え、なんと丸裸の若い女性が無防備で川の流れを眺めている。サルの群れが上流へ向かっており、それを見ているらしい。しばらくしてわたしたちの存在に気づいたらしく『あーれーっ!』といった感じでホテル奥へ逃げていった。
「ふふっ、いいものを見てしまったルンルン・・・」
「なんかずいぶん得した感じだね」と、のんびりたっぷりと混浴の岩風呂を楽しんだ。一人一泊素泊まり3,390円也。

 5日 昨夜の残り物で朝食とし、今日は青海々岸で宝探しだ。糸魚川市は“さかな祭り”の幟が掲げられ、海端はどこもたくさんの人でにぎわっている。ここもまたすでに何人かのマニアが徘徊している。話好きなオッサンからいろいろ情報を収集するヤッちゃん、ここ掘れワンワンばりに穴掘り探索に精出すサトシさん、大物狙いで欲深いケンちゃん、そしてしつこさが持ち味である私と、お宝探しはとても楽しい。
 市内の蕎麦屋で昼食を摂った後は再びフォッサマグナミュージアムである。採取した石ころの鑑定だ。ところが今日は鑑定人の学芸員がお休みということで見てもらうことはできなかった。まあ結果は次回に期するということにしよう。
 この小さな施設に化石の専門家を含め学芸員三人とは驚きだが、ひとりは早津さんの後輩であるらしい。次のお宝探しは砂金かなと、わけのわからない話をしながら帰路につくのであった。 

会津・大峠~峠沢~井戸沢~流石山~三本槍岳~大峠

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○山行地 会津・大峠~峠沢~井戸沢~流石山~三本槍岳~大峠
○山行日 2016年6月5日
○参加者 L中村、古川
○報告 古川

 入梅前の晴天は貴重だ。沢入門と船山さんの記事にあった奥会津の山々に会うため、星が瞬く時間に家を出た。
 朝霧で幻想的な田子倉湖畔を抜け、信号のほとんどない会津の国道を経由し林道大峠線のダートを進む。6時20分、ようやくゲートのある登山口駐車場に到着すると既に5台ほど停車してある。天気は良さそう。広い砂利道をしばらく歩く。近くにある鏡ケ沼の説明看板があり、そこから先は登山道らしくなる。大峠に向かうこの道は会津中街道といい、戊辰戦争で戦禍に見舞われた歴史がある。明るく気持ちのよい混合林を抜けると視界が開けた。7時に大峠で小休止。峠は街道の要衝で見晴らしがよく、笹原の向こうに栃木県側の平野が見渡せる。古い石仏がユーモラスな格好で並んでいて、昔の人が往来した峠の姿を偲ばせる。

 両脇に時期の過ぎたネマガリダケが茂る道を三斗小屋温泉方面へ下りしばらくすると、水音が聞こえてきて峠沢に出合う。ここで登山道とお別れし7時30分入渓。井戸沢出合いまで小一時間下る。最初は足を置く石全てが滑りそうで腰が引けていたが、段々と慣れてきてテンポよく進めるようになった。上流は木陰が多いせいか水は冷たい。山菜採りの先行者の足跡があった。沢筋には春蝉の大合唱が響いており、強い日差しの下水辺を歩いていると季節を夏と勘違いしそうだ。苔むした石が多く、沢沿いに古道が延びているようだった。途中、中ノ沢が合流している辺りから水はゆっくりとぬるくなった。
 9時、木橋のかかる井戸沢出合いに到着し小休止する。すぐ後ろから単独者がやってきて同じルートを目指すという。この山行計画時に沢をくだってまた別の沢を登るルートと聞きWhy?と思ったが、峠沢を歩いてみると初心者にも快適でへつりやロープの出番もなく、水を楽しめるルートだった。

 井戸沢出合は伏流となっており堰堤までゴーロ歩きとなる。堰堤を過ぎてようやく水の流れる沢が出てくる。最初の滝は15mほどで左岸から越えるとナメ状や階段状の小さい滝が次々とあらわれるが、ホールドも豊富でロープ等の出番はない。もう一つ大きな滝があるが、これも左岸の草付きから残置スリングを利用して上がった。この辺りの沢は三本槍岳を源流とする苦土川(湯川)水系に属しており、井戸沢は栃木・福島県境の流石山と大倉山間の稜線へ突き上げている。岩はしっかりしているがぬめっている箇所が多く注意が必要だ。水量はいつもより少ないようで、以前来たことのある中村さんは上流で水を補給しそびれていた。次第に沢幅は狭くなり水路は深いV字状になり傾斜がきつくなってきた。源頭部は急傾斜のガレ場登りが続き、最初の快適さが嘘のように苦しかった。最後は両手で笹薮を掴んで這い上がっていき稜線に出た。

 稜線上は360度見渡せてほっとする。東に突き出た茶臼岳の白茶けた山肌から噴煙があがっていた。上がって右手にしばらく歩くと流石山頂となり、登山者が一組昼食を取っている。時間は11時40分、我々も昼休憩する。このとき、当初予定の大峠経由でそのまま帰るには物足りないとなぜか考えてしまった。地図で所要時間を確認しリーダーに相談、三本槍岳経由で帰ることになった。

 12時に出発し大峠を30分でくだったが、段々時間内に歩けるか心配になってきた。ここから三本槍岳山頂まで下った分以上の標高を登らなければならない。少し心配になりながら登りはじめたが、案の定、私の足は登りエンジンのギアがセカンドから上がっていかない。見かねた中村さんが谷川岳の歌を歌って励ましてくれたので、半分やけくそになり水戸黄門の歌なんぞ歌いながら痛い足を上げ続けた。結局1時間で山頂に着いたが、左下に見える爆裂火口跡の鏡ケ沼や眺望が美しく、やっぱり来てよかったと思った。
 山頂をそそくさと後にし鏡ケ沼を目指し下降する。あまり使われていない登山道のため笹薮と化しており何度もすべって転んだ。透明度の高い沼にはクロサンショウウオの卵と思われる白い袋があちこちに沈んでいた。15時に駐車場着、何とか予定通りに歩けてほっとする。国道289号沿いのさゆり荘という温泉に入り長い帰路に着く。途中休憩した六十里越峠では、リアス式海岸のように半島が入り組んだ田子倉湖の風景が珍しく、「会越の窓開く」という田中角栄の記念碑に往時を思った。また、裸山上部のスラブをはじめ湖畔沿いに脆そうな岩壁が随所に見られ、かなり興味をそそられた。遠出だったが景色に癒された。奥会津の山と沢の魅力が少し理解できた気がする。また会いに行きたいと思った。

飯豊・加治川ダム~蒜場山~大日岳~梶川尾根

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〇山行地 飯豊・加治川ダム~蒜場山~大日岳~梶川尾根
〇山行日 2011年5月5日~5月8日
〇メンバー 中村(単独)
 
 深田久弥は「日本百名山」の中で、飯豊についてこう書いている。「私が通ったのは飯豊の背骨に過ぎなかったが、そこから左右に幾筋も伸びた長い支脈、それからその間に深く刻みこまれた多くの谷々。・・・この大山塊にはまだ無数の秘密がひそんでいるように思われた。」
 飯豊の谷は軟弱者の私が近づけるところではないが、道の無い風格ある支脈から飯豊の主脈を目指したいと何年も考えていた。長い連休となったこの年のGW、事前に下見山行も行い憧れの領域に踏み込んだ。

5月5日
 新発田市東赤谷加治川ダムより3KM下流の琴沢出合ゲート前に駐車。晴天の下、まずは林道を歩き始める。下見の時より大分雪消えが進んだようで、右側の沢からのデブリの残骸以外、雪はない。加治川ダム堤を横断して、蒜場山登山口で長い縦走を前に記念写真を撮る。カタクリとイワウチワ咲く登山道は急なヤセ尾根だ。岩岳手前で広くなるが、一旦小さく下り烏帽子岩あたりから急な岩場の連続となる。蒜場山に着くと二王子岳から飯豊主脈の大パノラマの眺めに感動するが、そこまでに辿らねばならない峰々の何と長いことか。その激しいアップダウンはまるで蛭の蠕動運動のようで不気味である。蒜場山頂から北東方面の雪渓を下り、右側のヤブから尾根に出て1065M鞍部へ。見事な根開きのブナ林から北へ雪堤を登り返し、すぐに東へ下降。小さな登下降を繰り返す。尾根右側には雪堤が繋がっているが、左側はササと潅木のヤブで、薄い踏み跡が高立山まで続いていた。高立山を過ぎると全面的に雪となるが、ズクズクの腐った雪で歩きにくく、だんだん嫌になってきた。稲葉の平は文字通り広い雪原であるが、蒜場山頂から300M以上も下ったまま全然高度を上げていない。ここで幕営すると翌日の行動がキツクなり過ぎるので前進する。あせらずゆっくりを心がけ、1351Mの丸子カルでテントを張る。広くなだらかな雪原で小さな酒盛りをしながら、飯豊主稜を眺める至福のひと時を送る。とくに飯豊川にかかる雲海の上に浮かぶ烏帽子山と沈み行く夕日を見ることができたのは幸運だった。

5月6日
 本日も晴れ。テント場から小さく下り烏帽子山への登りに入る。多少ヤブが出ており急である。この烏帽子山、「岳人」選定マイナー12名山の一峰らしく、飯豊主稜から見ても、下から望んでも立派な山容だ。ピークは二つあり、今回は南峰へは行かず北峰のみにして後にする。再び下りに入るが、油断して急な雪面を20Mほど滑落。幸い潅木を掴んで谷への落下は免れたが、念のためアイゼンを付ける。マグソ穴峰から先はリョウブやシャクナゲ、ツルその他の強烈なヤブのアップダウンとなる。ヤブを避けて雪面を迂回するのだが、尾根に戻るのにまたヤブこぎになりウンザリする。キンカ穴峰を越えるとようやく安定した雪尾根になるが、実川山の先に見えていたのが大日岳ではなく、薬師岳であったことに大いに落胆。西大日からハイマツをこぎ、ようやく大日岳に着いた時は徐々に風が強くなってきていた。すでに疲労困憊で大日岳登頂の感激はまるでなく、御西に向かって急斜面を下り始める。全行程で一番緊張した場面で、実川側の雪面を慎重に進む。御西小屋は全部露出しており、今日の泊りは私一人。小屋の窓から飯豊を眺めながらの一人酒となった。

5月7日
 朝から強風とガスで視界が悪く、疲労も深い。本山往復はやめて梅花皮岳方面へ北上することにする。体を飛ばされそうな風で、ガスの中の広い雪原歩行であるが、薄いトレースが続いており心強い。烏帽子岳の登りから夏道が現れ始め、風も少し弱まりガスも晴れてきた。梅花皮小屋の水場はドクドク出ており給水する。北股岳から門内岳は雪がなく夏道歩き。扇ノ地紙に着いたとき、もうこれ以上縦走を続ける気力も体力も残っておらず梶川尾根を下る。梶川峰からのシリセードは爽快だったが、湯沢峰への登り返しは辛かった。天狗平のゲートに降り立つと欲が出て、新緑のブナ林を見物しようと思い温身平まで往復してみた。薄い緑の生命力に癒された。最後の力をふりしぼり玉川右岸の林道を歩くが、除雪前であり、デブリに覆われた急斜面のトラバースが続きノックダウン寸前になる。梅花皮荘のバス停に着いた時はまだ最終便が出る前だったが、もうこれ以上動く気になれず、幕営する意欲も失せて梅花皮荘に宿泊することにする。山歩きを始めて以来、旅館に泊るのは初めてだがハンパ者の私にはふさわしい旅の締めくくりとなった。

5月8日
 始発バスで小国駅へ。米坂線から羽越線で新発田駅へ行き、3時間以上の待ち時間の後バスで東赤谷へ向かい、最後は2KMほど歩いて車を回収した。途中強風で電車も止まり、一日がかりの回収旅行だった。
 
 この年のGWは9連休で、1泊と2泊の山行をすでに終えていてこの縦走は3発目の山行だった。無謀だった。もうこんな無茶はできないが、無謀な情熱をなつかしむ自分がいる。やはり歳をとってしまったと痛感する。

山形・小国町 「越後屋」マタギのふるさとで見つけたびっくりメニュー!

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○山形・小国町 「越後屋」マタギのふるさとで見つけたびっくりメニュー!
○投稿者 ち

 山形県は小国町。飯豊連峰の登山口、飯豊温泉に向かう途中の小玉川集落は「マタギのふるさと」として知られています。この集落には「越後屋」という食堂があり、ここの「岩魚の春巻き」が美味だったと山仲間から聞いており、機会があれば是非とも食したいものだとチャンスを伺っていたのでした。
 とはいっても、飯豊の山は遠く、なかなかその機会が得られずにいたのですが、偶然できた平日のお休みに「行くっきゃない!」と、車を走らせました。日東道を荒川・胎内で下りた後、荒川に沿って国道113号線をひた走り、赤芝発電ダムから県道15号へ。この県道への入り口がややこしく、入りそびれて通り過ぎてしまうといった失態を冒してしまったのでした。その後は、荒川の支流玉川の清流が創り出す渓谷美をチラ見しながら進むと目指す小玉川集落にはいりました。
 「飯豊山登山口」の案内板を拾いながら進むと、県道端に「越後屋」の看板が現れ、ようやく長いドライブの終点です。ここまで約2時間。さすがにくたびれました。

 お昼はとっくに過ぎていたので、「もしかしたら中休みで店が閉まっているかも…」と心配していましたが「商い中」の札が出ていてほっとしました。暖簾をくぐって店内に入ると小さな囲炉裏がある畳の部屋になっており、10人ほどが座れる長テーブル席、4人用のテーブル席、囲炉裏の周りに4人ほどが座れるようでした。壁の中央には大きな熊の毛皮が掛かりマタギの里を演出しています。独特の書体で書かれた山菜や、岩魚の季節もののメニューも悪くない雰囲気です。
 店内に客は無く、長テーブルの中ほどに座りお品書きを広げますと、山菜や岩魚を使った独特の蕎麦やうどん、岩魚のコツ酒や地酒が並んでいます。驚いたのは岩魚のレバー、胃袋まで単品でメニューに載っていたことに加え、熊の肉を乗っけた蕎麦やうどん、熊の脂身まで…。もっと凄いのが、熊の手が丸ごとは入った蕎麦(うどん)がなんと、驚くなかれ10万円!その金額もさることながら、そんな蕎麦やうどんを食べようとする人がいるのか?いや、そんな蕎麦が本当に作れるのか?いくらマタギをイメージさせるといっても、このメニューも値段もあり得な~い!

 暫くお品書きとにらめっこした後、ざるそばと岩魚の春巻きを注文しました。口コミでは蕎麦の評価はいまいちでしたが、この日は最高気温が30℃となった暑い日で、とても暖かいそばやうどんを頂く気にはなれませんでした。
 待つこと15分、お蕎麦と岩魚の春巻きが運ばれてきました。まずは岩魚の春巻きを熱いうちに頂きます。カリカリに揚った春巻きの皮が香ばしく、これだけでビールのつまみに十分です。岩魚は寒風干しされており骨まで簡単に噛み砕くことができます。行者ニンニクの入った味噌を腹に詰めた身を噛みしめるとワイルドな中にもまろやかな春の香りが感じられます。結構塩気が強いのでビールがあれば最高でしょう。
 じっくりと岩魚の春巻きを堪能した後はお蕎麦を頂きます。お蕎麦の入ったお盆にはワラビとウド菜の小鉢がついており嬉しい限りです。お蕎麦の方は手打ちではありますが打ち立てでないことは一見して分かるもので多くは語りません。
 お蕎麦はともかく、「岩魚、山菜、熊」と暖簾にも書いてある通り、山の幸を使った個性的なメニューが並ぶこの「越後屋」はマタギの里を強烈に印象付けることでしょう。

ちなみに、今回のお品代はざる蕎麦700円、岩魚の春巻き600円の計1,300円也。

南会津・小豆温泉~窓明山~丸山岳

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〇山行地 南会津・小豆温泉~窓明山~丸山岳
〇山行日 2009年4月28日~29日
〇メンバー 中村(単独)

 山歩きを始める前の若い頃、県内の景勝地をドライブして回るのが好きだった。その中の一つに奥只見の銀山平があった。眼前の荒沢岳の偉容に圧倒されながらも、只見川のはるか向こうに見える穏やかな山脈も当時から気になっていた。時を経て山を歩くようになり、越後駒や荒沢岳に登った折、それらの山並みが南会津、駒・朝日山群と呼ばれる原始郷であると知った。いつかは歩いてみたいと思ったが稜線には道が無く、残雪を利用して歩かれるところらしく、その後何年か周囲の山に偵察に出かけて機会をうかがっていた。少しずつ経験を積み、この年の春の連休に丸山岳を目指すことになった。

 未明に自宅を出発。六十里越から田子倉への道路には前日の雪が少し残っており、山での新雪がどれほどか気にかかる。小豆温泉の登山口付近に駐車。前の週の下見の時に見定めておいた入山ポイントの雪は消えていてイワウチワが咲いていた。家向山手前から雪道になり、南会津らしい荒々しいブナ林が稜線方向に伸びていた。窓明山山頂はオオシラビソの林の見事な霧氷。樹間を下り坪入山へ登り返す。高幽山から先は広大な雪原が続く。高原歩きというより高原逍遥のような気分だが、ガスがかかれば目標物は何もなく行動不能になりそうだ。西には奥只見や魚沼の山並み。いつもとは反対側から眺めていることになり、窓の向こう側に今いるのだなと実感する。足元は新雪が30センチほど。降り注ぐ陽光がツボ足で窪んだ雪の足型を淡い青色に染めている。雪面が青く見えるなんて初めての経験で新鮮だった。
 梵天岳には幕営に適した広い窪地があったが、眼前に丸山岳の堂々とした姿を見てしまっては進まないわけにはいかない。ヤセた雪尾根を渡り広い広い頂稜部を登りつめた所が丸山岳であったが、陽は傾き強風が吹きつけてきた。ブルブル震えながらテント設営し水を作り、焼酎お湯割りで一息ついてやっと震えがおさまった。テントから見渡す越後側の山々の彼方に夕日が沈みかけ、日本海を染めていた。こんな会津の奥山から海が望めるとは考えていなかったので嬉しかった。

 翌日、日の出とともにテント撤収。会津朝日岳への稜線を進むか、来たルートを戻るか迷う。朝日岳方面の稜線は昨日とは全然山容も雪量も違う。ヤセたヤブ尾根だ。そのときかなり疲れていた。言い訳ばかり考えていた。車の回収が面倒だのヤブこぎが厄介だのと。結局自分の弱さ丸出しで昨日と同じルートを逃げ帰ってしまった。新雪はズクズクの腐雪になって靴の内部まで染みていた。美しい景色は苦行の前に霞んでしまっていた。下山後に入った小豆温泉では案の定、足が靴ズレのためペロリと皮むけして痺れた。弱虫の私にはお似合いの代償だった。

 今回歩いたコースは丸山岳へのルートとしては最も安直な道筋であり、縦走するなら会津朝日から会津駒を結んだり村杉半島から歩き通すなどすれば充実すると思う。無雪期ならやはり沢からの遡下行が楽しいはずだ。もっと経験を重ね、いつかまた訪れてみたい。

山形・小国町 飯豊温泉「梅花皮荘」/泡の湯温泉「三好壮」マタギの里の湯めぐり

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○山形・小国町 飯豊温泉「梅花皮荘」/泡の湯温泉「三好壮」マタギの里の湯めぐり
○投稿者 ち

 飯豊連峰の登山口の一つ山形県小国町。ここはマタギの里として知られ、原始的且つシビアに自然と供に生きてきた人々の姿を今に伝えています。小国町には熊が傷を癒していたところをマタギが発見し開湯したと言い伝えられている飯豊温泉があり、登山口の「飯豊山荘」、玉川の西ノ俣沢分岐にある「梅花皮荘」とその別館「川入荘」があります。

 「飯豊山荘」へは残念ながら林道工事の為通行止めで行くことができませんでしたので「梅花皮荘」のお湯を楽しんできました。国民宿舎と言うことで、ありがちな鉄筋建築の方は宿泊施設、渡り廊下でつながる木造の建物は「山崎屋」と看板があり、こちらに男女交代制の2つの大浴場がありました。この建物にはマタギ民俗資料を展示した無料休憩室があり日帰り入浴客の憩いの場となっています。浴場の入り口の暖簾には「へら(女)」「なた(男)」とありこの辺りの方言なのか、マタギの言葉なのか?いずれにしても東北の奥山のひなびた感じが漂います。

 浴場は大きく開けた天窓から光が降り注ぎ、明るく開放的です。浴槽の水面と同じ高さで切られた窓からは飯豊連峰を望むことがで、窓辺に寄れば玉川の清流が眼下を流れ、そのせせらぎが聞こえます。浴槽は広く洗い場もゆったりとしています。
 お湯は上流の飯豊山荘付近からの引き湯ですが、大量に投入されており惜しげも無く側溝にオーバーフローする掛け流しとなっています。お湯のあたりが柔らかく肌なじみが良い感じです。ほのかに鉄っぽい臭いがし、口に含むと少し塩気が感じられました。お湯の色はほぼ透明で底に鉄粉のような湯の華が沈殿しています。温泉成分表による泉質はナトリウム・カルシウム・塩化物・炭酸水素塩・硫酸塩泉。
 この時の入浴客は私一人しかいなかったため、こんな大きなお風呂を独り占めすることができ得した気分になりました。泉質、湯量、浴場や建物の雰囲気を総合すると「山のいで湯」と呼ぶに申し分のない温泉と言えるでしょう。

 さて、梅花皮荘から県道15号線を少し戻り、旧小玉川小学校の分岐にある案内板に従って「泡の湯温泉」へ向かいます。往路、梅花皮荘に向かう道すがら「泡の湯温泉」の看板を認め「泡の湯」=「炭酸温泉?」と想像し、是非寄ってみようと思いました。
分岐から10分程山奥へ進むと木造一部三階建の建物が現れ、「泡の湯温泉 三好壮」の看板に迎えられます。収容人数約50名、客室14室、この温泉宿を設立した初代のコメントを載せたパンフが置かれていることから歴史のある温泉ではないことが伺えます。ですが、個人が時間をかけ細々と造って来たことから建物はそれなりの古さを感じさせます。
 入浴料金400円を払い浴室に向かって廊下を進むと「源泉かけ流し」と「天然水の沸かし湯」に分かれて表示があり「沸かし湯」の方は工事中とのことでしたので「源泉温泉」へ進みます。家族風呂と言った感じで脱衣場も浴室も小さく3~4人も入ればいっぱいといったものです。お湯は黄褐色で浴槽の縁や洗い場、桶まで赤く染まっています。お湯の落ち口が見当たらず、浴槽の隅にある排水口へはゴボゴボと音を立ててお湯が流れています。源泉ではあってもかけ流しではないことが分かりちょっと残念な思いで浴槽に身を沈めます。
 炭酸の泡に体中が包まれるものと期待したのですが、一向に泡が付きません。確かに炭酸は高温だとガスが抜けてしまいますが、湯温は40℃から42℃程で全く無くなってしまうような高温ではないはず。鉄分がガスを消滅させているのか?循環している間に消えてしまったのか?なんにせよ「泡の湯じゃないじゃん!」がっかりしてそそくさとお湯から上がってしまいました。
 気になるのは「天然水の沸かし湯」ですが、いつか飯豊の山登りの折にでも、再びこの温泉を訪れることにしましょう。

矢代・籠町南葉山~青田南葉山 春の古道整備

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○山行地:矢代・籠町南葉山~青田南葉山 春の古道整備
○山行日:2016年6月19日
○メンバー:CL小林 SL松木智 丸山 松木昭 山越 松矢 保坂 斉木 船山了 本間 古川 中村 小山 船山康 今泉 長谷川 清水 堀 丸山美 白川 早津(21名)一般参加者(13名) 西野谷本田区長 西野谷新田区長 小林農園様 
○報告者:小林

 今年も恒例アスタークの年間活動計画の一つである春の南葉山古道整備が行われた。今回も多くの会員からご協力いただきCLとして感謝申し上げると同時に今回は一般参加者が13名と多くの方からも参加いただけたことは大変良かったと感じている。
 さて今年は雪が少なかった影響と気候も温かく春の訪れが早かった。そのため例年見られていた残雪はなく草木がいつもより伸びている状態となっていた。

 朝7時に一般参加者がそろう前に準備、打ち合わせを済ませ参加受付が終わると、松木代表から挨拶していただき各車両に乗り合わせ出発する。恒例となったエボ平の神様に一同お参りを済ませ籠町南葉山道入り口へと到着する。到着後一般参加者含む縦走班と橋
設置、ステップ補修等行う班毎に、再度簡単に打ち合わせし出発する。
 各班リーダーのもと作業を開始するとまず担当している橋の設置作業へと向かった。橋の設置場所である足場の悪い小さな沢に、残置しておいた梯子を渡しクランプとタンカンを用い番線とシノでしっかり固定を図る。年に一度のこの作業を習得がなかなかできず船山さんからご指導をいただきながら作業を行う。タンカン接続部のクランプについては固定されたものがいいとアドバイスをいただき来年の課題となった。
 続いてステップの補修作業に入った。植林地からの急こう配は毎年ステップが崩れやすい状態となっており、ケンスコでしっかり刻んでいくように補修を行っていく。今回は鉄筋を長さ50センチ程度に切り添え木と組み合わせ番線で固定する作業を行った。予め添え木の準備をしておいた方が良かったと感じたが、協力もあり約10本程度鉄筋を使用ししっかりとしたステップになった。続いて栃の木峠のステップ作業では大きな崩れはなく、落ち葉を取り払いステップがわかりやすいように刻んでいった。また栃の木峠前後に熊脅しを設置し稜線へと向かう。

 稜線からは日当たりが良いせいで草木が伸びているのが目立ち、鎌や鋸で刈払っていく。猿掛けへのステップ補修に向かわなければならない自分たちはここをお任せし足早に猿掛けへと向かった。所々にササユリが綺麗に咲いていたり、途中の見晴らし台では天気も良く高田の町並みや直江津の海まで見渡したりすることができた。
 猿掛けに到着するとステップの補修作業を開始した。こちらも栃の木峠と変わらず大きな崩れはなかったがステップの数も多く、3人だとそれなりの労力を費やすこととなった。気温が高いことから汗と水分摂取の量も多くなり終わると昼食とした。その後すぐに2班の縦走から戻る方々が来られブナ林に囲まれた広場で皆と昼休憩となった。

 2班より先に昼休憩を済ませると三角点広場に向かい草木の刈払いを行った。三角点広場では集合写真がすぐに撮れるように目立つところを刈り2班が合流してくるのを待った。途中雨があたり定刻の時間より遅れていることで濡れることが心配されたが、雨脚は強くならず集合写真を撮って下山となった。作業の成果を確認しながら全員が無事に籠町南葉山登山口に到着すると各車両に乗り合わせ集合場所の万内川砂防公園駐車場へと戻ることができた。松木代表よりお礼の挨拶と一時解散となった。
 私たちの身近にある親しみある里山として、これからも登られることを望むとともにまた秋の古道整備にも参加いただきたいと思う。

 一時解散後は西野谷クラブにてタケノコ汁を楽しむ会が行われた。ありがたいことに一般参加者の多く方から参加いただき労を労うことができた。今年は前日のタケノコ取りに参加し取ってから調理までの作業の労力を体感することができた。こうしてタケノコ汁他タケノコご飯やわらびを振る舞えるのも皆の協力があってのものと痛感した。今年もアスターク特性のタケノコ汁はとても美味しく好評をいただけ、終わりに西野谷新田区長より万歳三唱の挨拶で終了となった。
 最後に準備段階から事前作業と多くの方からご協力いただき、無事に終了できたことCLとして誠に感謝申し上げ、秋の古道整備にも参加協力をいただけるようにお願いしたいと思います。
 
 
 

戸隠・奥裾花自然園~東山

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山行地:戸隠・奥裾花自然園~東山
山行日:2016年6月22日
メンバー:L船山了、船山康
報告者:船山了

 姫川と裾花川に挟まれた南北に延びた山塊を小谷側ではアルプスを西山と言うのに対し東山と呼び急峻で登山道は付けられてはいなかった。昔の峠道であった柳沢峠も廃道になり探し当てる事はできず、奉納からの山菜道も歩く事はなかった。小谷栂池に住んでいた頃は毎日この山塊を見て生活していたが、唯一登れそうな岩戸山(1356m)に残雪を利用して出掛けてみたがミズナラのテッペンに掛けられた熊棚に戦々恐々して帰って来たものだ。
 この稜線に立てたのは姉夫婦が遊びに来た五月の連休に反対側の裾花渓谷の最奥の自然園からで、大した苦労もなく残雪の斜面を登り直下の雪壁をよじ登り初めて眼下に拡がる村の全貌を俯瞰し、わずかな平地にへばり着くように部落が点々と拡がり、アルプスから延びたスロープにはスキー場が拓かれ賑わいが感じられた。
 今日の山行も前日に自然園の駐車場で一泊し、朝5時に出発する。自然園迄は舗装道路を30分程を歩かなければならない。水芭蕉シーズンには多くの観光客が押し寄せる為に手前の大きな駐車場で交通止めにしバスでの送り迎えし、自然保護と商売の絡んだ仕組みだ。とは言うものの、この山域に入るには裾花渓谷に奥深く入りこんだこの道以外に手段は無い。

 登山口から一歩入ればブナの原生林が拡がり、熊避けの鉄管がぶら下げられている、叩いてみたが以外に響く音だ。小沢を渡り、登りになれば当てに成りそうにない水場があり、簡単に稜線についた。登山口から標高差350m位、1時間ほどで山塊の主稜に立てるのだから手軽であるのは確かだ。しかしこの先は奥深く、登山道整備は行き届かない。地元の鬼無里だけでは難しい、猛烈な藪と根曲がり竹は登山道維持は大変だ。
 中西山の先までは近年整備されており歩きやすくは成っており、その先は人の踏み跡はあるが歩きにくい。登山道脇には根曲がり竹が密生し、太くて良質だが若干時期が遅かった。その上登山道の至る所で熊が食べたと見られる残骸があり、今の時期の方が熊にとってはかじりつきやすいのかと納得した。

 日堂沢の源頭部に入れば急峻な沢の奥に東山の山頂がガスの中に見え隠れしてきた。1840mのピークから右手に直角に折れてネマガリ竹の中を下り最後の東山への登りで登頂と思いきや、地形図には表れない、もうひとつ先の峰が東山の山頂であった。
山頂には熊にかじられた無惨な標柱のみ、景色はガスの中、それでも1時間のんびり昼寝をして帰路についた。

高山植物はフウロやちどりが僅かしか見られなかったが ラン科のキバナ敦盛草を十数株見られたのはラッキーであった。コケイランも見られ、何よりもベニサラサドウダンツツジの立派な木々は素晴らしく、みごとであった。一本のドウダンは名前は不明だが綺麗で心に焼き付いている。裾花渓谷の地層もガイド看板付きで勉強になった。お薦めできる山域である。

[コースタイム]駐車場(260分)東山(200分)駐車場

2016年 7月山行・活動予定 

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2016年 7月山行・活動予定
第28185号

○今月の一言  日馬

 今春、義父を見送りました。病気が発覚し3年の闘病でしたが、何かあった時にはいつでも駆けつけられるようその間は私も山は控えて過ごしてきました。離れて暮らしているため看病らしいこともたいしてできず、その上孫の顔も見せることができなかったことは申し訳なく思うばかりですが、そんな私をいつも優しく受け入れてくれていた義父には心から感謝しています。そんな私ですが山好きならではの嫁として、義父に親孝行ができたのでは?と思える思い出があります。テレビで尾瀬の特集番組でも観たか、義父と実父が「尾瀬に行ってみたいなぁ」とそれぞれ口にしたのをたまたま耳にし、その夢叶えてあげましょう!と尾瀬ヶ原ハイキングを計画したのでした。

 2000年7月中旬、鳩待峠から尾瀬ヶ原への木道脇に咲く水芭蕉は最大級に成長し、尾瀬=可憐な白い水芭蕉をイメージしていた二人の父は少しがっかりしていましたが、尾瀬ヶ原に出ると一面に広がる満開のニッコウキスゲが私たちを出迎えてくれました。素晴らしい景色に感動しながら宿泊地の東電小屋へ。やることもなく手持ち無沙汰の父達は何度もお風呂を楽しんでいたようでした。見るからに田舎の父ちゃんの二人の父と、山ガール気取りの私の組み合わせはアンバランスに見えたようで、どういうご関係ですか?と聞かれたりもしましたが、尾瀬の自然に感動する二人の父を見て、連れて来れて良かった~!と大満足な気分でした。
 翌年にはこのメンバーに姉夫婦なども加わり高谷池ヒュッテ泊で火打山に登り、火打山頂から自分の住む能生谷を愛しげに眺める義父の姿は今もはっきり覚えています(毎回、息子である夫は仕事で行けず・・・)。

 家族に病人を抱えて思ったことは、家族が健康だからこそ登山ができるということでした。登山はどこか身勝手な趣味だなぁと思う時があります。家族をおざなりに好きなことをして、近年は遭難も増加し統計によるとこの3年は毎年300人を超える方が山で命を落としているそうで胸が痛みます。
 自分が楽しむことだけでなく、家族の健康に感謝し安全登山を心掛けていきたいものです。

○7月の山行・活動予定
07月01日(金) リーダー会 19:00~新井いきいきプラザ
07月02日(土) 西頸・青海川金山谷~橋立抗口 L丸山 古川
07月03日(日) 西頸・青海黒姫山衛立岩開拓 L丸山 古川
07月03日(日) 上州・裏妙義、入山川裏谷急沢、沢登り L永田 
07月07日(金) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ
07月09日(土) 谷川・一ノ倉沢二の沢本谷 L松木(昭) 古川
07月16日(土)~17日(日) 谷川・湯檜曽川東黒沢~宝川ナルミズ~朝日岳 L山越 
07月17日(日)~18日(月) 北ア・錫杖岳前衛フェース北沢側フランケ注文の多い料理店 L関原 
07月22日(金) 夏合宿最終打ち合わせ会 19:00~新井いきいきプラザ
07月27日(水)~07月31日(日) 南ア・荒川三山~赤石岳 L今泉
 
○8月の山行・活動予定
08月18日(木) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ
*夏合宿詳細は後日掲載

妙高・矢代川第一発電所ゲート~本流某所

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○山行地 妙高・矢代川第一発電所ゲート~本流某所
○山行日 2016年06月20日
○山行者 L丸山ほか1名
○報告者 丸山

 記憶のあいまいさは霧がかかる光景にも似ている。美しかったものはさらに美しく、後悔をなす苦い想い出さえ懐かしさ、追憶として霧の彼方にぼんやりうかぶ。昨年の冬亡くなられたK氏はわたしの山の師匠ともいえる人であり、一人暮らしであった氏の最後を看取ることのできなかった無念、くやしさが、一年半後の今はそんな気持ちさえやや薄れかけている。
 氏との想い出の多くは矢代川流域の山々にある。山菜採りをはじめ、イワナ釣りでは多くのことを学ばせてもらった。ことばや指導ではなく、無言のうしろ姿が同地域に住むM氏ともども名人の名をほしいままにし、わたしに大きな影響を与えたのだった。

 矢代川の中上流域とその支流では、イワナの着く場と着かない場が極めてはっきりしており、それを理解しないまま竿を出したのでは釣果に恵まれないことが往々となる。源流域のスミ川上流とニゴリ俣川は古くからサカナは棲まないとされ、前者は度々発生する鉄砲水、後者は生息に適さない水質を原因としてきた。
 だが最近関川水系漁業協同組合がニゴリ俣川に稚魚放流を行った結果、生息と成長が確認され、何らかの自然要因の変化があったかもしれないと教示された。あとは繁殖が可能であるか否かの判断だが、これには今後もう少しの時間が必要なようで楽しみのひとつになっている。

 はるばる伊豆から来た年配の友人に付き合って矢代川へ出漁した。日曹第一発電所入口でゲートが閉められた林道を腹立たしく思いながらも、積もる話をしながらのんびりと舗装路を歩いた。つい先日まで派手なウツギと紫のフジの花が咲きほこっていたのに、山は緑一色となった。矢代川左岸、大毛無山の中腹がやや赤みを感じさせ、足元にはところどころマイマイガの幼虫が落ちている。緑の成長具合から今年は一昨年のような大きな害虫被害にならないだろうが、毛虫なんていないに越したことはない。
 通いなれた入渓地点は真夏のような水量で、しばらく歩いてもイワナの姿が見えない。川床には泥が溜まり、水生昆虫も見つからない。餌釣りか毛鉤釣りか迷ったが、取りあえず少しばかりのカワムシが採取できたことから、昨年新調しただけで未使用の6m竿をふり始める。軟調子竿といえど、このあたりのイワナのアベレージサイズは8~9寸といった良型であるため、04号の通しライン、鉤は6号と尺物にも十分対応できる仕掛けとした。
 水は澄み切り余りに量が少ない。ザラ背をゆっくり流してかろうじて魚の姿を確認できるだけだ。小さな落ち込み手前でやっと今日初めてのイワナがかかる。サイズは画像の通り7寸強といったところ。

 前述したとおり、矢代川の釣り場は場所を選ぶ必要があっても、本流に限れば入渓ポイントは多い。今日入った区間は左岸に発電所の巡視道があり、増水に対する危険は少なく渡渉等困難な遡行を強いられることもない。いつも複数匹があがる大淵も止水のようで水面は沈黙したままだ。
 毛鉤向きの瀬が続いてもたまにヒットするのは小型ばかり、少し嫌気がさしてきた。

「こりゃ今日のサカナは食い気がねぇってもんだな・・・」とSさん。
「そのようですね、初夏一番の場所なんですがねぇ。少し飛ばして上流へ向かいますか?」
「いやっ、今日はこんなとこにしとこう。べつにサカナが欲しいわけでなし・・・」
 といった按配で流れをあがり樹林の日陰で一休みした。Sさんは数年前にガンの手術を受けており、その後も定期的に加療している。昔の山行時とはかなり異なる体調の現在なのだ。
「体の具合はどんなもんです?」
「まあまあかな。人様より長生きを望まんかぎり普通ってとこだね」

 今年まだ手入れされていない荒れた山道を下れば、しばらくで道刈りの人に出合った。巡視道は圧倒的にきれいになり、振り返れば妙高連山の稜線が高い。梅雨に入り川の水が増えればサカナの活性も上がるだろう。そうしたらもう一度この地を訪れてみよう。
 夏に向かって山の樹木の花は白、緑色など目立たないものが多くなる。シーズンは過ぎたが、わたしは里山のキリ(桐)、ホオノキの花も好きである。強すぎるような香りが幼いころから好みだった。発電所周辺、そして矢代川右岸の林道は相変わらず丁寧に管理されており、女子が生まれると嫁入りに備えて植えられたというキリの木がところどころに確認できる。何らかの理由によって種子が里から山へ登って来たのであろう。以前のように矢代川源流二俣まで自由な往来が可能になることを希み、この地の登山文化が停滞することのないよう願って車止めまで歩いた。
 

2016年山行・活動一覧(05月~06月)

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○2016年山行・活動一覧(05月~06月)

(06月山行活動数22件82人、2016年山行活動累積数169件434人)

06月29日 妙高・笹倉~焼山北面台地 古川理香ほか
06月29日 妙高・燕~大倉沢惣滝 L船山了 清水美代子 船山康子
06月21日~22日 堂津/東山・奥裾花自然園~東山 L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/40003723.html
06月20日 矢代・矢代川第二発電所~矢代川本流 L丸山邦男ほか1名
06月19日 矢代・籠町南葉山-青田南葉山古道整備 CL小林克也 SL松木智恵美 山越輝之 松矢英一 保坂健 斉木壽次 松木昭男 船山了 本間一郎 古川理香 中村優史 小山悠斗 船山康子 丸山邦男 長谷川博子 今泉葉子 堀澄子 清水美代子 早津賢二 丸山美江子 白川昭夫ほか一般13名来賓4名
・植林地~籠町南葉山 L小林克也 山越輝之 松矢英一 保坂健 斉木壽次 松木智恵美 船山了
・青田南葉山~籠町南葉山 L松木昭男 本間一郎 古川理香 中村優史 小山悠斗 船山康子 丸山邦男 長谷川博子 今泉葉子 清水美代子 堀澄子ほか一般13名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/40001088.html   
06月18日 矢代・籠町南葉山-青田南葉山古道整備事前準備 L松木智恵美 小林克也 松矢英一 村田秀夫 本間一郎 松木昭男 古川理香 中村優史 小山悠斗 船山康子 丸山邦男 長谷川博子 和田司 丸山美江子
・アクセス林道~栃ノ木峠 L丸山邦男 松木智恵美 中村優史 小山悠斗 船山康子
・妙高/燕~黄金清水周辺 L松矢英一 小林克也 本間一郎 古川理香 和田司
・タケノコ汁準備 L松木智恵美 小林克也 松矢英一 本間一郎 松木昭男 中村優史 小山悠斗 船山康子 丸山邦男 長谷川博子 丸山美江子   
06月16日 6月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L松木昭男 今泉葉子 小林克也 小山悠人 清水美代子 長谷川博子 船山康子 古川理香 本間一郎 松矢英一 丸山邦男 村田秀夫
06月15日 西蒲・稲島コース~角田山 関原知文(単独)
06月13日 永田稔会員お父上友男様ご逝去(享年85歳)
06月12日 美ヶ原・三城~王ヶ頭(長野県山岳総合センター主催「マイペース登高能力テスト」参加) 永田稔ほか多数
06月12日 妙高・燕~三峰山 松矢英一(単独)
06月12日 刈羽・大平~米山 古川理香(単独)
06月11日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L和田司ほか1名
06月11日 妙高・燕~大倉沢惣滝 L松木智恵美 丸山邦男
06月11日 魚沼・下権現堂山ツアー 今泉葉子ほか多数
06月11日 長野・大峰山物見の岩場くの一5.9ほか 永田稔(単独)
06月10日 妙高・笹ヶ峰~火打山 船山康子(単独)
06月07日 6月リーダー会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L小林克也 清水美代子 船山了 松木昭男 松矢英一 丸山邦男
06月05日 戸隠・大橋~七ツ池~黒姫山 L永田稔ほか3名
06月05日 那須・田子倉湖~大峠~井戸沢~三本槍岳 L中村優史 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39982983.html
06月04日~05日 越中・宮崎~小川温泉~西頸・青海(第一回お宝探し) L丸山邦男 早津賢二 船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39980737.html
06月04日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L永田稔 中村優史 古川理香 村田秀夫ほか2名
06月03日 矢代・矢代川第二発電所~矢代川本流 L丸山邦男ほか1名 

(05月山行活動数36件75人、2016年山行活動累積数147件352人)

05月31日 妙高・笹ヶ峰~ニグロ川本流 丸山邦男(単独) 
05月30日 矢代・両善寺~大毛無山 L丸山邦男ほか1名
05月29日 西頸・木浦川~長者峰鳶峠 L古川理香ほか1名
05月29日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 永田稔(単独)
05月29日 矢代・万内川~籠町南葉山 L丸山邦男 丸山美江子
05月28日 妙高・杉ノ原スキー場~赤倉山 松矢英一(単独)
05月28日 長野・松代尼厳山ハイキングコース5.10aほか L松木昭男 小山悠人 古川理香
05月28日 西頸・黒姫山青海川衝立岩(仮称) L丸山邦男 松木智恵美
05月27日 矢代・大林~粟立山東尾根菜畠 丸山邦男(単独)
05月22日 矢代・矢代川水系コエンドウ川北口沢~小毛無山 L丸山邦男 丸山美江子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39968726.html
05月22日 5月月例山行/富山・宇奈月尾根~僧ヶ岳 L松木昭男 古川理香 中村優史 村田秀夫 松矢英一 今泉葉子 小山悠人
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39963333.html
05月21日 西頸・青海田海川倉谷~千丈峰大ギラ L松木智恵美 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39961111.html
05月20日 西頸・柵口~権現岳~鉾ヶ岳 L古川理香ほか1名
05月19日 矢代・大林~粟立山東尾根菜畠 丸山美江子(単独) 
05月19日 5月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L松木昭男 松矢英一 長谷川博子 今泉葉子 村田秀夫 小山悠人 古川理香 小林克也
05月18日~22日 会津・岩魚の里登山口~朝日岳/二子岩コース~志津倉山 L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39956773.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39967025.html
05月15日 矢代・御備川~大毛無山 L船山了 今泉葉子
05月15日 越後三山・大崎口~八海山 L中村優史 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39954997.html
05月15日 矢代・大毛無山~籠町南葉山 松木智恵美(単独)
05月14日 西頸・黒姫山青海川右岸側壁(仮称) L松木昭男 中村優史 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39960091.html
05月13日 矢代・大林~粟立山東尾根菜畠 丸山美江子(単独)
05月13日 5月リーダー会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L松木智恵美 小林克也 清水美代子 松木昭男 丸山邦男
05月13日 矢代・西野谷~籠町南葉山 小林克也(単独)
05月08日 東頸・霧が岳山開き 今泉葉子ほか多数
05月08日 戸隠・奥社~八方睨~一不動~戸隠牧場 L永田稔ほか1名
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-688.html
05月08日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L松木昭男 中村優史 古川理香
05月07日 矢代・万内川石高谷~中ノ岳ヨシガ平 L丸山邦男 丸山美江子
05月05日 矢代・両善寺~大毛無山 村田秀夫(単独)
05月05日 越後三山・駒の湯~越後駒ケ岳 L中村優史 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39943646.html
05月04日 矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山 松木智恵美(単独)
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39938510.html
05月03日 西頸・柵口~権現岳 古川理香(単独)
05月03日 北ア・猿倉~白馬鑓温泉 L永田稔ほか1名
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-687.html
05月03日 刈羽・下牧~米山 今泉葉子(単独)
05月02日 海谷・島滝川~駒ヶ岳西壁「ワニ口」修験者遺跡 L丸山邦男 古川理香 松木智恵美 和田司
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39931826.html
05月01日 北ア・猿倉~白馬鑓温泉/悪天中止 L永田稔 村田秀夫ほか4名
05月01日 北ア・栂池~白馬岳三山~唐松岳/悪天中止 L丸山邦男 古川理香 松木智恵美 和田司

裏妙義・入山川裏谷急沢~ナイフリッジ状尾根

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○山行地 裏妙義・入山川裏谷急沢~ナイフリッジ状尾根
○山行日 2016年07月03日
○山行者 L永田、村田、ほか1名
○報告者 永田

 1ヶ月ほど前までは気温が低くて、とても沢登りに行く気にならなかったが、この数週間で気温が上がり、沢登りのシーズン到来となった。シーズン手始めの手頃な沢を物色していると、長野市からアクセスがよく、柱状節理の滝とナメ床が発達しているという裏妙義の裏谷急沢(うらやきゅうさわ)が目に留まった。村田さんと山友Tさんと3人で行くことになった。

 5:30に長野IC近くのコンビニで待ち合わせし、3人で同乗し高速に乗る。碓氷軽井沢ICを降り10分ほど走ると、7:00に入渓点に到着する。分かりにくい入渓点だが、グーグルのストリートビューで周辺の様子を事前に把握していたので、あまり迷わずに特定し、近くの道路脇の草むらに車を停める。
 7:30 入渓点のガードレールの切れ目から一旦入山川に降り立ち、渡渉し対岸に渡る。対岸の谷に入るとすぐに4mの滝が現れる。その後も小滝やナメが続くが、木が覆いかぶさり落ち葉だらけでパッとしない感じの上、曇りで薄暗いため、ジメッとした雰囲気で、明るい雰囲気ではない。大きな16m三段滝は、一段目を登ろうとしたが、手がかりいが少なく危険そうなので、高巻きすることにした。落ち葉が深い斜面の上にときどき見える岩は浮石が多く木をつかみながらの高巻きとなる。当初は二段目に降り立つつもりだったが、斜面が急で横切ることができず、どんどん高巻いてしまい、どうやら三段滝全てを高巻いてしまったようだ。
 沢床に降り立ち、そこからは柱状節理の小滝とナメ床が続く。日差しがでてきて明るくなってきたし、水も適度な温度で、小滝で水を浴びながら登っていくのは実に爽快だ。

 9:15 気持ちよく高度を上げていくと、裏谷急沢名物、柱状節理の20m大滝だ。両サイドの尾根も柱状節理となっており、ヒダのあるカーテンに囲まれた大きなコンサートホールにいるような気分になる。
 この大滝を巻いていくと、急なナメ床が数100mにわたり続いている。両サイドが落ち葉で覆いつくされ、水流のところだけ廊下のように空いている。変に水流を避けてしまうと、落ち葉とヌメリで滑りやすいので、水流の中を通っていく。急なナメ床にそろそろ飽きてきたころに、沢の最後の滝である4m滝が現れる。見かけは登れそうだったが、近づいてみると逆層だし、万が一落ちた場合、急なナメ床をころげ落ちていく可能性が大きいので、高巻くことにした。
 高巻いた斜面は落ち葉と浮石でグズグズになっており、慎重に登っていくが、Tさんが浮石に乗ってしまい、ズルズルと滑落してしまった。幸い7mくらいの滑落で止まり、少し痛がっているものの大事には至らなかったようだ。また滑落するといけないので、ザックからロープを出して立ち木にかけ懸垂下降し、Tさんのもとまでロープをおろし、それを手がかりにして登ってもらった。

 10:15 4mの滝を登ると、沢は三俣に分かれる。真ん中の沢が頂上である谷急山直下の沢だ。頂上直下が立ち上がりすぎて急なナメ床を詰めるのが難しくなるのを避けるため、真ん中の沢の左の尾根を登る。落ち葉と浮石だらけの急斜面を木につかまりながら登っていく。
 11:00 標高差200mを登り切ると、頂上に続く稜線に出て、30mほど登ると頂上に到着する。頂上で沢靴を脱ぐと、全員スパッツと靴のすき間から1cmにも満たない小さなヒルが入り込んでおり、私とTさんの足ではヒルが食事中であった。ヒルの唾液には麻酔成分が入っているため痛みを感じない。早速取り除くが、ヒルの唾液の血液凝固を防ぐ成分のせいで、血が止まらないので、ポイズンリムーバーで唾液を含んだ血を吸い出す。ヒル対処が終わったところで、やっと自分達の食事となった。

 12:00 ゆっくり頂上で休憩し、下山開始だ。下山路は地図には一切載っていないが明瞭な踏み跡となっている。最初の標高差100mは歩きやすいが、やがて両サイドが切れ落ちた急な岩だらけの道となる。両サイドの切れ落ち具合は戸隠山の「蟻の塔渡り」以上だが、木が生えているためそれほど恐怖感はない。しかし延々と標高差150mに渡り続いているため、精神的に疲れてしまう。
 14:00 相変わらず急な斜面を下り、入山川に到達して渡渉し、駐車場所に戻る。

 柱状節理と長いナメ床は素晴らしかったが、妙義特有の暗くジメッとした雰囲気、高巻きと下山路の悪さ、ヒル攻撃の印象が強く残り、それから解放された今のところは、またぜひ行きたいという気持ちにならない。しかし、不思議なもので、時間の経過とともにいい思い出のほうが勝ってきて、マイナス点は忘れ去られることが多い。危険個所の多さというマイナス点もスリリングゆえのプラス点になる。先々思い出しては、辛かったがゆえに、また行ってみようという気になりそうである。

西頸・青海川本流~金山谷~梶山新湯(第二回お宝探し)

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○山行地 西頸・青海川本流~金山谷~梶山新湯(第二回お宝探し)
○山行日 2016年07月02日~03日
○山行者 L丸山 古川 松木智
○報告者 丸山

7月2日 二回目のお宝探しは青海川の上流域に求めた。でも週末は二日間とも雨天が予想され、ややいい加減な思いで向かった現地である。青海川には砂金、ヒスイ等たくさんの鉱物類が存在し、それらに関心の高い好き者は多く、かつて度の過ぎた採取活動で警察に摘発された者もいた。
 青海川は橋立のヒスイ峡前後や金鉱坑道口付近での岩石採取が禁止されている。ヒスイ峡に限れば天然記念物を監視するカメラが設置されているようで、定められたきまりは守らねばならない。

 青海川に沿う車道は橋立集落の先で尻高山、上路へ向かう林道を右に分け、直進する道は工事中のため通行止めとなっていた。アイサワ谷出合先まで車の通行は可能なのだが、数年前から電気化学の新しい発電所建設がすすめられており、そのための規制なのだろうか。
 アイサワ、金山谷間の三宝尾根と称された山稜には栂海新道の菊石山に合流する登山道が、やはり「さわがに山岳会」によって開かれていたが、今は廃道となり辿ることはできない。その山稜北東端の山腹に何らかの建築物が確認されるが、発電所へ落ちる送水管の始まりの施設かもしれない。
 ダートながらよく手入れされた車道をトボトボ歩き、道が青海川に最も接近するあたりで川面に降りた。青海らしいきれいな石とよく澄んだ流れが懐かしかった。ヤマメかイワナか確認できなかったが渓魚もポツポツ見える。予想に反して空は晴れあがり、気温はフェーン現象のように上昇している。ヒスイは居ないかやぁと白色の石を中心に探し歩くが多くは石英の類であった。海岸端でのヒスイ探しに比較して山、川での探索難度は極端に高くなると云われる。朝方、橋立で会った石拾い人は「坂田峠から金山谷上部へ向かえばヒスイなんてゴロゴロしている。踏んづける石はみんなヒスイだよ」、なんて言ってたけど眉にツバを付けた話なんだろな。

 車道が右岸へ渡る橋を過ぎれば左岸から金山谷が合流する。左岸の山道へ上がれば工事車両の転回地が整備されていた。日陰に入って一休みした後はいよいよ金山谷である。出合から200mほどで取水口の堰堤があり、3kmほど下流にある清水倉の電化の発電所に水を引いている。
 取入上流は自然の状態になっても渇水気味で流れは弱い。ここもまた石英系のきれいな石が多く、結晶片岩といわれる雲母がキラキラ光る宝石のようなものもある。手にした白雲母がびっしりと付いた小石はまさに銀の塊のように思えた。それにしてもヒスイはどこに隠れているものやらさっぱり分からない。もともとヒスイかどうかの見分けもできないんだから当たり前か・・・。
 渇水といってもそこは自然の流れ、ちょっと高巻いたりヤブ中に入ることも度々であった。わたしはスニーカーのため膝上くらいならジャブシャブと水中を歩いた。登山靴の二人は渡渉を避けていたが、そのうち松木が足を滑らせドボンと水中に落ちた。「フッフッフ・・・」と笑っては気の毒だが、全身びしょ濡れとなった後はふてくされて委細構わず水中の石を蹴りつけていた。
 それぞれ何個かの石をザックに入れ、今日のこれからは砂金探しである。常道にそって砂洗いすれば「あったー! 金だ―!」。ルーペで見なけりゃ分からないような小さな結晶が一つ。チャック付きのビニール袋に入れればどこにあるのか分からないようなサイズの代物だ。

 上流に見覚えのある地形が現れた。この少し上で金山谷最初の二俣がある。左俣が本流ですぐに両岸の高さ100mに及ぶ極端なゴルジュとなり、十幾つの滝場は、巨瀑がなくとも一般の人の谷底通過は不可能だ。右俣は長尻谷と呼ばれ、橋立金山精錬所跡があり、旧北陸道の間道が坂田峠に向かう。中間尾根には金鉱坑口に向かって急峻な山道があり、ゴルジュの絶壁上部に設けられた精錬所の用水路に沿う水平道へ続く。ここにはいくつかの坑口が残されていても、現在この直登道が存在するか、あるいは辿れるものかどうかは不明である。
 今日はここまでと左岸のヤブ中を這い上がればかすかな道跡がある。僅かばかりの刈り払い跡と古いトラロープが設置されていても、とても金山ジオパーク探訪の観光客が通れるものでない。ヤブ漕ぎと山際の用水路に沿う山道は、上部金鉱坑口の水平道同様の作りであり、金山谷出合近くの下降路では新しい山道が別方向に延びていた。
 今夜の泊りは雨飾山の登山基地である梶山新湯「雨飾山荘」だ。かけ流しの温泉が設けられ、食事のいいことで知られる、山小屋というよりも湯治場といった趣きの施設である。明日は雨飾の山開きらしく、今日登山道を整備した人たちや地元の山開き関係者が宴を開いて賑やかであった。

 3日 早朝4:00頃から雨飾を目指す宿泊者が動き出す。6:30には山開き登山となり、続々と登山者が集まっても雨足は次第に強くなる。わたしたちはもともと雨飾に登る予定はなく、青海黒姫山の未踏の岩壁を目指していただけに強雨は計画放棄を促すありがたい要因となってしまった。
 ゆっくりと朝食を摂り朝湯を楽しんだ。時間的に早すぎるが、取りあえずやることもないので、今活動の最終目的フォッサマグナミュージアム(FMM)で昨日拾った石ころの鑑定をお願いすることにした。FMMの開館9:00に合わせて山荘をスタートしたが、施設駐車場では車から降りることもできない雨に見舞われることとなる。
 わたしたち三人が集めたヒスイとおぼしき石を見た学芸員が
「よく金山谷なんかへ行ってきましたねぇ。みんなただの石っころですわ。ヒスイは無し! ですね」
「金じゃなく黄鉄鉱の結晶ですね」
 くそっ、まぁこんなもんだろうと思った矢先、まだ若い20代と思われる鼻垂れ小僧二人がどこぞの海岸から幾つもの石を持ち込んだ。
「おおっ、こりゃ見事にみんなヒスイですな」
 こっそり見れば、型は小さいものの見事な緑、紫の代表的ヒスイ輝石が幾つもあった。肩を落とし背中を丸め、次は頑張るぞと小声でつぶやく我が貧乏パーティーでしたとさ。
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