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北ア・白馬五竜スキー場~五竜岳遠見尾根

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○山行地 北ア・白馬五竜スキー場~五竜岳遠見尾根
○山行日 2016年4月10日
○メンバーL松木(昭) 中村 古川
○報告者 古川

 3時に集合し一路白馬村へ向かう。白馬五竜スキー場のエスカルプラザ駐車場に着くと県外ナンバーがちらほら停まっている。軽く朝食をとるうちに辺りが白々としてきた。支度をして5時30分頃雪のないゲレンデを登りはじめる。たっぷり2時間登り続けてようやくリフトトップにたどり着く。ここまで、カモシカにじっと見られたりゴロゴロゴロと威嚇音のような声(熊?)を北側の林から聞きながら、行けども行けども終わらない急斜面の連続で充分疲れてしまった。しかしここはまだスキー場、ここで音をあげたらどこに何をしに行ったのか訳が分からない。時折強い風が谷から吹き付け合羽を着ないと寒くていられないが、徐々に天気も安定してきたようだ。こまめにウエアを脱ぎ着して体温調節に気をつける。

 お寺のような建物が眼下のゲレンデ脇に見え、地図で確認すると法政大学スキー小屋とのこと。数人が小屋から出てこちらを見あげていた。スキー場エリア外に出てブナ林を登ると、ケルンのある「地蔵の頭」の三角小山のような輪郭が確認できた。
 やっと尾根歩きだ。途中からアイゼンを付けたが、水分の多い春の重たい雪は沈みこみとても歩きづらかった。足の速い二人はどんどん先を歩き、私と差がつくと追いつくまで止まって待っている。私は鉛のように重い足を一歩ずつ前に出す。その繰り返しで延々と歩くが、疲労の残る足にはかなりこたえ、気づくと顔が下を向いている。まるで牛歩戦術のように稜線のアップダウンを繰り返し、小遠見山、中遠見山とやってきた。この間に数組のパーティー、単独者とすれ違った。テントやテント跡もあり北アルプスのメジャーな山域に居ることを実感した。

 お昼近くになり、西遠見山の手前で昼食をとり引き返すことになった。中村さんがフライパン持参でコゴメ入り焼きうどんを作ってくれてみんなで美味しくいただいた。栃尾の油揚げのおかずも疲れが吹き飛ぶ美味しさだった。

 今日の到達点から見ると白岳、五竜岳はまだ先だ。その左には白い巨大ルンゼを見せつける鹿島槍ヶ岳が存在感を放ち、右は唐松、白馬三山が雪壁を連ねている。目の前に広がる未知の世界を羨望し、12:30頃下山開始。帰りはアイゼンを脱ぎ薄くガスが出てきた長い尾根をひたすら戻った。

 朝は静かだったゲレンデはスキー客で賑わっており、端をくだっているとパトロールがやってきて管理エリア内はゴンドラを使用するよう注意を受けた。雪が溶けた斜面ではまだ点検していない排水溝や網などが壊れていて落ちたりする可能性があるので危険とのこと。既にかなり下りていたため了解を得てこのまま麓まで歩かせてもらった。

 15:30駐車場に着く。温泉通の中村さんの案内で車で数分の「みみずくの湯」に直行した。きれいな施設でアルカリ性のお肌つるつるピーリング系温泉だ。露天風呂からは先ほど近くで眺めてきた北アルプスの山々が霞がかっていたが一望できた。晴天ならば最高の景色が楽しめるだろう。風呂上がりに向かいの売店で買った瓶入り牛乳が、腰に手を当てて一気に飲みたくなるほど最高だった。
 日頃の鍛練が足りないと感じた苦い山行だった。

2016年5月山行・活動予定

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〇2016年5月山行・活動予定
第28183号

〇今月の一言  小林

 今回職場の部署の異動でなかなか土日の休みが取りにくくなってしまい、山に行く機会が減ってしまっている。その中でもできるだけ仲間と山に行くことと、与えられた自身の役割を果たしていきたいと考える。

 今年は雪が少なく春の訪れがいつもより早く、高田公園の桜は早々散りゆき山桜が咲くようになった。里山では雪解けも早く山菜も早く取れている様子となっており、体も動かしやすくなっている。

 現在冬期間にためた脂肪を減らすべくランニングを開始している。年々体重が落としにくくなっており、太りやすい体質になっている感じがする。私のランニングコースは玄関を出ると、できるだけ信号がない所と人目のつかない場所を選んでいるため、細い路地と農道が中心になっている。起伏は少なく平坦な道のりではあるが農道の途中から見える南葉山、大毛無、火打や妙高の山々が見え何とも素晴らしい景色に、自分がここの山域に住んでいることをありがたく感じることができる。
 走っていて現在は息が上がりやすく体が重たい状態が続いているが、約12キロのコースはなかなか走りこたえがある。また年に何回かは青田南葉山のキャンプ場まで走ることがあるが、脚と心肺機能を鍛えるにはいいトレーニングとなっている。
健康と山のために今後も自分らしく走っていくことができればと思う。

○2016年5月の山行・活動予定
4月~5月
 04月30日(土)~05月03日(日) 北ア・剱沢BC集中キャンプ CL関原 
  ・剱岳八ツ峰主稜 L松木(昭) 山越  
  ・源次郎尾根主稜 L関原 会員外1名 
  ・真砂沢岳、真砂沢スキー~剱沢 L小林 松矢
5月
 05月01日(日)~04日(水) 北ア・栂池~白馬岳~不帰岳~唐松八方尾根下降 L丸山
 05月01日(日) 北ア・猿倉~白馬温泉山スキー L永田
 05月03日(火)~04日(水)妙高・笹ヶ峰~火打山~笹ヶ峰山スキー L永田
 05月08日(日) 能生・湯沢川~鉾ヶ岳 L松木智
 05月13日(金) リーダー会 19:00~新井いきいきプラザ
 05月14日(土) 北ア・扇沢~針の木岳山スキー L永田
 05月14日(土) 西頸・青海黒姫山西面青海川右岸壁 L松木智
 05月19日(木) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ
 05月21日(土) 海谷・三峡峠~駒ヶ岳西壁 L松木智
 05月22日(日) 月例山行 北ア・阿部木谷~毛勝山 L松木(昭)
 05月29日(土) 西頸・田海川倉谷~千丈峰 L松木智

〇6月山行予定
 06月15日(水) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ
 06月19日(日) 春の南葉山古道整備

刈羽・磯之辺~刈羽黒姫山(搬出訓練)

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◯山行地  刈羽・磯之辺~刈羽黒姫山(搬出訓練)
◯山行日 2016年4月17日
◯メンバー L関原 松木智 斎木 今泉 清水 長谷川 船山了 船山康 古川 本間村田 丸山 松矢 中村 永田 山越
◯報告者 清水美

 今年の搬出訓練は強い雨風から始まった。リージョンに集合してみたものの全員の「ホントに行くの〜?」という心の声を知ってか知らずかリーダー関原さんの「とにかく現地へ行こう」の一声で各々4台の自動車に分乗して、柏崎市(旧高柳町)の磯之辺へ急ぐ。
 登山口駐車場で中村さんと落ち合う頃になっても、雨風は止まない。「ここまで来たんだから、ちょっと行こうよ」またもや関原さんに促され、雨具を着てまだ雪が残る登山道を歩きはじめる。
 天候が悪いため山頂へは行かず、訓練のための適当な場所を探しつつ登って行く。
途中、観音様の石仏のあるひらけた場所で一休みし、そこから稜線までの斜面を搬出訓練の場とする。
 訓練の詳細は以下の通りだ。

‐礁效劼気鵑、標高840m地点で足を負傷して動けないと無線が入る。
△修譴鮗院■隠橘召料完横一列で斜面を進む。
H見後速やかに担架を組み立てると同時に、ケガの応急手当。
ど藹圓鮹寛佑妨把蠅掘担ぎ手の6名はそれぞれの体に合わせてベルトを調節し、装着する。
ド藹圓ずり落ちるのを避けるため、ザイルでつなぐ。
これらの準備がなかなかスムーズにいかない。特にイ良藹圓肇競ぅ襪うまく安定しないが、ともかく急斜面を降りることにする。

 先に行く3名が木の枝をはらい、ステップを切りながらいちばん歩きやすい道を誘導する。肩に食い込む重さが時おり軽くなるのは、その分誰かが重くなっているのだろう。ふと見ると担架の松木さんの体が随分片側に寄ってしまっている。なかなか難しい.....。
石仏の広場に下りた時点で、一回に歩行する限界だと思った。実際に負傷者を搬出する時には、条件にもよるがかなりの人数が必要ではないだろうか。

 その後、ビーコンの操作などを習い今日の搬出訓練はここで終了となる。不思議なことにこの間だけ雨が止み、青空が広がって越後駒、中の岳、八海山などが見えていたのに登山口に帰る頃には、また雨が激しくなった。帰り道のじょんのび村のお風呂がありがたかった。

海谷・山境峠~駒ヶ岳西壁「ワニ口」(敗退記)

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○山行地 海谷・山境峠~駒ヶ岳西壁「ワニ口」(敗退記)
○山行日 2016年4月23日
○山行者 L丸山 古川 松木智
○報告者 丸山

 昨年の終わり頃、海谷・駒ヶ岳のワニ口の情報に接して以来、早々にこの地を訪ねてみたいと思っていた。時季的に少し早すぎる気もしたが、行きたい気持ちが勝り今山行となった。予想していた通り、山の西壁いたるところにブロック状となった残雪があり、危険を絵に書いたそのものであった。夏道周辺の岩壁部下はブロック雪崩の残骸が広がり、ジェットエンジンの轟音にも似た春のシンフォニー、ブロック・底雪崩が響く早春の海谷の山々である。
 吉尾平から昼闇山、高松山など山スキー適地が海谷の一面であっても、わたしは海谷山塊の最大特徴が急峻な山稜と10指に余る大岩壁群の存在にあると思っている。

 海谷の表玄関と言えそうな山境峠まで除雪が完了しており、トイレなど施設の一部が既に使用できる状態であった。駐車場には数台の車が停まり、わたしたちの後を追うように上越市の知人もやって来た。
 「ロッジこまがたけ」まで残雪交じりの林道を辿るが、周辺の山菜は今だフキノトウだけのようである。しかし道の周辺にはかなりの量のタラノキがあり、盛期となればたくさんのタラの芽が収穫できそうである。美しいブナ林の奥にある小さなロッジは屋根の一部が剥がれ落ちていた。
 ここからはほぼ全面雪上歩行となり、杉の植林地をほぼ真南へ横断する。小沢があらわれれば、山道の一部が沢沿いに認められても、すぐに西壁へ向かって雪の斜面となる。先ほどすれ違った男性と思われる靴跡があちこちにあり、まだ早い山菜を求めて歩き回っていたようだ。前方には50mほどのきれいな滝がかかり、夏道コース上部の岩壁には雪のブロックがあちらこちらにあって極めて危険な状態だ。昨年秋の地元パーティーによる「ワニ口」探訪は夏道を標高1,000m付近まで登り、岩壁を避けるように灌木帯を南へ移動している。わたしたちは予定通り岩壁下にコースを取り、「駒のヘソ穴」と呼ばれる大洞窟を目指すこととする。

 50m滝の直下まで登り、右の斜面からさらに右の小尾根へ向かう。尾根の反対斜面の状態がどんなものか分からずやや不安であったが、尾根上に立てば危惧した通り南面はスパッと切れ落ちている。仕方なく、登りあがった急峻な尾根をカモシカの足跡に従って下降する。
 尾根上には小さな「ワニ口」のような岩窟や、天然杉の根元平坦地を泊り場としたような獣の跡が残されている。落下するような下降を続け、しばらくすれば尾根はさらに角度を増し危険度が高まる。少し登り返し、やや北の比較的傾斜の緩い斜面を灌木を頼りに下る。再び尾根に戻れば「駒のヘソ穴」方面はさらに遠くなり、巨大な「いノ字滝」落ち口だけが望め、ちょっと嫌気がさしてきた目的地「ワニ口」遺跡であった。振り返れば千丈岳南西壁の右岩壁が幾本もの滝となって海川に注いでいる。融雪期だけに岩壁の多くは数百m単位の滝場となっているようだ。春の海谷のすばらしさが露出された岩壁に凝縮され、まもなく芽吹くであろうブナの新緑が山肌を見事におおってくれるはずだ。
 倒木に黄色いキノコを見つけ、手に取れば型のいいエノキダケであった。陽当りのいい斜面で少しばかり山菜探しをこころみたが、雪融けまもないこともあって、地面から出たばかりのゼンマイの綿帽子がいくつか見えるだけであった。

「ギャーッ、緑のヘビが居るヨー!」と古川。
「なんだ? アオダイショウじゃねぇーか!」、大騒ぎしすぎだワイと思っても、今年の初物である。知る人ぞ知る話であるが、この駒ヶ岳には数が少ないにしても雪割草が自生しており、この辺りにもないかと探しても見つけることはできなかった。イバラの痛いヤブに閉口しつつ上を目指してもなかなか足取りがままならない。
 はかどらないアプローチが嫌になったこともあり、下へ降りすぎないように北方向を山境峠へ戻ることにした。名前の分からない巨木の間を潜り抜け、ツバキ、灌木の軽いヤブ漕ぎで、何本目かの谷横断で山道に沿っていると思われる小沢に出た。しばらく沢沿いに登れば標柱の立つ登山道に出ることができ、朝からあまり調子のよくないわたしはここで大休止。松木、古川はコゴミ、フキノトウを採取する。
 峠へ向かう雪面はわずかの風でもとても寒い。林道でもフキノトウや少しばかりのタラの芽を採取し車へ戻った。コシアブラが生えていそうに思え、注意深く探しても見つけることはできなかった。小雪であった今年の春の山菜採りはどんなものだろう、少し心配な感が強い。
 ろくな昼食も食べなかったため、名立の食堂で夕食を摂りながらゴールデンウィークの打合せをした。来週から始まるGW、どんな山登りができるのやら楽しみであっても、雪で真っ白な白馬岳を眺めた後ではちょっと悩ましい北アルプスの登山計画である。

頚城山群周辺動向(2016.04.01~)

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〇妙高山で登山者不明
 26日午後2時前、東京都板橋区坂下2、会社員矢代信也さん(43)が妙高山に登山に出掛けたまま帰らないと、矢代さんの家族が妙高署に届け出た。県の防災ヘリが捜査したが、同日夕方いったん打ち切った。(4/27、新潟日報)

*これから山菜採りシーズンそしてゴールデンウィーク、県内外の大勢の方々が頸城周辺に入ります。山は思いの外残雪が多いので注意が必要 です。

北ア・猿倉~小日向山

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山行地:北ア・猿倉~小日向山
山行日:2016年4月25日
メンバー:L船山了、船山康
報告者:船山了
[コースタイム] 猿倉(150分)小日向山(60)猿倉

 白馬山麓で生活していた当時は特に気にもとめなかった山であるが白馬三山の展望を期待して連休前の静かな日を選んで出掛けて見た。
 先日に開通したばかりの道路を猿倉まで車を走らせる、雪はなく車も見当たらない、それでも今日は5組の登山客と出会った。

 白馬尻への林道も雪は少なく、鑓温泉への夏道の看板も見え、ブナの尾根道を順調に歩けた。雪も適当に腐っており、歩きやすく、白馬岳から子蓮華、白馬乗鞍、天狗原、栂池自然園への稜線を見ながらの歩きは昔を思い出す。
 尾根が開けて来ると、杓子、白馬鑓の岩峰も見え、白馬三山が揃い、その峰を引き立てる様に長走沢、中山沢の雪渓が天まで続いている。圧倒されるスケールだ!見飽きることが無いほど広大でデブリの末端に立てば恐ろしい程の雪崩が脳裏を駆け巡る。この歩き難いデブリを横断し、急斜面を登りきれば小日向のコルで2時間で着いた。

 ここからの景観も又素晴らしく、雪で埋った杓子沢上部の急斜面、湯入沢奥の鑓温泉は雪解けの一画に、烏帽子岩は黒く立派だ。その奥には唐松岳から伸びる八方尾根がスキー場まで続いている。湯入沢には登る人に滑降する人、小さく見えてはいるが 、今の私には大きく、偉大にみえる。もう少し若ければこの先の滑走、温泉での楽しみも体験出来ただろうに、残念ながら この体力ではコルに来れただけで満足しなければならない。
 一緒に歩き出した単独行の若者は鑓温泉の帰りに二子尾根を登りだしていた、まだ12時だ、若いエネルギーは素晴らしい!

 小日向山はコルの東側に位置し、目立たない平凡な山だが、三山の展望台としての標高と位置が最適だ。春の穏やかな陽を一杯に浴びての、癒しの時間が過ぎる。栂池での生活では春先にゲレンデから自然園、天狗原と何度、歩き回ったことか!楽しい思い出が一杯つまった山麓だ。
「まだまだ歩ける!」と自分に言い聞かせていこう!

某所・「雪割草」のお花見

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〇某所・「雪割草」のお花見
〇投稿者 ち

 「お花見」と言えば「桜」、桜前線の北上と共に日本中が桜の花を愛でる国民的行事となっています。
 毎年「今年はどこの桜を見ようかな?」と楽しみにしているのですが、今年はちょっと変わった「お花見」をすることが出来ました。

 山行の際に出会った素晴らしい「雪割草」の群生です。
 一つとして同じものがないと言われ、同じ色の花でも縁取りがあったり、斑があるのもの、線が入っているもの様々です。

 小さな可憐な花に心癒されたこの春です。

矢代川を支配する矢代明神(矢代大神)の周辺

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○矢代川を支配する矢代明神(矢代大神)の周辺
○投稿者 なめこタン

 わたしたち旧新井市、中郷村に住む者が矢代の神様といえば、新潟県上越地区の頸城郡延喜式内社13社のひとつ斐太神社に祀られる矢代明神=八重事代主命(やえことしろぬしのみこと)である。斐太神社の主祭神は出雲のスーパースター大国主命(おおくにぬしのみこと)であり、相殿に矢代明神と諏訪明神(建御名方命=たけみなかたのみこと)が祀られる。
 相殿二柱の神はともに他所から遷座、合祀したもので、矢代明神は矢代川上流の岡沢山から天正2年(1574)上杉謙信によって鮫ケ尾城の鬼門鎮護にされたと伝わる。諏訪明神は時期不明ながら青田南葉山からとされ、両神とも古社地に古跡が残る。南葉の古跡は、多くの登山者に知られるとおり青田南葉山頂上に南葉明神(建御名方命=諏訪さん)として祀られる石祠が存在しても、矢代明神の古社地を知る人は少ない。矢代明神が祀られたことから斐太神社が「矢代さん」と俗称されることがあり、神社周辺には矢代山と呼ばれる地も存在するのにちょっと不思議なことである。
 三柱の神様は、天つ神の地上界降臨にそれぞれ関わり、「国譲り」神話として古事記で最も大切な話のひとつに数えられる。相殿二柱の神は大国主命の子神とされ、事代主命は建御名方命の兄神であり、天つ神の使い建御雷命(たけみかづちのみこと)にかしこまり、青芝垣の水中に隠れることとなる。国生みの神伊邪那岐(いざなぎ)、伊邪那美命(いざなみのみこと)の初めての子造りで失敗作として海に捨てられたヒルコや、釣竿を担いだ七福神の恵比寿さんとされることもあり、水にまつわる神様として知られる。

 矢代明神の古社地矢代川上流の岡沢山といえば、現上越市中郷区の一集落「岡沢」を思い起こす人も多いだろう。古社地はこの集落周辺、中郷区岡沢に存在するのだろうか。岡沢は、昭和の市町村合併前は中頸城郡矢代村に属し、新井、矢代、斐太、鳥坂など9町村合併による新井市の発足(1954年)後まもなく、西福田新田とともに新井市から分離、中郷村へ編入されたものである。分市の要因のひとつが日本曹達(株)二本木工場の存在にあったといわれ、戦後日本経済復興期の雇用、自治体税収等村民との密接な関わりが指摘される。同社は旧日本興業銀行が大株主の、この地に数少なく中郷村では唯一ともいえる大企業であり、大日本帝国の国策企業であった。
 現妙高市南西のはずれ、矢代川本流右岸最上流域に岡沢と隣接した矢代地区菅沼、西菅沼新田の集落がある。この集落から右岸沿いに開削された林道が、日曹二本木工場自家用の矢代川発電所3基へ続く。1927年に第一発電所、最上流の第三発電所が1938年に完成し、源頭が火打山となるスミ川、ニゴリ俣川分岐の二俣まで車道が通り、現在も同社の子会社によって丁寧に保守管理されている。ちなみに太平洋・大東亜戦争の終結、敗戦が昭和20年(1945)であり、旧国鉄信越本線二本木駅のスイッチバックは線路傾斜解消が目的であっても、この会社工場へ鉄道車両を引き込む手段であったとも云われる。
 妙高山北面、火打山東面の戦後アルピニズムが、この林道や発電所の存在とともにあったことは明らかで、地元岳人による頸城山系の現代登山実践地のひとつである。ところが妙高戸隠連山国立公園が設置された昨2015年、矢代・岡沢地区の山野地権者を含めた住民によってこの林道の一部が突然閉鎖される。林道利用者によるゴミの不法投棄等の問題があったとしても、これまでの登山を含めた山岳文化や新国立公園の入り口が閉ざされたことは極めて残念なことであった。

 西菅沼集落から上流へ約2km、両菅沼と岡沢、西福田の水田をうるおす矢代川「猿崩れ用水」のはじまりが右岸にある。用水はこれら集落の農地のみならず、日常の生活を保つ太い流れである。その南の断崖を50~60mほど上がった台地の外れに鎮守の杜を構えた小さな石祠が建つ。矢代明神の古跡である。矢代川右岸台地(矢代高原)標高約370m、3基の発電所へ向かう林道の第一発電所分岐手前500mから右手100mほどに位置する。妙高市地籍であるが、この辺りが岡沢山と呼ばれるようで、中郷区岡沢集落の持ち山かもしれない。矢代川の対岸(左岸)には旧アライスキー場のホテル群があり、次シーズンから韓国系ロッテグループによる再稼働がうわさされている。
 矢代川は過去屋代川と記された文献(明治28年-1895、妙高火山彙地質調査報文-山崎直方)もあり、矢代が全国に存在する社-屋代-八代などの地名と同じ由来によるものかも知れず、斐太神社祭神の異説では武内宿禰命(たけのうちのすくねのみこと=第12代景行天皇)の子である巨勢雄柄宿禰(こせのおからのすくね)を主祭神とし、その兄羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)が相殿の矢代明神であるとも説き、名の由来は混沌とする。
 この矢代川と水に関する史実に、大正2年(1913)8月8日に始まる矢代川水源調査隊の山岳遭難騒動があり、とても面白い話(昭和31年-1956、LA2号新潟県立高田高等学校山岳部々報・火打山遭難夜話-饒村義治)ながらここで詳しくは触れない。
 河床が高く暴れ川である矢代川は、渇水期に流れは伏流となり、流域の農民を中心とした人々は慢性的な水不足に悩まされていた。伝説による源流部大池(振り分けの池=藤分けの池)の水が、藤の根、ツルの絡まりによって矢代川へ流れず、能生谷方面に落ちるとされていたことを確認するための調査であった。関係5町村の首長らが中心となった17名のパーティー(道案内、人夫は除く)がコース間違いで予定時を過ぎても戻らず大騒ぎとなるも、救援隊によって全員が無事下山できたことは幸いであった。
 この事件からも分かる通り、古くから矢代川の治山治水は流域住民の願いであり、それゆえ水の神矢代明神が人煙離れた渓谷の端に祀られたものかもしれず、旧暦の4月2日(現在5/3例祭)に行われた古事矢代祭は遠く米山柿崎方面からの参詣者もおり、たくさんの幟を立てた賑やかなものであったと伝わる。

 下記は平成25年(2013)に閉校となった妙高市立矢代小学校の校歌である(作詞-高野盛義、作曲-小山郁之進)。

1 山の風からあけてくる 妙高火打ち 陽に映えて
     さぎりは遠い 朝明けの 輝く山もそよ風も 呼び合う矢代小学校
2 葉かげこぼれて地にそよぐ 校庭さやか緑ふく
     木の上小鳥 はばたけば みんなの目にも空があり 空の上にも空がある
3 広い田畑を実らせて 流れは遠い みなかみの
     水にうつした ふるさとも 草にはいつかほしの照る 思いはるかな矢代川

 矢代小は明治7年(1874、志村学校)に創立し140年ちかい歴史を持ち、最盛時には頸南地域最大の新井小学校同様、児童数1,200名をかぞえる今で言う大規模校であった。いずこの地の学校も校歌々詞は地元の山、川など自然を讃美するものが珍しくなく、新潟県上越地区では名峰妙高を詠うものが多い。そのなか矢代小では珍しく火打山も詠まれ、近在で“火打”詞を含む校歌は旧高田大町中との2校のみといわれる。校章は三本の矢の鏃(矢尻=やじり)と矢羽(やばね)が、「小」の字を囲んだ丸い外飾りのさらに外を60度角毎に飾る。
 山、水、そして矢代川は、冬季日本海から雪となって妙高火打山へ帰った神様が、春再び里をうるおしながら生命のみなもと海をも育くむ神の道であり、流域に住む人々が畏敬する自然であったのだろう。

 で、矢代明神古跡である。上信越自動車道を「あらい道の駅」で降り、国道18号の「志(し)」交差点を西へ向かえば、火打山を正面に県道矢代線は岡沢集落や矢代川右岸の発電所用林道につながる。菅沼集落中央部の三叉路を右折し、道なりに進めば岡沢山古社地である。道路右手北に矢代明神の標柱があり、細い踏み跡が古跡へ続く。
 斐太神社々伝通り、矢代明神が遅くとも16世紀すでにこの地へ勧請されていたとして、杜に500年以上の歴史を感ずるような壮厳さはなく、灌木草原帯にある小さな杉林といった趣である。訪れる人とて稀であろう石祠は苔むしたものであっても、風化が進んだ南葉山石祠のような古さを感ずることはできない。祠内に御札やご神体らしきものはなく、側面には判読できない文字が残される。近いうちにこの文字を読み取りたいと思っても、祭祀具や供物の跡もなく遷座された結果かと考えても寂しい限りだ。南隣には昭和8年建立の「猿崩用水隧道開削記念碑」があっても、歴史を感じさせるものではない。
 それにしても矢代明神はいつ頃この地に祀られたのだろう。八重事代主命を祀る最も著名な神社が島根県美保関町の美保神社といわれるが、ここもまた「国譲り」神話の一説に基づく存在である。時代をさかのぼり、はるか遠い出雲の国から、矢代地区山あいの簡素な石祠のみの神所へ事代主命が勧請されたとは考えにくく、近隣で同命を祀った著名な神社はなかったものか。大和葛城(奈良県)の鴨都波神社(かもつばじんじゃ)の祭神もまた事代主命であり、全国の加茂、鴨、賀茂と名の付く神社の名称由来といわれても、妙高市小出雲の加茂神社祭神は異なる。
 上越市五智に越後一ノ宮居多(こた)神社がある。鎌倉時代の親鸞聖人、謙信をはじめとした上杉家、その後の高田藩松平、稲葉、榊原氏らの崇敬をうけた式内社である。祭神は上越市の観光案内や境内説明板によれば大国主命、奴奈川姫命、建御名方命の3柱とするが、明治16年(1883)の神社明細帳では前2神と事代主命の3柱と記される。資料によっては全4柱とするものがあっても、祭神が時代ととともに変遷することは稀でない。
 建御名方命が祀られる諏訪神社、諏訪社は全国で25,000社におよぶ多さといわれ、当地もその例外ではない。反面、頸城の地で事代主命を祀る神社は少なく、日本海に面した身輪山(みのわやま)に慶応2年(1866)まで存在した居多神社、山あい矢代川渓谷岡沢山に鎮座した矢代明神、そして斐太神社を含めた同命を祀る出雲系3社の昔日には何らかの関わりがあったのではないかと考えてしまう。居多神社旧跡身輪山が初代神武天皇の后となる姫を生んだ三輪山(みわやま)伝説と重なればなお面白いとも感じている。
 菅沼と窪松原集落を結ぶ矢代川最奥の橋梁「稲場橋(いなばばし)」まで、海から鱒が遡っていたことを知る者はわたしの年代が最後である。稲、米の集積地として数多に地名を残す「稲場」が、「因幡の白兎」の舞台気多(居多)の岬の因幡、稲場、稲葉氏・・・と推察するのは穿ち過ぎだろうが、遠く古代出雲と高志越後瑞穂の国の神々が妙高・火打山裾の人々と今も結びついている。神仏の門外漢でありながら好き勝手なことを述べてきたが、矢代の神様について神職、識者を含めて詳細を知る人からいろいろご教示を頂きたく、そんな機会に恵まれることを切望する現在である。

海谷・根知川支流島滝川~駒ヶ岳西壁

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〇山行地 海谷・根知川支流島滝川~駒ヶ岳西壁
〇山行日 2016年5月2日
〇メンバー L丸山 古川 松木智 和田
〇報告者 松木智

 駒ヶ岳西壁のワニ口への登路を探るためこの春二度目の駒ヶ岳へ向かった。先回は登山道の途中から岩壁基部を目指し藪を漕いだが、気力、体力がついて行かずあえ無く敗退。体力を消耗する藪漕をせずに岩壁に取り付けるには…。地形図と現地の様子から、根知川支流の島滝川からアプローチするのが有効に思えた。
 島滝川を遡り詰めるとワニ口の左側の岩壁に掛かる「いの字滝」に至る。島滝川には悪場も無いようで沢を詰める方が確実に取り付きへとアプローチできるはずである。

 糸魚川から来海沢を経て御前山集落へと向かう。三峡峠への道を分け林道駒ヶ岳線をしばらく進むとこの道は島滝川を渡る。この橋の袂に車を置き入渓した。
 島滝川での釣りは未経験とのことで丸山さんは魚の生息調査と称して竿を振りながら、ほか3名は沢の両岸にある春の恵みを探しながら沢を登って行く。新緑の中の沢は本当に気持ちが良い。心地よい水流の音を聞きながらあっちの藪、こっちの藪と騒ぎ楽しく進むが釣りをしながら登ってくるはずの丸山さんの姿が見えない。しばらく待つが一向に姿が見えず、「先に行ったのか?」といぶかしく思うが行く先は決まっているのでとにかく先に進むことにする。
 ほどなく沢幅が狭まり騒げるような藪が無くなったので右岸の植林地に上がり、沢から離れないように植林地内を進む。すぐに植林地の作業路が沢を渡る地点に出会いここで行動を中止し丸山さんを待つことにする。

 しびれを切らせ迎えに行けば、当の本人は入渓点で出会った地元の古老と話し込んでいたとのことで、入渓点付近にある祠のこと、島滝川の魚の生息状況を入手していた。加えてこの川の流域の山林はこの古老の所有物とのことで、この界隈で存分に遊んで良いとのお墨付きを頂いていたのだった。
 とは言え、そんなこんなで昼はとっくに過ぎており、これからではとうてい残りの行程を消化できるはずもなく、古老の勧めに気をよくしてすっかり山菜採りを楽しんでしまった。

 春の緑の山は本当に楽しいものでついつい気持ちが緩んでしまう。今回もまた背中にしょった登攀具の出番はなく、いったい何時になったらワニ口の石仏を拝めるのだろうか…。
 へたれ登山者となった自分を情けなく思いつつも、この時期しかできない山遊びを満喫した事で今後の山に向けたモチベーションが上がったことは確かだ。近いうちにワニ口の石仏の写真を披露することが出来るだろう。

北ア・室堂~剱御前小舎~奥大日岳

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○山行地 北ア・室堂~剱御前小舎~奥大日岳
○山行日 2016年04月30日~05月02日
○メンバー Ⅼ関原 中村 松木昭 山越 ほか1名
○報告者 山越

 今年のゴールデンウイークは、剱沢ベースにして、予備日も入れて3泊4日で剱岳八ツ峰主稜、剱岳源次郎尾根を狙う雪稜チームと、山スキーチーム合わせて総勢8名という合宿なみの山行である。私は松木さんと最近入会された中村さんの3名で、八ツ峰主稜を登る。私は、このところ山から離れており、体力的、技術的にもきついので、源次郎尾根に変更してもらいたかったが、今回の山行の総監督である関原さんに、「不安なのは分かるが、それでは進歩しないだろ。」と言われる。今回の山行に対する関原さんの思いは相当あるようだ。

 4月30日の初日は、室堂から剱沢までの気楽な工程である。今日の天気はまずまずだが、昨日は荒れていたようで、雷鳥平の各テントの防風壁の高さがそれを物語っている。ここから剱御前小舎まで約500mの登りで、ここでバテてるようでは八ツ峰に登る資格はない。中腹で休憩していると、アメーバ―みたいな見たことのない雲が広がり、誰かが「不吉な感じがする」と言ったが、まさに1時間後には天気は急変していた。
 12時30分に剱御前小舎に到着した時には、地吹雪となり小舎の前のトイレすら見えなくなった。カリカリの斜面をシール登行で苦戦しているスキーチームを小舎の中で待つ。我々から遅れること30分スキーチームが到着する。さらに風雪が強まっている。暫し小舎の休憩室でビールを飲みながら、天気が回復するのを待った。14時に外に出て剱沢に降りる準備をしていたが、とても顔を上げられる状態ではなく、テントの設営がかなり困難な事が予想される。検討した結果、今晩は剱御前小舎で素泊まりすることとなった。
 案内された8人部屋で布団は1人1枚でとても快適だ。我々の隣の部屋は富山県警山岳警備隊が常駐している。入室直後に真砂岳付近で身動きができなくなった遭難者から小舎に連絡が入り、警備隊が5、6名出動していった。雄山頂上にも遭難者がいるらしい。いずれも無事に救出されれば良いが・・・。

 今晩の夕食は、すき焼き風鍋であった。1人あたり200gの肉を食べ、また松木さんが担ぎ上げたビール(1ケース)を飲みことができ、とても満足する夕食だった。松木さんと食担の松矢さんに感謝である。部屋に戻ってからも就寝時間まで各自が持ち寄ったウィスキーを飲む。酔いが回り眠りについたが、爆風で直ぐに目が覚める。一晩中、風と雪は止むことはなかった。

 5月1日、相変わらずの天気だ。昨日の残りのすき焼き鍋でうどんとおじやを頂く。天気の回復を待って剱沢に移動したいが、そうもいかず、1日停滞して剱御前小舎に連泊することになった。ちなみに昼食はカレー肉うどん、夕食はおでんでどちらも絶品であった。

 5月2日、ようやく天気が回復し、剱岳も姿を現した。当初の予定の八ツ峰主稜は日程的に無理で、源次郎尾根もラッセル等で困難が予想されることから、雪稜チームは奥大日岳に登り、見たことのない角度からの剱岳を観察することにした。スキーチームとは定時に無線で連絡を取り、12時に室堂で待ち合わせることにした。真砂岳での遭難者の捜索が朝から開始され、剱御前小舎で救助隊員がヘリでピックアップされていった。室堂乗越へ向かう道中で、ヘリの状況から遭難者は助からなかったことが窺えた。また、早月尾根でもヘリが捜索活動をしているようだ。

 室堂乗越で、水、行動食を一つのザックに積めて、残りのザックはデポして奥大日岳へと向かう。今までお目にかからなかった東大谷から突き上げる劔岳南面に、何度も足を止め写真を撮る。これといった難所も無く、奥大日岳の山頂に9時に着いた。記念撮影をして早々に下山を開始する。予定通り12時に室堂に着き、スキーチームと合流し、美女平行きのバスの長蛇の列に並んだ。下山後は亀谷温泉白樺ハイツで汗を流し帰路に着いた。
残念ながら八ツ峰主稜を登ることができなかった。もし八ツ峰登攀中にあのような天気に見舞われたら、どうなっていただろうか?装備を充実させれば、行動は遅くなり、疲労の蓄積も早い。しかし、最小限の装備で行けば、身軽に登攀できるが、厳冬期並みに天候が変化した時に耐えうることができるか不安が付きまとう。いずれにしても、体力の維持、技術の向上に努め、謙虚に、恐れ敬い、山に接していきたい。

2016年山行・活動一覧(03月~04月)

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○2016年山行・活動一覧(03月~04月)

(04月山行活動数35件99人、2016年山行活動累積数111件277人)

04月30日 矢代・両善寺~大毛無山 村田秀夫(単独)
04月30日~05月03日 北ア・剣岳剣沢定着/立山室堂~剣御前小屋~奥大日岳 CL関原知文 SL松木昭男 小林克也 中村優史 松矢英一 山越輝之ほか2名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39934441.html
04月29日 妙高・休暇村妙高~片貝川 斉木壽次(単独)
04月29日 矢代・粟立山東尾根上平 L丸山邦男 丸山美江子
04月29日 西頸・能生谷~神道山 L今泉葉子 清水美代子ほか1名
04月26日 妙高・休暇村妙高~藤巻山 斉木壽次(単独)  
04月25日 北ア・白馬猿倉~小日向山 L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39919873.html
04月24日 長野・大峰山物見の岩場アイゼントレーニング L松木昭男 中村優史
04月24日 北ア・栂池~白馬乗鞍岳 L古川理香ほか1名
04月23日 妙高・住吉~関川本流 松矢英一(単独)
04月23日 西頸・能生谷~神道山 L船山了 船山康子
04月23日 北ア・位ヶ原~乗鞍岳 L永田稔ほか1名
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-686.html
04月23日 海谷・山境峠~駒ヶ岳西壁「ワニ口」修験者遺跡 L丸山邦男 古川理香 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39916096.html
04月21日 関田・大鹿~関田山脈某所 斉木壽次(単独)
04月20日 4月定例会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L丸山邦男 今泉葉子 小山悠人 関原知文 中村優史 船山了 船山康子 古川理香 本間一郎 松木昭男 松矢英一
04月17日 4月々例山行・山岳負傷者搬出訓練/刈羽・黒姫キャンプ場~黒姫山 CL関原知文 SL斎木壽次 今泉葉子 清水美代子 長谷川博子 船山了 船山康子 古川理香 本間一郎 村田秀夫 丸山邦男 松矢英一 中村優史 永田稔 山越輝之 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39915027.html
04月16日 矢代・万内川西俣~中ノ岳南東尾根 丸山邦男(単独)
04月16日 北志賀・滝の沢森林公園~高社山天狗岩 L船山了 船山康子
04月16日 関田・大鹿~関田山脈某所 L斉木壽次ほか1名
04月16日 飯豊・小玉川~西俣ノ峰~北股岳 中村優史(単独)
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39904641.html
04月16日 長野・大峰山物見の岩場アイゼントレーニング L関原知文 小山悠人 永田稔 山越輝之 古川理香 和田司ほか1名
04月13日 矢代・桑取川横畑~西谷内川 丸山邦男(単独)
04月10日 矢代・菅沼~矢代高原岡沢山 L丸山邦男 松木智恵美
04月10日 西頸・能生川東谷内~須川 L丸山美江子ほか1名
04月10日 北ア・神城~五龍岳遠見尾根 L松木昭男 中村優史 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39910898.html
04月09日 4月リーダー会(新井いきいきプラザ1F18:00~) L松木智恵美 青木一行 岡田顕彦 小林克也 斉木壽次 清水美代子 関原知文 船山了 船山康子 古川理香 松木昭男 丸山邦男
04月09日 西頸・柵口~権現岳 古川理香(単独)
04月09日 丹沢・大倉~塔ノ岳~丹沢山~蛭ヶ岳~檜洞丸~西丹沢自然教室 山越輝之(単独)
04月05日 北志賀・柳沢~高社山天狗岩山 L船山了 船山康子
04月05日 西頸・能生川藤後~須川 L丸山邦男ほか1名
04月03日 西蒲・角田浜~角田山~福井 船山了(単独) 
04月03日 長野・大峰山物見の岩場Aルート控蕕曚 L松木智恵美 古川理香 
04月02日 魚沼・三国川ダム~十字峡~桑ノ木山 L松木昭男 中村優史 松矢英一 山越輝之
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39895681.html
04月02日 西頸・青海黒姫山西壁第二バットレス L丸山邦男 古川理香 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39925206.html
04月01日 矢代・三ツ俣~籠町南葉山東尾根~鮫ヶ尾城跡 丸山邦男(単独)


(03月山行活動数24件65人、2016年山行活動累積数76件178人)

03月31日 矢代・矢代川~矢代高原岡沢山 丸山邦男(単独)
03月28日 刈羽・椎谷~天拝山 L丸山邦男 清水美代子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39883680.html
03月27日 妙高・休暇村妙高~藤巻山~神奈山クロフ尾根 L永田稔ほか1名
03月27日 奥只見・銀山平~蛇子沢尾根~荒沢岳 中村優史(単独)
03月27日 矢代・籠町~南葉山観音平 L船山了 船山康子
03月27日 海谷・砂場~烏帽子岳タカンビシ尾根 L松木昭男 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39886737.html
03月26日 妙高・杉ノ原スキー場~三田原山 斉木壽次(単独)
03月24日~28日 屋久島・白谷雲水峡~宮之浦岳~淀川登山口 L関原知文 今泉葉子 長谷川博子 本間一郎
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39889526.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39908130.html
03月23日 矢代・横畑~重倉山北尾根 丸山邦男(単独)
03月22日 矢代・桑取谷東吉尾~横畑 丸山邦男(単独)
03月20日 西蒲・桜尾根~角田山 L今泉葉子ほか2名
03月20日~21日 東頸・松之山温泉スキー場 松木智恵美(単独)
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39872607.html
03月17日 北ア・栂池スキー場~天狗原 永田稔(単独) 
03月16日 3月定例会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L清水美代子 今泉葉子 関原知文 中村優史 長谷川博子 船山了 船山康子 古川理香 本間一郎 松木昭男 丸山邦男 村田秀夫
03月16日 戸隠・大橋~佐渡山 L船山了 長谷川博子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39866594.html
03月13日 公募登山/西頸・シャルマン火打~放山~南又沢中間尾根スキー滑降 CL松智恵美 SL丸山邦男 小林克也 斉木壽次 永田稔 船山康子 古川理香 松木昭男 松矢英一 山越輝之ほか4名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39859061.html
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-681.html
03月11日 刈羽・椎谷~天拝山 L丸山邦男 清水美代子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39864884.html
03月10日 妙高・赤倉観光スキー場 L斉木壽次ほか3名
03月06日 妙高・池の平スキー場~赤倉山要 関原知文(単独)
03月05日 3月リーダー会(新井いきいきプラザ1F17:00~) L松木智恵美 小林克也 清水美代子 永田稔 古川理香 松木昭男 松矢英一 丸山邦男
03月05日 西頸・シャルマン火打~南又沢中間尾根下降(3/13公募ツァー下見) L松木智恵美 小林克也 松矢英一 丸山邦男
03月05日 妙高・関温泉~神奈山 L松木昭男 永田稔 古川理香
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-680.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39852245.html
03月04日 矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山~桑取横畑 L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39849108.html 
03月01日 刈羽・柿崎黒川~猿毛川 丸山邦男(単独)

矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山

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○山行地 矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山
○山行日 2016年5月5日
○メンバー 松木智(単独)
○報告者 松木智

 この冬は稀に見る小雪であった上に暖かい日が多く山の雪解けもはやいようだ。山菜取りを日課にしているお年寄りによれば、山の幸は例年より10日~2週間も早いうえにゼンマイ、蕨、タケノコにウドが一斉に採れるとのことで、我が家にも連日何種類もの山菜料理が食卓をにぎわしている。
 雪深いこの地の山菜は長い冬の間雪の下でじっくりと時間をかけて芽吹きの準備をするためか、芳醇で味わい深い。山菜を採りながら山を巡り、自然に抱かれるのも楽しい山遊びの一つと言えよう。

 昨夜からの雨がお昼近くになって上がり、一転して広がった青空に誘われ籠町南葉山の登山口へと向かった。山菜を採りながら6月の古道整備の下見をしようと考えたのだ。
 毎年春先は林道の何処かしらで土砂崩れや道路の崩壊があるため、古道整備に支障が無いよう早い時期に林道の状況を把握する必要がある。今年は蓮痕付近の斜面が崩れ落ちており、道路の半分が土砂で埋まっていた。幸い車で通りぬけることができたが、この土砂の撤去をしなくてはならない。また、木の枝が道路まで伸びている箇所が数か所り、こちらも刈り払いが必要である。
 アクセス路の入り口に立てた標柱は雪の重みで傾いており設置し直さなくてはならない。例年であればアクセス路の一部に雪が残っているのだが、すっかり雪は解けており車でアクセス路終点の登山口まで車で入ることができる状態だ。が、しかし1か所で植林地の杉が倒れ道路を塞いでいるためこの撤去が必要である。アクセス路周辺ではゼンマイが最盛期でタケノコや蕨はまだ早く収穫は無かった。

 登山道に入るとすぐに沢への下り口が杉の倒木で塞がれている。これも片づけなくてはならない。沢はまだ雪に埋まっておりひんやりと冷気を放っていた。植林地内はタラの芽を探すがまだ固い蕾で採取を諦めなくてはならなかった。急傾斜のステップは健在だが、土止めを施していないため縁が崩れやすくなっている。フイックスロープに頼って登るがここも土止めが必要だろうか…。
 「丸山清水」手前では数本の細い倒木が通行の邪魔をしていた。その先「栃の木峠」のステップまでは雪が残っていたが、ステップはしっかりとしており峠へと導いてくれる。

 籠町南葉山三叉路の間は雪も無く、下草もまだ勢いがないため歩きやすい。イワカガミの歓迎を受けながら進む。三叉路広場から籠町南葉山山頂までの平坦地には雪が残り、登山道が見え隠れしていた。青田川に向かって斜面を下ってみるが雪解け直後の斜面にゼンマイは無かった。
 山頂からは旧新井市が見渡せ、対峙する関田の山並みも上部稜線付近に僅かに雪を残し後は緑に染まっていた。

 三叉路広場に戻り青田南葉山に足を向ける。展望の効く一角を過ぎたあとの湿地から雪が残り登山道と雪の上を繋いで進む。残雪の中でブナの柔らかい緑が美しく、時折足を止めて見入ってしまう。
 山頂に立てば一面の雪原であり、その中央にポツンと南葉神社の祠が寂しげに立っていた。数日前の登山者の足跡を認めるが、誰もいない山頂で、雪のあるこの時期にしか得られない眺望を存分に楽しんだ。

 復路は雪の上を気持ちよく下ったが、下りすぎて猿掛への登路を見失ってしまい10分程辺りをうろついてしまった。残雪期は要注意と言っていたのに失態をしてしまった。改めて油断は禁物であると肝に銘じたのであった。

 今年の「春の古道整備」は上記の様に数か所の倒木除去作業に加え、下草刈りに相応の労を要することが予想されるため一人でも多くの手が欲しいところだ。その頃には頸城平野一帯の水田は緑に染まっており、瑞穂の国を吹く風が作業で流れた汗を乾かしてくれることだろう。

北・ア 立山室堂~剱御前小舎

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○山行地 北・ア 立山室堂~剱御前小舎
○山行日 平成28年4月30日~5月2日
○メンバー L小林 松矢ほか1名
○報告者 小林

 今年のゴールデンウィークは昨年のリベンジを果たすべく剱岳へ向かった。計画段階から登山計画書の提出などメンバー班編成をして下さったリーダーの関原さんに感謝したい。
 30日の早朝に上越を出発し立山に向かう。今年は日取りがよいせいか7時頃に到着する が近くの駐車場は満車となっており、橋を渡って左手にある駐車場へと車を停めることにした。会員外からの参加の石田さんがチケットを予め購入して下さり待ち時間なくケーブルカーとバスに乗り継ぐことができた。
 室堂の気候は晴れており前日の寒気の影響で積雪が30センチから40センチほどあるとのことで、気温はマイナス7度と表示されていた。季節外れの雪が降った外は日差しと照り返しで眩しくサングラスと日焼け止めが必須な状態であった。一同準備を済ませこの日目的とする剱沢キャンプ上へと向かう。スキー山行と縦走班の2班に分かれて行動を開始する。

 スキー山行の私は3名で行動を行い、雷鳥沢まではみくりが池から右手にある雪上車の跡を無理なく降りることにした。途中の傾斜で滑り降りるのを楽しみながら雷鳥沢のキャンプ場へと到着した。縦走班と合流すると剱沢に向かう登りとなる。8名が向かう中、急斜面ではシール登行よりアイゼンで登る方が早く、また2班に分かれて休み休み登ることとなった。
 途中から雲行きが怪しくなり風が吹き始めてきた。大きな天候の崩れはなさそうであったが、予想に反し剱御前に向かうにつれ視界も悪くなり真冬の天候へと変わっていった。緩んでいた雪も稜線付近では所々アイスバーンのように硬くなっている。アイゼンを持参しなかった自分たちにとってかなり神経を使い滑落や危険のない慎重な行動が求められるものとなった。稜線では安全を確認しながら無理のないように進んでいく。風も増して強くなり視界もさらに悪化している中、反対側にも滑落の危険があり、滑落したら登ってくるのは相当困難な状況である。撤退の可能性も考えなければいけない状況の中、一番危険と思われる箇所を通過し剣御前小舎付近に差し掛かった。強風の中しっかり立つことがままならない中、リーダーの関原さんが待ち構えてくれていた。一時的に剱御前小舎に入り休憩をすることとなった。
 剱沢全体も強風に覆われている状況の中今後の気象条件を考慮した上、話し合いの場が持たれる。困難な状況の中一度外に出て準備を開始するが、剱沢キャンプ場までの距離やテントを張ることや食料の準備を考えるとリスクが大きく、剣御前小舎にて泊まることとなった。この日は急激な気象の変化で遭難が相次ぎ一緒に滞在していた山岳警備隊が出動するなど、自然の厳しさと怖さをまざまざと見せつけられる結果となった。

 2日目、前日の風は全く治まることなく昼過ぎまで様子を見て行動を開始することとなった。行動を開始するにはリスクが高い様子は変わらない。足止めされ帰らなくてはならない人たちが、風が少し弱まる合間を見て何人かが下山した。強風に煽られている様子を見ると、無理はできない状況であることが確認できる。決断を下す昼過ぎにも風は一日止む予報がないことから残念ながらもう1泊することとなった。そうと決まれば飲食を楽しむことになり、食料担当の松矢さんが計画したうどんやおでんを食べたりお酒を飲んだりみんなで楽しむこととなった。

 3日目、当初予定していた計画は叶わず縦走班は奥大日岳、スキー班はそのまま下山し余裕があれば室堂付近の周遊をする計画に変更となった。朝5時に起床し朝食と準備を済ませる。まだ風は強いが十分歩くことができるようになり視界も良好で好天に恵まれた。剱岳をバックに集合写真を撮り縦走班の見送りをした後、時間を置いて下山を開始した。
 時折強い風はあるが動作に支障は少ない。稜線付近の雪の状態は硬いものであったがエッジが効く状態となっており、バランスを崩さなければ滑落の危険はなさそうであった。雪崩にも気をつけるべく安全を確認しながら慎重に一人ずつ滑り降りていく。リスクの高い場所を抜けると、斜面を選びながら安心して楽しみながら滑り降りていく。ノートラックのすっきりした斜面を一人ずつ滑り降り3人目が滑り終えると、ギャラリーから拍手喝采を頂戴した。滑り降りたシュプールを見ると綺麗に線が3つ並んでおり、何とも言えない高揚感に3人が浸り、それだけで満足してしまうほどのものに感じた。シュプールをバックに記念撮影し室堂へと向かう途中、二日間の天候はいったい何だったのだろうかと思うくらいに穏やかな天気となっていた。難なく室堂に到着すると縦走班を待つこととなり8名全員が揃うと非常に安堵した。

 振り返ってみて今回の山行は計画実行がかなわなかったが、リスクマネジメントについてとても考えさせられるものであった。急激な気象の変化に対応する能力や危険予測や決断力が求められることを知った。ケースバイケースで何が最善でどのような行動が必要なのか深く追求することが大切であり、今後の山行に繋げられるようにしていきたいと強く感じた。

2016年 春の南葉山古道整備 参加者募集!

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○2016年 春の南葉山古道整備 参加者募集!
○投稿者 アスターク同人リーダー会

○山行日:平成28年6月19日(日)
○山行地:矢代山地・篭町南葉山~青田南葉山
○集合地:妙高市西野谷 万内川砂防公園駐車場 午前7:00
○目的概要:古道の整備山行です。南葉山の稜線を歩きながら歴史ある道の整備をします。

 近年にない小雪暖冬の冬を越え、山は瞬く間に濃い緑に覆われています。雪消えを追いかけながら楽しむ山菜採りも今年は一斉に出そろい、肝心の登山活動に支障が出る程です。
 さて、アスタークではこの春も南葉山の古道整備を行います。残雪を楽しむむ間もないほど急速に雪が消えた現在、南葉山の稜線はすっかり夏道が表れており、本格的な登山シーズンを前にいつにも増して入念な草刈り作業が必要となります。一人でも多くの方からご協力をいただき、私たちが守り伝える南葉山の古道を安全に快適に歩けるよう整備し、今年もたくさんの登山者を迎えたいと思います。

 作業内容は籠町南葉山~青田南葉山の稜線での草刈りとなる予定です。
 現代に呼び戻された歴史の道を伝え続けるための地道な作業ですが、ふるさとを愛し、自然と共に生きるアスタークの活動に関心をもたれる方、共感された方、一緒に活動してみませんか?

 下山後は、登山口西野谷の公民館でアスタークオリジナル「竹の子汁会」を催します。最上級の取れたて竹の子をふんだんに使った野趣たっぷりの竹の子汁は、初夏の味覚を存分に味わうことで好評を博しております。今回も更に趣向を凝らしたものとなる予定ですので、こちらへのご参加もお待ちしております。

○行動予定
   7:00万内川砂防公園駐車場集合
   7:30~12:00籠町南葉山登山口へ移動、数グループに分かれ整備活動
  12:00~13:00昼食休憩
  13:00~14:30整備活動
  15:30万内川砂防公園駐車場(第一次解散)
  16:00~西野谷公民館 AJ特製「竹の子汁」を楽しむ会
  17:30 最終解散
  
○持ち物:鎌又は鋸、昼食、雨具、軍手あとは日帰り山行程度の装備です。最後のお楽しみのためにも着替えはご用意されたほうがいいでしょう。

○申し込み:6月15日(水)までに以下へお申し込み下さい。TEL(FAX兼)0255-73-7249(松木:午後7時以降) ブログトップページより会員用掲示板、管理者へメール蘭からもお申し込みいただけます。

○その他:下山後は、「AJ特製竹の子汁会」(参加費1,000円)で労をねぎらいます。若干のアルコール類を提供いたしますので、飲酒を希望される方は参加申し込み時にお知らせください。

魚沼・駒の湯~越後駒ヶ岳

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○山行地 魚沼・駒の湯~越後駒ヶ岳
○山行日 2016年05月05日
○メンバー L中村、古川
○報告 古川

 魚沼市(旧湯之谷村)の大湯温泉駒の湯登山口に5時30分到着。駐車スペースには2台の車がある。今年のGWは最後まで不安定な天気らしく、周囲の山は上部が灰色の雲で覆われている。折り畳み傘を装備に追加し5時40分出発。吊り橋を渡り新緑のブナ林に入る。
 すぐに傾斜が急になり汗が出てくる。今日は往復13キロ、標高差約1600mの長丁場なので体力温存のためペースを抑え気味にする。きつい登りだがイワウチワやオオカメノキ、アヅマシャクナゲ、タムシバ、ツツジなどの花が両脇に順番にあらわれて飽きない。

 おしゃべりで辛さを紛らわせつつ我慢の登りを続けて2時間あまり、広葉樹林帯を抜け笹原の稜線に出た。見通しの良い小倉山山頂で小休止。ここから先は季節が春から冬に逆戻りしており雪上歩行となる。冷えてきたので雨具を着込む。視界は開けたがガスで目指す頂は見えない。他の登山者もほとんどいないようで、ここまでに単独の男性一人とすれ違っただけだ。

 左手に形の良い荒沢岳が目についた。裏越後三山や銀山平など初めて知る風景を教えてもらい、キョロキョロしながら稜線を辿る。迷わないよう所々赤布を付けた竿が雪に刺してあり足跡もいくつかあるが、ガスが濃くなっておりともすると先行する中村さんが見えなくなるので先を急ぐ。

 ほどなく山頂手前の「駒の小屋」に到着。テレビなどでよく紹介されるので初めて見る気がしない。この時期管理人はいないが水場やバイオトイレがある立派な宿泊施設だ。休憩してからザックをデポして山頂へ向かう。20分くらいで山頂に着くと相変わらずガスが濃く展望はない。晴れたら見えるであろう山々を教えてもらい、猿田彦像に手を合わせて早々に小屋に戻る。小屋で昼食の準備。中村さんがそうめんをゆでてくれ美味しくいただいた。稜線上は冬の気温で冷え切っていたため、温つゆとゆでたての麺で温まった。

 復路はもと来た道を戻る。雪の稜線の下りでもアイゼン、ピッケルの出番はなかった。冬から春の陽気に戻った小倉山から下の尾根沿いの道では、何組かの登山者と同様かなり道草をして山の恵みを楽しみながら登山口に戻った。登山口から車で数分の大湯公園にある交流センターユピオの風呂で汗を流し、お土産に魚沼コルネ(甘泉堂)を買って帰った。カスタードクリーム味が抜群に美味しくファンになった。次回はクリームチーズ味も食べてみたい。
 今回は久しぶりに山頂へ到達できたので達成感があった。遠見尾根の教訓もありついていくために荷を削りすぎたこと、装備ミス(防寒対策不足)が反省事項だ。足の速い人と行く山行は非常にトレーニングになりありがたい。また、上越地方からでも思ったよりアクセスが良く魚沼の山が身近に感じられた。土地勘のない私でも聞いたことのある川や沢があり、沢からのバリエーションや縦走も楽しめそうだ。季節を変えてまた訪れたい。

公開山行 北ア・宇奈月温泉~僧ヶ岳 (5月月例山行)

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〇公開山行 北ア・宇奈月温泉~僧ヶ岳 (5月月例山行)
〇投稿者 アスターク同人リーダー会

 アスターク同人では会員のスキルアップ、親睦を目的に毎月「月例山行」を行っています。この度5月の月例山行を一般登山道道による登頂であることから、公開山行とし、会員外の参加を可能としました。
 日頃私たちの登山活動に興味関心をお持ちの方、山で遊ぶ仲間を求めている方から、実際活動を共にしていただきご理解を深めていただきたいと思います。
当日の日程は以下の通りですが、参加を希望される方は5月18日(水)までに下記へご連絡ください。

1.山行日 5月22日(日)
2.山行地 北ア・宇奈月温泉~僧ヶ岳
3.行程
   5:00 上越高田IC
   7:00 宇奈月温泉スキー場終点広場
  12:00 僧ヶ岳
  16:00 宇奈月温泉スキー場終点広場
  16:30 とちの湯
  18:30 上越高田IC
4.装備 雨具 ヘッドライト 地図 手袋 昼食 入浴セット
5.経費…交通費+入浴料
     交通費(車1台)
      〇高速代   上越高田IC⇔黒部IC  3,340円
      〇ガソリン代 高田IC⇔登山口    4,400円(220km)
      *掛かった交通費を参加人数で割ります。
6.問い合わせ、参加申込み先
  山行リーダー:松木昭男
  TEL/FAX 0255-73―7249 (TELは午後7時以降)

中越・ 悪場峠~五剣谷岳~青里岳~矢筈岳

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〇山行地 中越・悪場峠~五剣谷岳~青里岳~矢筈岳
〇山行日 2009年4月5~6日
〇メンバー 中村(単独)
〇報告者 中村

 海谷とならんで越後に残された有数の秘境、川内。その山塊の盟主と名高い矢筈岳に登ろうと思いたったのは、残雪歩きを始めて道のない山に入るようになって何年もたってからだ。山名を知ったのは「越後百山」という出版物で、根っからのミーハーなハイカーの私は、目録を増やすことに耽溺する蒐集家のように「百山」を訪れるようになった。
 矢筈に行く前年の2008年4月、下見のため悪罵峠から五剣谷岳まで日帰りで行ってみたが、未明に出発して日没寸前の下山となり、この山塊の奥深さを実感した。あまりにも激しいアップダウンの連続に、自分の体力に多少自信を持っていた当時の私は打ちのめされてしまった。矢筈日帰りも目論んでいた自分の思い上がりを知り、じっくりとルートを調べ翌年の挑戦とした。

 2009年4月5日、五泉市(旧村松町)のチャレンジランドに通じる道路から早出川ダム方面の林道を走り、途中の石碑の立つ駐車場から5時ころ歩きはじめる。雪の残る林道には複数の足跡。悪罵峠から林道と別れ、割と道型のはっきりした踏み跡を登り降りするとロープのかかる急斜面を下り水無平へ。前夜泊った豊栄山岳会のテントがあり、以後、途中まで彼らのトレースを使わせていただいた。
 ジグザグと足跡をたどると木六山ピーク。広い尾根に乗り、夏道と雪上を交互に歩く。小さなアップダウンの後、広大な七郎平山。窪地もあり幕営するには最適の場所だ。ここから先、だんだん雪上を歩くことが多くなるが、東側の雪堤には前夜までの降雪で割れ目が隠れている部分が多く、標高の低い山域らしく、水分多い悪雪でズボズボに潜る。銀次郎山あたりからきついアップダウンが続き、尾根も痩せてきた。しだいに雪庇も大きくなり、銀太郎山で崩れた雪庇の上で休憩していた豊栄山岳会の方にトレースのお礼を伝える。
 この先からワカンを履き、小さなラッセルが始まる。五剣谷岳から先は未知の領域であるが、このピーク周辺には平坦地があり、ここをベースに二泊する人も多いらしい。そして矢筈岳の全貌がはじめて望める所でもある。雪の状態はだんだん悪くなり、木につかまりながら雪庇やヤセ尾根をかわしてゆく。青里岳16時半着。靴はズクズクでこれ以上歩く気になれず、幕営。整地する気力も残っておらず、わずかな平らの雪面にテントを張り、焼酎お湯割を飲んですぐに寝た。

 翌4月6日、放射冷却でフライはバリバリ。テント内に置いた靴も凍っていた。4時半、アイゼンを着け矢筈に向かう。ガチガチの雪面で最初は快適だったが、陽が昇るとたちまち緩んできた。300M一気に下ってから繰り返すアップダウン。さらに300Mの長い登り返しのすえにたどり着いた矢筈岳には、なぜか立派な標識が立っていた。いきなり現れた人臭い物体に拍子抜けし、早々に山頂を後にする。テントに戻り、往路を下山したが、悪罵峠にはまたも日没間際の到着になった。
 私がこの時歩いたのは川内のほんの一部であったが、少しは山塊の特徴を知ることができた。標高1200M前後でありながら、豪雪で磨かれたスラブと深い谷。それゆえか山行中、晴天でありながらも常に谷側から強い風が吹き上げていた。重く湿った雪は歩くには厄介だが、多くの恵みをもたらすはずで、無数のゼンマイ道や仕事道があるに違いなく、野生の生き物の営みも豊かなのだろう。

 この山行の一月半後、難病で入院し、一年で三度の手術をして臓器を一つ摘出、療養生活を送った。山に復帰して約一年後、追憶に浸ろうと毛石山から青里岳まで歩いたが、もう矢筈岳まで行く気力も体力も残っていなかった。もし再訪することがあれば、今度は仲間と共に行きたいものだ。

魚沼・大崎口~八海山入道岳

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○山行地 魚沼・大崎口~八海山入道岳
○山行日 2015年5月15日
○メンバー L中村、古川
○報告者 古川

 越後三山の中では最も行きたかった八海山にロープウェイを使わずに日帰りすることとなり、6時30分に火渡り神事で有名な八海山尊神社Pに駐車、安全を祈願してから境内奥にある大崎登山口を出発した。
 
 八海山は修験道の山で、複数ある登山道の麓には御神体である山を祀る里宮がそれぞれにある。大崎登山道は歩いていて飽きない鄙びた癒しの古道だった。結構な急登が最初からあり一汗かいたが、丸く風化した石仏が半分埋もれた金剛冷泉(水場)のおいしい清水で喉を潤してから新緑のブナ林に入る。落ち葉でフカフカのブナ林には眼下の水無川から薫風が吹き上げ気持ちよい。見晴らしの良い場所も所々あり、田植えを待つ水田がキラキラと反射し閑かで美しい魚沼平野が一望できた。枝から垂れ下がる大量の芋虫の幼虫をストックで除けながら進むと、ゴロゴロゴロという索道機の音が聞こえてきた。汗を拭き拭き2時間と少しで展望台に到着。八海山ロープウェイ山頂駅から上がってきた観光客がパノラマを楽しんでいる横で汗だくのまま休憩し、視界が開けた尾根道を進む。

 展望台から先には立派な避難小屋(トイレ付き)が3つもあり快適だ。八海講の参拝登山のために建てられたようだ。稜線脇には残雪が出てきてぬかるみが多くなる。四合半の地点で左手の水無川から登ってくる大倉口コースと合流、凝灰角礫岩もチラホラ見え出し岩場の雰囲気が出てきた頃に六合目の女人堂に到着。大きな石碑がある広場のベンチでは数組の登山者が休憩していた。
 日差しを遮るものがない尾根道の雪渓を登り、雪融けの冷たい清水が流れる水場をいくつか過ぎ、10時40分薬師岳に到着。ミズラ髪の役行者像が出迎えてくれる。先には千本檜小屋、八峰の岩場が展望でき、日本昔話に出てくるてんこ盛りご飯をいくつも並べた様な岩山が続いている。

 八峰最初の地蔵岳迄来て、だましだまし登ってきた両足のつりがとうとう全体に広がってきたため休憩してもらう。これから先の鎖場の連続を考え、中村さんから重いアイゼン、テルモスを持ってもらう痛恨の事態。この日は脱水がひどかった。鎖場はトラバースや梯子もあり要集中、てんこ盛り岩の上が白川岳、摩利支岳などの名前がついていた。
 てんこ盛りをいくつか登り降りし、12時過ぎに目指す入道岳に到着した。多くの登山者が手前の大日岳迄で引き返しており、入道岳山頂には我々以外に一組と1人がやってきただけだった。

 昼休憩はとにかく水分補給、暑いのにせっかく持ってきたからとテルモスでカップラーメンを食べホットコーヒーを飲んだが、汗冷えのため温かい食事が丁度良かった。中村さんからはGW合宿の共同食料の残りの麻婆春雨と焼き飯をミックスした中華のお裾分けをいただく。ごま油の風味が効いて美味しかった。

 13時前には帰路に着く。八峰の岩場は浸食が少しずつ進んでいるようだ。プレートの作用で本来横になっている地層が縦に盛り上がったのが八海山で、そのため上部だけが岩場となっていると中村さんから教えてもらう。支稜線には同じ角礫凝灰岩の戸隠山のように屏風状の岩峰が連なる屏風道ルートが確認できた。
 下りはあっという間だったが、ロープウェイ山頂駅より下の大崎登山道は通行者が少なく落ち葉で足元が隠れており、疲れもあって足取りが遅くなった。ヒメシャガの薄紫の花が両脇にずっと続いており、励まされているような気になった。最後の水場、金剛冷泉の水をもらって生き返りもうひと踏張り、16時30分過ぎに登山口に到着した。

 汗だくの状態を何とかしたく、温泉通中村さんオススメの五十沢温泉元湯で入浴。外見は普通の住宅にしか見えず看板も目立たない地元客専用の湯のようだ。洗い場は一つのみで4、5人が限界の広さだが、これが熱めの硫黄泉で、通でない私にもわかるとてもいいお湯だった。風呂上がりに一杯どうぞとおかみさんからいただいた水が甘くおいしい。湧き水を汲んで出しているという。美味い水だから美味い米が育つのだなと納得。新緑の魚沼平野の風に吹かれ、越後の自然の豊かさに感じ入りつつ帰路についた。

会津・岩魚の里登山口~会津朝日岳

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〇山行地:会津・岩魚の里登山口~会津朝日岳
〇山行日:2016年5月19日
〇メンバー:L船山了、船山康
〇報告者:船山了

 会津朝日岳は5年程前の大雨で道路を寸断され、一昨年から登山が再開されたらしいが途中の白沢には災害の爪跡が残っていたが、道路だけは復旧し走りやすくなっていた。今回の山行も余裕をもって前日に登山口に入り一泊しておいた。

 快晴が約束されており、朝5時に出発、赤倉沢に掛かる小さな橋を渡り、林道らしき道を暫く行き、沢筋の登山道にはいる。脇には蕨がみられ、山荷葉、二輪草が足元に咲き快適に歩ける。荒禿沢を右手に別れ2、3回沢を渡れば、尾根筋のジグザグ道になる。暫くで三吉ミチギの水場だ。ミチギとはマタギの言葉で、安全なルートを意味し、他にもバイウチの高手という地名はサル打ちから来ているとの事である、納得の行く地名と地形であった。水は冷たく一服するには調度良い。

 ここからは急登の一番シンドイところだが、登山道の取り方が良いせいか以外にリズミカルに歩けた。ブナの新緑のせいか疲れた気がしない。ジグザグの道が乱れ始めると展望も開け、浅草、鬼ヶ面が見え、叶の高手1430mに着けば会津朝日岳が初めて山体をみせた。全山、スラブで残雪も見える。
 避難小屋までの尾根道は何とも気持ちが良い。石楠花の淡いピンクや濃い赤の蕾が活き活きと咲き、タムシバの白、ヤシオツツジの赤紫と新緑、春の陽射しと清々しい空気の中lかっての歩みは年老いた心身を活性化してくれる。

 熊の平の避難小屋では残雪があり、小屋は少し暗いが綺麗に使われており使用は可能だ。林の中をバイウチの高手に登れば目の前に全山スラブから成る多くのピークが聳え立ち、残雪もあり、山頂がどのピークかも判らない。急斜面の雪渓を慎重に登れば、雪の消えたスラブにロープを見出だし無事山頂に着いた。

 山頂からは西側の展望が一気に開け、越後三山、平ガ岳、荒沢岳、至仏山、未丈が岳、毛猛三山、南方には直近の丸山岳が立派だ。その左奥に会津駒、三岩岳、窓明山も見える。東側は延々と連なる会津の山並み。北方は田子倉ダムの奥に浅草、鬼が面山、守門岳も見渡せる。
 眼下には楢戸沢からの大きなスラブが突き上げ残雪をなしている。反対側は垂直の壁が真っ逆さまに落ち込んでいる、そこをカモシカが悠然と歩いていった。
 本当の山頂は20m程のところの北面の見渡せる場所にあり、三角点の標識もあった。此処から数m先にスラブの全貌を見に入ったが稜線は浮き石だらけで両側がスッパリ切れ落ちており、縦走なんて考えられない。
 雪の緩むのを待って下山。蕨とアマドコロを収穫して登山口でもう一泊した。

「コースタイム」 登山口(240分)山頂(180分)登山口

西頸・青海黒姫山青海川側壁

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〇山行地 西頸・青海黒姫山青海川側壁
〇山行日 2016年5月14日
〇メンバー L松木昭 古川 中村
〇報告者 松木昭
 
 先週「物見の岩」にて古川さん、中村さんと3人でザイルワークを確認してきた。中村さんは昔、岩登りの経験があり基本的なザイルワークやシステムを理解していた。その為物見の岩では古川さんとザイルを組み本チャンに備えた練習を行った。

 山行前日の金曜日、見事に晴れ上がった青空を見て明日の天気を確信し労働に励んだ。一夜明け早朝の空は既に明るくなっているが、青空が見えない。天気予報を信じ久しぶりの青海へ中村さんと向かう。古川さんと待ち合わせた「青海の岩場」に到着する、するとそこには一組のパーティーが早朝練習をしており。今どきの若者にしては感心してしまう。
 先ずは腹ごしらえ、昨日の朝からまともに食べていない。岩を見る余裕も無く朝飯のパンとカップ麺をお腹に入れる。古川さんも直ぐに到着、その頃には天気も回復し青空も見え今日の山行が楽しみになる。
 今日登る岩を偵察するが、その前に川を渡る所を見つけなければならない。5月の雪解けシーズン、やはり水量が多く簡単には渡れそうにない。上流には橋があるが、距離がありすぎ使い物にはならない。車にて下流側の渡れそうな所を偵察する。2~3分の所に何とか渡れそうな所を見つける、後は水が冷たくないのを祈る。次に登る岩を決める、偵察の結果岩登りのゲレンデである「青海の岩場」付近の対岸の岩がクラックも発達し、堅そうに思えた。ただブッシュも多く見栄えが今一であった。

 取り合えず覚悟を決め先ほど見つけた河原を渡る。水はおもったより温かくまたパンツまで濡らすことなく渡ることが出来た。対岸に着き休憩を取る、先程の日差しも無く急に雲に覆われてしまった。おまけに冷たい風も吹き始める、予想とは違う天候に登攀意欲が薄れてしまう。この時期藪こぎとまでは行かないが、お目当ての岩まではかなりの距離を歩かなくてはならない。休憩した正面の岩壁は2~3ピッチ程で一日で登れそうである。グレードも掘銑元蘢忙廚錣譟古川・中村両名には丁度良い本チャンに思えた。天候も悪いため即ここに決定する。今回、中村さんがハーネスを忘れたため、古川さんに頑張ってもらう。

 1P,教蕋苅娃蹇古川リード 傾斜の緩いガラバを右上。
 2P,掘楜蕋械娃蹇古川リード 凹角直上し左のブッツシュ帯へ。凹角出口がチムニー状で苦労する。フレンズ使用。
 3P,検鬱蕋横娃蹇古川リード 正面のクラック5mから右へトラバース。出だしの
クラックに#3番を決めリカちゃんオンサイト!
  4P,掘楜蕋隠娃蹇古川リード 正面フェースを左上し凹角へ。フレンズ使用。
 5P,元蕋横娃蹇⊂礁撻蝓璽鼻〕鄒个隆躙韻鯣鬚臼Δ離侫А璽垢ら左上し上部凹角へ。
 6P,検鬱蕋隠娃蹇⊂礁撻蝓璽鼻〆絃紊轡ンテを直上して終了。

 心配していた下降は落石も無く、40mと50mの二回で無事終了した。今回4P目からのクラックの発達した快適なフェース登りを期待していた。しかし浮き石も多く慎重なクライミングが要求された。その為、登攀ラインも凹角やブッツシュ沿いになってしまい快適なクライミングには程遠いものになってしまった。また3人パーティーでは落石の回避にも非常に神経を使った。今回浮き石の多い中、約4ピッチを安定した登りでリードした古川さん、取り分け3ピッチ目の登りとビレーはお見事でした。中村さんの場合、岩登りはこれから!今年は集中して登りましょう。
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