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寒さなんて吹き飛ばせ!雪山・山スキーシーズン到来!

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〇寒さなんて吹き飛ばせ!雪山・山スキーシーズン到来!

 妙高、火打の山々が雪化粧を始めました。「今年は雨が少なかったから大雪になるかも…」「いやいや、カマキリの巣が低い所に掛かっているから大したことないよ!」雪国に住む私たちにとって冬の到来は気分が暗くなるものです。
 でも、雪が楽しい遊びを提供してくれることも知っています。粉雪を舞い上げてシュプールを描く爽快さ!無雪期には足を踏み入れることもできない藪山を縦横無尽に歩き回り、その頂に立つ満足感。ピッケル、バイル、アイゼンを駆使し、立ちふさがる雪壁を乗り越えた先にある美しい白い峰々に出会う感動。
 私たちは辛い冬を雪と楽しく関わりながら春を待ちます。
 この冬は私たちと一緒に雪の山を楽しみませんか!

 アスターク同人は無雪期の岩、沢登りと山スキー中心の山登りをしています。
 同人内部分会「みょうこう山の会」は一年有期の会員制であり、他の山岳会に所属している方をも受け入れています。
 現在の会員は20代~70代まで約30名です。
 上越市、妙高市の会員が大半ですが、長野市といった遠方の方も在籍しています。
 年間会費は、アスタークが3000円、みょうこう山の会2000円となっています。

 無雪期の岩、沢登りと山スキー中心の山登りが活動の主体ではありますが、仲間と共に大自然の中で豊かな時を創造することを大切にしています。四季を通じオールラウンドな活動を行っていますのでそれぞれの好みの山行形態を中心に行いながら総合的な登山力を高めて行くことが出来ます。
 山が好きで山登りをしたい人、性別・年齢は問いません。アスタークの仲間になって楽しく山登りをしませんか!

 詳細はブログトップページからお問い合わせ下さい。
 電話対応もいたしますが夜間のみとなります(松木智恵美・0255-73-7249)。

2015年12月山行・活動予定

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〇2015年12月山行・活動予定
第27178号

今月の一言      「一年を振り返って」         長谷川

 今年の一年は2~3月のスノーシュー山行から始まりました。シャルマン~放山、鮫が尾城跡、関田山系~袴岳、藤巻山~クロフ尾根と好天に恵まれた山歩きは低山にも関わらず結構なトレ-ニングになりました。

 5~6月は残雪の登山。5月の谷川山行では雪山の歩き方、ピッケルの使い方を学び、6月の月山では登りは雪の溶けた登山道と雪渓を交互に歩き、下山は8合目から100%雪渓歩き。スキーで踏みしめられた硬い雪質でしたが、谷川で学んだ事を十分実行出来た様に思います。雪山で足を鍛えたおかげで、その後の武尊山は奥深い山にも関わらず余裕をもって楽しく山行が出来ました。

 7月は春から計画を立て始めた家族での富士登山。最初は4名の予定でしたが、オレも僕も・・・・・・と総勢11名。ほとんどが登山経験は無く道具も無い。買え揃えたりレンタルをしたりで皆結構苦労した様ですが、当日は山ボーイ、山ガールになっていました。高山病対策として2泊3日で計画。息子達や孫達も1日目は少しバテぎみだったにもかかわらず、2日目は早い。途中の9合目の山小屋でラーメンを食べさっさと山頂へ。3日目の朝は濃霧で御来光は30秒程見えただけでしたがそれでも剣ケ峰は登頂し、ようやく回復した青空の下、御殿場コースを元気に下山。脱落者も無くホッと一安心でした。ただ3人の息子達は次の日はまともに歩けなかったようです。
又、楽しみにしていた夏合宿は日程が合わず参加出来なくて本当に残念でした。

 富士登山から丁度3ケ月後の10月の男体山。その前にも何回か登山のチャンスは有ったのですが、天気が悪かったり都合が悪かったりで筋肉が落ちていたのかいつに無く足が重く、9合目頃からは足がつってしまいさんざんの登山でした。日頃から定期的に鍛える事は非常に重要な事だと身にしみて感じました。が、それでも私にとって結構変化に富んだ1年だったと思います。
 来年は今年の経験を教訓に、さらに一歩前進出来たらと思っています。

○12月の山行・活動予定

12月05日(土)~06日(日) 平成27年度納会 妙高・赤倉温泉銀明荘
12月11日(金) リーダー会 新井いきいきプラザ
12月16日(水) 定例会 新井いきいきプラザ2F 19:00~
12月17日(木)~18日(金) 戸隠~渋温泉~志賀熊の湯温泉 L丸山
12月22日(火)~23日(水) 妙義・裏妙義木戸壁右カンテルート L丸山
12月26日(土)~28日(月) 八ヶ岳・阿弥陀岳北陵/赤岳西壁主稜 L山越

〇2016年01月の山行・活動予定
01月02日(土)~04日(月) 北ア・新穂高温泉~西穂高岳 L丸山

中ア・木曽駒ケ岳(#74)千丈敷カール~駒ヶ岳~宝剣岳

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○山行地 中ア・木曽駒ケ岳(#74)千丈敷カール~駒ヶ岳~宝剣岳
○山行日 2015年11月21日~23日
○山行者 L丸山 船山康 古川 松木智
○報告者 丸山

 「駒ケ岳」は日本で最も多い山名のひとつであり、木曽駒を含めて深田百名山には4山が選ばれている。「駒」が馬に関した事象、雪形等に由来することが多いらしく、ホームグラウンド海谷山塊の駒ヶ岳では山麓雲台寺のご本尊十一面観音菩薩が馬にご利益があると伝えられる。馬が農耕や人の足としてさまざまに生かされてきた歴史が、馬頭観音仏建立や各地の駒ヶ岳名称成立の背景にあるのかもしれない。かつて神々は馬に乗った姿で現れると言われ、神輿の登場以前は神座の移動には馬が必須と考えられた。崇徳天皇の頃から神事の際に馬を献上する風習が始まり、奈良時代に神の乗り物として馬、神馬の奉納が一般化したと伝えられる(続日本紀)。他方、馬を奉納できない者は木や土で作った馬の像で代用するようになり奈良時代には板に描いた馬の絵が見られるようになる。現代まで続く、寺社に奉納する絵馬の始まりであろう。

 中央アルプスは妙高、頸城と比較して積雪は極端に少ないが、3,000mにわずか欠ける本州中央部の山らしく寒気は強い。積雪が少ないとはいえ、季節風による吹き溜まりが山稜東側に多いことは何処も同様であり、登山基地となる千丈敷カールでは過去大規模な雪崩による都内登山者の大量遭難があり、稜線上の強風とともに雪山一般の注意を怠ることはできない。
 今山行は、本格的な積雪期にわずか及ばず、やや安易ながら「道のない百名山」カテゴリーとして扱おうと考えていたのだが、実際は暖気によって雪が全く無く、「道のある百名山」報告になったことをご容赦願いたい。

 21日 予定していなかった親戚の法要があり、ほろ酔い気分で夕方の妙高をスタートした。長野県とはいえ、相変わらず伊那・駒ヶ根方面は遠く、車中すっかりまどろんだ駒ヶ根菅ノ台バスセンター着である。急いでテントを張り、途中買い付けた食材で簡単な夜食を作って眠りについた。

 22日 登山者より観光客優先のためだろうが、千丈敷カールへ向かう始発バス、ロープウェイともに遅すぎる(菅ノ台8:15発-9:07千丈敷着)。ロープウェイ第一便から降りた50人の半数が登山者であった。カールに雪は全くなく、草紅葉の名残り上部に黒々とした宝剣岳の岩壁がそびえている。
 カール内遊歩道の始まりにある駒ヶ岳神社に一礼し、歩き出す。平坦な横断道からカール壁の登りになれば道はジグザグを切るようになる。昨日一日飲み続けたアルコールが抜けきらず、夕食・朝食を摂らなかったつけが即影響しだした。久しぶりの冬用硬靴にヒーヒー言いながら、女性3人の足を引っ張ることとなる。
 息を整えるために東を振り返れば、甲斐駒、北岳など南アルプスの山並みの奥に富士が頭を出している。ゆっくり1時間ほどで中央アルプス主脈の一角乗越浄土に到着したときは、正直ホッとした。
 稜線は風が強く、西面からガスも湧き出ている。眼前の伊那前岳、背後の宝剣岳、北の駒ヶ岳が冬枯れの中で雪化粧を待っているようだ。どのような思いか理解できないが、幼い子供を連れた親子パーティーが何組かあり、雪がないとはいえこの時期の登山を安易に考えすぎているよう思われた。
 宝剣山荘の背後を回り込み駒ヶ岳へ向かう。登山道周辺は階状土と呼ばれる比較的傾斜の緩い斜面が続く。階状土は周氷河地形の一種で風食によるものといわれ、風や霜によって地表の砂礫が移動し植物の生育が難しい所と、風衝地植物が生育する安定した地が交互に現れる階段状の地形を言い、極めて風当りの強い場所ではえぐり取られたようになりかなり珍しいものらしい(百名山の自然学-宮城大・宮原育子)。
 緩やかな登りの中岳を越し、一下りの後登り返せば木曽駒ケ岳山頂2,956mである。三角点で記念写真を撮り、強風の山頂を早々に去る。風陰になる地で行動食を口に入れ一休みした。気温はどんどん下がっているようで、毛糸の帽子、眼鏡が凍り付く。
 中岳は登り返しを避けて西の巻き道を辿った。雪が着き、岩稜が氷壁と化した場合は困難なコースとなり通行は禁止される。今日は登山者も少なく、中岳山頂コースより楽しんで歩くことができた。

 斜面が平坦になれば稜線上の登山道と合流し、往路を戻ることとなる。そして今日最後の登り、宝剣山荘脇から天狗岩を臨みながら宝剣岳を目指す。ここ北稜もまた氷壁には程遠い状況でノーアイゼンのまま山頂に立つことができた。今の時季であれば氷雪壁に固定ローブを張ったり、スターカットでの行動が要求され、今回参加してくれたヤッちゃん、リカちゃんにはちょうどな教育山行となるはずだったのに・・・。
 山頂は深い雲に被われ、四周の展望を楽しむことはできなかった。強風が吹き荒れ、オーバーミトンを着用しても手指の先は冷たい。小祠の上で写真を撮り、今回は「南稜-極楽平」コースをパスし、北稜を下降した。安定した鎖場と楽しい岩場は、50mロープをはじめ、ピッケル、アイゼン、ハーネスなど一通りの登攀具を持参しても、まったく使用することなく全行程を終えた。
 宝剣山荘脇で暖かい飲物を体に入れれば冷え切った体が覚醒するようだ。体感的には氷点下の気温に思えたが実際はどうだっただろうか。乗越浄土からカール壁の急坂に入れば強風はやわらぎ、深いガスの中ロープウェイ駅を目指す。駅着は13:30、14:00の下り便に余裕をもって乗り込むことができた。

 さあ、後は上諏訪温泉のぬくもりを求めるだけだ。高速道から下道におり、普段信用しないカーナビに従えば今宵の宿となる上諏訪駅前の小さな温泉旅館に着くことができた。

御朱印帳と熟女

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○御朱印帳と熟女
○投稿者 みよりん

 この秋、友人数人と熊野三山と伊勢神宮をめぐる旅行をした。その時友人が持っていた御朱印帳を見せてもらって驚いた。正直「抹香臭いスタンプラリー」位にしか思っていなかったが(ごめんなさい)一言で言って「美しい!」。押されている朱印や字体はもちろん、内容も少しずつ違い、それぞれのページがそれぞれにきれいで、字ではなく一枚の絵のように見えるものもあった。早速私も熊野本宮大社で買い求め、御朱印帳デビューとなった。

 本宮から熊野速玉大社、那智大社、青岸渡寺と進み伊勢神宮までの道中も、海岸沿いの奇岩の名所を観る予定もはしょり、ひたすら神社を目指すあたりはもはやスタンプラリーと言えなくもないが、いやいや一つ一つの神社で真面目に神妙に手を合わせる善女であった。
 その中の一つに花の窟神社(はなのいわやじんじゃ)があった。イザナミノミコトが亡くなって葬られた場所と日本書紀が伝える古社で、御神体は45mの大岩で子どものカグツチノミコトの墓所もある。ここで御朱印を書いてくれる女性が私たちの御朱印帳の住所を見て「ウチの嫁は上越市の牧から来てるんですよ」と声をかけてくれた。熟女一同大盛り上がり!

 息子さんが新大に進学してお嫁さんと知り合った。
 お嫁さんの両親は学校の先生。
 神社の神事の時など年に2度は来てもらっている。
 僅か5、6分の間でこれだけ情報を得られる、さすが熟女のリサーチ力。ひとしきり話して記念撮影などし、お土産にお煎餅などいただき、名残惜しくお別れ。神社で参拝して清々しい気分になったうえ、とても温かい気持ちにさせてくれる出会いだった。それも御朱印帳があったからこそのご縁である。

 その後車中では
 「幸せそうだったね」
 「かわいがられてるんだね」
 「きれいなお義母さんだったね」
 「きっと、息子もイケメンだよ」
 「嫁ちゃんも美人だよね、きっと」
と、どこまでも妄想たくましい熟女たちでありました。

山道具アイデア・グッズ

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○山道具アイデア・グッズ
○投稿者 デルスーながた

 カムやビレイデバイスなどのクライミング道具となると、機能面で徹底的に洗練された美しさがあり、道具好きの私は見ているだけで惚れ惚れとしてしまう。他の山道具に対しても道具好きの一面がでてしまい、物珍しい道具を見つけると、ついつい手に入れてしまう。山道具として決して主流ではなくアイデアグッズの感は否めないが、使ってみるとそこそこ便利な道具はたくさんある。

・ロープブラシ(サムネイル1、2)
 ロープが泥まみれに汚れたまま使用すると、土の粒子でロープがこすれて傷みが早いといわれている。そのため、ときどき洗濯をするが、手でしごいて奥まで入った泥をとるのは長いロープだとかなり骨の折れる作業だ。このロープ専用のブラシには、コイル状の金属の内側にブラシの毛がつけられており、その中をロープを通せば満遍なく汚れを落とすことができる。

・ロープマーカー(サムネイル3)
 一部のメーカーのロープは最初からロープの中間が黒く染められているので、一本のロープで懸垂下降するとき、ロープの中間がすぐに分かるのでロープをさばく手間がはぶくことができる。それ以外のロープは通常何も目印がないので、マジックで中間に印をつけようかと思ったが、一般のマジックだとロープの強度が下がるという口コミもあり、なかなかふんぎりがつかない。このロープマーカーはロープ専用のインクを使っており、強度が下がる心配はないらしい。懸垂下降用にロープの中間には10cm幅で印をつける。それと、両端10mのところに二重ラインの印をつけておけば、リードの際にロープの残りが分かる。

・長さ可変スリング(サムネイル4、5)
 アブミに乗るのは以前と比べ慣れてきたが、長いピッチだと腕で支えているうちに腕力が消耗してしまう。長さが手早く調節できるフィフィがあれば、少し楽になるのに・・・と思い、ネットで探していたところちょうどいい道具をみつけた。これは長さが調節できるスリングだ。この先にフィフィを取り付け、支点に引っ掛けて、体をあげるのと同時にスリング引っ張りあげれば、ちょうどいい位置で体を保持できる。

・アッセンダー(単独練習器具として)(サムネイル6、7)
 もともと懸垂下降のバックアップ用品であり、懸垂下降時に両手を離してもしっかり停止する。懸垂下降時に途中でロープがからまって両手でさばく際に便利だ。これを単独クライミング練習の滑落停止器具として使っている。クライミングゲレンデで壁の上部からロープを垂らし、これを装着して壁を登る。途中で落ちても、ロープの伸びる分だけ落下してしっかり停止してくれる。

・カラビナ脱着器具(サムネイル8、9)
 クライミングゲレンデに行くと、1個目の支点や2個目の支点が遠くグラウンドフォールの可能性が高いルートがある。そんなとき事前の支点にロープがかかっていると安心だ。長い棒にとりつけ、カラビナを支点にひっかける。ひっかけるだけなら大型クリップなどで使う方法もあるが、これは支点についたカラビナを回収もできる。少しばかりズルしている感じはあるのだが、ちょっとした道具で安全にゲレンデで練習ができる。

・携帯お尻洗浄機(サムネイル10、11、12)
 下界では、家でも職場でも飲食店でもお尻洗浄の便座はあたりまえになった。用足し後にお尻を洗うなんて20年以上前はなかったが、習慣とはおそろしいもので、山に行くとお尻を洗うことができないため、少々気持ち悪さがつきまとうようになってしまう。もともとは介護用品なのだろうが、山でも水が豊富な場所であればすっきりできる。

・ガス詰め替え器具(サムネイル13、14)
 アウトドア用のガスボンベ(OD缶)はいかにも高い。それ比べ家庭用カセットコンロのガスボンベ(CB缶)はホームセンターで安価に入手できる。OD缶とCB缶ではガスの成分配合率が異なり、OD缶は火力が強く厳冬期用もあるが、夏であればCB缶でも十分だ。
 これはCB缶のガスをOD缶につめかえる道具だ。詰め替え方法は、。錬調未鯲篥犖砲芭笋笋広■錬調未硲達卒未鮴楝貝OD缶を下にして数分待つ。OD缶に詰めすぎると、着火時に生ガスが噴出して、30cmくらいの火柱が上がるので、事前に購入時のOD缶の重さを測っておき、詰め替え時に時々重さを測り購入時の重さを越えないようにする注意が必要だ。当然ながら、PL法適用外になるので、使用は自己責任だ。

信州諏訪・諏訪大社・・・上社前宮、本宮

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○信州諏訪・諏訪大社・・・上社前宮、本宮
○投稿者 なめこタン

 わたしが住む新潟県南部上越地区周辺はもとより、信越地方で最も有名で歴史ある神社が諏訪大社である。長野県の諏訪湖周りに4つの宮をもち、全国に約25,000社ある諏訪神社、諏訪社の総本社として知られる。わたしなぞがここでゴチャゴチャ云うのもはばかられる長い歴史の中にあり、多くの人々に崇敬されてきた。
 諏訪湖南に位置する上社(かみしゃ)はさらに前宮(まえみや)、本宮(ほんみや)、北の下社(しもしゃ)は春宮(はるみや)、秋宮(あきみや)に分かれる。前宮を除いたお社に本殿はなく、春宮はイチイ、秋宮はスギの御神木、本宮は拝殿後背の御山をそれぞれご神体として祀る。ご祭神は4宮ともに建御名方神(たけみなかたのかみ)とその妃神八坂刀売神(やさかとめのかみ)である。建御名方神は「古事記」葦原中国(あしわらのなかつくに)の国譲りにおいて、大国主命の御子神として登場し、母神は高志の国のヒスイを支配した奴奈川姫とされる。
 矢代山地青田南葉山に祀られる南葉明神=建御名方神であり、頸城群の延喜式内社居多神社、斐太神社のご祭神としても知られ、わたしたちには馴染み深い神様である。農業をつかさどり、香取、鹿島大明神とともに武神としても知られる。

 山帰り、上諏訪温泉の小さな宿に泊まった翌日諏訪大社の上社を参拝した。諏訪さんを訪れるのは若い時分から数回になるが、大きな神社は拝観場所が多く、細部がなかなか記憶にとどまらない。
 先ずは前宮である。大鳥居をくぐれば右手に小さな石祠溝上(みぞがみ)社があり、奴奈川姫が祀られている。ご祭神建御名方神の母神のものとしてはチョット寂しいんではないかい? が第一印象である。比較的新しい祠のようで、内部にお札などは見られない。
 参道は石の階段から住宅街を通り、拝殿、本殿へと続く。4本の御柱が建ち、ケヤキの巨木や古木が目立つ。前宮にのみ本殿が存在する理由について、前宮が古くから上社の摂社(せっしゃ=本社に縁故の深い神社)であったゆえと伝えられる。安国寺史友会の立て看板によれば、前宮が上社本宮に対し、それ以前の宮であったことから前宮と云われていたとも記す。くわえて本殿はご祭神の墳墓であるといわれ、墓であれば実在の現人神を祭神として祀ったものだろうか。
 申年(さるどし)の来年は御柱祭となるが、4宮×4柱の計16本のモミの古木は、かつては橋の架け替えなどに使われていたらしいが、現在は友好都市に寄贈されて観光スポットになったり、地元の観光協会や駅への払い下げや諏訪大社のお守りや表札になるという。

 11月末ともなれば八ヶ岳山麓は乾燥した寒気に身を震わせる日々だが、今日は寒くも暑くもなく観光日和である。車でわずか西へ移動すれば大社本宮に到着する。新嘗祭らしくお米をはじめとした秋の実り多数が参拝所脇に奉納され、七五三の宮参りは家族総出の参拝者で大変賑わっている。
 拝観順路に従ってのんびり歩いた。神楽殿には巨大な太鼓が置かれ、奉納相撲用の土俵では近隣の子供たちが遊んでいる。東門から続く長い廊下状の布橋南には絵馬堂、摂末社遥拝所が並び、建御名方神の父神大国主命を祀る大国主社がある。拝殿を真横から望む場所には四脚殿を中心に東西の御宝殿があり、これが一般神社での本殿ということになるそうだ。御宝殿のすき間から最奥にある硯石をチラッと見ることができた。
 拝殿は誰もが入れるものではなく、祈祷を願い出た者に限られる。西を向いて建造された右肩、左肩を含む三殿はご祭神の故郷葦原中国出雲の国に正対しているのであろうか。
最後にひとり500円也を捧げ、初めて宝物殿の中に入るが写真撮影は禁止される。徳川家社領寄進状、源頼朝による下し文など文書も多く、諏訪大神の象徴とされる薙鎌(なぎがま)のご神器が公開されている。薙鎌は糸魚川から続く「塩の道」の小谷村中俣小倉明神のご神木にも残されていたが、現在どのようになっているかは知らない。

 「天孫系権力者の勢力拡大につれ、古代日本の先住民海人族は生地九州、隠岐を追われ、辺境の開拓に向かう。海人族のなかで最も古い安曇族は日本海を北上し高志の国へ入る。だが西頸城一帯は同じ海人族の青海族、大和族(糸魚川市大和川)が入植し、安曇族の定住の地は姫川をへつった穂高の地に求めることとなる」(姫川街道とその周辺-青木重孝氏考察)。
 海神綿津見命(わたつみのみこと)の子神穂高見(ほだかみ=穂高神社奥宮の祭神=上高地明神池に鎮座)は海神族の祖神であり、その後裔安曇族は九州に栄え、主に海運を司り早くから大陸方面と交渉をもった文化の高い氏族であったという。天孫系神々の勢力確立が海人、安曇族の地方追放となったのだろうが、似たことが「古事記」国譲りに書かれた出雲大国主命の子神である建御名方神の信州諏訪への逃避であり、彼らもまた海神族であったという。それら神々と海人族が辿った道が中世の交易路として発達する「塩の道」だったかも知れず、安曇、熱海、温海、海部などの地名もまた同族に由来し、古代日本ではアマ、アゴ、ワニなどと呼ばれた海人族の総称をアズミとしたようでもある。
 大国主命の奴奈川姫妻問いが小滝、青海川に産出するヒスイの略取にあり、古代出雲政権が高志の国征服をしたとみる学者もおり、神話・説話とはいえ神様、神社にまつわる話は興味深く楽しい。

信州・上諏訪温泉稲本館・・・小さな駅前旅館

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○信州・上諏訪温泉稲本館・・・小さな駅前旅館
○投稿者 温泉迷人

 南北に長い長野県のほぼど真ん中、山都松本の南にフォッサマグナ糸魚川静岡構造線の断層運動で出来たとされる諏訪湖があります。湖周辺には観光県長野らしく、八ヶ岳や霧ヶ峰、美ヶ原といった山岳景勝地、国内でも有数の歴史を誇る諏訪大社やいくつもの人気温泉地が存在します。
 諏訪湖は冬季に湖面が全面氷結し、その氷が膨張と収縮を繰り返した結果、大音響とともに湖面上に氷の亀裂が盛り上がる自然現象が有名です。この現象を御神渡り(おみわたり)といい、亀裂の入り方などからその年の天候、農作物の豊凶を占い、神事ながら宮内庁と気象庁に向けての結果報告を常としています。神事は毎年行われていても、御神渡りはその年の気候によって観測されないこともあり、そんな状態を「明けの海(あけのうみ)」と呼ぶそうです。最近は温暖化のせいもあるのか、冬でも全面氷結する日が減り、御神渡りの起こらない年が多くなっているともいいます。

  空澄みて寒きひと日やみづうみの
        氷の裂くる音ひびくなり  (島木赤彦-本名:久保田俊彦/歌人、諏訪市出身) 

 今年最後の連休を初冬の山登りにあて、最終日が新嘗祭にあたることから久しぶりに諏訪さん参拝を計画しました。下山後の宿は上諏訪温泉を考えていたのに、予約が遅れて温泉宿が見つからないことには少々がっかりしました。ところがいろいろ調べるうちに、上諏訪のビジネスホテル大半が温泉施設を備えていることが分かり、まあたまにはホテルでもいいかとなり予約した宿が温泉付きの稲本館です。
 JR上諏訪駅前にある小さな宿で一泊朝食付き4,500円。ネットのHPは極めて簡単なもので、宿の全景や詳細は分かりません。食事は朝夕2食をお願いしたかったのですが、朝食のみということでした。宿周辺図を参照すれば駅前だけに飲食店はいくつもあり、夕食の店選択には困らないようです。

 山から降り、カーナビに従って案内された場所は、駅前一方通行の車一台がやっと通れる小辻です。稲本館はやや寂れた感じのとても小さな宿でした。上品そうな女将さんに駐車場を案内していただき、上がった宿は黒光りした板張りの階段がうれしい、ビジネスホテルというより昔懐かしい商人宿といった趣きです。外観同様の八畳部屋には4人分の布団が置かれ、いつでも敷くことができ休める状態でした。
「多分狭いと思いますので隣の部屋をお使いいただいてもいいようにしてあります。ご自由にどうぞ」と、女将さん。
「いやいやこの部屋だけで充分です」
「泊りはお客様方だけですので、2つのお風呂も朝までお好きなようにお使いください」

「あっそれはありがたい、ありがとうございます」
 部屋を含め施設は古いものでしたが、4人ともにこれで充分と感じた稲本館です。“アスタークの会員は奇麗なホテルや立派な旅館なぞ泊ってはいけない!”、大切な教訓でした。

 先ずは温泉です。3~4人用の男性風呂、1人用の女性風呂があり、男一人のわたしは女性用を使わせていただきます。家庭の風呂と同じような大きさはやや物足りなく感ずるものの、それゆえ源泉かけ流しの新鮮な湯が楽しめます。上諏訪温泉は共同の施設から配湯されており、どこの宿も泉質は同じです。違いといえば小さな宿ほどオールかけ流し方式が多いらしく、稲本館の選択は正解だったなと思いました。諏訪周辺は時計、電子、光学など精密機械工場が多いらしく、駅で降車した出張族の人には便利な宿といえます。
 温泉は成分総量612mg/kgの弱アルカリの単純硫黄泉。泉温は配湯所で61.5℃、ほぼ透明で口に含めば塩味を感じ、わずかに硫化水素臭があります。配管蛇口で湯量を少なくしないと熱過ぎで、湯上りは体がポカポカします。
 女性3人は体に磨きをかけているらしく結構長湯のようです。部屋へ帰ったマメちゃんに
「夕食の後、三助(さんすけ)してやっかね?」
「三助って何ですか?」
「銭湯なんかで背中流したり、垢すりしたり、風呂でいろいろサービスする男性のことだよーん」
「そんなのいいです」
「遠慮しなんな・・・」
「結構です!」
 ということで外へ食事に出ます。諏訪を味わうべく全員が馬刺しを食べ、後はそれぞれ好きなものを注文します。メニューの中心は豆腐料理で、一人前だけ取ったザルソバは特段評価できるものではありません。お酒を飲んだこともあってやや高すぎる夕食となったことは反省点でした。
 寝る前にもう一度温泉です。今度は大きなお風呂を使わせてもらい、開放感に浸ることができました。両方の湯船ともけっこう深く、底へお尻をペタッと付ければ湯面があごのあたりまできます。浴衣に着替え部屋へ戻ればあとはバタンキュー、快適な一夜になったことは言うまでもないところです。

 翌日も朝風呂を楽しみ、その後ゆっくりとした朝食です。ネット上のクチコミにもあった通り、稲本館の朝食はなかなかのものでした。出来合いが多いとはいえ、10品もの料理はわたしにとって宴会用でもいいと感ずるほどです。一汁一菜はわが家の日々の朝食、美味しいアキタコマチと朝から余りに多い品々は完食ならず残念!
「ゆっくり過ごせました。山帰りなどまたお世話になりたいと思います」
「ありがとうございました。またお出で下さいませ、お待ちしております」、玄関で女将さんの見送りを受け、観光客と化し諏訪さんへ向かった我が温泉パーティーでした。

2015年納会、年末食事会報告

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○2015年納会、年末食事会報告
○日時・場所 2015年12月05日~06日、妙高赤倉温泉/銀明荘
○参加者 幹事清水美 副幹事吉越 今泉 岡田 小林 清水緑 関原 舘 永田 長谷川 早津 船山了 古川 保坂 本間 松木昭 松木智 丸山 松矢 村田 山越 
○報告者 松木智

 ここ数年お世話になった東本願寺池の平青少年センターでの納会をお休みにして、たまには違う場所でやるまいか。という話から、いろいろ探しては見たものの、なかなか条件に合った宿が見つからず、結局当会のご意見番、温泉名人こと丸山さんが勧める赤倉温泉銀明荘となった。
 宿泊費1泊2食で5,00円から6,000円、源泉かけ流しの温泉付きというハードルの高い条件をクリアする物件はそうそうあるものじゃない。一体どうやってリサーチしているのやら。しかも、20人になれば貸し切りにしてくれるというのだから、決めないわけにはいかない。それでも一抹の不安は隠せず、幹事の美代子さんと丸山さんで下見をしてもらい、美代子さんからもOKがでたところで本決まりとなり、この日に至ったのだった。
 宿泊費、二次会飲み物代を含め7,000円の会費、チェックイン午後2時、開宴は午後6時、二次会は8時から。翌朝7時の朝食後解散、チェックアウト12時。と、いつものようにリーズナブルでゆったりとした計画である。21名が集ったこの納会には、負傷後活動を停止していた舘さんも姿を見せ、近いうちの復帰を語っていたことは嬉しいことである。

 ともすれば雪道となるはずの妙高山麓に積雪は無く、足元を心配しなくてよいのは有り難い。午後4時頃からポツポツと集まりだし、風呂に浸かったり、先に一杯やりだすのはいつものパターンである。今回は料理や酒の手配がない分、幹事も気楽に参加できたようだ。
 午後6時を少し過ぎてようやく食事の準備が整ったところで宴会の始まりである。恒例の代表挨拶は風邪のため声が出ず、幹事の美代子さんの代読という異例の事態。続く早津津さんの乾杯を合図に一斉に盃が空けられ、あちらこちらでおしゃべりが始まった。
 酔っぱらう前にと、全員で記念撮影を行い、今年度様々な活躍した会員の表彰を行った。これには趣向を凝らした景品がついており、袋や箱を開けるたびに大きな笑いを誘っていた。狭い食堂は賑やかなおしゃべりと笑い声が途切れることなく瞬く間に時間が流れた。
 期待していた宿の料理は、「この値段にしては頑張ってくれたな!」といった感じで、暖かいおもてなしが感じられた。
ただ一つ残念なのは二つある風呂の一方が天然温泉ではなかったことで、仕方なく男女で時間を区切って入らなければならなかった。源泉かけ流し温泉にこだわる我が会の納会会場としては大いに不満の残るところである。まぁ、大方は花より団子、みんなでワイワイしゃべって飲めれば問題なし!会場を二階の大部屋に移し、持参の山葡萄酒やワイン、ウイスキー、焼酎にビールと、酔いが回るほどに山への想いもヒートアップし熱い一夜となった。

 翌朝は7時の朝食後解散となり、勤めに行く者、物見岩へ岩トレに出かける者、もう一風呂浴びてゆっくりする者とそれぞれ宿を後にした。
 今年もいろいろあったが、何はともあれこうして無事に納会を行うことができたことは何よりであった。来年もまた、こうして皆が笑顔で集えるよう願っている。

箱根のお山

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○箱根のお山
○投稿者 こば

 今年も早いものでアスタークの納会が終り、あっという間に1年が終わろうとしている。そしてもうすぐお正月ということで、お正月の風物詩の一つである箱根駅伝が始まる。自分自身、中学高校と中、長距離や駅伝競技をしていたこともあり時間があれば毎年テレビに釘付けとなっている。
 今年は箱根の山が噴火の恐れがあり警戒レベルが一時期上り、駅伝はどうなるのか心配したが、現在は警戒レベルが引き下げられ無事に開催されそうだ。あらためて日本は火山活動が活発なのだと感じる出来事であった。

 さて今年も箱根の山を駆け登る選手の姿が見られそうであり、なんと言っても注目は新生山の神となった青山学院大学の神野選手である。今年はケガの影響で走れない時期もあったが、全日本大学伝では出場を果たし復調しているようだ。また最近の情報では山登り区間、5区の距離を短くすることを検討しているとの話もあるが果たしてどうなることか。
 今年は神野選手が、前の山の神であった東洋大の柏原選手の記録を塗り替え、山登りの勢いそのままに青学は復路でも各区間で1、2位を獲得し、破ることが難しいとされていた東洋大の記録を見事に破り驚異的な新記録を樹立した。来春は青学、東洋、駒沢の三つ巴の展開が予想されるが、どんな展開が待ち受けているか、今からとても楽しみである。選手には万全な状態でレースに臨めるよう願っている。

 実はこの正月に暦通りの休みを利用して、大田区にある叔父の家を訪ね、新年の挨拶も兼ねて箱根駅伝の観戦を考えている。箱根の山へ足を伸ばすことはできないが、選手の生の息づかいを感じてきたいと思う。かつて自分も箱根駅伝を走ることを夢見ていた。自分の目の前で夢を実現させて走っている選手に、抱いていた夢を乗せて一緒に走っている感覚を味わえたらと想像する。そして青春を思い出し、刺激を受けることを期待している。 その刺激を受け、今後の山行活動に繋げ「今も青春」と言えるよう仲間を誘って今後の活動に取り組んでいきたい。

尾瀬・平ヶ岳(#26)鳩待峠~尾瀬ヶ原~平ヶ岳

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○尾瀬・平ヶ岳(#26)鳩待峠~尾瀬ヶ原~平ヶ岳
○山行日 2003年05月02日~05日
○山行者/報告者 永田(単独)

 今から12年前の平成15年はまだ百名山ブームが真っ盛りだった。今はそれほど百名山にこだわりはないが、私もその頃は百名山登頂を目指し、出張や長期休暇などの機会があれば行く先の百名山を登っていた。百名山のひとつである平ガ岳は夏道ルートだと往復2日間かかることと、ルートとしてはあまり魅力を感じなかったせいか、なかなか行く気がおきなかった。しかし、山岳雑誌の記事かホームページで見たのだと思うが、残雪期であれば尾瀬の沼が雪で埋まり山スキーで尾瀬から平ガ岳に行けるということを知り、『これは面白そうだ』ということで実行に移すことにした。
 当初は、山ノ鼻の小屋で泊って行くことも考えたが、距離などから小屋がある山の鼻から平ガ岳の往復で16時間程度かかると予想され、日のでているうちに小屋に戻るのは無理そうなので、テント2泊3日で行くことにした。その頃は引っ越したばかりで周囲に山スキーをする仲間がいなかったために単独行ででかけた。

 5月2日 GWになると尾瀬の入り口の鳩待峠の駐車場は満車になると聞いていたので、GW初日前日の夜に長野から尾瀬の鳩待峠に入り、車中で一泊する。
3日 6時ころに目を覚ますと、情報どおり駐車場は次から次へと車がやってきている。車内で朝食をとって、7時から出発だ。
 荷物は重いが、鳩待峠から山ノ鼻までは緩いくだりなので、1時間ほどで到着した。夏であればここから平ガ岳方面は沼となり尾瀬名物の木道もないため立ち入ることはできないが、GWは豊富な残雪の平原となり自由に歩き回ることができる。
 山ノ鼻でシールをつけて、今日の幕営地である大白沢山に向かって猫又川沿いに進んでいく。山の鼻までは登山者やスキーヤーはたくさんいたのだが、しばらく行くと、先行者や後続者もいなくなってしまった。わずかに数本トレースがあるので、全く人が入っていないわけではなさそうだ。
 猫又川が左右に別れる中間の尾根にとりつく。ところどころ平坦な地形となったり、尾根が不明瞭になる複雑な地形ではあるが、ハンディGPSと地図と先行者のトレースを見ながら登っていく。
 山深くていかにも熊がでそうな雰囲気だ。樹林帯に入ると、前方10mくらいの藪の中でゴソゴソしている黒い動くものを発見。役に立つかどうか不明だったが、熊からの護身用に熊撃退トウガラシスプレーとナタを持ってきたので、その二つを両手に持って身構える。急にその黒い影がスッと立ち上がった! ドキッとした瞬間「ああ、こんにちは」の声。単に山スキーヤーが座って休んでいただけだった。護身用品をサッと隠し、こちらからも「こんにちは」を返す。その山スキーヤーは昨日平ガ岳に登って、戻る途中とのことだった。
 16時に大白沢山の南側の平坦地に到着すると、すでにテントが一張り張ってある。もう少し先に行こうかとも思ったが、全く人気のないのも不安なので、20mほど離れた場所にテントを張ることにした。
 夕飯はフリーズドライのリゾットだ。荷物をできるだけ軽くするために2泊分の食料は全てフリーズドライである。あまりおいしくはないが、明日のエネルギー源と割り切って食べる。16時とはいえ日差しは暖かくシャツ1枚でも快適だ。尾瀬から遠く離れているし、かなり山奥の深いところなので、携帯電話もつながらないかと思ったが、なぜか携帯電話がつながり、家内に無事を伝えるメールを送信する。一人だとやることもなくラジオを聴きながらシュラフにくるまっているうちに20時ころにはウトウトしてきたので、ラジオを消して眠りにつく。

 4日 5時に起き、朝食を食べ、7時半に出発する。平ガ岳へは、標高差50m~100mのアップダウンを数回繰り返す必要がある。いちいちシールを貼ったりはずしたりは時間のロスなので、滑るときもシールを貼ったままだ。
 平ガ岳の直下の斜面に来ると、先行者が2名登っているのが見える。ここまでの4時間は全く人に会わなかったので、少し安心する。この斜面を登っていくと、平らな雪原が広がっていて、頂上の標識がなければそれと分からないほどだ。私が頂上に着くと、先行の2人は滑り降り始めていたので、あまり言葉は交わせなかった。
 11時に頂上に着き、1時間ほど休憩した後、シールをはずして滑降開始だ。平ガ岳直下の斜面は20度程度の斜面を滑り出す。最高!気持ちいい!と思ったのも束の間。標高差100m滑ったところで、斜度が緩くなり歩きが多くなり、それ以降はアップダウンを繰り返す。15時にテント場に戻ると、今朝あった隣のテントは撤収されていた。今日はここでもう1泊だ。昨日に引き続き天気がよく、日がでている間はシャツ1枚でも十分暖かい。
 どちらかというと一人が好きなほうだが、昨日からそれほど人と話をしていないので、人恋しくなってくる。日も落ち真っ暗になってくると、なおさら一人だという意識が強まってくる。唯一の慰めはラジオから流れてくる音楽と人の声だ。起きていると、人恋しさを通り越して悲しい気分になってくるので、さっさと眠りについた。

 5日 5時に起き、外を見ると快晴ではないが晴れているようだ。朝食を食べてテントを撤収し、6時半に出発する。名残惜しいという気持ちは微塵もなく、やっと人里に戻ることができるという安堵感でいっぱいだ。山ノ鼻まで滑り降ると、人が多く人恋しさは解消された。シールをつけて登り返し、鳩待峠に12時に到着した。
 長い行程とフリーズドライのみの食事だったので、もうすっかりエネルギーを使い果たしていて、肉や野菜を体が欲していた。鳩待峠から車で人里に下りて真っ先にファミレスに駆け込む。単価の安いファミレスではあるが、肉料理や野菜やデザートなどで一人で5千円分をたいらげた。丸4日間風呂に入っていない無精ヒゲと髪の毛ボサボサの男が大喰らいしているので、店の人も不審がっていたことだろう。

 今振り返ってみると、ルートの様子や景色はうろ覚えだが、やたらと人恋しかったことを鮮明に覚えている。山に人が溢れかえっていると、それはそれで嫌になるときもあるので、都合のいい手前勝手な感情ではある。滑降主体のスキールートではないので、滑り重視の人には物足りないだろうが、誰にも邪魔されず静かにのんびりとした山スキーをしたい人にはお勧めだ。

新発田・二王子蕎麦「やなぎ」

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新発田・二王子蕎麦「やなぎ」
投稿者 カトソバ

 新発田市の二王子岳山麓は水田や畑がゆったり広がる高原が広がっています。その一角にある長峰原では蕎麦を栽培しており、この玄蕎麦を使って美味しいそばを食べさせてくれるのが二王子蕎麦「やなぎ」です。

 二王子岳に登ろうと新発田市から二王子神社登山口を目指し県道202号線を走っていると、二王子蕎麦「やなぎ」の看板が目に留まり、山の帰りに立ち寄りました。
 所々にある看板を頼りに「やなぎ」を目指しますが、道はどんどん山間に入って行き、「こんな所に蕎麦屋なんて本当にあるのかしら?」と心配になるころ目的のお店に到着です。
 周囲を雑木林に囲まれた山間の一軒屋ですが結構大きな建物で玄関の構えも立派です。広々とした二件間口いっぱいに掛かる暖簾をくぐると開放感のある玄関であり、その先に奥へと続く廊下が延びています。靴を脱いで奥の座敷へと廊下を進むと、フローリングと畳それぞれ十畳(?)の二間続きに6卓(だったと思う)が設えており、こちらもゆったりとしています。

 昔の豪農か庄屋さんを思わせるようなどことなく懐かしい感じのする店内です。壁に貼られた季節の山菜料理のお品書きに思わず涎が出そうになります。が、ここは初見のお店。まずは「ざる」を食さなくてはなりません。

 定番の「ざる」ができるまでお品書きをじっくりと拝見します。こちらの通常は二八のようですが十割蕎麦も提供しています。興味深いのは「変わり蕎麦(ヨモギ切り)」茶蕎麦の様にヨモギが入っているのでしょうが、どんな味なのかしらん?加えて「和風焼売」、こちらは知る人ぞ知る口コミで結構人気の一品とのことです。テイクアウトができるので買って帰ろうか迷ったのですが、1ヶ200円の焼売可と思ったら買う気が失せてしまいました。

 そんなくだらない葛藤をしているうちにお待ちかねの蕎麦が運ばれてきました。何と豪華にも一人用の枌に盛られています。脇には「二王子蕎麦」と黒々と墨で書かれ「これは美味そう!」と直感しました。ワクワクしながら「いっただきまぁ~す」と軽く一掴みおつゆにつけて味わいます。「フンフン!」いい感じに蕎麦の香りがします。蕎麦は幾分白っぽく更科系といえるでしょう。お汁はちょっと甘めのようですが蕎麦に良く絡みます。お値段は八〇〇円と高いのが難ですが、旨さとボリュームでカバー。季節によってサイドメニューもそれぞれ野趣あふれる品に入れ替えられるようです。お店のHPがありますので詳細は「二王子蕎麦 やなぎ」で検索してみてください。

 久しぶりに手ごたえ、いえ、味応えのある美味しいお蕎麦に思わず頬が緩みます。傍から見ればいいオバちゃんが一人でニマニマしながら蕎麦を食べている様子は頂けないのでしょうが、当の本人は初めての一人蕎麦が大当たりで大層ご満悦なのでした。
 蕎麦湯をたっぷりいただき満足感で満たされお店を後にします。今度は山の仲間を案内して蕎麦懐石を頂きたいと考えています。

丹沢・大山/阿夫利神社

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〇丹沢・大山/阿夫利神社
〇報告者 照山紅葉

 東京に単身赴任となり、最初の山行として選んだのが丹沢の東端にあり、神奈川県の有数の観光地で日本三百名山にも数えられている大山(おおやま)であった。大山へのアクセスは小田急線の伊勢原駅からバスで30分程の終点大山ケーブルで下車する。
 大山は古くから庶民の信仰の対象とされ、標高1,252mの山頂には阿夫利(あふり)神社の本社(上社)があり、中腹には阿夫利神社下社と大山寺が建っている。阿夫利神社の名前から想像が着くと思うが、阿夫利神社は雨乞いの神とされ、農民の信仰を集めた。大山は別名で「阿夫利山」とか「雨降り山」とも呼ばれている。
 阿夫利神社の歴史は古く、第10代崇神天皇の御代に創建されたと伝えられており、「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」「大雷神(おおいかずちのかみ)」「高オカミ神(たかおかみのかみ)」を主祭神とし、大山山頂に立つ本社に祀られている。また、大山山頂には祭祀に使われたと思われる縄文土器が出土されて、歴史の古さを物語っている(後から持ち込んだ説もある)。奈良時代以降は神仏習合の霊山として栄え、武家政権が始まってからも源頼朝、徳川家も信仰し武運長久を祈ったようだ。

 バスを降り、参道を登っていくと両側に土産屋が並び、早朝からの呼び込みをかわして行くとケーブルカー乗り場がある。勿論それには乗らず、少し進むと八意思兼神社(やごころおもいかねじんじゃ)が鎮座し今日の道中の安全祈願をする。そこから男坂と女坂に分かれる。当然急坂の男坂を選択したが、女坂の途中には関東三大不動の一つに数えられている大山寺がある。男坂を登りきると標高700mの中腹にある阿夫利神社下社に着き、朱や黄色に色づいた樹木に迎えられる。大鳥居をくぐり、拝殿で参拝し一休みする。拝殿の横から地下巡拝道行くと下社拝殿の地下から大山名水が湧き出ている。
 山頂へと歩を進める。下社から本社までは90分と標されている。道中には樹齢5、6百年の夫婦杉や天狗の鼻突き岩がある。下社からちょうど1時間で山頂に着いた。本社御本殿には大山祗大神が祀られ、前社には高オカミ神、奥社には大雷神がそれぞれ祀られているが、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊大権現が祀られていたようだ。また、大山祇大神は、富士山に鎮まるとされる木花咲耶姫の父神とされるため、「富士に登らば大山に登るべし、大山に登らば富士に登るべし」といわれている。
 大山から塔ノ岳へ向かう道中から見える富士山を眺めながら、東京にいる間に未登の富士山に行って両詣りしておくかと思うのであった。

2016年 1月山行・活動予定

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〇2016年 1月山行・活動予定
第28179号

今月の一言     「明けましておめでとうございます。」   古川

 アスタークに入会して今年で3年目となりましたが、一般的な登山だけでなく、クライミング、山スキー、沢登り、山菜採りやきのこ採りなどのヤブ騒ぎ、果ては温泉や寺社仏閣巡り(?)等々、山に関わるあらゆることがらを楽しんだあっという間の2年間でした。

 これまでの山行で仲間から多くのことを教えていただき、助けられてきました。また、いろいろな新しいことにチャレンジするなかで、自分なりに目標を持って生きることの大切さを実感しています。クライミングでは同じ失敗を繰り返して情けなくなったりいつまでたっても上手くいかずに自信をなくすことも多いですが、あきらめずに続けたいと思います。人から与えてもらうばかり、支えてもらうばかりで自分には何もないと常々思っていますが、そのような人間には達成感や自己肯定感、自然の中で過ごす時間が必要なんだと思います。

 目標とは少し違いますが、力を蓄えていつかチャレンジしたい山行の夢があります。
名付けて「ふるさと一筆書き」。ある時ふるさと糸魚川市の地形図をガン見していて、市(県)の境界線上に行きたい山がたくさんあることに気づきました。名立区との境界上にある峠道、不動山、溶雅、火打、焼山、金山、雨飾、根知から小谷に通じる塩の道、姫川沿いから風吹大池、白馬大池、小蓮華、三国境、(ここまでくれば白馬岳も入れたい。)、雪倉、朝日、栂海新道から日本海へ。
 既に登ったことがある山(道)もいくつかありますが、登山道のない稜線上などは手強そうです。地図読みとルートファインディング能力が必須だし、残雪期しか行けそうにない場所もあります。…でも行ってみたい…。
 ということで、ヤブ漕ぎ、北アルプス縦走、沢登り、もしかしてクライミングもあるかもしれないワクワクドキドキ一筆書きにいっしょにチャレンジしてくれる奇特な方、いらっしゃいませんか!行ける時期にちょこちょこ登って歩いて、どのぐらいの年月がかかるか分かりませんが、歩いた場所をぐるっと繋ぐことができればいいなあと思っています。

○2016年1月の山行・活動予定
01月01日(金) 能生・シャルマン火打 山スキー L関原
01月02日(土) 志賀高原・熊の湯~笠ヶ岳 L松木智
01月03日(日) 矢代・大毛無山 山スキー L村田
01月10日(日)~11日(月) 群馬・榛名山黒岩 L松木昭
01月11日(月) 矢代・青田南葉山 山スキー L村田
01月16日(土) リーダー会 新井いきいきプラザ1F 18:00~
01月17日(日) 妙高・赤倉観光スキー場 アバランチビーコン・トレーニ
ング L丸山
01月20日(水) 定例会 新井いきいきプラザ2F 19:00~

*行動可能日
村田…01月23日(土)山スキー

新年に向けて

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○新年に向けて
○投稿者 ようこ
 
 毎年年末には今年の山旅を振り返り、来年の山への希望を思いめぐらせることが私の元気の源になっている。が、今年は登山計画がことごとくつぶれ、その思いが絶たれてしまった。その様な状況のなか、アスタークの仲間と春の谷川岳、初夏の武尊山、紅葉の男体山に登れたことが大変うれしく感謝している。

 さて来年は冬眠することなくトレーニングを重ね、せっかく購入したスノーシューで雪の山々を歩きたい気持ちは持ち続けている。自分の健康管理、何と言っても年齢には逆らえず、このことが一番のネックとなっているのであるが、食事、運動に関心を持ち続けてがんばろう・・・。

 まずは近くの里山から始め、残る百名山の数も一桁になったことから、来年は南アルプスの赤石岳、悪沢岳になんとしてもリベンジしたいと思っている。もちろんアスタークの夏の合宿は同行できるレベルならば参加したい。ツアー参加の登山も体力的に年々厳しくなり、難しさを感じている。今年よりひとつでも多くの山行ができることに望みをかけ、新たな年を迎えたいと思っている。

北蒲原・月岡温泉浪花屋旅館・・・源泉井前の新鮮な温泉

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○北蒲原・月岡温泉浪花屋旅館・・・源泉井前の新鮮な温泉
○投稿者 温泉大好人

 雪のない年の暮れ、同好の士に誘われ五頭山周辺を探る計画を立てた。前日の宿を新潟の奥座敷といわれる五頭温泉郷か月岡温泉に取ろうと思っても、どこも宿泊料が結構高く、好みの宿が見いだせない。泊りは車中泊やテントでもいいのだが、いい温泉だけは浴りたい。今回は仕事で参加できない姐御さんから地元新潟の情報を探ってもらい、訪ねた宿が月岡浪花屋である。

 月岡温泉は今から100年前、石油井掘削中に湧出した歴史的には新しい温泉地である。ホテルSやKなど巨大な施設を含め、20軒程度の宿が並ぶ県内では有数の温泉街だ。月岡芸者と呼ばれる新潟県最多の芸妓の存在や、硫黄成分濃度が群馬・万座温泉に次ぐ日本第二位で、硫黄泉には珍しい弱アルカリ性の湯として広く知られる。
 現在の月岡には開湯後年掘削されたものを含めていくつもの源泉があるようだ。温泉成分は源泉井によって若干の違いはあっても、含硫黄ナトリウム-塩化物硫酸塩泉、成分総量3,500mg/kg前後の濃厚なもの。総じて湯色はエメラルドグリーンであり、どのような成分の影響か、時計、眼鏡、指輪など金属類は変色のおそれがあるという。

 さて浪花屋旅館である。温泉街中心部「月岡温泉発祥の地(飲泉場、手湯場、トイレなどがある)」石碑前にあり、青木屋旅館ともども開湯初期からの施設である。木造二階建て、やや寂れた感のある古い宿だが、立寄り客の人気は高いようだ。源泉に最も近い立地から新鮮な温泉が楽しめること、100%源泉かけ流しが大きな理由だろう。500人、600人が宿泊できるような巨大施設では源泉かけ流しがなかなか難しいであろうことは充分理解できる。
 立ち寄り料金はやや高い700円。休憩場所などは用意されていないが、当世流行の露天や混浴風呂はなく好感が持てる。女風呂と勘違いするような暖簾の奥に男女別の入口があった。5、6人用程度の男風呂はわたしたちだけで、ゆっくりと個性豊かな温泉を楽しむことができた。
 湯船のタイル色によるのだろうが、月岡の特徴と云われる緑色にはやや物足りない感じを受ける。石油井掘削の結果がうかがえるようにうっすらとした油膜が流れ、茶から黒色の湯花が漂っている。少し焦げくさいような油臭が何とも心地よい。温泉分析表で源泉温度は50~60℃と記されるが、使用場所では40℃ちょいかな? もう少し熱くてもいいように感じた。
 湯船には柚子が20個ほど浮かび、昨日が冬至で柚子風呂のサービスが続いていることを知り、年の瀬がそこまで来ていることをあらためて実感した。
 湯上りは体が少しべたついた感じがし、ところどころに付着した湯花が小さな黒子(ほくろ)のようになっていた。脱衣場、お風呂場ともに天井開放部が男湯と一続きになった女湯ものぞきたかったが、地元のばあさま方と思われる賑やかな声に断念した。

 五頭へきた目的が山麓の遺跡探訪であり、その最終地が月岡温泉の北外れにある刀剣伝承館「天田昭次(あまたあきつぐ)記念館」であった。刀剣観賞などわたしの趣味であるはずもなく、仲間のお付き合いとしても、温泉後の記念館見学はいい体験となった。日本刀は機能性、美観とも世界屈指であり、製作時代を問わず誇れるものらしい。
 五頭山麓は鉱石、粘土、炭などの産出、製造を含め、製鉄に適した地で、多くの関連遺跡があるという。その地に生まれたのが現代刀匠、新作名刀展の高位正宗賞を三度受賞し、人間国宝となった天田昭次(2013年死去、86歳、本名=誠一)である。鎌倉期の刀の再現を目指し、鍛治のみならず自家製鉄まで行った匠として知られる。
 数次にわたる伊勢神宮式年遷宮御神宝太刀の製作奉仕をはじめ、先日亡くなられた大相撲の横綱「北の湖」の土俵入り太刀も作成した。ひと振り1,000万円を超えるものもあり、市中に天田の作品は出回らないという。刀剣の価値や歴史が分からないわたしでも、多数の鈍い光を放つ天田作日本刀の刃紋の美しさはドキッとするものであった。

八ヶ岳・阿弥陀岳中央稜

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○山行地 八ヶ岳・阿弥陀岳中央稜 
○山行日 2015年12月26日
○メンバー L山越、永田、古川
○報告者 古川

 朝5時長野インター出口で集合し諏訪インターで高速を降りる。山越さんの案内で御柱祭木落し坂を通って舟山十字路へ向かった。
 林道ゲート手前には10台程既に停めてある。阿弥陀南稜へ行く人達の車だろうか。相変わらず八ヶ岳の天気は良い。寒さは昨年末と比べてだいぶ暖かく雪の量も少ないがマイナス5度以下ではないだろうか。慣れない寒さに少し緊張しつつ準備をして8時に林道を歩き出した。

 出だしの落葉松林は雪がほとんどなくまるで晩秋のようだった。阿弥陀岳中央稜へは立場川支流の広河原沢沿いに進み、右俣の本谷を少し進んだ先の二俣あたりで南斜面から取り付いて稜線に出る予定だ。ほとんど枯れている沢の堰堤をいくつか越える。テント泊の装備が肩に食い込んでだんだん辛くなってくる。まだ傾斜のない道なのに少しずつ先頭のリーダーと離されていき歩荷トレーニング不足を痛感した。途中でテントが幾張かある空き地があり数人とすれ違った。次第に沢は細くなり所々薄い氷が張り滝にはつららができている。細いつららでなんだか迫力がない。3人とも初めての場所なので地図で確認しながら休憩をはさみつつ進んでいき、支流のガレ沢がある辺りで取り付こうということになりアイゼンを装着した。

 ここに来るまでに今日はとても調子が悪いとは思っていたが、傾斜が急になったとたんに足がまったく上がらずにたびたび立ち止まってしまう。夏場には決して登れそうにないガレ場だが、凍り付いているお陰でアイゼンをきかせて登っていけた。
 高度が上がり少し風が出てきたが日差しも弱ってきて強烈な寒さだ。頭にかいた汗が太い毛束のまま凍りつきバリバリになる。遅い私にペースを合わせて登ってくれる2人に申し訳なく、足を上げようともがくが気持ちだけが空回りする。凍りついた斜面をノロノロ登るにつれて段々気持ち悪くなり吐き気がしてきた。いよいよ限界を感じて休憩してもらう。
 お湯を飲んでエネルギー補給しても吐き気や頭痛が収まらない。スローペースのためコースタイムもギリギリだ。本来は1泊2日テント泊の予定で明日は大同心稜も予定していたが、話し合ってここで引き返すこととなった。

 高度は2400mぐらいまでいっただろうか。あと少しで稜線に出るという場所であちらこちらに夏道が張り巡らされていたため、帰りはその道を辿って中山経由で降りた。夏道沿いには卒塔婆のような境界杭が何本も刺してある場所が何箇所もあった。長く感じた帰り道だが駐車場に着いたのは14時、正味6時間と行動時間はそれほどなかったがかなりの疲労を感じており駐車場に戻ったときは正直ほっとした。
 自分のせいで途中敗退となってしまいお二人に申し訳なかったが、暖冬と言えども八ヶ岳の寒さを舐めてはいけないと痛感した。体温調整が上手くいかず体調を崩したように思う。高山病になりやすいような気もするので心肺機能も高めて再チャレンジしたい。

2015年山行・活動一覧(11月~12月)

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○2015年山行・活動一覧(11月~12月)

(12月山行活動数16件60人、2015年山行活動累積数310件960人)

12月30日 矢代・西野谷~万内川 村田秀夫(単独)
12月29日~30日 佐久・志賀の岩場 L松木昭男 古川理香 山越輝之
12月28日 南葉山古道整備/妙高市市民活動支援センターヒアリング(勤研センター10:30~) L丸山邦男 松木智恵美ほか
12月26日 矢代・万内川石高谷エボ平「山の神」飾付け 丸山邦男(単独)
12月26日~27日 八ヶ岳・広河原沢中央稜~阿弥陀山~横岳大同心稜 L山越輝之 永田稔 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39755873.html
http://wonderski.blog.fc2.com/blog-entry-677.html 
12月23日 北蒲原・五頭山麓周遊~月岡温泉 L丸山邦男ほか1名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39749450.html
12月20日 須坂・天徳寺~坂田山~明覚山 L船山了 船山康子
12月19日 長野・大峰山物見の岩場アイゼントレーニング L永田稔 古川理香
12月16日 12月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L清水美代子 関原知文 長谷川博子 松矢英一 丸山邦男 村田秀夫 吉越哲也
12月12日 矢代・クモリ沢出合い~籠町南葉~猪野山南葉~重倉林道 L船山了 船山康子
12月11日 12月リーダー会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L松木智恵美 小林克也 清水美代子 関原知文 古川理香 松木昭男 丸山邦男 吉越哲也
12月09日 刈羽・下牧~米山 今泉葉子(単独)
12月08日 矢代・西野谷~青田南葉山~皆口 船山康子(単独)
12月06日 長野・大峰山物見の岩場 L小林克也 永田稔 古川理香 村田秀夫
12月05日~06日 2015年納会(妙高/赤倉温泉銀明荘) L幹事/清水美代子 今泉葉子 岡田顕彦 小林克也 清水緑香 関原知文 舘春雄 永田稔 長谷川博子 早津賢二 船山了 古川理香 保坂健 本間一郎 松木昭男 松木智恵美 松矢英一 丸山邦男 村田秀夫 山越輝之 吉越哲也
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39721936.html
12月02日 関田・ヨシ八池~黒倉山 L丸山邦男ほか1名

(11月山行活動数19件50人、2015年山行活動累積数294件900人)

11月29日 長野・大峰山物見の岩場アイゼントレーニング L関原知文 永田稔 古川理香
11月28日 関田・桶海~パインバレー周辺 L船山了 船山康子
11月22日 戸隠・中社~飯縄山 L永田稔ほか3名
11月21日~23日 中ア・千畳敷カール~木曽駒ケ岳~宝剣岳 L丸山邦男 船山康子 古川理香 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39701191.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39711710.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39716876.html
11月20日 妙高戸隠連山国立公園指定記念シンポジウム(妙高市文化ホール13:00~16:30市毛良枝ほか) 早津賢二ほか約700名
11月18日 11月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L清水美代子 今泉葉子 小林克也 長谷川博子 船山了 船山康子 本間一郎 松木昭男 松矢英一 村田秀夫
11月14日 東頸・吉川桜峠周辺 L船山了 船山康子
11月13日 11月リーダー会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L松木智恵美 小林克也 関原知文 古川理香 松木昭男 丸山邦男 吉越哲也
11月13日 西頸・能生柵口~権現岳 L古川理香ほか1名
11月11日~14日 伊勢・神宮参詣~熊野古道 L清水美代子ほか5名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39703444.html
11月07日 西頸・権現岳東壁「暑い秋」ルート L松木昭男 古川理香 吉越哲也
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39692898.html
11月07日 妙高・笹ヶ峰高原~関川水系ニグロ川 松矢英一(単独)
11月07日 西頸・根知川鉱度倉沢ブナ平~権現岳 L松木智恵美 船山康子 丸山邦男
11月04日 矢代・猪野山南葉山黄金清水観音堂コース~穴沢~三ツ俣 L丸山邦男ほか1名
11月03日 戸隠・奥社~八方睨~一不動~戸隠牧場 古川理香(単独)
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39681662.html
11月01日~02日 奥多摩・三峰登山口~雲取山~鴨沢口 今泉葉子ほか
11月01日~02日 西頸・根知川鉱度倉沢ブナ平~梶山新湯~北小谷 L丸山邦男 松木智恵美
11月01日 長野・松代尼厳山の岩場ビッグフェース5.9ほか L松木昭男 関原知文 古川理香 吉越哲也
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39684257.html
11月01日 関田・桶海~パインバレー周辺 L船山了 船山康子

佐久・志賀の岩場 ひなたエリア ひなたカンテ5.10aほか

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○山行地  佐久・志賀の岩場 ひなたエリア ひなたカンテ5.10aほか
○山行日  2015年12月29日~30日
○メンバー L松木昭 古川 山越
○報告者  山越

 今年最後の山行は佐久志賀の岩場でのゲレンデクライミングとなった。岩場へ向かう途中にある池にはうっすらと氷が張っており、それなりには冷えているが、いつもこの時期なら池はガチガチに凍っているので、今年はやはり暖かい。佐久志賀は1年半ぶり、フリークライミングは1年以上ブランクが空いてしまった。

 まず、ひなたエリアに向かったが、若干風があり寒く感じたので、一本杉エリアのアプローチ道近くにあるルートに登ることにした。5.10a位のルートが3本あるうちの真ん中のルートを登る。久しぶりの岩の感触を確認しながら、少しずつ足を上げていく。基本ガバなのでノーテンで登り切ることができほっとする。佐久志賀は初めての理香ちゃんにトップロープで登ってもらう。足で立ちこむことができずに苦戦している。次はリードで登ってもらうつもりでいたが、陽が影ってきたので、ひなたエリアに移る。
 5.9程度のルートを登ってみるが、日頃の体たらくがたたりワンテン。既に腕がパンパンになっている。となりの5.10cは今の自分の実力ではまるで歯が立たないので、そうそうに諦める。次は出だしが被っているルートをやってみるが、落ちるのが怖くて3ピン目が掛けられなかった。以前は登れていただけにショックがでかい。1年前より体重が2kg増加、体脂肪率も3%悪化しておりそのせいもあるが、やっぱり登っていないと駄目だと痛感した。3時半位になると寒くなり今日はこれで終了とし、今宵の宿へと移動した。
 宿は自炊設備が整っており、昭男さんの絶品おでんを頂く。ついつい飲みすぎてしまい、いつものように早々撃沈してしまった。翌朝も残りのおでんをたらふく食べてから、9時過ぎに岩場へと向かった。

 二日目はアプローチが近い奥の奥の院エリアに行く。理香ちゃんにリードで登ってもらうため、5.8程度のルートにヌンチャクを掛ける。昨日は動きが堅かったが、今日は足を使って登ることができている。私は5.10b程度のルートを登ったが、何度やってもガバへの一手が届かない。以前の筋力があれば強引に登ることもできたと思うが、そもそも細かいスタンスでの立ち込みができないから登れる訳がない。その後、懸垂下降中の空中停止方法や、トップが負傷した時にロープを固定し、ビレイを解除する方法などを学んだ。
 最後に下部はスメアで靴の摩擦を効かせて登り、上部はカンテや大きいホールドの使い方がポイントとなるルートを理香ちゃんと登り終了となった。東京に単身赴任してから山、岩に費やせる時間がめっきり減り、案の定の結果となってしまった。しばらくはクライミング技術の向上は難しいが、少なくとも体力の維持には努めていこうと思う。

すぐ近くにある山の魅力

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○すぐ近くにある山の魅力
○投稿者 ヒデ

 高田の街に住んでいて、籠町南葉山から青田南葉山に至るどっしりとした山容に目をやるのがなんとなく日課のひとつになっている。始めて登ったのが33年前の10月。南葉高原キャンプ場から木落坂コースで初めて青田南葉山に登った。それ以来長い付き合いになる。籠町南葉山への重倉林道からの2つのコース(ひとつはアスターク同人が毎年整備)、青田南葉山への明神沢コースやくわどり湯ったり村からのコースも知り、四季折々様々に楽しませてもらっている。豪雪地帯でもあるこの地域に暮らしていて雪山を楽しまない手はない。私も冬から春にかけてふだん目にするその地点に立ってみたい気持ちが自然に湧いてきて、春、残雪の南葉山も楽しむようになった。

・カタクリの可憐な花、そして残雪の青田南葉山頂へ
 春、南葉高原キャンプ場へ至る道の除雪が済み、車が通れるようになると、私にとって青田南葉山を楽しむのに1年で一番楽しい季節となる。初めて雪の山頂におっかなびっくり登ったのは18年前だった。カタクリの花が朝陽を受けてこれから花を開こうとしている。冷たい張りつめた空気の中、正面の尾根をアイゼンとスキーストックで注意深く上がっていく。上の平らなところまで登りきるとあとは水平で、妙高山も見え始める。帰りの道しるべとなる足跡を意識してはっきり残しながら進む。タムシバの白い花も青空に映えてみごとだ。山頂まであと少し、山頂の状態はどんなふうか、展望はどうか、どきどきして最後の登りを登りきる。2mあるか3mあるか分からないが、深い雪の塊の上に立っている。動物の糞をみつけた。白い毛がついている。ウサギの糞よりは大きい。カモシカであろうか。それ以来、最高に眺めのいいこの時期の山頂に毎年1回は訪れるようにしている。

・重倉林道をスキーで走り、籠町南葉山頂へ
 山スキーを購入してからは、駐車場所からの「射程距離」がぐっと延びた。山スキーで重倉林道をずっと進み、適当な稜線を選んで籠町南葉山に登ったことがあった。麓は新緑、山は銀嶺輝き、空は青、美しいコントラストだ。雪国でなければ決してみることのできない美しい世界。尾根にはりつく雪の様子で、雪が北西から吹きつけ続けたことがわかる。山頂の奥へ足を延ばすとそこは青田川の源流域だ。切れ落ちる雪の斜面が深い谷をつくって、遠くその先に高田の街並みが見える。我家のそばを流れる水もここから始まる。

・雪の青田南葉山頂に単独でテント泊をしたい!
 子どもの頃から臆病な自分を変えたいとずっと思い続けている。それで思いたったのが「雪の青田南葉山頂単独テント泊」だった。2002年3月下旬に午後から装備を一式、80リットルのリュックに入れて登った。2時50分にキャンプ場を登り始め4時30分に到着。荷物は重く急斜面は息が切れた。テントを設営しお湯を沸かして夕食をとる。夕陽に照らされた籠町南葉山、妙高・火打・焼、鉾・権現の巨大な大自然の造形をたっぷり鑑賞する。次第にあちこちの夜景が鮮やかに浮かび上がっくる。上ってきた月の光が足元の雪を僅かに照らしている。寝入ってしばらくして目が覚めた。強い風がテントをバタバタさせている。朝までの辛抱。いつしか風もやみ、外は明るくなっていた。一晩この山を独り占めしたような満足感を感じながらテントを撤収して山を下りた。

・籠町南葉山・青田南葉山の沢
 アスターク同人の会に加入させてもらって、沢にも興味を持つようになり、南葉山の沢はどうなんだろうと思った。何十年と車でただ通り過ぎていただけの水の流れが突然自分の課題に変った。キャンプ場へ向かうずっと下のほうの車道で横切る水の流れを地形図で確認すると、上は登山道の木落坂コースで最初に横切る沢に間違いないと判断できた。そして実際に遡行してみた。沢靴で進んでいくと僅かな落差がきれいな水の流れをつくっている。「ミニ滝」と言えるものもある。コンクリートの堰にぶつかり、藪こきと高巻が余儀なくされるところもあった。どんどん進むと次第に両脇が高くなり(水の循環がこれだけ削り取ったのか、と長い年月を意識させられた。)さらに見ごたえのある流れが続き、しまいに越えれない落差の滝に遭遇する。脇を上がる。そこはキャンプ場横まで来ていた。逆に沢の終了点から沢に入って降りて滝の地点まで確認する。
 すぐ近くにあるこの山には、まだまだ汲みつくせない山の魅力がいっぱいあるのだろうと思う。山菜のことはちっともわかっていないし、野鳥・動物も、今までオオルリ、キビタキ、ウサギ、タヌキ、カモシカを見たことがあるが、もっともっと様々なものと出会ってみたい。青田川を遡行し籠町・青田登山道に出るという目標も楽しみの一つである。

サムネイル上段左から1:1997.4.26早朝の南葉高原キャンプ場 2:1997.4.26カタクリの花(南葉高原キャンプ場)3:1997.4.26タムシバの白い花(山頂付近)4:1997.4.26青田南葉山頂より直江津方面を望む 5:1997.4.26動物のフン(山頂)6:1997.4.26青田南葉山頂より妙高方面を望む 7:2001.4.22重倉林道より籠町南葉山を望む 8:2001.4.22籠町南葉山頂への稜線 9:2001.4.22青田川源流・分水嶺より高田方面を望む 。隠亜2001.4.22青田川源流・分水嶺より高田方面を望む◆。隠院2002.3.28南葉高原キャンプ場 12:2002.3.28南葉高原キャンプ場よりせりあがる正面尾根 13:2002.3.28青田南葉山頂(日没前)14:2002.3.28夜景(青田南葉山頂より直江津方面を望む) 15:2002.3.29ナツツバキ・霜(山頂より少し下った地点)16:2014.6.28林道からキャンプ場間の沢(地図)17:2014.6.28林道からキャンプ場間の沢 。隠検2014.6.28林道からキャンプ場間の沢◆。隠后2014.6.28林道からキャンプ場間の沢щu梠檜)

南ア・甲斐駒ケ岳アイスクライミング -飯と宿が中心の話-

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○山行地 南ア・甲斐駒ケ岳アイスクライミング -飯と宿が中心の話-
○山行日 だいぶ昔の話
○山行者 オラとN
○報告者 オラこと花札役のアオタン

 別荘暮らし(鉄格子はありません)の間、山の雑誌をずいぶん読んだ。どうやら、最近は登る攀じるだけでなく、衣食住全てにおいて格段に進歩しているようだ。これなら冬山に行ってもずいぶん快適な生活ができるのだろう。では昔は・・・。

 2月初め、Nと黒戸尾根に向かう。ルートは桑木沢(今は桑の木沢?)~黒戸北沢。黒戸尾根南面の桑木沢を登り北面へ下降、黒戸北沢を登り返すのだ。卒業が危ぶまれるが、今更ジタバタしてもしょうがない(ジタバタしているのだが)。因みにNは4回生ではあるが2年生である。したがって気楽そうに見える。
 桑木沢は南面に位置しているせいか明るい沢である。登り始めるとすでに滝の氷から水が滴っている。巻けるところは巻いて登って行く。夕方30m程の2段滝を登ったところで宿探し。水流脇の平坦地にツェルトを張る。

 水面に張っている氷を叩き割り、水を確保。水を作らなくて済むのは助かる。晩飯は高野豆腐、丸美屋・麻婆豆腐の素、アルファ米を使った麻婆雑炊だ。ジフィーズは高くて買えない、アルファ米はそのままでは食えた代物ではない、という理由でこれに落ち着いてしまった。これから3日間、朝晩同じメニューである。レーションの残りをつまみにウィスキーを飲みながら準備する。高野豆腐を戻し、アルファ米を蒸らす。この飯の難点は時間がかかること。待っている間に酔いが回る。最後は麻婆豆腐の素で炊き上げて完成。これが意外と旨い。
 寒くて目が覚める。大分眠ったかと思ったが、まだ12時だ。酒が効いている間しか眠っていられない。結局、Nと背中を合わせて朝まで耐えることとなる。新聞紙を持って来れば良かった。

 朝は味噌ラーメンを食べて出発。桑木沢中流域の景観は素晴らしい。足元から全てが氷に覆われている。ガチガチの氷を登って行く。奥壁は左の灌木帯へ逃げ、2時間程悪戦苦闘。登山道を登り、黄蓮谷に下降する。今夜の宿は出合の岩小屋、貸切である。昨夜よりは寒さはしのげるだろうが、薄暗く圧迫感があって好きになれない。焼豚でも炙って食べたいが、そんなご馳走はない。

 黒戸北沢はほぼ一直線に稜線に突き上げているが、傾斜はそれ程強くないし休める場所も十分にある。ザイルを部分的に出し、後は思い思いに登って行く。途中のんびりしたせいか、夕方になっても稜線に着かない。稜線直下であるのは間違いないのだが。宿探しを始める。しばし探すとおもしろい場所を発見。灌木が生えた斜面を雪が覆っているが、中は水平に空洞となっている。灌木の根っ子下の土が崩れたのだ。雪洞と土洞の中間といったところか。クマの巣とも思えないのでここに決定。中に入れば足元は土だ。天井に灌木の根っ子が見えているが気にしない。今夜の宿は非常に快適である。まず暖かい、しかも覆っている雪と斜面の隙間から星空が見えるではないか。星空を見ながらウィスキーを飲み、麻婆雑炊を食らう
。後は帰るだけだ。ツェルトを被って寝る。

 15分程で稜線に着き、滑りやすい登山道を駆け下った。竹宇神社で面を洗い、歩いて駅へ向かう。11時過ぎ小奇麗な定食屋を発見、自然と足はそこへ。ビールで乾杯。ビール2本で終わるはずもなく、野菜炒め定食を肴に日本酒を飲み始める。旨い、やはり下界の食い物は旨い。ご飯だけでも旨い。しこたま飲んだおかげで大散財となった。最後まで登山者には出会わなかった。好天に恵まれ、飯と宿にも恵まれた(?)俺達だけの静かな黒戸尾根であった。
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