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奥只見・丸山スキー場~未丈ヶ岳~毛猛山~檜岳

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〇山行地 奥只見・丸山スキー場~未丈ヶ岳~毛猛山~檜岳
〇山行日 2011年5月2日~5月4日
〇メンバー 中村(単独)

 会越の山を歩いていると、道が無く奥深い風格ある山々がいつも気になっていた。川内、村杉半島、南会津など残雪期に登られることの多い山々。それらの中でも個性的な名前の毛猛山は前々から知っており、幾度か下見をした後、2008年4月に足沢山から一泊して訪れることができた。しかしその山行の時、毛猛山登頂を意識しすぎて檜岳は登らずに下山してしまった。山塊の中でひと際目をひく鋭鋒でありながら、主脈から少し外れているため辿る人の稀な山。この時の心残りを晴らすため3年後、別ルートからの縦走を試みた。

 2011年5月2日
 奥只見丸山スキー場の朝一のリフトに乗る。強風で何度か停まるものの第2リフトに乗り継いで、かうのき沢源頭のゲレンデに降り立つ。広大な雪原で、地形図とコンパスでルート確認。西側に見える顕著な尾根を目指す。薄いヤブをこいで尾根に乗り上げ北上。P1225から西に進路をとり一旦下降。すぐに登り返しP1228へ。ガスで見通しは悪いが雪はしっかりしており、すっきりした尾根筋なので不安はない。日向倉山方向からの尾根との合流点のP1376から北へルートを取りヤブを下降。緩い緩い雪面の登りから急傾斜のヤブと雪のミックス斜面の末、未丈ヶ岳に着く。視界が悪く、コンパスで進路確認して北東に伸びる尾根を下降するのだが、広大な雪面であり枝尾根も多く不安が募る。雨も降り出し、幕営地を探しながらの歩行になる。赤柴山への登りは急なヤセ尾根で、雪はなくひどいヤブだ。途中から西側の赤柴沢源頭の雪渓へ逃げ、赤柴山ピークの直下で尾根に戻る。尾根右側のしもご沢方面には崩れかけの雪庇が残っており、大鳥岳まで小さなアップダウンが続く。雨は降ったり止んだりで体も冷えてきた。大鳥岳北西の立柄沢源頭P1318の雪面で幕営。明日の好天を信じ早めの就寝とした。

 5月3日
 夜明け前にスタート。村杉半島の山の端からの日の出を眺めながらの稜線歩きの始まり。気持ち良い晴天で雪も堅く締まり快適。ベースに荷を置いての歩行なので、昨日とは大違いの快調さだ。二の沢の頭まで北西に進み、その先の一の沢山のピークを巻いて大熊沢源頭の雪面をトラバース。急斜面だがアイゼンが小気味良く効いてくれる。P1116から北東に稜線が曲がり、毛猛山まで続いている。山頂直下は短いながらも密ヤブなのでアイゼンをはずした。三角点以外なにもない山頂だが眺めは抜群で会越の道無き山々に見とれる。行かねばならない山が山ほどある。「行きたい山はネットではなく山で見つける」この当たり前の行為を改めて体感できて新鮮な気持ちになった。毛猛からは急なヤブ尾根を下り、雪の鞍部からは右側の雪庇に注意しながら中岳を通過。ちょっとした岩場を越えて百字ヶ岳へ。ここから今回の目的地、檜岳を目指す。豪雪だったこの年、雪は割りと豊富に残っており、ヤセ尾根ながらほとんど雪をつないで歩くことができた。一ヶ所だけかなりの急なヤブ下りの場面があり、怖くなって右側に僅かに残るカリカリの雪面をバックステップで下降した。檜岳への最後の登り。北面は断崖だが南面はそれほどでもない。山頂に着くと黒又川周辺の新緑が、まるで山を駆け上がっていくような生命力の躍動する眺めだった。感慨に浸っていたのは十数分だったと思う。ベースへの長い帰路を思い、来たルートを戻る。ベースが近づくにつれて雨雲が現れてきて不安だったが、なんとか日没までにテントに入ることができた。

 5月4日
 一日目と同じルートを戻るだけなので、のんびりテントを撤収。初日に見えなかった未丈ヶ岳の巨大なことにゲンナリ。これを越えるのは、まことに辛いことだった。途中で安物のアイゼンが壊れてしまい、赤柴山の雪面を下れず余計なヤブこぎが加わった。穏やかな天気のもと丸山スキー場は大盛況で、なるべくリフトの下を通りながら時にゲレンデをボコボコにしながらの下山になった。

 今回の山行で以前からの思いを遂げることができたが、まだ前毛猛を残したままだ。次に訪れることがあれば、浅草岳から六十里越を経て前毛猛を目指したいと思う。

志賀・熊の湯温泉・・・美味しいソバと美しい緑の湯

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○志賀・熊の湯温泉・・・美味しいソバと美しい緑の湯
○投稿者 なめこタン

 ここ数年何回も立案しながら、いつも計画倒れに終わっていた志賀高原の緑の温泉をようやく堪能してきた。妙高から志賀高原は車の走行距離片道約70kmとほぼ地元といえる身近さながら、2,000mを超える数多の山があっても、あまりに観光色が強く積極的に足を向けなかったことが背景にあった。
 今日の目的「熊の湯ホテル」は、志賀中心地のシンボル笠岳の東に湧く温泉の老舗宿である。かつて大倉、帝国系ホテルとして知られた妙高の「赤倉観光ホテル」をコンパクトにしたような施設外観は、周辺の近代的施設に比較してやや古さを感じても、磨きあげられたクラシックな内部はヤッちゃん、ミヨちゃん、そしてわたしの好みにマッチしていた。
 立寄り湯は12:30から15:30の短い時間に限定されている。今日は一番湯を目指すため、行程を全て早め早めに設定し、万全を期した。とりあえずホテルの場所を確認し、横手山直下渋峠近くまで登ることとした。R292志賀草津線の標高2,100mからは南方面に草津白根山、万座の山々が見え、足元松川渓谷の各谷頭部は活火山周辺らしく赤茶けたガラ場となり荒れている。最も目立つ源頭のひとつが万座峠に向かう渋沢で、冬季には見事な氷瀑と化す堰堤群が望まれ、ここもまた何度計画しても未だ訪れることのできない地のひとつである。

 早めの昼食はソバでもと思っていたが、このあたりにソバ屋はない。よく見れば横手山ドライブインの窓ガラスに小さく“てうちそば”と書かれている。
「ソバあるようだよ・・・」
「あんなの窓ガラスの飾り書きか、あっても乾麺に決まってるワ」。それでも恐る恐る注文してみればなんとこれが大あたり!
 今頃にしては充分な香りとコシの強さを特徴とした、ソバガラ混じり細麺の田舎ソバは専門店顔負けの美味しさであった。とても主要道路脇で営業する土産物・食堂併設店の品ではない。ソバチョコなど器、ソバつゆにやや物足りなさはあってもソバの旨さがそれらをカバーしてくれた。
「こりゃーすごい!」
「隠れた名店といったとこね。窓ガラスの飾り書きなんて言ったけど取り消すワ」。ソバに関しては少々うるさい面々であっても、チャンスをつくって再訪したいお店となり、わたしの内緒の手帳にはしっかりこのお店の名が記された。

 12:00すこし前ホテルに入り、時間までロビーで過ごさせてもらった。古い写真や書、絵画が飾られ、「昭和25年殿下と御学友」と記されたセピア色のスキー写真があった。今上陛下若かりしころのものであろうか。立寄り料金はフェイスタオル付き1,000円とちと高いが、結果から言えば十分過ぎるほどに満足した温泉であった。
 案内されたお風呂は重厚感を感じさせる廊下を進んだ突き当りにある。硫化水素臭が周囲に漂い、男女別の内湯はほぼ同じ造りのようだ。やや白味を感じさせる緑の硫黄泉は期待に違わず素晴らしい。源泉が高温のため加水しているが何らの問題もなく、濃厚な温泉は長湯ができないほどだ。出たり入ったりを繰り返すが、その度に足元から沈殿した白い湯花が湧き上がる。
 ガラス戸を開けた外には岩に囲まれた、内湯の大きさ半分程度の露天風呂があっても、わたしには内湯だけで充分なように感じられた。たった一人でこの緑の湯を独占していることが何ともうれしい。来てよかったなぁとしみじみ感じ入るのであった。
 板塀一枚隣の女風呂から声がかかる。
「カメラの電池切れちゃったー」
「あいよっ、こっちの写真撮り終えたらオレのカメラそっちの脱衣場に置いとくワ。ヌード写真たくさん撮っておくれ」
「まかせなさい!」
 温泉の詳細は画像の成分表から読み取っていただくとしても湧出量が不明である。板張りの風呂場ゆえであろうが、かけ流しの温泉は湯船枠の片隅につくられた木製のトヨから惜しげもなく屋外へ流れ出ている。男女別の内湯、露天があり、それぞれ適量の温泉が投入され、湯量は豊富なのだろう。入浴前の注意書きに「足元が滑りやすいのでご注意を」とあったが、ツルヌル感はそれほどでもないように感じた。念願かなった熊の湯温泉は久しぶりに感動した温泉となった。いつか機会をつくって宿泊したい「熊の湯ホテル」である。

 せっかく志賀まで来たんだからもう一湯くらいということで湯田中・渋温泉隣りの「沓野温泉」を求めたが結局わからずじまい。仕方なく、近くの角間温泉の澄み切った透明な温泉を今日の仕上げ湯とした。共同湯「大湯」はまたもわたしたちの独占であり、ありがたい限りだった。きょうの入浴料は三人合計で400円、もっとあたりまえの料金取ってもいいのになー・・・と思いつつ、車の後部でうたた寝すればいつの間にやらふるさと妙高着であった。

反省しきりの山ごはん

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〇反省しきりの山ごはん
○投稿者 松矢

 8人パーティーで剱沢で3泊4日の食担を任されどうしたもんかと思案した結果、メインの夕食は豪華に、朝食は前日の夕食の残りで賄おうということにした。食糧が多すぎた昨年3月の妙高山雪洞泊での反省を元にメニューと材料を吟味した。
 考えてみればこの時期は山全体が冷蔵庫であり、さすがに鮮魚は持ち込まないまでも肉なら保存は問題なしということで、出発前日にアスターク御用達の肉のマミーまで買い出しにいってサービスしてもらった。
 計画では夕食の献立は、1日目は「すき焼き風鍋(豚肉1人200g)」、2日目は「おでん」、3日目は「肉うどんカレー味(豚肉1人100g)」で肉は計2.4圓鰺儖佞靴拭

 結構水を必要とする献立であり、いざとなったら剱沢BCで剱岳を眺めながら昼間っから水づくりに精を出し、自分は剱沢のスキーは程々でもいいかなと内心思ったりしたりしながらシールで雷鳥坂を登っていくが、流石に豚肉の重みがボディーブローのように効き始め、途中で自分の荷物を皆に振り分けさせてもらった。
 松木さんは缶ビールレギュラー缶を1箱担ぎ上げてくれた。1人3本の割り当てであり大変貴重である(各人が持ち寄ったウイスキーは計3Lあった)。

 天候の急変で急遽剱御前小屋に1泊することになり、部屋は丁度8人部屋1室が割り当てられアスターク臨時分室が整った。部屋での火気使用は禁止のため自炊室で予定通りどおり「すき焼き風鍋」を囲んで大宴会となった。臨時シェフの松矢が腕を振るい洗わない手で高野豆腐の水を絞ったりしたが、腹の調子を悪くするものは誰も居らず助かった。
 2日目は天候が回復せず13時に当日の行動を判断することになり、それまでに腹ごしらえをしておくということで献立を変更し「肉うどんカレー味」を昼食とした。
 食事しながら天候回復を期待するが小屋の人が言うには明日にならないと天候は回復しないとのことで、担ぎ上げたビールを空けウイスキーのお湯割りを舐めながら当日の行動は諦めた。
 夕飯は早々と「おでん」の用意を始め、二鍋のおでんを突っ突きながら今回の山行の最後の晩を迎えた。おでんには煮卵をいれたりうどん玉をいれたりして兎に角腹いっぱいになった。山小屋で担ぎ上げた4日分の食料と酒を3日間で腹に収めてしまい、そして小屋から一歩も出ず(悪天候で出られない)寝るしかない状況のため皆が絶対に体重が増えていると言いながら、それでも下山の荷物を軽くするため一生懸命に食べそして飲んだ。
 
 小屋では1本600円でビールレギュラー缶を販売しており高価と思うとなかなか手が出ないが、よく考えれば下界の飲み屋の中ジョッキと同価格であり、そう思うと法外な値段ではないと思いついついビールも買ってしまった。
 
 今回は悪天候による小屋泊まりに変更になってしまったが、小屋では水が自由にもらえたことは非常に助かり食事は皆が満足してくれたが、食担としては予定通りテント泊での行動、そして小屋へ避難しなくともそれなりの悪天候に遭遇したら今回の食糧計画では問題があり過ぎたと反省しきりである。

北ア・新穂高温泉~西穂山荘~西穂高岳(錫杖岳より転進)

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○山行地 北ア・新穂高温泉~西穂山荘~西穂高岳(錫杖岳より転進)
○山行日 2016年7月17日~18日
○メンバー L松木昭 古川 永田
○投稿者 永田

 今年の夏合宿で北岳バットレスでのクライミングを8月末に計画しているのだが、その練習として、昭男さん、古川さん、私の3人で北アルプス錫杖岳にクライミングしに行くこととなった。予定では7/17早朝に長野を出発し、新穂高温泉から歩いて昼頃に錫杖沢に到着して幕営し、7/18早朝より錫杖岳でクライミングする予定である。しかし、数日前からの天気予報は、雨・曇り・晴れがコロコロ変わり、全くあてにならない。

7月17日
 7:30に3名が長野市内に集まり、天気予報をみてもはっきりしないので、とりあえず新穂高温泉まで行くことにした。時間が経つにつれて徐々に天気が悪くなり、10:30に新穂高温泉に着いたころにはそこそこの雨が降り出した。この雨では錫杖岳の岩は濡れて乾きそうもないので、3名で相談した結果、高所順応と岩場トレーニングを兼ねて西穂高岳に行先を変更することにした。西穂山荘で幕営し、翌7/18に西穂高岳までピストンという予定だ。

 車を新穂高ロープウェイの白樺平駅駐車場に停めた12:30ころには、雨はとりあえず止んでしまった。ロープウェイに乗っていくが、雲はどんよりとたちこめ、晴れそうな気配はない。西穂高口駅に到着し、出発しようとしたところ、再び雨が降り出した。正直言って雨の登山は大嫌いであるが、ここまで来てしまった以上行くしかないので、レインウェアを着込んで出発する。
 2000mを越えているのでそこそこ気温は低いのだが、それ以上に登りで体温が上昇し、汗が噴き出てレインウェアの中は蒸し風呂状態だ。
 1時間ほど歩いて13:00に幕営地の西穂山荘に着いたが、短時間の登りにもかかわらず、かなり疲弊してしまった。
 周囲はガスで真っ白な中テントを設営し、やることもないのでテントの中で飲み会である。テントの中で飲みながら、会の話、山の話、道具の話で盛り上がる。だんだんと気温が下がってくる中、古川さんは寒くなり体調があまりよくなさそうなので、小屋の売店兼自炊室のが暖かいのでイスに座りテレビを見ながら体を暖める。私は日ごろ飲まないが少しばかり飲んだので、暖かさもあいまってウトウトしてしまう。

 日も落ちて、そろそろ眠くなってきたので、テントに戻ってシュラフカバーに入り就寝しはじめる。しかし、1時間ほどウトウトしたところで、あまりの寒さで目が覚めてしまった。気温は10℃以下になっているのだろう。もともと1500mの南面でビバーク予定だったこともあり、あまり防寒対策は用意してこなかった。上はダウンを着ていて暖かいのだが、下はズボン一枚で下半身が冷えてしまって、眠りにつけない。レインウェアのズボンをはいたり、ザックに足を突っ込んだり、いろいろしたが上から降りてくる冷気は防げない。ほとんど眠れないまま朝を迎えた。

7月18日
 夜明け時には寝不足と寒さで体調はよくなかったが、とりあえずお湯を沸かし暖かい食事をとったところ、少し体調が回復してきた。古川さんも寒さであまり眠れなかったようだ。昭男さんはさずが「特に寒くなかったよ」と平気のようだった。
 天気は昨日とは一転し、上空の雲はなくなり、すっかり晴れ渡っている。体調が悪いうえに天気が悪ければ登山のモチベーションは下がりまくるのだが、ここまで好天になると俄然行く気が沸いてくる。濡れたテントを撤収し、小屋の荷物の置き棚にテントを置いて、6:15に小屋を出発する。
 ハイマツが生える登山道を進んでいくと、徐々に道は岩稜帯となっていく。1時間ほど歩き西穂独標には7:15に到着する。ここまでは「少し険しい登山道」でそれほど危険はない。西穂独標で5分ほど休む。通常の登山地図では危険な登山道は破線で記載されいてるが、ここから西穂高岳は破線である。さらにこの先にはジャンダルム~奥穂高まで続いている。
 寝不足と寒さの影響で、岩を触っても手になじまないし、足を岩においても違和感があり、危険個所ではいつもどおりに体が動かず、緊張してしまい、動きがぎこちなくなってしまう。しかし、ピラミッドピークあたりまで来ると、徐々に眠気もなくなり手足が岩になじんできて、『岩登り、楽しー!』という状態になってきた。

 小さなピークをいくつか越し、西穂高岳直下の急な岩壁に到着して私たちが登り始めると、上部で数人の若者が下ってきた。彼らはルートである固い急な岩場を避け、比較的ゆるい脆い浮石だらけのザレ場に入り込んできた。すると、わたしたちの10mほど上から、こぶし3個分くらいある石を彼らの一人が誤って落としてしまい、私の50cmくらい隣をかすめていった。これ以上石を落とされたら堪らないので、「そこは浮石だらけで危ないぞー!戻って!戻って!」と大声で注意して、登りを続行した。彼らの待っている場所に到着すると、確かに浮石のザレ場のほうが安心して下れるように見えてしまう場所であった。そこから20mほど登ると、西穂高岳山頂である。独標からは1時間弱かかり8:10に到着した。

 今日は晴れ渡り360度の展望が開け、北アルプスの素晴らしパノラマが展開されている。稜線の先には奥穂高、その隣には前穂高、奥穂の先には槍の穂先がそびえ、さらにその奥には剱岳が顔をだしている。展開される山々が気になり、地図をみながら山座同定をしながら、ゆっくりと休憩する。
 来た道をまた戻るときには岩場にすっかり体が慣れて恐怖感はほとんどなく下っていくと、今日は天気がいいため多くの日帰り登山者が登ってくる。西穂山荘とロープウェイ駅間の登りでは、スニーカーの軽装の観光客や子供連れの家族も多く登ってきていた。11:45のロープウェイに乗り込み、観光客と混じって下山をする。

 下山し駐車場まで戻ると、日差しが強く気温も高く、数時間前までの涼しさが嘘のようである。帰りの道すがら登る予定であった錫杖岳の前衛フェースを間近に眺めることができた。この暑さでは結果的に 登らなくてよかったかもしれない。しかし、要塞のような岩壁は登攀意欲を掻き立てるには十分で、「涼しくなったら登りに来るぞ!」と決意も新たにさせられる。

 昨日からの汗を流すため、新穂高温泉の「槍見館」の露店風呂に入る。湯温はかなり熱くゆっくり入っていられないので、岩の上に逃げるが、岩も強烈な日差しで熱したフライパン状態になっている。そこで、お湯を岩にかけて、何とか座れる温度まで下がってきた。その上で川の音を聞き、遠くの槍の穂先を眺め、ときおり吹く風に体を冷ましたり、ときどきお湯をかけて、露天風呂を楽しんだ。

 雨で余儀なく予定を変更し、高所順応と岩場トレーニングを兼ねて西穂高岳登山となったが、予想外の好天に恵まれて充実した登山となった。夜の寒さで眠れないと翌日の体調に大きく影響するため、北岳バットレスでは夜の保温対策を軽量化を考えながら準備する必要があるというのが今回の教訓であった。

信州戸隠蕎麦「うずらや」 アスターク一押しの店

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○信州戸隠蕎麦「うずらや」 アスターク一押しの店
○投稿者 ち

 信州戸隠と言えば日本三大そばの一つに挙げられ日本全国から蕎麦好きが訪れることで知られています。戸隠には数十件もの蕎麦屋が軒を連ねる他、今話題のパワースポットとして人気の高い戸隠神社(中社、奥社)、鋸の歯のような鋭利な稜線が空を切る戸隠連峰、牧歌的な牧場とこれに隣接する設備の整ったキャンプ場などがある観光地でもあります。
 自然を資源とした観光地はたくさんありますが、戸隠はこれに「蕎麦」という付加価値が加わり年間を通じて安定した集客数を維持しています。村を挙げて「蕎麦」をPRする効果に加え、其々の店が経済効果を見据え互いに切磋琢磨することで、戸隠蕎麦全体のクオリティーが向上し、その地位を不動のものにしているといえるでしょう。
 実際、戸隠ではどのお店に入っても美味しい蕎麦を頂くことができ、後はお汁や店の雰囲気と言った「好み」の問題でしかなく、優劣をつけることが難しいのが本当のところです。

 蕎麦好きの私たちはこの戸隠のほとんどの蕎麦を食しています。毎年新蕎麦の出回る11月に行われる「新蕎麦祭り」には「半ざる食べ歩き」というイベントが行われ、2,00円で5県件分の蕎麦が食べられる手形が発行され、これを使って3年ほど連続でこのイベントに参加した結果です。5軒分の蕎麦と言っても1人前を5軒ぶんなど食べられるはずはなく、故に1人前の半分をこの手形では設定しています。半量とはいえ5軒分ともなると結構真面目にやらないとそうそう食べられるものではありません。
 そんなこんな、あれこれ食した結果、アスタークに於ける戸隠蕎麦の癸韻聾猶C羲厦討痢屬Δ困蕕筺廚気鵑箸いΔ海箸砲覆蠅泙靴拭

 「うずらや」さんが栄えある戸隠癸韻箸覆辰人海論楜辧客足来が群を抜いて素晴らしいということです。正直蕎麦は打ち立て、湯でたてであれば大概美味ものです。そういった点で「うずらや」はそば粉の管理も打ち方もしっかりしており、そんな蕎麦の打ち立て、湯でたてであれば不味いわけはありません。ただ、戸隠蕎麦全体のクオリティーが高いため「当然」のことであり、この点に於いては他のお店も負けてはいません。

 「うずらや」の開店は10時半(季節や時期によって変動があるようです)、ですが9時には受付の用紙が店頭に出されています。これに名前と人数を記入しておけば周囲を観光し頃合いを見て店に行くと待ち時間が少なく戸隠観光と蕎麦を楽しむことができます。もちろん店の前でのんびり順番が来るのを待つのも一興です。繁忙期には2時間待ちもざらですが、名前を呼ばれた後に行っても迅速に、ほとんど待つことなく案内されます。ですので、安心して観光を楽しむことができるのが第一の魅力です。
 店内に入ると店長?級の方が、「大変お待たせいたしました。本日は遠いところをお運び頂きありがとうございます。どうぞごゆっくりお過ごしください」と心のこもった挨拶を受けます。この挨拶だけで2時間待ったことを忘れてしまいます。実際二階に案内されると店内は静かでゆったりとした空気に包まれています。相席はせず、二人連れでも広いテーブル1席に案内されます。外では長蛇の列が続いているというのにまるで別世界です。中居さんの対応も丁寧で決して客を急がせるようなそぶりを見せません。「自慢のうち(うずらや)の蕎麦を存分に楽しんでもらいたい」と全従業員が想い客を「もてなし」ていることが伝わってきます。「あっ、良いお店だな」と誰もが思うのは当然のことでしょう。

 「うずらや」のお品書きは、冷たい蕎麦数種類、暖かい蕎麦、そばがき、天ぷら、地酒を中心とした日本酒数種類、酒肴となる一品料理数種類、と蕎麦に徹しています。「そばがき」がある辺りはそば粉への自信が感じられます。

 蕎麦を注文をするとほどなく生山葵とおろし金が運ばれてきます。蕎麦が運ばれてくるまでこの山葵をネチネチとすりおろして待つのが楽しいのです。蕎麦が運ばれてくるまでそう長く待たされたことはありませんが、「まだかなぁ~」とイライラして待つより「おろしたてのワサビを添えたらさぞかし美味しいことでしょう…」と想像し、涎を拭きながら楽しんで待つ方が、蕎麦への期待が高まるというものです。ここでも客を上手に待たせる工夫がされています。
 運ばれてきた蕎麦はもちろんの美味しさで香りも良く、お汁も甘さ、出汁のくどさが無く、上品ですがしっかりと蕎麦に絡み抜群の美味しさです。お蕎麦を頂く合間に自分でおろしたワサビを頂きます。ツーンと鼻に来ますが爽やかな甘みがあり堪えられません。最後に蕎麦湯でお汁を割り、残ったワサビを溶いて飲み干します。
 会計を済ませると「どうぞまたお越しください。お気をつけて!」と気持ちよく見送られると、2時間待ったことなどすっかり忘れ、「美味しかった!」と満足なお腹と気持ちになっています。

 アスターク一押しの戸隠蕎麦「うずらや!」是非一度ご賞味あれ!

妙高・笹ヶ峰~真川滝沢

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○山行地 妙高・笹ヶ峰~真川滝沢
○山行日 2016年07月24日
○山行者 L丸山 船山康 松木智 松矢 船山了
○報告者 丸山

 今夏の合宿に向けてトレーニングの一環とした山行である。主として戸隠・高妻山予定のメンバーを中心としたが、目的はほかにもいくつかあり、そこそこそれなりに楽しむことができた一日であった。
 真川(しんかわ)の源流域は古くから地元登山者によって歩かれ、そのほとんどの沢は地形解明がなされている。滝沢は杉野沢橋から焼山へ登る右岸の登山道が最初に渡る小沢で、上流の金山谷、裏金山谷に比して人気は低い。正確にいえば人気云々よりもほとんど遡行者をみないといった方が正しい。その一因として、詰めあがった薬師岳から天狗原に向かう稜線に登山道のないことがあげられ、位置的に極めて地味な存在であり登山者が注目しないのだ。それゆえ公表された記録・案内は地元妙高高原山岳会のほかに見あたらなく、今様の遡行図は発表されていない。当会々員であった故蟹江健一氏の研究によれば「入谷が容易なものの、稜線まで遡行した記録はない・・・松尾川下降に結びつけたら晩秋のころ、しぶい味の山行となろう(頸城山地の登山小史と展望/S47年)」とある。

 今回は滝沢上部まで遡行する気はなく、笹ヶ峰-小谷林道真川にかかる杉野沢橋をスタートしたのは8:00過ぎであった。真川最終堰堤に続く右岸の工事道をたどり、古い山道に入ればまもなく滝沢出合である。登山道はここから約100mの急登で金山台地へ向かう。
 細い流れの滝沢を少し登ればすぐにF1、6mだ。荷物を置き、今後この谷を「沢登り」の練習場とするため、この滝の直登ルート整備である。左岸のきれいな壁を登った松木のラインに沿って、松矢、船山夫妻がそれぞれ一本づつ初めてハンガーボルトを打ち込んだ。砂岩のスラブ状でボルト一本の設置は平均15分程度で済ますことができ、比較的容易なボルト打ちであった。今後は元蘢戮稜┐譴織侫蝓爾箸靴導擇靴爐海箸できそうだ(積雪期の抜落が無ければの話)。
 続くF2、6m滝はF1二段滝の上段と考えることも可能だが、わたしたちは別扱いとし、ほぼ直瀑の左岸を小さく高巻いた。直登は苔むした同じく左岸に可能性ありと感じた。こびり(小腹を満たすこと)はF1下に戻り、ソーメンを中心とした夏向けメニューを堪能した。

 ソーメンは名品「揖保乃糸」の特級黒帯を一人一把とし、夏合宿の昼食メニューの味見となる。谷間のウワバミソウを採取し、細かく刻んだタタキを薬味とした。昨年の残り物であったがそこそこ美味しく頂くことができた。持参した生ナスは簡易のお浸しとし皆の腹におさまった。あとは各人好みの食べもの、飲物を楽しんだが、わたしにはやはりジャパニーズシェイクが一番であった(単なる酒飲みですワ)。
 滝下で休んでいれば、下界の暑さなぞ何のその、合羽を羽織りたくなるような涼しさである。夏はやっぱ沢だねと思う瞬間だ。「こんな近くで、こんな遊びができるなんて楽しいばかりですね」と松矢くん。山はいろいろな楽しみを自ら創造できる場であり、「登山の基本はクライミング」を標榜するアスタークにおいてもまだまだ興味深い活動を探し出すことは可能だと感じ、さらなる精進を! といつになく真面目に考えてしまった。

 F1に設置したボルトを利用し、全員が快適に滝登りを楽しんだ。F2の上は右岸に岩壁が目立つようになり、側壁が高くなる。2~3mの滝状をいくつか越せば二段のきれいな滝が現れる。下段5mは苔むしたど真ん中を全員ノーザイルで突破。上段8mは釜を持ち、ちょっと手が出ない。釜のふちを形成するカンテから左岸を高巻く。谷底へ戻れば両岸は開けても、ブッシュ・灌木がうるさくなる。もう少し先で、薬師岳へ向かう左俣と本流右俣の二俣があるはずでも、今日はここまでとした。
 右岸上部には立派なミズナラが何本か見え、初秋の楽しみがおいでおいでをしているようだ。下降はほぼ登りのライン通りとし、F2、F1はともに懸垂とした。F2には古いスリングがかかり珍しく先人の足跡が確認できた。
 さああとは夏合宿「戸隠・高妻山」の沢本番を迎えるだけだ。荷物をまとめのんびりと真川を下った。今日の笹ヶ峰は自転車関連のイベントでもあったらしく、明星荘でソバでもと考えていたが早々に店終いしたようだ。林道周辺にはあいかわらず小型のサルが群れていた。

2016年 8月山行・活動予定

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2016年 8月山行・活動予定
第28186号

 ○今月の一言  「夏が来れば思い出す…」 松木昭

 久しぶりに早い下山となり帰るにはもったいない時間である。当然お決まりの温泉に浸かり腹ごしらえ、しかし時間帯が悪くお目当てのラーメン屋は昼休み。お腹が空いているがしばらくお預けして、Kスポーツ店に向かう。Kスポーツは新井から遠いためわざわざ買い物に来ることはない。聞くところによると長野の人は登山用品を買うためわざわざの店まで来るらしく、特にクライミング用品が充実しているらしい。

 今回この店に来たのは買い物のほかある目的があり来店した。それは今から20年程前私と一回だけ一緒に山行したN君に会うためでもあった。
 当時の彼は長岡の技大に通っていた優秀な学生であった。当然私も30半ばで現役バリバリと言いたい所だが、結婚後4年程山から離れていた。そしてそろそろ山を初めようと動き出した時に彼との山行計画が出てきた。彼は山行前日私の家に泊まっていった、体は大きくはないがガッチリとした筋肉タイプ、当然食欲も半端ではなく如何にも馬力がありそうな印象であった。そして彼との復帰第一戦に選んだ山行は「奥鐘山西壁・京都ルート」私にとっても彼にとってもかなりハードな山行であったことには間違えない。結果は第三ハング手前で水不足を理由に敗退であった。

 そして今、N君はこのKスポーツの店員として働いているのが分かった。入店後直ぐに靴ブースで働くN君らしき店員を見つけることができた。彼も今では40歳頃である、頭が薄くなっているのが気に掛かったが、昔の面影が私の頭に焼き付いていた。しかし直ぐには話しかけることができず躊躇していた、そのため取り合えず目的の商品を買ってからと考えた。そして目的の商品を買え終えK君の靴ブースを見ると3~4人の客が試し履きをしていた。K君は客との応対で非常に忙しそうに飛び回っていて、とても声を掛ける状態ではなかた。まずはK君の元気な姿を見て安心し、話は次回の楽しみとした。

○07月山行・活動予定
 07月30日(土)~08月01日(月) 夏合宿/北ア・上高地~奥又白池~前穂高岳4峰正面壁松高ルート/北条・新村ルート~東壁北壁ルート~岳沢 L松木昭 古川 和田 小林

○08月山行・活動予定
 08月05日(金)~07日(日) 夏合宿/戸隠・関川水系永沢川左俣~高妻山~戸隠牧場(道のない百名山) CL丸山 SL松木智 船山康 古川 松矢
 08月07日(日) 奥秩父・笛吹川マク沢左俣~甲武信岳  L山越
 08月09日(火)~10日(水) 夏合宿/尾瀬・燧ケ岳 御池登山口~燧ケ岳 L清水 今泉 船山了
 08月18日(木)定例会 19:00~新井いきいきプラザ
 08月20日(土)~21日(日) 奥秩父・小川山クライミング L永田
 08月27日(土)~28日(日) 北ア・八方尾根~不帰曲貶鼻租眈廠戞。夢飮魁         08月27日(土)~29日(月) 夏合宿/南ア・北岳バットレス第四尾根主稜 L永田 山越 古川 和田

○9月の山行・活動予定
09月15日(木) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ

北ア・上高地~奥穂高岳 

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○山行地 北ア・上高地~奥穂高岳
○山行日 2016年7月21日~23日        
○メンバー L本間ほか6名
○報告者 本間

 知人から奥穂高岳の山行の誘いがあり、総勢7人のメンバーで2泊3日の行程で行って来た。自分の体力で行けるかどうか心配だったが、メンバーの1名を除いては皆ほぼ同じレベルであることと、2泊はいずれも山小屋泊であるので、もし、多少のトラブルがあっても問題はないと思い7月21日早朝4:30妙高高原を出発した。
 出発時の天気予報は、21日曇り/晴れ22,23の両日は曇り/雨で、どう考えても雨は避けられないものと覚悟していた。ただ、山岳天気予報では23日午後雨、他は晴れと出ていたので、此方の予報通りであれば奥穂高岳をはじめとする日本有数の山々の絶景を見ることができると思い、やはり晴れる事を祈っていた。結果的に3日間は略快晴の好天に恵まれ、一度も雨具を着用することは無かった。
 
7月21日(木)
 5:55松本ICで高速道を降りて沢渡駐車場に向かう。6:40駐車場に車を置いて登山装備を整えバス停に向かう。夏山シーズンだがウイークデイの為か止めてある車は満車の半分程度で少ない。7:10定刻通り上高地行きバスが発車。7:50「上高地」バスターミナルに到着。気になる空模様は晴れ、先ずは「河童橋」に向かう。
 8:30河童橋に着く。観光客で若干の賑わいを見せていたが、登山客は少ない。恐らく週末には大変な混雑になることを想像しながら最初の休憩地「明神」を目指す。
 予想以上の青空に恵まれ、梓川沿いの登山道から見える山々や緑が美しく、又、河原の白い石からの照り返しが眩しい。これから続く3日間約25時間の長丁場は初めての経験であるが、このシチュエーションでは気持ちが完全にHIGHとなって不安感は消し飛んでいた。
 明神に8:50に着いて小休止の後「徳沢」に向かう。徳沢のキャンプ場ではテントが張られ、緑に囲まれた場所にひと際色鮮やかに夏景色を呈していた。更に「横尾」を目指して歩く。この長い平坦な道を嫌う人もいたが、私にとってはゆっくりと景色を眺められる事と道端に咲く高山植物を観察し、段々と大きく変化する山容を歩きながら見られるのが楽しい。
 11:05横尾に到着。横尾山荘周辺は広く明るい。いつの間にか大勢の登山客や観光客が集まって賑やかになっており、夏山らしい華やかな雰囲気を醸し出していた。ここで早目の昼食をとり、飲料水を補給し、11:45今日の宿泊先である「涸沢ヒュッテ」を目指し出発する。13:00本谷橋を渡った河原で小休止し、15:30涸沢ヒュッテに余裕を持って到着した。部屋に荷物を置いて早速夕食前の宴会を始める。涸沢ヒュッテ(涸沢カール)から見える「前穂高岳(3090m)」、「奥穂高岳(3190m)」、「涸沢岳(3110m)」「北穂高岳(3106m)」は朝から殆ど雲がかからず、ずっとその美しさと威容を見せてくれていた。この3千メートル超4座に囲まれ、眺めながらのヒュッテ屋上での宴会は本当に至福の時だった。特に「暖かいおでん」と「ジョッキで生ビール」をここで頂けるとは思ってもみなかった。夕食後は明日の本番を控え、19時過ぎに早々床についた。しかし、暑くて寝苦しく何度も目が覚めた。高度3千m級の山小屋と思われない。防寒対策をしてきたのに必要が無かった。

7月22日(金) 
 4:00起床、身支度を整えて5:00朝食、5:40ヒュッテを後にして6:25見晴岩、9:00穂高山荘に着き、一部の荷物を置いてから奥穂高岳を目指し9:30出発した。途中雪渓の脇を「猿」が山に向かって登っている姿を見た。来る途中で雷鳥は観察されなかったが、報道によれば、最近は温暖化の影響で猿が雷鳥や卵の捕食狙いでどんどん高い所まで来ているという。現実にその様な場面に出くわすと、以前に見たことがある「猿が雷鳥を食べている場面」がフラッシュバックし、何か残念でやるせない気持ちになってしまう。頂上には10:30辿り着いた。
 ところで、穂高山荘で特に感じたことが3つあった。その1はごみの持ち帰りは常識であるが、この山荘は殆どのごみを受け入れてくれた。その2は弁当がおいしかった。朴葉に包まれた混ぜご飯に鮎の甘露煮が美味しいのと飛騨の特産品を生かしている。その3は韓国人の登山客が本当に多いと思った。観光地では中国人が大きな声で我鳴り立てているのは珍しくは無いが、彼等は大きな声で会話することが無いので最初は気がつかなかった。これほど多くの韓国人が日本の山に来ているとは驚きであった。

 奥穂高岳頂上には花崗岩でできた立派な「日本アルプス総神社・穂高神社嶺宮」が鎮座していた。ステンレス製の御賽銭箱にお金を入れ、お参りの後、暫く頂上での眺望を楽しんだ。ジャンダルム方面からも登ってくる人達も含め、頂上では苦労して登ってきたのと眺望の美しさで沢山の登山者が頂上周辺に留まったため、お互いの個人やグループの写真を頼んで撮り合う事になり、さながら大撮影会の様相を呈していた。12:00穂高山荘に戻り、例によって夕食前のミーティングと宴会で今日の行程を締め括った。夕食後は皆で寛いだ後19:00床に就いたが、この日も熱くて寝苦しい夜だった。

7月23日(土)
 4:00起床、山荘の外に出ると今までも天気は良かったが、この日の空は真に「日本晴れ」の更に良い天気となった。皆が御来光を見ようと外に出たものだから山荘前は大賑わい。5:00朝食、5:40穂高山荘を後にする。小学校が夏休みに入ってから最初の土曜日の為か親子連れを含む登山者の数は昨日と比べものにならない程多い。今晩泊まるお客はかなり窮屈な思いをするのだろうなと思いつつ山道を下る。涸沢テント場は既にかなりの数のテントが張ってあり、色鮮やかで綺麗だ。ただ、山小屋脇のテント場は涸沢に限らずどこも石の上に設置するので大変そうだ。自分自身岩や石の上のテント泊をした事が無いので実際の寝心地は知らないが。
 12:45徳沢に着く。皆でアイスクリームを舐めて元気を取り戻し、13:55明神に着く。この辺から登山客に混じり観光客が急増し賑やかになる。14:45河童橋に着く。凄い賑わいだ。とても暑いとみえて観光客の多くが川に降りて水遊びをしている。上高地の標高でも涼しさは感じられない。避暑客が可愛そうに思える。
 15:10臨時バスに乗り沢渡に戻る。バスから車に乗換え近くの温泉で汗と疲れを落とし妙高に向けて17:00出発する。19:10妙高高原に無事到着した。

 写真やTV、本でしか見たことの無かった「近代アルピニズム発祥の地、岳人憧れの聖地とされる3000m級4座に囲まれた穂高の岩稜」を幸運にも3日間見続ける事ができてとても感動した。・・・こんなこともあるんだなぁと。



 

富士山・御殿場口~剣ヶ峰~須走口

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〇山行地 富士山・御殿場口~剣ヶ峰~須走口
〇山行日 2016年07月24日
〇山行者 山越(単独)
〇報告者 山越

 富士山、特に登ってみたい山ではなかった。登るとすれば厳冬期に登ってみたいその程度であった。東京へ転勤となり、富士山との距離も近くなった。仕事で富士山での工事関連資料も目にする機会もあった。また、各地で火山活動が活発し、富士山も近いうちに噴火するかもしれない。そうしたら生きているうちに富士山に登れなくなる可能性もありうることから、東京にいる間に登っておこうかなんて思っていた。今年の夏合宿は北岳バットレスを予定しているが、このところ心も体もたるみきっており、このままでは仲間に迷惑を掛けることになるかもしれない。そんなことから、心肺トレーニングを兼ねて富士山に登ることにした。
 5時過ぎにアパートを出て、電車、バスを乗り継ぎ御殿場口に着いたのは8時過ぎ、電車バス代は片道3千円以上もして、非常に時間も金も掛かる。富士山へはいくつかルートがあるようだが、この御殿場口は、山頂までの標高差が他のルートよりあり、また道中の小屋が少ないことから、一番登山者が少ないようだ。比較的静かな登山を楽しめそうだ。御殿場口の標高は1450mで山頂までの標高差は2300m以上、単純に1時間に400m登るとしても6時間掛かる計算だ。あとお鉢めぐりと須走口への下山で3時間、何とか夕方には下山できるだろう。高山病にならなければ・・・。

 8時15分、御殿場口新五合目を出発する。富士山の登山口だから賑やかな感じを想像していたが、かなり寂しいところだ。予想以上に登山者は少なったが、ランナーは多かった。五合目といっても、思いっきり富士山の裾野で、まだ遠くに富士山がそびえている。だらっとした道を登っていくが、砂と小砂利で歩きづらい。おかげでペースが速くならずにすみそうだ。雲は多めだが、時折富士が姿を現す。出発から2時間、休業中の六合目小屋に着き、初めての休憩を取る。標高2590m、2時間で約1150m高度を稼いだ。今のところ疲れは出ていない。軽く水分とパンを口にし先へと急ぐ。途中、宝永山への分岐があり行ってみたかったが、往復に1時間位掛かりそうなのでやめた。この先のいずれも無人の七合目小屋(3030m)、八合目小屋(3400m)で休憩を取った。今までの最高点である北岳を既に超えているが、若干の疲れはあるものの体調は良好である。この調子で行けば13時過ぎには剣ヶ峰に着きそうだ。


 八合目小屋を出て直ぐに、長田尾根登山路建設記念碑が建てられている。強力として活躍した長田輝雄さんは、後に気象庁の職員となり、厳冬期に突風に煽られ殉職された。その後に気象庁の職員の募金により登山道が開かれ、風から身を守る鉄柵が設けられたようだ(現在は撤去されている)。だんだん足どりが重くなってきた。さっきまで下りの登山者とのすれちがいの待ち時間がうざかったのが、待ち時間で休めるのが嬉しい。頭が締め付けられる感覚と、酒を飲んで家まで酔っぱらって帰るときみたいに足元がおぼつかない。ここへきて高度に体が付いてきていないようだ。10歩進んでは1呼吸入れながらゆっくりと登り、御殿場口から5時間ちょうどで浅間大社奥宮の鳥居を潜った。
 銀明水の脇に腰を下ろしお釜を眺めながら息を整える。富士宮口から登ってきたところにある富士山浅間大社には、大山の阿夫利神社の大山祇大神の娘である木花咲耶姫が祀られているので、参拝して両詣りとなるはずだったが、そんなことは頭の片隅にも無く、素通りしてしまった。剣ヶ峰への最後の登りは砂地で滑りやすく、スリップしている人が続出していた。13時40分に剣ヶ峰到着した。ここが日本で一番高い場所だが、富士山測候所がそれより高いのでピンとこない。団体さんが下り始める前に下山することにした。

 お鉢を時計回りに回り、吉田口と須走口の下山口までくると店が立ち並び、モーニング娘の懐かしい曲が大音量で流れており、ここは海の家かと思うほどであった。須走口への下山道は、何ともつまらん道を掛け下りる。砂利の深いところを歩けば、スリップを気にすることなく、残雪期の雪道を降る感覚で一気に降ることができる。ただしスパッツをしていないと靴の中が砂だらけになるが・・・。登り始めてからトイレに行っていなかったので、八合目小屋で用を済まそうとしたら、使用料が200円だったので、七合目小屋なら100円かもしれないので我慢した。すると七合目小屋でトイレを借りようとしたら、何と500円と書いてあるではないか!「おいおい、いくらなんでも高過ぎでしょ!」ということで下山するまで我慢することにする。途中で何度か靴の中の砂を払いつつ須走口へと下る。標高差1700mを2時間弱で16時過ぎに須走口に到着し、御殿場駅行きのバスに乗り込んだ。

 初めての富士山は、予想通り歩いていて楽しい山ではなかったが、トレーニングに使うにはいい山だと思う。それにしても3300m以上での登りは身軽な装備でもきつく、さすがに山頂でビールを飲む気にはなれなかった。次回は厳冬期の条件が良いときに再度訪れてみたいと思う。

谷川岳・一ノ倉沢四ルンゼ~一ノ倉岳~西黒尾根下降

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〇山行地 谷川岳・一ノ倉沢四ルンゼ~一ノ倉岳~西黒尾根下降
〇山行日 2016年7月23日~24日
〇山行者 L松木昭 古川 和田 永田
〇報告者 松木昭

 先週の錫杖は前日の天候が悪く西穂への転進となってしまった。そして今週の四ルンゼ、天気が読めないこの時期、先週の二の前にならぬよう願っていた。思いが通じたのか中部地方に梅雨明け宣言が一斉に発表された。しかし今度は雨とは反対に暑さが心配になってくる。過去にも2回暑さで一ノ倉の岩を敗退している。そして4人パーティーで1日で抜けることができるのか、非常に心配な所であった。
 23日私と古川さんが仕事のため長野組と21時に飯山で待ち合わせ出発する。湯沢より高速に乗り関越トンネルを出たとたん霧雨が降っていてビックリする。23時ロープウェイ駐車場に到着、直ぐにマットを敷き宴会の準備をする。就寝0時、時間がない慌ててビールと焼酎を枝豆で流し込む。

 24日朝3時半起床、辺りが少々騒がしくなる。永田さんが体調不良を訴える、出発前なので申し訳ないが永田さんにはここで待機していただくことにした。4時半歩き出し空は既に明るくヘッデンの必要はなく、早足で一ノ倉沢出合いへと急ぐ。1時間程で出合に到着、多少ガスがかかっているためか、いつもより迫力満点である。
 これよりテールリッジ目指しヒョングリの滝を高巻く、下降点には立派なロープがあり使用させていただく。テールリッジには既に3パーティー程が我々の先を急いでいた。また心配していた昨夜の小雨もたいしたことはなくテールリッジの岩は乾いていた。問題の天候も曇りで丁度良く快適に南稜テラスへ到着する。南稜には既に2パーティーが取り付いており夏でも人気がありビックリする。

 いよいよ南稜テラスより沢に降りる、草付きのトラバースが悪く気が抜けない所である。谷底は広く開けたガラバで、水量もなく水が汲めない状態であった。ここからがスタート、最初のF滝は右岸をノーザイルで高巻く、少々脆いので緊張する。F滝を過ぎると沢はV字状になり迫力が出て来る。続くF1よりザイルを出す、F1は左岸のバンドを登りF2へ。F2はシャワーのないシャワークライミング。F3は右岸を20m程高巻き10m下降、そして左岸のバンドを登ってF4へ。
 そして核心であるF4、滝全体が滑っていてフリーでは無理。出だしは古びたハーケンでA1、5m程でピンが無くなる。フリーでも行けそうだがそんな勇気はない。ハーケン2枚とカムで何とか這い上がる。しかし肝心のビレーポイントが見当たらない、これでは2人を引き上げられない。仕方なく濡れたスラブを10m程登り、縦リスに2枚のハーケンを半分程叩きこむ。一応ハーケンは効いてはいるが今一心配である、しかしこれで2人を引き上げることにする。最初は古川さん、古川さんは沢靴もあるがサイズが大きすぎるため今日はクライミングシューズでの沢登りである。2番手の古川さんは回収がないためかすんなり登ってくる。続く和田さんはかなりてこずっている様子、時折大きな声を出し気合を入れている。また回収のためかテンションも何度か掛かりビレーポイントが心配になる。
 ようやく2人を引き上げスラブを右上する。しかし和田さんの足元だけがよく滑る、やはりトレランシューズでは岩登りは無理であった。何とか和田さんもスラブを抜けだし沢に戻る。ここで古川さんの沢靴を借り歩き出す、結果は最高全然滑らないとのこと。ここからしばらくはゴルジュと言うよりルンゼ登りを楽しむ。最後のF5は左岸を登る、見上げると四ルンゼ奥壁と国境稜線が見える。登攀が終了しザイルを外す、緊張感から解放される瞬間である。

 山頂まではもう一息、お決まりの笹藪もあり満足した一日であった。古川、和田さんお疲れ様でした。

 四ルンゼについて、今回の山行が7月下旬、今年の冬は小雪と言われていたが本谷は雪の下であった。今年の秋には「幻の大滝」も現れ本谷が面白そうだが、やはり沢は水がなければ面白くないと思った。

北ア・馬場島~剣岳 

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○山行地:北ア・馬場島~剣岳 
○山行日:2016年7月28日~29日
○メンバー:村田
○報告者:村田

 富山湾の海辺で育った私にとって、ふり向けばそこにいつも堂々としていた剣岳は特別の山だ。しばらく経つと「真正面の早月尾根からの剣岳」に登りたくなる。今回、標高約3000mから約760mまで下る下りが実に長く感じた。本当にへとへとになった。60代に入ったからなのか、前回もそうだったのに忘れてしまったのか。いずれにしても、遠くから見上げれば立派に見える早月尾根を自分の足で下りるのだから当たり前ではある。馬場島のキャンプ場に着いたとき、この年齢で登ってこれたことの意味をかみしめていた。
 第1に、山の会に加入し、様々な課題に皆さんと共にそれなりにやってきたからこそ単独で無事行ってこれたこと(会で「留守番本部」の体制もとっていただいた)。山の会の励みがあるからこそふだんの健康管理やストレッチ、体力養成を心掛けてこれたこと。
 第2に、今年の3月31日までの仕事を終え「定年退職」というゴールを達成できての記念になった(基本、一旦始めたことは途中でやめたくない)。

 初日、午前3時に起床し、3時20分には家を出発。滑川ICで高速をおり馬場島に着いたのが5時50分、6時30分に登り始めた。4時間20分かけてゆっくり味わって登り10時50分に早月小屋に着く。標高は760mから2200mと、標高差1440m稼いだことになる。途中、曇で比較的涼しい中の登りとなった。樹齢何年か知りたくなるような素晴らしい杉が何本かあった。
 このコースは「日本三大急登」のひとつと呼ばれているという。剣岳は5回目(室堂から2回、早月尾根から3回目)になる。最初にこのコースを登ったのは2003年夏だった。そのときは、馬場島をスタートし、じきにひどい雨になり辛い2時間、雨の中剣岳の大きさを感じながらいろいろ考えた。富山の漁師の息子として育った私は、この剣岳の川などが運んだ山の栄養などで育った魚を食べさせてもらって今の自分がある。自分の命とのつながりを感じる。
 昼間はガスや雷雨が定番になっているこの時期は早朝の素晴らしい展望を期待して今回、初日は早月小屋泊まりとした。部屋では、九州宮崎県の夫婦、東京からの若者、三重からの方と一緒になっていろんな話を交わすことができた。4時30分に夕食。8時に消灯。外は雨が降り出した。夜中に目がさめた。窓越しに満天の星が見えている。予定では少し明るくなって4時出発としていたが早めて3時出発とした。荷造り等もすっかり終え枕元に朝必要なものを揃えて休んだ。

 3時前に起き3時に出発。暗い中、ヘッドライトを便りに慎重に登っていく。白んできてライチョウがすぐ前に姿を見せる。何枚も写真を撮らせてもらう。少しガスが湧き上がっているが、山頂に近付くにしたがって晴れてきて、自分が山頂に到達したときには素晴らしい展望が望めた(やはり、その後じきにガスが上がってきて展望がきかなくなった)。室堂方面からの登山者も多数あり賑わっている。途中、藪を切り拓いて新しく道をつくったところがいくつかあった。また以前と異なりヘルメットは標準になり、ほとんどの登山客がかぶっていた。
 帰りは、写真をしっかり撮りながら下りた。チシマギキョウ、マツムシソウ、チングルマなどの花が綺麗だった。

【コースタイム】
 1日目 上越3:00ー5:50馬場島6:30―10:50早月小屋
 2日目 早月小屋3:00-6:50山頂7:20―10:30早月小屋10:50―14:20馬場島―17:00上越

頚城山群周辺動向(2016.08~)

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〇全国の遭難最多3000人超、県内死者は倍増21人
昨年1年間の山岳遭難事故は全国で2508件(前年比215件増)発生し遭難者は初めて3千人を越え3043人(249人増)だったことが警視庁のまとめで分かった。死者行方不明は335人(24人増)でいずれも記録が残る1962年以降最多となった。
 新潟警察によると、県内の遭難事故件数は123件で、前年比40件と大幅に増加。死者数も21人と前年の11人からほぼ倍増した。(8/5、新潟日報)

2016年夏合宿報告A―①/北ア・奥又白池~前穂高岳4峰正面壁松高ルート~前穂高岳~A沢下降~奥又白池

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〇山行地 北ア・奥又白池~前穂高岳4峰正面壁松高ルート~前穂高岳~A沢下降~奥又白池
〇山行日 2016年07月30日~08月01日
〇メンバー L松木昭 和田 
〇報告者 松木昭
 
 前日の予報が覆り明日から三日間上高地は雨マーク、気力が一気に下がってしまう。されとて夏合宿のためそう簡単には予定変更は出来ない、雨でも奥又白池までは行きますと計画済である。

 当日朝、長野で和田さんを拾い沢渡へと向かう。松本を過ぎたあたりから天気予報通り雨が降ってくる、沢渡に到着するが車を降りる足取りが非常に重く感じる。しかし夏合宿はスタートしたばかり、計画通りにタクシーに乗り上高地に入る。
 幸い上高地は曇り空、時折小雨も当たるが合羽を着ないで済むのは大変ありがたい。これより上高地街道、夏休みのせいか、大勢の学生らしき若者達とすれ違う。徳沢に着いた頃は天気も回復し明神岳も見えてくる。新村橋を渡りパノラマコースへ入るが標識はなし、うっかりしていると通り過ぎてしまう。しばらく工事用の車道を通り中畠新道への分岐に到着する。
 正面には松高ルンゼが見えこれより急登が続く、登山道はしっかりしていて何の心配も無く奥又白池に到着する。池はほぼ満水で先回来た時よりもかなり大きく感じた。心配した雨も無く、時折前穂や4峰正面壁が顔をだし凄い迫力を見せる、改めてこの場所の素晴らしさを実感する。しかし天候は不安定、雨が降る前にツェルトを張る。今回急遽持参したポールのおかげでテント並みの設営が出来た。まともな設営方法では3人用ツェルトでは苦しい、そのため横幅を広げタープ的な使い方をする。すると大人4人横になって十分休むことができる、ただし風通しが良くなってしまい夏向きである。
 設営後早々に乾杯するが、栓を抜いたとたん雨が降り出しツェルトに入るが十分な広さである。今回は初日のみ少々贅沢な食事、山で食べる物は何でも美味しく感じてしまうがα米だけは頂けない。少ないアルコールをちびちびいただく。次第に雨も上がり前穂東面の岩場がはっきりと見えてくる。4峰正面壁T1及びアプローチを幕営地点より確認する。夜は満点の星空の中、蚊の音に悩ませながらの就寝となる。

 2日目朝4時起床、予定より30分遅れ、快晴で気持ちの良い出発となる。まずはC沢のチョックストーンを目指す。崩れやすいガラバを幾つも越えA沢に到着する、しかし幕営地点から見た感じと違い、幾つものルンゼが入り組んでいて分かりにくい。おまけにC沢のチョックストーンは下からでは確認することが出来ず、結局C沢右のルンゼより間違って取り付いてしまう。T1までは3ピッチ程で難しくはないが4人パーティーでは落石に気を使ってしまう。T1には9時頃到着し北条・新村ルート取り付きを確認する。
 ここで計画とは違うがメンバー変更を行う。取り付きが明瞭な北条・新村ルートへ小林・古川を向かわせ、松木・和田で取り付きが不明瞭な松高ルートとした。案の定、我々は松高ルートまで下降するが明瞭な取り付き地点は確認出来なかった。しかしルートからはそんなに離れてはいないはず、右上しながらルートを探る。ピンやビレー点はあるが今一不安である。
 登り初めて3ピッチ目30m程右に小林・古川パーティーがいてビックリする。ルート図を確認すると松高と北条は近い部分もあり納得する。そして明確な松高ハングが表れる、ハングと言うより垂壁に近くアブミを使わないA0で登る。続くA1はアブミを使うがやはりA1ピッチは残置ハーケンやお助けロープがあり登り易く感じる。最終ピッチの出だしが悪くA1となるが、その後は快適な登攀となり午後2時丁度ロープを外し終了となる。

 待ち合わせ場所は4峰の頭だが我々の方が早いと思い北条・新村ルート終了点付近に移動する。彼らも近くまで来ているはずで、軽い気持ちで笛を鳴らすが反応なし。その後も呼べど叫べど反応なし、次第に不安がこみ上げてくる。改めて北条・新村ルートを確認する。
 トラバースのA1で古川さんが苦戦していることが予想される。また悪い事ばかりが頭に浮かんでしまう。そしてダメ押しの失敗、ツェルトを持たせていなかった事に気づく。 幸い今夜は夕立の心配もなさそうだが痛恨のミスをしてしまった。水の方は多めに持たせたので何とか持つと思われる。あれから反応が無いまま2時間が過ぎる。そこで30m程下り笛を吹く、かなり下の方から微かな笛の音が聞こえた。間違いなく下降していると判断し我々はビバーグ地点の3・4のコルへと急ぐ。
 夕方になっても天気が良く槍・穂高が目の前に見える、しかし景色を楽しむ余裕など全くない。二人で明日の計画を立てる、本来なら4人でツェルトにいるはず、心配と寂しさで食欲もなし、よく眠れないまま朝を迎える。

 3日目朝6時登攀開始、約1時間半で前穂高岳に到着。山頂で何とか電波が届く事を願い電話をする、電話が繋がり二人とも無事、T1付近を下降中とのこと。頭のもやもやが一気に吹き飛ぶ、後は奥又白池で合流するだけ、頭も肩の荷も軽くなりA沢を下降する。
おそらく小林・古川パーティーの方が早く下山すると思っていた。しかし我々の到着した時点で彼らの姿ない。直ぐに笛を吹き場所を確認すると、彼らはまだT1の上の岩場に張り付いていた。この時間までいったい何をしていたのか不思議でならない。
 しかし現実は壁の中、安全確実に降りて来ることが先決である。午後よりガスが出てきたため和田さんを奥又白池に待機させC沢付近まで迎えに行く。途中雨が降り出したが彼らも下降を終えていた。そして元気な古川・小林の顔を見て思わず涙が出てしまった。そして雨の中、中畠新道を4人で下山することが出来た。

2016年夏合宿報告A―②/北ア・奥又白池~前穂高岳4峰正面壁北条・新村ルート(敗退)

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○山行地 北ア・前穂高岳四峰正面壁北条、新村ルート(敗退)
○山行日 平成28年07月30日~08月01日
○メンバー L小林 古川
〇報告者 小林

 2日目、早朝5時半に奥又白池を出発し取り付きへと向かう。目印になるチョックストーンが確認できず時間を要してしまう。そのためT1に着いたのが9時位となってしまった。T1から2班に分かれりかちゃんと行動を共にし、ルート図通り北条・新村ルートに到着した。

 1ピッチ目、ほぼ直上するようなかたちで岩の割れ目を登っていき、2ピッチ目はそのまま上部へ約35mでピッチをきる。所々ハーケンが点在しており終了点も確認ができた。3ピッチ目、1時の方向に登るとセルフがいらないくらいの広いハイマツテラスに到着した。
 4ピッチ目からが難易度が上がりハングの切れ目に沿いながら登っていく。ハーケンは十分なほどあったが背負った荷物が重く体が上がらない。ハング手前のA1であぶみを駆使しながら何度もトライを試みたものの体力が限界に近づきとうとうクリアできなかった。その間何度も昭男さんたちが鳴らしていると思われるホイッスルが聞こえており、こちらでも吹き返す状況となっていた。そのため同ルートの下降を決断しハイマツテラスで懸垂下降を行った。しかし支点部分のザイルと岩の摩擦により回収できなくなってしまった。現在の時間と体力を考慮しザイルいっぱいの先の小さなテラスでビバーグとなった。

 3日目、朝6時位からプルージックによる登り返しを慎重に行う。落ちても止まる仕組みになっていても怖さが先立ってしまう。右側の傾斜のないところからアプローチし徐々に高度を上げていく。時間を要しハイマツテラスに到着すると下降点を作り直し懸垂を行い、念のため途中の下降点でもう一度懸垂下降して無事にザイル回収に至った。
 そこからはビバーグ近くにあった下降点からさらに懸垂し踏みあとを辿ってみたがその先の下降点が見つからず、再度登りながら下降ルート探しとなった。四苦八苦したあげくT1から繋がっている下降点から懸垂下降し、初日探していたチョックストーン前の沢に辿りついた。
 昼を過ぎ休憩していると雨が降り始めたため速やかに下山を開始した。視界が悪くなり雪渓の様子がわからなくなりそうなころ昭男さんが近くまで迎えにきて下さり、導かれるように奥又白池に到着となった。

 無事に4人が集まりとても安堵した後、雨脚が強まり下山を開始した。バスの時間は間に合わずもう1泊も考えられたが、辛うじてトンネルが閉鎖される前にタクシーに乗れそうであったため予約し乗車することができた。沢渡に着くと着替えを済ませ帰りの途中の温泉に入り帰宅となった。
 今回、軽率な行動をとってしまったことで会員の皆様方に多大なご心配と、ご迷惑をおかけしたことをお詫び致します。その中でも天候に恵まれ仲間の助けと励ましにより無事に下山できたことを感謝致します。

2016年夏合宿報告B/戸隠・高妻山(#35)関川水系氷沢川左俣~高妻山~戸隠牧場

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○山行地 戸隠・関川水系氷沢川左俣~高妻山~戸隠牧場
○山行日 2016年08月05日~07日
○山行者 CL丸山 SL松木智 船山康 古川 松矢/サポート清水美
○報告者 丸山

 「道のない百名山」として高妻山を考えた場合、積雪期、沢筋コースの二通り選択できても、最近流行の佐渡山越え乙妻山スキーは、行程の長さや主脈から高妻山へ続くナイフのようなスノーリッジ突破が難しい。沢では南西面の日本百名谷の一本裾花川が著名であり、本支流とも細かく探られておりこれまたなかなかやっかいなルートが多い。北西側関川水系の最上流ニグロ川方面は乙妻山を源頭とし、たんたんとした流れは沢登りの魅力に乏しいのが実際である。
 苗名滝から西野発電所へ続く関川中流の登山的核心終了部から分かれる右岸支流の信越県境を構成する氷沢川(ひょうさわがわ)は、そんな中充分登山的価値のある沢として、惜しまれながらも解散した地元妙高高原山岳会によって詳細が公開されている。昭和45年8月、二泊三日「関川本流~氷沢川遡行」の記録は、珍しさとともに大変興味深いものである。彼らは本流と目される右俣に記録を残したが、高妻、五地蔵山主脈北東面を源頭位置とする左俣は登っていないようだ。
 昭和43年10月、長野のグループ・ド・モレーヌ(GDM)が氷沢川を登っているが、記録未見のため詳細は不明で、伝えられる情報ではいずれかの支流といわれる。登山的興味からすれば、今回わたしたちが目指した沢がそれである可能性は高い。ほかにも地元パーティによる記録が散見されても、今のところ妙高高原山岳会の記録以外に遡行図を含めた細部を明らかにしたものは見出せない。

8月5日 清水美のサポートを受け、笹ヶ峰ダム乙見湖をスタートする。夢見平の軌道跡遊歩道をたどれば、まもなく黒姫山北麓を巻くように延びる黒姫コスモスパークから続く御巣鷹林道終点へ着く。妙高市による立派な避難小屋がたち、宿泊禁止としながらもトイレ・布団が完備されている。
 氷沢川左岸には上流へ向かう枝林道があり、道脇の地蔵桂と呼ばれる大木が見事である。一般車両は通行できないはずなのに、なぜか後方から車が一台上がって来、ことばを交わせば某お役所の知り合いであった。一時間の林道歩きは楽しいものでないが、樹林帯の道はよく整備され、陽がさえぎられて涼しい。終点の先にも林道跡は続くが、整備されておらず全くのヤブ漕ぎだ。
 適当なところから左手氷沢川へ下降すれば、たんたんとした流れが上流へ続く。お昼のソーメンを楽しんでいれば上流から釣り人が二人下って来た。魚留近くまで行ったらしいが釣果には恵まれなかったようだ。
 標高1,400m、右岸から小氷沢が2mの滝となって出合う。左岸奥ホウキ沢出合まで単なる川原でつまらない。右岸が高さを増せばようやく渓谷らしいナメや小滝が連続するようになる。通過に困難な個所はなく楽しいばかりだ。トイ状あるいは溝状ともいえそうなナメ滝5mが特徴的である。沢がやや開けると右岸からルンゼ状の小沢が落ち、滝場も佳境を迎える。
 立派な釜を持った二段10mの上段直瀑は左岸を高巻くが、続く2、3の滝も同時に巻いてしまった。この上流も滝は続き、水線付近は水苔のためかかなり滑る。そんな時は流れの中にホールドを求めるのが常道でも、シャワークライムを嫌ってはそれも適わない。10mを越すような滝はなく、それぞれ両岸から登ることができ、とても楽しい。
 珍しい形の滝が姿を現す。二段滝の下段が水流を吹き上げ、まさにヒョングリの滝だ。右岸を登るが、上段が滑りホールドも細かいため上部草付きをたどることも可能だ。続く滝を越してゆけば、小さな3m滝の上で沢は二分する。標高約1,580m、予定のビバークプラッツだ。滝下右岸のやや高台を整地しタープを張る。

 焚き火用の流木を集め、夕食の準備を始める。女性陣が中心となって作成したペペロンチーノなるわけの分からないパスタに舌鼓を打つ。焚き火で焼き上げたソーセージがアルコールの友となった。谷底両岸に切り取られた天空は見事な星空であり、これまた長い宴会の友となるのであった。
 夜半何度か目を覚まし、焚き火の前で暖まってもシュラフカバー一枚で充分な夜であった。

6日 朝露を嫌ってのんびりしたスタートとなる。二俣の右は氷沢川本流だが、今日のわたしたちは未解明の左俣にコースを取る。やや荒れた沢筋を歩けばまもなく両岸に小さな岩壁を張りめぐらした10m滝である。左岸を大きく巻き上がれば滝の岩壁につらなる気持ちのいいテラスとなった。眼下にはきれいなナメ滝20mがあり、これを含めた連続する高巻きは結構パワーを要した。
 降りた谷底は相変わらずナメ、滝が続き楽しめる。前方には赤白色の滝が見え、温泉成分でも流れているような15m滝となる。左岸を気持ちのいいクライミングで越せば、落ち口は小さな二俣となり水量の多い左俣を選択する。地形図を読めば、この辺りは標高1,650m前後となるはずだが、こまめに修正してきた高度計はかなり高い位置を示す。地形図の誤りだろうか。
 左俣はすぐに15mの黒滝となり、右岸のルンゼを少し登った高巻き後、流れに戻る。谷は長いナメや滝が連続し、直登、高巻きが繰り返される。谷の両岸は高差を減じ源頭の様相を呈してくる。
 標高約1,900mで流れは伏流となり、適当な台地で昼食を摂った。ふり返れば笹ヶ峰高原の背後に三田原山をはじめとした妙高の外輪山が望め、本峰心岳がスクッと立ち上がる。ここもまた小さな二俣となっていたが、ブッシュに覆われた左のルンゼ状の岩溝にコースをとる。岩溝は掘棔銑個戮療个蠅延々と続き、上部灌木帯に突入するまで続く。灌木、竹藪をやや左上部へ20分ほど登れば高妻山の一般道へ出ることができ、時計は12:30を指していた。飛び出た場所は九勢至と八観音の中間で、ほぼ計画通りであった。五人でがっちり完登の握手を交わしても「くたびれたー!」が本音である。
 わたしと松矢の男二人は
「おれら何回も高妻のテッペン行ってんで今日はいいや」
「わたしゃ行ったことないので行きたいワ」(古川)
「テッペン行かんくちゃ百名山完成にならん!」(松木)
「そんじゃワテも途中まで行ってみるか」(船山)。
 相も変わらずアスタークは女性陣が強い。男二人は女どもが戻ってくるまでゆっくりのんびりと木陰の昼寝を楽しませてもらった。
 五地蔵山、さらには一不動のコルまでのアップダウンはいつもながら飽きあきする。八観音、七薬師の看板が正しいものに変えられていた。一不動石仏の存在が最近一般的となり、誰もが容易に手を合わせられるように道が切られている。高妻山頂から後を追ってきた外国人親子の足が速く、荷物の違いがあるとはいえ、とうとう一不動で追い抜かれてしまった。
 大洞沢の下りでは、氷沢川遡行の締めくくりとして“氷清水”の美味しい湧水を味わう。荒れたガラ場続きの山道は昔通りだが、百名山詣でに合わせた山道管理は大小の岩石をうまく整理してあり苦労がしのばれる。二日間連続で地下足袋を使用するのは初めてで、なお岩盤、ガラ場が続くため、足裏が痛さの限界に近づくころようやく戸隠牧場に入ることができた。前方に見覚えのある姿を認めれば、迎えを依頼した清水美であり、予定を一時間半ちかく超過したにも関わらず「おーい、ヤッホー!」とのんきな声を発するのであった。

コースタイム
 8/5 笹ヶ峰乙見湖8:00-9:30御巣鷹林道終点10:00-11:30氷沢川入渓・昼食12:30-16:30BP
 8/6 BP7:00-12:30高妻山主脈-13:50高妻山14:00-五地蔵山-一不動のコル-大洞沢-18:20戸隠牧場

2016年夏合宿報告C/尾瀬・長英新道~燧ヶ岳~御池

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◯山行地 尾瀬・長英新道~燧ヶ岳~御池
◯山行日 2016年08月08日~09日
◯山行者 L清水美 船山了 今泉 長谷川 村田
◯報告者 清水美

 夏が来れば思い出すのは尾瀬である。夏合宿の候補地として思いつくのは容易いし、メンバーの今泉さんの「日本百名山踏破」に残されていた数少ない山のひとつで、そこを一緒に歩きたいというのも大きな理由である。
 今回の合宿の我がパーティーの目標は「親睦と結束を深めながら山をタップリ楽しむ」としたが、そのためにもハイシーズンの中せめて少しでも空いている敢えての平日山行となった。

8月8日
 上越の湯駐車場を朝6時に出発し、御池に着いたのは10時30分。ここに車を置き、山の駅沼山峠まではシャトルバスの利用である。山の駅沼山峠で昼食を摂り今日の宿である長蔵小屋までゆっくり歩く。目指す燧ヶ岳の頂上はガスがかかっているが、ここまで来る車中から見えたきれいなカーブでつながる二つのピークはしっかり目に焼きついている。
 木道を乾いた靴音をたてながら林の中を進む。沼山峠の表示もなくいつの間にか下るとそこは大江湿原の北端。色々な花が目を楽しませてくれ、名前を教えてもらうのだが生まれついてのニワトリ頭のせいか、ひとつ覚えるとさっきのを忘れている。山の植物に詳しいと山を何倍も楽しめることだろう。
 長蔵小屋へは12時50分に到着。なかなか古く、しっかりと手入れがされた清潔で感じの良い山小屋だ。旅館と名乗っても良いのではなかろうか?ザックを部屋に置き、沼のほとりをブラブラ散策したりビジターセンターを見学したりのんびり過ごす。この頃から空模様は怪しくなる、折しも台風5号がちょうど関東に近づいている。雨天決行とは言ったが、できるならば雨具は着たくない。
 風呂と食事を済ませ布団を敷けば、リラックスした女性陣は四方山話に花がさく。男性二人はお互いの身体をマッサージしあって、気持ち良さげな悲鳴?をあげて親睦を深めている。「仲良き事は美しきかな」誰ぞの言葉が浮かぶ光景だ。
 明日の出発のためにも早めに布団に入ることにする。夜半にザーザーと雨音で目がさめる「今日の天気の良いうちに登るべきだったか」と頭をよぎる。

8月9日
 身支度をして外に出ると風が強く、雨も落ちてきそうだ。遠くに見える青空を唯一のなぐさめにして歩き始める。
 木道をたどり、大江川を渡って小高い樹林帯へと登って行く。昨日も今日も思ったより空いていて静かな山を楽しむがそのうち雨と風が強くなり雨具を着ることになる。延々と続くゆるい坂道を、皆口数も少なくひたすら歩く。雨でなければ石と木が組み合った階段なのだが、川状態のため沢登り?と思わせるほどだ。
 何回かの小休止をとりながら行けば、急登になり始める頃にはようやく森林限界で眺望が開けるミノブチ岳であるが、どこを見ても真っ白な世界である。先を急ごうとゴロゴロの大岩の間をぬいながら行けば「俎ぐら」2346.2mである。ここには祠があるが、もう一つのピーク「柴安ぐら」2356mまで行かないことには燧ヶ岳に行ったとは言えない。またまた大岩の間を下ったり上がったりして石柱のある柴安ぐらである。記念撮影もそこそこに俎グラまで戻り昼食にする。相変わらずの白い世界で、かつて東電小屋に居た船山さんが本来見えるはずの景色を説明してくれるが虚しいばかりである。

 下山は車のある御池へ下りるが、石の上も木道も濡れて滑りやすいため、慎重に足を進める。途中熊沢田代、広沢田代と池塘が広がるところが霧が流れて木道がすうっと現れたりする。これはこれでなかなか絵になるもので、雨の方が尾瀬の良さがはっきりわかるのではないだろうか。しかし、駐車場に着く頃にはすっかり雨もあがってしまった。
「こんなモンさ」と一同顔を見合わせ笑い合い、安堵の握手でこの山行の終了となる。

◯コースタイム
 長蔵小屋 5:15 ― 9:00 俎ぐら9:25 ―柴安ぐら ― 10:30 俎ぐら ―13:35 御池駐車場

戸隠・関川水系氷沢川左俣~高妻山~戸隠牧場

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〇山行地 戸隠・関川水系氷沢川左俣~高妻山~戸隠牧場
〇元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/40053705.html
〇投稿者 松木智

 2016年の夏合宿は「道の無い百名山」として関川水系氷沢川~高妻山を目指した。
 本流である右俣は、昭和45年妙高山岳会によって記録が発表されているがその後この流域の記録を見ない。私たちは氷沢川左俣を遡行することにより、四半世紀ぶりにこの地の解明に光を当てた。

 氷沢川左俣は極端な難しさは無い物の、沢全体に小滝が連続しており、標高約1、900m付近で水流が消えるまで気の抜けない遡行となる。

 装備に関して、今回三つ道具を必要としなかったがハーケン数枚、ロープは携行されたい。

火打山川の調査報告

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        火打山川の調査報告

       早津賢二・樋口善栄・原 良司・樋口英一

                 
 調査日  2016年7月5日・7日
 調査目的 火打山川の“濁り”の原因解明
 調査範囲 火打山川の標高約1,200m〜1,100mの間
 調査者  5日:早津賢二・樋口善栄・原 良司・樋口英一
      7日:樋口善栄・原 良司

 調 査 結 果

 火打山川では、2016年6月以降、青白い濁りが観察され、7月にはイワナやコイが死ぬという現象が見られた。筆者たちは、火打山川の濁りの原因を探る目的で調査を行った。今回の調査により、標高約1,150mm地点の火打山川左岸において、顕著な湧水を発見した。湧水地点は、前山溶岩流の溶岩堤防の東側縁部にあたる。湧水は冷たく美味である。湧水の湧き出し口およびそこから火打山川との合流点までの川底には、白色の沈殿物が沈殿し、湧水に接している川原石等はほとんど全て白くコーティングされている。

 白色物資の分析は行っていないが、糸魚川市・新潟県の合同調査によると、火打山川の河床に堆積している白色物質はハロイサイトであるということなので、ここでもハロイサイトであるという前提で論を進める。今回発見された地点のハロイサイトの沈殿物は、川底や礫の表面を薄く覆っているのみで、柔らかい。礫の表面に付着しているものも、水に濡らすと簡単に洗い落とすことができる。付近には、ハロイサイト以外に、温泉沈殿物のようなものは認められない。このことから、ハロイサイトは、長期にわたって堆積し続けていたものではなく、火打山川本流のものと同様、ごく最近に堆積したものであることは明白である。調査時点では、湧水そのものには濁りは認められず無色透明であり、汲み置いた水にも沈殿物は生じない。したがって、調査時点では、湧水にハロイサイトは懸濁していないとみてよいであろう。この湧水は、おそらく以前から存在していたものであり、ハロイサイトは一時的に懸濁して運ばれてきたものと考えられる。このハロイサイトを含んだ水の湧出が、火打山川の濁りと水質変化の原因(少なくとも一部)であり、2015年から始まった噴気活動の活発化と密接に関係してなされたとみるのが自然である.

 では、この湧水中のハロイサイトはどこから来たものであろうか。火山活動の活発化に伴い、この地点の深部から新たに一時的に湧き出した温泉に含まれていたのであろうか。それとも、上流から地下浅所を伏流してきた水に含まれていたものであろうか。一時的に湧いた温泉に変質鉱物であるハロイサイトが多量に懸濁していることは、可能性としては小さいように思える。一方、山頂部の噴気地帯では、これまでに何度も多量の熱水が流出し、火打山川の源流地域に流れ下っている。この種の熱水ならば、噴気地帯の地表や地下浅部に存在すると思われるハロイサイトを多量に取り込んでいても不思議はない。火打山川の白濁や水質変化が、熱水の流下と時期的に対応していることから考えると、この熱水が、前山溶岩流の中を伏流しこの地点で地表に湧き出した、と考えるのが最も合理的である。

 糸魚川市は、7月8日に第1次の、7月21日に第2次の現地調査を行った。その結果、青白い濁りは標高1.000m〜1,100m付近より下流側で認められ、それより上流側の濁りは白〜灰色で弱いこと、青白い濁りが始まる付近に温泉の湧出が見られることから、下流側の濁りは天然温泉の湧出が活発になったことが原因であろうとした。また、上流側の濁りは、河床の一部に火山灰の堆積が見られることから、火山灰の懸濁が原因であろうとした。
 しかし、水の色は、水の量・底質の色・流れの速さ等々によって、見かけがかなり異なる場合がある。事実、筆者たちの調査した範囲では、できるだけ同じような条件で比較した結果、地点毎で大きな色の変化は認められなかった(調査日が異なるので単純な比較はできない)。底質が白かったり、水深が深い地点では、上流域でも水は青白く見えることが多かった。逆に、水深が浅く底質が白くない地点では、下流域でも濁りはそれほど感じられなかった。

  また、第二次調査では、白くコーティングされた礫は、No.16堰堤より下流域に認められるとしているが、筆者たちの調査では、No.16堰堤より上流域側のNo.14堰堤との間でも多数認められた。上記のように、1,150 m地点の湧水付近にも多数存在する。ただ、地点によって“白色礫”の量に差があるのは事実のようである。地点によって付着時の条件が異なったのか、付着後に洗い流されしまう場合があったのか、あるいは、ハロイサイトを含む水の湧き出し口が複数存在するのかもしれない。火打山川上流域からの伏流水であれば、湧出地点は複数あっても構わないし、むしろその方が自然である。この場合、水質も類似することであろう。

 糸魚川市は、青白い濁りの原因を中流域の温泉湧出、水質検査で一時的にみられた河川水の強酸性化の原因を焼山ドームからの強酸性水の流入と、それぞれ別の原因によるとしている。しかし、両者を分けて考えなくてはならない積極的な根拠はないように思える。ハロイサイトは熱水変質によっても生成されるので、噴気孔周辺の変質帯には多量に存在している可能性がある。もしそうであるなら、熱水が噴出・流下の過程で変質帯のハロイサイトを取り込むことは十分あり得ることである。山腹の噴気地帯から流出しドーム山麓に流下した熱水が、一定距離伏流した後に火打山川に流れ込んだことが、濁りと水質変化の両方の原因と考えるのが、現時点においては一番自然であるように思える。ちなみに、前山溶岩流の東西両側縁に当たる火打山川左岸および焼山川右岸地域には、随所で顕著な湧水が認められる。春先など水量の多い時期には、地表水として直接火打山川に流入したことがあったかもしれない。今後、変質帯の粘土分析を行うと共に、熱水の流下時を挟む複数の時期に、火打山川の複数の地点で水質検査を実施すれば、熱水の流下と火打山川の水質変化との関係が、よりはっきりするであろう。     
                        (2016年8月7日 記)

【写真の説明】
 
 図1.湧水の発見地点(×印)、図2.湧水口から川原へ流れ落ちる湧水、図3.図2の左側の湧水、図4.火打山川本流(左)に流れ込む湧水. 白いハロイサイトが沈殿、 図5・図6.湧水口の一つ. 写真は図2は早津賢二撮影. 他は全て樋口善栄撮影.

豊穣なる黒部の谷々

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○豊穣なる黒部の谷々
○投稿者 なめこタン

 日本を代表する河川、渓谷のひとつに富山県の黒部川がある。中下流域は電源開発や観光開発であまりに自然が痛めつけられていても、源頭は北アルプスの最深部鷲羽岳にあり、流れはほぼ北を向き日本海へそそぐ。流程は約85kmとやや短いが、八割が山岳地帯を穿つ急峻な峡谷として知られる。
 わたしは20代半ばから岩壁、沢を中心にこの流域に入っていたが、合い間ごとにイワナ、ヤマメを求めて釣りをすることも度々であった。渓流釣り解禁まもない頃は愛本堰堤下流、雪融けに従って弥太蔵谷、黒薙川などの本支流。盛夏は下の廊下、針ノ木谷、ヌクイ谷から上の廊下や、多くのダムや堰堤で寸断された黒部の本流もわたしの釣りフィールドとなっていた。何場所かでは“目方釣り”といわれる、乱獲といわれても仕方のない数釣りを楽しんだのは若い頃であった。黒部はどこに入渓しても魚影豊富で、いつも満足する釣果を残すことができた。

 最近は20、30尾といった数釣りに執着するような姿勢が消え、一日5、6尾キープできれば充分であり、好みの8寸サイズが“ツ抜け”(-ひとツ、ふたツ、みっツ・・・ここのツ-といった一桁の数ではなく、10尾以上の数をいう)であれば大満足だ。今日も今日とて、お盆明けをねらって、そんなイワナ釣りを楽しもうと黒部川の某所に入った。
 これまで安定した入渓地を探し出すことができなく、目的の流れ全域を知ることが不可能だった地である。思考を重ね、いろいろな可能性を見出すべく準備した今回だが、ようやく一つの結論を出すに至った。次回以降の楽しみとなるところだ。
 ところが今回、その目的地の一端でとんでもない経験をすることになる。ウン十年の釣り歴にあっても、今回のような魚群と表現するほかないイワナの数に遭遇するのは初めてであった。秋山郷の雑魚川、同じ黒部の内蔵助谷出合下流では数十尾のイワナが回遊する姿を見ても、養魚場を思わせる今日のように重なり合った数百尾のイワナの群れは驚き以外のなにものでもなかった。

 先ずは画像を見ていただきたい。支流の滝下で冷水が本流に流れ込んでいる浅場に、200尾ちかいイワナが上流に頭を向け、定位しているのである。8寸から尺上の型揃いの中に、明らかに50cmをオーバーする巨大魚が最低でも10尾程度数えられる(わたしはここ黒部で尺5寸級-45cm-を短時間で5尾連続釣りあげた経験があり、サイズの見誤りはない。ブログ内に画像があるはずです)。
 緊張し小刻みに震える手で仕掛けを振り込めば、ガツンといったアタリが・・・出るはずなのに、竿先には何の変化もない。見える魚は釣れない、とはよく云ったものだ。数回振り込んだ後、コツンとしたアタリに合わせれば強烈な引きが竿に伝わる。群れを散らさないようにイワナを脇の深みに誘導し、取り込み準備にかかろうとした瞬間、サカナは姿も見せずに竿を曲げて仕掛けを切ってゆく。ダイワ流覇TT61胴調子竿と04号のラインでは対応できない大きさらしい。テンカラ釣りに切り替えたがイワナは毛鉤を追ってくれない。
 ヤケ気味に魚群をよく見ようと近づけば、イワナは蜘蛛の子を散らすように深みに消えていった。勝負は明日早朝だなと竿を納めた。

 まだ眠っている仲間を起こさずにひとり昨日のポイントへ向かった。緩やかに見えても黒部の流れは太い。昨日より魚群は小さく、やや異なる位置で竿を出した。どういうわけかイワナは今日もまた毛鉤に反応しない。仕方なく、手持ちの最も太いライン06号で餌仕掛けを作った。数投後に餌を食った中クラスのイワナが確認でき、再び深みへ引きずり出した。06号ということで、余裕をもって取り込めばよく太った尺物であった。
 目を覚ました仲間が「なかなかいい型じゃん!」と言う。33cmのタモ枠をはみ出た尾びれが美しい。何を食っているのか胃袋を割けば、バッタかイナゴであろう陸生昆虫2匹のみで、暑さに負けて食欲を落としているのかもしれない。この大ポイントは今後の楽しみとすべく、早々に引き上げる。
 上流で手頃な数尾を追加し、すべて糠漬けとして下山した。禁漁を迎える来月か来年になるかは分からないが、入渓目途が付いたので今度は下流から攻め上がってみたいと思っている。奥鐘や丸山の巨壁はもう登れないだろうが、黒部の巨魚と谷がいつまでも今の姿をとどめ、わたしを楽しませてくれることを願う帰路であった。

2016年9月山行・活動予定

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2016年9月山行・活動予定
第28187号

○今月の一言  暑い夏に思う  関原

 今年も暑い夏だ。4年に一度のオリンピック、日本人選手のエキサイティングな試合に感動し、涙した夏だった。私の一番の感動は、女子レスリングの伊調馨選手(32)の五輪初4連覇以上に、4連覇を逃した吉田沙保里選手(33)「金メダルが取れなかった。ごめんなさい」と謝り続ける姿、「ようやった、いいんやで」と普通の娘のように扱う母の姿。「最後は勝てるだろうと思っていたが、取り返しのつかないことになってしまって・・・ 」と号泣する姿を見て一緒に涙が止まらなかった。 
 大きな重圧と期待を背負って、日本女子レスリングの若い選手が憧れる中で目指した16年目の執念の金メダルへの挑戦。この吉田沙保里選手に国民栄誉賞を送りたい。
 伊調、登坂、土性選手の3階級での金メダルは、吉田選手の存在やチームの絆で、ここまで頑張れたのではないかと思う。本当に感動をありがとうと言いたい。そしてこれからも輝く続けることを願っています。

 どんな会もチーム力を高めて、さらなる未来の挑戦の準備をすることが大切だと考えている。去年9月の日本最北端利尻岳の登頂後、半年以内に日本最南端の百名山、宮之浦岳に登ると決めて登頂した。どんなに忙しくても、その休暇の為に行動する事で見えてくる準備の大切さ。今までは仕事を理由にして長期の休みが取れないと諦めていたが、取れる方法が分かった。
 1年の山行計画を、先に決めて予定に入れてしまう事だ。年間のダイヤリーに○(まる)を付けて、3ヵ月前からその計画を達成する為に準備する。何が有ってもこの山に行くと決めて取り組む(天候で変更は有ります)。本当に行きたいと願う強い気持ちと、一緒に行動を共にしてくれる仲間との調整に心を砕く。

 3月の屋久島では、準備と夢を諦めない事の大切を学び、5月には剣沢の悪天候の中でチームの安全とは何かと問われた。アルパインクライミングの山行では命を預け合う、お互い信頼するパートナーだ。一つ上の山を目指し、チーム力を高め合い切磋琢磨する仲間でありたい。
 来年の大きな目標の為に明確な目標を持って、それに見合う練習を秋からスタートする。チャレンジするから人生は面白い。 
*これからの3ヵ月の山行計画を記す。 
  9月 南ア・北岳~間ノ岳~農鳥岳 2泊3日    
 10月 北ア・白馬岳~朝日岳~栂海新道~親不知 2泊3日
 11月 中ア・宝剣岳~空木岳~管の台 1泊2日

○9月の山行・活動予定
09月03日(土) 上越・魚野川水系大原太川北沢本谷~大源太山 L山越
09月04日(日) 越後三山・三国川黒又沢水系日向沢 L松木(昭)
09月09日(金) リーダー会 19:00~新井いきいきプラザ
09月10日(土)~11日(日) 南ア・北岳バットレス第四尾根主稜 L永田 山越
09月11日(日) 海谷・根知川神難所沢 L松木(昭)
09月15日(木) 定例会 19:00~新井いきいきプラザ
09月17日(土)~18日(日) 月例山行 奥多摩・日原川水系大雲取谷~雲取山 L山越
09月17日(土)~19日(月)南ア・北岳~間ノ岳~農鳥岳縦走 L関原
09月22日(木) 妙高・笹ヶ峰ニグロ川~鳥越峰 L丸山
09月24日(土) 妙高・笹ヶ峰真川滝沢~薬師岳 L丸山

○10月の山行活動予定
10月23日(日) 南葉山秋の古道整備
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