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2016年 年間山行・活動計画

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〇2016年 年間山行・活動計画
〇投稿者 リーダー会

1、2016年年間山行・活動計画
 …衫祺顱痛莊鄲荵或緲貌
 ▲蝓璽澄鴫顱痛莊酊衫祺饒阿乏催
 山行・活動
  1月…ビーコン操作トレーニング L丸山
  3月13日(日)…公募登山 能生・シャルマン火打スキー場~放山(山スキー) L松木智
  4月…搬出訓練 L関原
  6月19日(日)…春の古道整備 L小林
  7月下旬~8月上旬…夏合宿 分散形態 L松木智
 10月23日(日)…秋の古道整備 L小林
 12月03日(土)…納会 松木昭

2、月例山行…全体の登山技術、知識のスキルアップを目的とする。
 ○計画の担当者は実施月の前々月のリーダー会に計画を提示すること。
 ○古道整備、夏合宿、公募登山の月は除く。
  1月…ビーコン操作トレーニング L丸山
  2月…公募登山準備 L松木智
  4月…搬出訓練 L関原
  5月…残雪を利用しての登頂 松木昭
  9月…沢登り L山越
 11月…キノコ狩り山行(藪山、読図トレーニング)L小林
 12月…年末年始山行(道の無い百名山&温泉)L清水美

3、【今月の一言】… 担当者は担当月の前月15日までに小林PCメールあて送ること。
  1月…古川、2月…村田、3月…本間、4月…和田、5月…館、6月…町田、7月…日馬、8月…松木昭、9月…関原、10月…清水美、11月…永田、12月…丸山 

4、地域研究
  海谷・鉢山南壁ルート開拓 L松木昭 5月下旬~7月

5、会員募集活動
 ・一人最低1名の入会者を! ← 各自で名刺を作成し活用する。
 ・3月の山スキーによる公募登山に全会員の協力をお願いします。

妙高・赤倉観光スキー場ビーコントレーニング

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○山行地 妙高・赤倉観光スキー場ビーコントレーニング
○山行日 2016年01月17日
○山行者 L丸山 小林 関原 船山了 町田 松木智 松矢 村田
○報告者 丸山

 アバランチビーコンは持っているだけ(電波発信しているのみ)で、ほとんどの者が積極的に使用する機会のない(捜索モードを使用しない)典型的な装備です。それが当たり前で正しい姿とはいえ、一年間何もせずにいた場合その使用方法をすっかり忘れてしまうのが現実だと思います。それを防止し、一人一人がそれぞれの機器の正確な操作法を身につけておくため毎年行っている活動がこのトレーニングであり、積雪期の登山活動を行う会員全員を対象としています。
 とはいえ、今回体調や家庭事情、職場環境などさまざまな要因で参加者が予定の半数以下となり、さらにもう一度行わねばならないのかなと考えた当日でした。

 常々雪崩、ビーコンに対する考え方は周知されてきたはずで、機器の操作に特化したトレーニングを目的としても、作業の合間ごとに再度そんな考えを確認し合うことも大切なことでした。
 そもそもビーコンは雪崩を避けたり、雪崩から身を護る機能を有していません。万が一雪崩に遭遇埋没した場合、少しでも救命の可能性を高めるものでしかなく、古くから使われてきた雪崩ヒモを改良発展させたようなものです。ただし雪崩に関して今のところビーコンを凌ぐ性能を持つ一般的機器はなく、山岳地によってはビーコン所持を義務化しており、この器具類を装備せざるをえない最近の現状です。
 先年、北ア・立山大走りの雪崩で亡くなった七人は埋没と同時に死亡したといわれ、発生破断面が1m以上に及ぶ巨大雪崩で生存している可能性は極端に低く、ビーコンは遺体捜索用のものと考えた方がいいかもしれません。埋没後、ビーコン捜索で早期に発見され、命があったら運がよかったと考えるべきです。
 ビーコン、プローブ、シャベルの三点セットが冬山の基本装備といわれて久しいですが、無いより在ったほうがいい程度と考えるべきで、気象条件を含めて雪崩を避ける行動と安全な地形を求めることが最大重要なことです。単独であったり、二人パーティーの二人が同時に雪崩埋没すればビーコンなぞ何の役にも立ちません。

 トレーニングにあたって参加者に指示した事項は
・各々が所有する機械の電源、受信、発信機能の切り替え操作等を熟知してくる―多様な機種があり、それぞれ操作法が異なる
・プローブの組み立て方をあらかじめ学んでくる(積雪が少なく実際に使用できなかった)、といったところです。

 計画自体は以下の通りです。
・一次集合地 あらい道の駅8:00、二次集合地 赤倉観光ホテルスキー場ゴンドラ乗り場前8:30
・トレーニング地は例年通り第二リフト終点から「山の神」間の樹林帯
・個人装備 積雪期日帰り用登山具、アバランチビーコン、プローブ、シャベル、シールを含む山スキーセット
・共同装備 ハンディートランシーバー2台
・器具使用の基本的考え方を整理してくること―埋没者を15分以内に発見、掘り出すことを念頭におく

1.ビーコンの正常な作動を確認(ビーコンチェック)―山行時必ず行うもので、50mほど離れた受信状態のリーダーに向かって一人づつ発信状態で歩く。到着後はリーダー同様受信で後続をむかえる
2.ビーコンそれぞれの受発信特性と限界確認―やはり50mほど離れた地から位置確認ができる雪上の発信ビーコン周辺を歩き、自己所有機で受信状態の特性を理解する
3.樹林帯の雪中に埋められた発信ビーコンの捜索―最接近地点複数ポイントから埋没地を想定し、埋められたビーコンを掘り出す。F1フォーカスを代表としたアナログタイプはアッテネーターによる受信の感度調節が必要であり、やや使いにくい面があっても、デジタルに優る性能部があり、それぞれが所有する機器の特性、性能になれることが大切だ
4.プローブ―雪が少なく使用できなかったが、一辺30cm程度の正方形を念頭に、各角を垂直に探ることと複数者による確実なゾンデレーンの設定が大切である
5.シャベル、スコップ―掘り出しは斜面下方に向かうことは雪国の人間であれば誰もが理解できるであろうが、軽量、コンパクト化に重きを置きすぎると使い物にならないモノとなる可能性がある(シャベルは雪洞作成時にも使用し、一定程度の強度と大きさが必要である)

 ビーコン捜索に当たって最も大切なことは迅速さと二次被害を防ぐことだと思います。特に雪崩が起きたような地は、その後も雪崩危険が相当あるもので、捜索に入る場合は見張りや連絡法の確保など考慮しなければポイントは多岐にわたります。特に視界が効かない悪天時は捜索そのものを中止せざるを得ないこともあることを知ってほしいと思います。臆病ということではなく、自らの安全は自ら構築するということです。
 機器操作以外の雪崩に関する知識や実際は、山行時あるいは机上で学ぶことも出来、いろいろな機会をとらえて勉強する必要があり、日々、精進されることを期待します。
 最後は妙高高原駅前、アスタークの定宿「加藤蕎麦屋」さんで昼食会。新人の町田君を交え、雪の少ない山を憂いたり、暮らしやすい毎日を喜んだりで楽しい一時を過ごすことができました。さあ今年もいい雪山を楽しみましょう。

平成27年、東北の山麓探訪とあれこれ

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○平成27年、東北の山麓探訪とあれこれ
○投稿者 ほんま

 今年の春、山ならぬ北国の春(桜と新緑)を求めて、4月23日から車で2回目の東北6県9泊10日の周遊をして来きました。
 前回は2012年秋に、今回とほぼ同じコースを周遊したのですが、その時は最初から6県も周遊しようなんて考えもせずに出発しました。目指すは仙台に住む息子の嫁が出演する「市民交響楽団コンサート会場」でした。仙台まで行くのであればと思い、「大内宿」を見て回った後に会津若松で前泊し、翌朝「五色沼」を周遊してから仙台に入りました。
 ここで、大きく気持ちが動きました。上越から新潟、福島、仙台方面に向かうわけですから、紅葉もジリ貧かと思いきや、大内宿の周りを取り囲む里山の美しさ、そして磐梯高原や五色沼の木々も色鮮やかに染まり、その紅葉が秋空の青さと相まって、とても綺麗で、そして華やかに感じました。
 仙台ではコンサートの翌日、地元で評判だという郊外にある蕎麦屋「伝五郎」に案内され、美味しい蕎麦を頂いてから上越に戻る予定でした。が、前述の様に紅葉の美しさに圧倒され、触発されたものですから、「紅葉の途切れる所まで行ってみよう」と、更に北へ向かうことにしました。
 しかし、平泉中尊寺・毛越寺や八幡平を過ぎても、なお美しさが衰えることは無く、八戸、奥入瀬渓流・十和田湖を経て、最終的に青森・竜飛崎まで行ってしまいました。おそらく道南もまだ紅葉を楽しむことができるのだろうなぁと、津軽海峡を挟んで遠くに見える北海道の山々に思いを残し、「津軽海峡冬景色」の歌碑の前で、大音量の曲を2回聴いてから決心し、帰路に着きました。
 その途中、秋田・男鹿半島の「なまはげ」を見に行く為、早朝の八郎潟農道を走行していました。それ迄は好天が続いていたのに、その日は朝から雨模様。しかも、最短距離の農道を選択したので、カーナビがありながら(通行止め多数あり)思う様に走れず、広い干拓地内を右往左往し、迷子状態になってしまいました。しかも、空は増すます雨雲が厚く覆って暗くなり、その挙句、ラジオからは「竜巻注意報」が流れる始末。前方遠くには垂直に立ち上がる黒い竜巻様雲が数本見えました。八郎潟はその時に初めて訪れたのですが、とにかく“広くて全く誰も居ない所“でした。そこに竜巻が襲ってくるような事態になり、物凄い恐怖感を覚え、必死の思いで八郎潟を脱出しました。それに懲りて、山形や新潟北部の周遊をせず逃げるように上越に戻りました。

 私が知っている東北地方の山は、平地から眺める限り、日本アルプスの様な高さや峻険さが無さそうで、優しい感じがするのが好きです。
 しかも、百名山に名を連ねるような山々が「ある地域に集中」していたり、あまり連峰を成したりしておらず、県毎に全国的に知られている代表的な山があるので、もし、登ることができれば、なんとなくその県の山を全部登ったような気持ちになるのではないか、と勝手に想像したりしています。
 例えば、福島県の会津磐梯山は、名前を聞いただけで♪イャ~会津磐梯山は~♪と体内に民謡が流れ出します。又、人によっては千恵子抄の安達太良山の方が先に浮かんでくるかと思います。蔵王連峰(山形・宮城)は、行った事が無くとも美しい樹氷が目に飛び込んできます。岩手県には岩手山があります。盛岡市街地から近距離にある、日本畜産振興のリーダーであった小岩井農場からの岩手山の眺めは格別です。場内はゴルフコースのように緑が綺麗で、又、有名ブランド「小岩井」の各種乳製品と共にボトルとグラスも一緒に並んでいるのがイメージされます。青森県は、映画にもなって誰もが知る八甲田山遭難事件の八甲田連峰があり、名城弘前城の北方には津軽富士「岩木山」が座し、真っ赤なりんごの実った情景が浮かび上がります。青森・秋田に連なる白神山地は、日本初の世界自然遺産に登録されました。あのブナの林の中を歩いてみたいし、白神岳にも登ってみたいと胸が膨らみます。・・でも、最初はやはり「会津磐梯山」かなぁとも思います。
 そして、それぞれの山の近くには有名無名の温泉が数多く湧出しています。登山を愛する人達には、本格的な登山に相応しい山々も沢山あると思います。でも、私の頭に単純に思い浮かぶのは以上の山々です。

 今年の春は東北の桜と新緑を見るために、最初から6県を周遊するつもりで家を出ました。日本三大桜で樹齢千年の福島県三春の滝桜は、前年に見たばかりだったのでパスし、最初に訪れたのは会津若松・鶴ヶ城でした。城址は桜まつりの最中で、花は満開で天気も良く、最高に綺麗でした。城内には千利休の息子・少庵ゆかりの茶室跡「麟閣」があり、そこで抹茶を戴いた後、神指城(注)を目指すことにしました。
 この城は、直江状(直江兼続)の文言に激怒し、上杉討伐の兵を起こして進軍する徳川家康を迎撃する為、上杉景勝が直江兼続に築城を命じた城で、訪れた時は、地元のおばあさん達がお茶とお酒でお花見を楽しんでいました。桜の本数は20本程度で少ないものの幹は太くて大きく、しかも桜は満開で、且つ、丘の中心には推定樹齢400年の歴史を刻む「高瀬の大木」(欅の巨木:国天然記念物)が風にそよいでいました。結局、日の目を見ることが無かった為、一般観光客も疎らな城跡でしたが、とても見応えがあり、良い光景でした。-(注)神指城(こうざしじょう):石田三成挙兵の報を受け、徳川家康は決戦のため「関が原」に向けて反転。その後、西軍豊臣が敗れ、上杉軍は直接戦場で東軍家康と戦う事はなかったがその後上杉は豊臣から徳川の軍門に下り、会津から米沢に移封される事になった。神指城は築城途中で廃城となり、今は「まぼろしの巨城跡」と言われている-
 
 震災復興中の三陸地方を所々(石巻、陸前高田、久慈・あまちゃんの小袖海岸等)見ながら北上し、奥入瀬渓谷に入りましたが、予想通り新緑はこれからという景色でした。
 弘前城は3日程前に強風が吹いたそうで、満開だった桜は花吹雪となり、お堀の水面を埋めて花筏となっていました。角館では、暖冬のために武家屋敷の桜は完璧に葉桜になっており、最も期待していただけに残念でした。東北の桜と言っても、日照時間や海抜、地形等の要因がからみ、単に緯度で決まるものでないと実感しました。
 再び、「なまはげ」です。前回、“散々の目にあった八郎潟“。今回は海沿いの国道を選択し、リベンジを図ることにしました。なぜ、「なまはげ」か? 自分が子供であった昔から年越しの行事として有名であった事や、鬼なのにどこか愛嬌があり、いかにも雪の大晦日に相応しい光景として目に焼きついていました。本物のなまはげが居る所はどんなところなのか、実際に自分の眼で見てみたいと男鹿半島を目指しました。現地で説明を受けるまでは、なまはげが真山神社の神様の使者だったとは知りませんでした。

 先ず、中腹の真山神社にお参りし、次いで「なまはげ館」で、百十体、百十色の男鹿各地に残る様々な姿、形のなまはげを見てから、隣接する「男鹿真山伝承館」で大晦日のなまはげ行事の再現を見ました。「悪い子はいねがー」「泣く子はイネガー」と、鬼の面を被って蓑を着け、大きな出刃包丁を持って各戸の一年の悪事を諌め、災いを祓い、来る年の吉をもたらす為にやって来る・・・、これは凄い迫力がありました。なまはげと家の主人のやり取りは、嫁姑問題や教育問題等の現実的な内容でありながら、面白可笑しく、観光客を笑わせていました。このような行事を存続させることは難しく、観光客を相手に常設館で見せることになったとか。伝承館のパンフによれば、「真山神社」は景行天皇の時代に武内宿禰がこの地 に下向の折、使命達成と国土安泰を祈り、ニニギノミコト、タケミカズチノミコトを奉斎したことに始まると伝えられる古社で、平安時代以降、神仏習合の霊山として栄えた・・・とあります。
 そして、前回素通りした山形県ですが、今回は羽黒山(出羽三山)に絞って行くことにしました。ここでも意外なことが・・・でも、文章が長くなるので止める事にします。
 今年の私の山行はとても充実したものだったと自己満足しています。第一に最北の百名山「利尻山」、第二に中央アルプス縦走(千畳敷~空木岳)、第三に立山連峰縦走と、いずれも好天に恵まれ、美しい景色を見て、登山の楽しさ、喜びを同行のメンバーと共有し、事故無く下山できたことです。身近なものとして、春と秋の南葉山の古道整備にメンバーと参加し、一緒に活動した楽しい思い出もありました。

 日本全国のいたる山々には神様を祀ってあります。古来山に神が住むと日本人が思い敬ってきた歴史も伝統もそれに伴う民族行事も、年を改める時、特に日本人だなぁと感じます。伊勢神宮に代表される式年遷宮は、解体される木材を他宮社で再使用され、新たに使用する木材は計画的に神社管理の山で植林し、成長した木を使用するという、大昔からの素晴らしい自然環境保護システムがあります。

 パリで開催されているCOP21では、先進国と途上国の主張が折り合わず、先行き不透明な状況です。事、環境問題は時間がないのです。自国の利益だけを主張する時ではないと思います。又、議長国フランス・オランド大統領が、このまま環境問題が解決の方向に踏み出さないと、異常気象により食料生産が減少して新たなテロを生み出すとの懸念も述べています。自然を守ることは人を守ること、その逆も言えると思います。中国からの汚染大気の影響で酸性雨による森林立枯れや文化財の侵食進行の影響等は最近余り報道されません。
 このような単純なことだけではありませんが、山には美しい自然が無ければ楽しさが半減してしまいます。ゲリラ豪雨で自然崩壊することも人的被害も困ります。温暖化の進行は確実にそして顕著に進んでいます。世界がCOP21で有効な合意ができる様、古来から現代まで自然を敬い保護してきた精神と技術を持つ日本です。日本のリーダーシップに期待しています。
 なまはげの蓑から落ちた藁を持っていると、厄払い・幸運になるとの事で、2本拾って持ち帰りました。来年も安全な山行ができるように願うと共に、努力したいと思います。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。(2015.12.8記)

 写真説明(サムネイル左上から) 早朝の大内宿、桜花満開の鶴ヶ城、春爛漫鶴ヶ城、神指城跡、会津藩校日新館より磐梯山を望む、岩手山を背景に小岩井一本桜、八甲田連峰、弘前城お堀の花筏、男鹿半島のなまはげ、真山伝承館のなまはげ行事

頚城山群周辺動向 (2016,01.01~)

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〇金谷山スキー場で救助訓練
 上越南消防署特別救助隊は21日、金谷山スキー場で救助訓練を行った。参加した隊員17人は救助者を捜索し、下山するまでの一連の流れを確認した。訓練は、スキーヤーが雪崩に巻き込まれたとの想定で行われた。上越地方ではバックカントリースキー目的に雪山に入る人が増え、昨シーズンは妙高市で3件遭難が発生、2人が死亡した。(1/22、新潟日報上越かわら版)
 * ここ数年急激に山岳スキーをする人が増えてきている。新幹線開業、妙高戸隠連山国立公園の制定を背景に、自然観光やスキーを目玉に活性化を図ろうとする妙高市だが、山岳遭難に備えた対策や準備はいったいどうなっているのか全然見えていない。妙高山域を管轄するのは 上越南消防署特別救助隊だけなのだろうか?

2016年 2月山行・活動予定

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○2016年 2月山行・活動予定
第28180号

今月の一言      「明るい気持ちを持って」      小林

 今年は例年になく雪が少なく、生活する分には非常に助かるのだが、こうも雪が少ないと冬らしく感じられない。昨シーズンは年末からの降り出しが早く大変な思いをした。特に道路は除雪が間に合わず大渋滞し職場までの道のりに2時間近くもかかってしまった。国道18号は深夜になっても渋滞するなど様々なところで影響があったと思われる。その分雪の量は豊富でスキーをするには申し分がなかった。
 しかし昨シーズンはバックカントリーの事故が多く、雪崩や遭難といったニュースが全国的に取り上げられた。不用意な行動や安易な考えは絶対にしてはならないと自分自身戒めの気持ちをもち山行に取り組んでいきたいと考える。
 事故といえば最近ではスキーツアーの観光バスが事故を起こし、多くの大学生の命を奪うことになってしまった。連日テレビでも報道され管理体制の不備が指摘され他の事業所にも監査が入るまでに至った。
 以前にブログでヒヤリ、ハットのことが取り上げられたが、小さなミスの積み重ねが重大な事故を引き起こすことを忘れてはならない。原理原則とは何かしっかり考えるきっかけになればと思う。
 さて今年は雪が少なければ、早い時期から気軽に山に入れそうである。昨年の夏合宿で感じたまずは健康であること、そして準備、天候と仲間を大切にしていきたいと思う。冬でひきこもりがちの方がいたらお願いです。明るい気持ちを持って一緒に山に行こうではありませんか。

○2月の山行・活動予定
 02月10日(水)~11日(木)志賀・熊の湯~笠ケ岳 L松木智
 02月11日(木) 矢代・西野谷~籠町南葉山 L村田
 02月13日(土) リーダー会 新井いきいきプラザ1F18:00~
 02月14日(日) 長野・物見岩(基礎技術復習講習)L松木昭
 02月17日(水) 定例会 新井いきいきプラザ2F19:00~
 02月20日(土) 関田・温井~鍋倉山(山スキー)L小林
 02月20日(土) 長野・物見岩(基礎技術復習講習)L松木昭
 02月21日(日) 刈羽・米山 雪山トレーニング L関原 
 02月28日(日) 長野・物見岩(基礎技術復習講習)L松木昭

○3月山行予定 
 03月05日(土) リーダー会 新井いきいきプラザ1F18:00~
 03月13日(日) 公募登山 能生・シャルマン火打~放山 L松木智
 03月16日(水) 定例会 新井いきいきプラザ2F19:00~

海谷・駒ヶ岳のワニ口

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○海谷・駒ヶ岳のワニ口
○投稿者 AJ920

 新潟県糸魚川市の根知振興協議会(ブログ)による海谷・駒ヶ岳の「ワニ口(わにぐち)」に関する興味深い情報が公開されています。
http://e-nechi.blogspot.jp/2015/05/blog-post_11.html、http://e-nechi.blogspot.jp/2015/09/blog-post_4.html
 一般的に「ワニ口」といえば「鰐口」と書かれる寺院神社正面の軒に、布で編んだ太い縄とともにつるされた円形で扁平中空の金属製の音具を言い、「鈴」と同様に仏様神様に自らの参詣をお知らせするものです。下方が横に長く裂けており、参詣者が縄でたたいて鳴らします。「鰐口」は寺院、「鈴」は神社に多いとされますが、いずれも合掌、柏手前に為される所作であり、賽銭箱とともに参拝所、拝殿に設けられています。
 わたしたちクライマーが 駒の「ワニ口」と聞いて思い出すのが、根知谷に面した南壁“お駒の菱”とその正面左隣“ワニ口の大滝”です。日本最難氷柱として知られた“十一面のカネコロン”もその西側にあって注目された時代がありました。それらは糸魚川-姫川の支流根知川のさらなる支流「湯の沢(元湯の沢)」奥壁部や大神堂登山ルート(青年団バンド、山伏バンド)が通る「障子菱」へ続く一連の巨大岩壁の一部です(日本登山体系6を参照)。

 ところが前記ブログによれば、「ワニ口」は海谷・山境峠キャンプ場から望める駒の西壁にかかる「いの字滝」近辺の岩窟と記され、その登山記録が載せられています。糸魚川労山HPでも細やかに同所の祠、石造物の写真数点を掲げており、興味深さを越えて驚くべき歴史遺物の確認といえます。http://www.geocities.jp/jr0krmjp/setudou-1.html
 両団体の報告は、ともに一般登山者によるものらしく、かなりの苦労を伴ったようです。山境峠から駒への一般道を辿り、標高約1,000mの地点から右へ、すなわち南上方に向かって緩傾斜の岩壁中の灌木を伝って行動し、その後ロープを使った下降で目的の「ワニ口」へ到達しています。この岩窟は昭和44年発行の1/5万図「白馬妙高戸隠」に遺跡として記され、地元では昔から知られたものでした。
 岩窟内には木製の祠におさめられた木仏があっても、風化がすすんでいるらしく仏様がどなたか判別できないようです。石造物は不動明王像と十三仏と思われる曼荼羅体が置かれ、細かく探れば祭祀具や行者の生活痕が発見される可能性もありそうです。近年まで当地実在の人物が修行したといい、御前山集落をはじめ山麓からローソクの灯や祠を望むことが可能であったと伝えられます。「ワニ口」はちょうど戸隠修験道行者によって開拓された表山三十三窟のような存在らしく、今記録ともども強く惹かれるものを感じます。

 駒の西壁といえば、かつて一般道左手の大スラブにわたしと昭男くんが開拓した登攀ルートが存在しても、そう楽しいクライミングでなかったことを思い出します。そもそも駒ヶ岳西壁に関すれば、根知川の右岸支流島滝川(梨ノ木川ともいう)の源流から海谷山塊の玄関口山境峠背後に位置する灌木、ブッシュの侵入激しい岩壁であり、スケールが小ぶりで一般道を除けば登山的に白紙状態であったエリアです。
 日本三大霊峰のひとつ加賀白山を開いた泰澄が、糸魚川御前山の岩窟にある観音菩薩仏前で草庵をいとなみ、読経、修行後御前山観音堂を建てたらしく、これが十一面観音菩薩をご本尊とする現在の雲台寺だといわれます(インド僧法道による開基説もあり)。泰澄は柿崎町下牧密蔵院を創建し、その絶頂米山に登ったとされ、和銅5年(西暦712年-古事記成立年、妙高をはじめ和銅年間の開山記録が極端に多い)のことと伝わります。
 修行した岩窟周辺には「駒のヘソ穴」と呼ばれるものもあり、遠望した限り大小いくつかの洞窟が認められます。関連があるかどうか不明ながら、島滝川左岸には標高530mの小鼻ヶ城の小山があり、その西面根知谷上野にヌナガワヒメの「御所」と呼ばれる小高く土を盛り、四方を切石で囲んだ遺跡が存在します。ヌナガワヒメ-御所-御前山-大神堂(道)-ワニ口-雲台寺-観音菩薩・・・、この地はテンコ盛りの神話、伝説に彩られているようです。

 それでは駒ヶ岳南壁の「ワニ口」はどこにあって、“ワニ口の大滝”はいったいどのように命名されたものか、あるいはこの地では「ワニ口」が神社仏閣同様あちらこちらに存在するものだったのでしょうか。
 糸魚川市のHP「奴奈川姫の伝説」には“根知村字梶山の駒ヶ嶽は、ひし(絶壁)の所に駒に似た白い瘤があるから付いた名だ。そこの鰐口(わにぐち)といふ洞穴に、昔明誓上人(みょうしょうしょうにん)が修行していた”とあります。
 “ひしの所の白い瘤”は駒の南壁、南西壁を分ける南西岩稜の下部コブ尾根であろうと思いますが、定かではありません。このあたりの文献、資料として一般的なものに、前記サイトや全国横断的組織駒ヶ岳ファンクラブブログ、地元上越で伝統的日本画の技法を用い、主に古事記に登場する高志の奴奈川姫を描いている川崎日香浬公式サイト等があり、面白く楽しい記事が見られます。ちなみに川崎氏は上越市生まれで、高田の日本画家小林古径記念美術館に関わる、当会Hさんとも親しいうら若き女性のようです。
 話がそれてしまいました。「ワニ口」を洞窟ととらえれば、洞窟は駒の西面西海方面に幾つも見られ、南面側にもそれらしきものは多いようです。駒ヶ岳最大最難の岩壁叉蕋腺嘉俘亀ィ苅娃娃蹐痢箸駒の菱”上下部を分断する、コンティニアスで移動可能な横断バンドも洞窟状であり、情報ソースがあきらかでないもののここもまた行者の修験所として使われていたように聞きます。根知谷最奥の集落で現在は廃村となった梶山上流山麓からはっきり確認できる横長の洞窟であり、岩壁上部からの凄まじい高度感に行者が神仏の世界を感じ取っていたことでしょう。登攀アプローチとなる「湯の沢」には簡単に辿りつける洞窟が2、3あり、いよいよもって興味のわくところです。
 ワニが神話「因幡の白兎」、「海幸彦、山幸彦」に記される海の鮫でしょうが、人をも飲み込む体幅いっぱいの大きな口が音具や岩窟「ワニ口」の語源かもしれません。駒ヶ岳のみならず、鮫が口を開いたような岩窟は海谷山塊にいくつも認められ、わたしたちに最も馴染み深い船浦山東壁第二スラブ神奈川三商ルートA3の帯状ハングもそういった形態の洞窟です(昭和52年夏合宿、6~7名の会員で数泊のビバークを楽しんだことがある)。岩質的に軟らかい、脆い部分が長年にわたる風水触の結果出来あがったものでしょう。
 
 天地のはじまり神世七代(かみよななよ)最後の神様イザナギ、イザナミノカミを祖神とする古代35神の一柱が海の神オオワタツミノカミであり、昔話「浦島太郎」龍宮城の主と重なります。そしてワタツミの子神ホダカミノカミ(穂高見神)が海神族の祖神として、安曇野上高地の明神池に祀られています。もちろん諏訪大社の祭神タケミナカタノカミも海神族といわれても、高志の国ヌナガワヒメを娶った父神オオクニヌシノカミは、ワタツミ同様イザナギ、イザナミの子神である「山の神」オオヤマツミノカミの系列にあるとされています。神様の代表選手アマテラスオオミカミ、スサノオウノカミもまたイザナギ単身の禊によって現れ、見方によってはワタツミ、ヤマツミの兄弟姉妹神ということになります。
 本地垂迹(ほんじすいじゃく)説が仏教興隆時代の神仏習合思想で、日本の八百万の神々は、実は様々な仏が化身として現れたとする考えであり、アマテラスのご正体が駒ヶ岳の十一面観音菩薩、大日如来、不動明王だとも云われます。
 そんなこんなで今後海谷の駒ヶ岳周辺岩壁の既知遺跡を含めて、修験行者等の痕跡、遺物を探ってみたいと考えており、これまで培ってきたクライミング技術がこのような場で発揮できればとても素敵で幸せなことだと思っています。わたしたちが足しげく通う北アルプス穂高に鎮座する海神、富士山をご神体とする山神コノハナノサクヤヒメの曽孫神が初代神武天皇とされるなど、山と神様仏様についての神話、説話、昔話は尽きることのない興味深いもので、今後もいろいろ楽しみ学びたいと思っています。おつきあい下さいませ。

新潟焼山火山の最近の噴気活動について

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〇新潟焼山火山の最近の噴気活動について
〇投稿者 早津賢二

 2016年1月26日の午後、久しぶりに晴れ渡った青空にモクモクと立ち上る焼山の噴気ガスを見て、妙高市・上越市・糸魚川市の人たちの中には、「焼山が噴火した」と思った人も多かったようである。その日と翌日の各種報道も、この日の焼山の噴気について触れていた。私は、噴火予知や火山災害を研究テーマとしたことはないが、焼山に多少とも関わってきたものとして、今回の噴気活動(火山ガスを噴出する活動)とそれに関係した事柄について、少し触れてみたい。

 実は、昨年から、焼山の噴気は断続的ながらやや多くなってきており、とくに、10月頃から噴気量の増加が目立ってきていた。以下は、焼山山頂から東北東へ約22km離れた妙高市の妙高火山研究所(拙宅)からの観察結果である。
 10月末には、それまでB地点(図1)に限られていた噴気が、A地点でも数カ所にわたって確認されるようになる(図2)。年末以降はさらに噴気量が増し、現在(2016年1月28日)に至っている。2016年1月26日は、とくに空気が澄んで鮮明に見通せたこと、また噴気が一時まっすぐ上に立ち上ったこともあって、噴気活動の様子がよく観察できた(図3〜5)。それによると、最も活発に活動している噴気孔は従来通りB噴気孔(群)である。B噴気孔は、隣接した複数の噴気孔からなっている。A噴気孔(群)は、やはり複数の噴気孔からなるが、いずれも噴気量はわずかで、間欠的に噴出している。火口縁への延長部を含め、AーB割れ目の中の多くの地点から噴気が出ているように見える。CとDの噴気孔(群)からの噴気も、この日初めて確認される。C噴気は2地点で間欠的に認められ、かすかに確認できる程度。D噴気は大きく3地点で確認されるが、割れ目に沿ってカーテン状に伸びることもある。噴気量はわずかで間欠的である。

 現在の噴気量は、1974年噴火以降では最大の規模に入る。活動している噴気孔の数と分布範囲も、過去の最大規模の場合とほぼ同じである。このことから、焼山は、少なくとも昨年末以降、過去の噴気活動の活発な時期と同程度の活発な時期に入っているとみなすことができる。決して、気象条件による見かけの現象だけではない。

 なお、1月28日、気象庁はヘリによる上空からの観測結果を踏まえて、「新潟焼山の火山活動解説資料」を発表した。それによると、2015年に入って火山性地震の回数はやや増加しているが、全体としては少ない状態で経過しており、火山性微動や地殻変動は観測されていない。また、2003年にはなかった地熱域が、火口付近に認められたという。地震計等の観測機器は、現在、火口から4km離れた地点にあるが、火口の近くに置かれていた場合、どのような結果を示すのか気になるところである。

 1974年噴火以降、今回のような噴気活動の活発な時期は断続的に6〜7回くり返されてきているが、ここ10年以上は、比較的静穏な状態が続いていた。過去の例では、活発な期間は短い場合で数ヶ月、長い場合は2年弱である。この時期には、軽微な噴火と呼んでもいいような、微量の火山灰を含んだ“異常噴気”も目撃されている。とくに活発な時期には、ゴウゴウという上空を飛ぶジェット機音にも似た噴気音が4〜5km離れた地点まで聞こえていた。山頂に立つと、ドーンという下から突き上げるような振動が、一定の間隔を置いて身体に伝わってきた。この突き上げてきたモノが天井を破って地表に達した時が、噴火ということになるのであろう。つまり、このように噴気活動の高まっている時期は、一歩間違えば噴火というきわどい状態にある、という見方もできる。

 過去の例では、誰の目にも噴火とわかるような明瞭な噴火には至らずに終息した。しかし、焼山は、観測機器が常設されて以降、まだ一度も噴火経験がない。したがって、噴火前に、観測機器にどのような異常が現れるのか(また現れないのか)全くわかっていない。つまり、焼山の場合、噴火の兆候とは何なのかということが、まだわかっていないのである。このような状況では、今までと少しでも違う現象が現れたら、注意深く見守っていく必要があるだろう。

 1974年7月28日の噴火の前年には、噴気活動はほとんど認められていなかった。最初の異常は、1974年5月6日に、現在のC噴気孔付近で新たな噴気が出ているのを発見した登山者によってもたらされた。同じ頃、東北東へ約20km離れた現在の妙高市内の各所からも、「焼山に新しい噴煙が見える」という情報が寄せられている。この時の噴気は、それほど顕著なものではなかったにも関わらず、登山者や山麓住民の注意を引いた背景には、比較的長い間噴気活動が静穏であったため、注意を引きやすかったということがあると思われる。6月15日には、噴気量が明瞭に増加している(図6)。しかし、その噴気量は、最近の噴気活動が活発化した時期の噴気量と比べるとはるかに少ない。その後、噴火に至るまでの間、噴気孔の位置や噴気量に大きな変化があった形跡は認められない。1974年噴火は、横ばい状態の噴気活動が2〜3ヶ月続いた後に、突然発生したことがわかる。徐々に活動が活発化していって噴火に至った、という訳ではない。

 1974年以降、噴気活動の中心となっているAーB割れ目は、1974年噴火の前には、少なくとも一定期間活動していなかったと思われる。写真によると、山麓から遠望できるような噴気もほとんど確認されない。1974年噴火では、AーB割れ目は全体が噴火〜噴気活動の場となっており、それ以降、今日まで噴気活動の主要な場となり続けている。
 焼山は、1949年におよそ100年ぶりに噴火して以降、1962年〜
1963年、1974年と、13年、11年の間隔で噴火してきた。そして、1974年噴火から9年目にあたる1987年に最初の噴気活動の活発化があり、それ以降、噴気活動の活発な時期と静穏な時期とが断続的にくり返され、今日に至っている。もしかすると、1974年噴火によって、山体内に効率的にガスの抜ける道が形成され、水蒸気噴火に至る前の段階でガスが逃げてしまい、今までは噴火らしい噴火に至らなかったのではないかとも考えられる。

 しかし、すでに述べたように、過去の活動期には噴火の一歩手前までいっていた可能性もあり、今までの活動の範疇にあるからといって、必ずしも楽観はできないと考えられる。
 
【蛇 足】軽微な噴火においては、噴火があったかどうかは、火山灰の放出があったかどうかで判定されることが多い。火山灰の放出や降下が実際に目撃されていれば問題ないが、天候などの具合で長期にわたり見通しが効かない場合などは、火山灰の堆積の有無が決め手になる。焼山でも、かつて、雪上に火山灰が堆積していたことをもって噴火とされたことがある。しかし、焼山の場合、火山灰の噴出があったかどうかという判断は意外と難しい。
焼山山頂付近には、冬季でも岩肌が露出している地点が結構ある。強風が吹くと、そこから細粒の物質が舞い上がり風下側に降下する。噴気活動が静穏な時でも、春先などに焼山の山腹が黒っぽく汚染されていることは、地元の人であれば誰でも知っている。これらの物質は、山頂部に堆積していた古い火山灰や山頂部を構成していた溶岩などの風化物が風で飛ばされ堆積したものである。これらの物質を噴火によって新たに堆積した火山灰と区別する方法を、私は知らない。雪上に“火山灰”の堆積域があっても、火山灰の放出があったかどうかは、噴気孔(火口)の位置、“火山灰”の分布域、裸地の位置、噴火があったと推定される時間帯の風向、などを総合的に検討して慎重に決めなくてはならない。意外と軽んじられていることである。                      

               早津賢二(2016年1月29日)

図1. 妙高火山研究所からみた焼山のスケッチ.
図2. 2015年10月25日の噴気. 
図3. 2016年1月13日の噴気.  
図4〜5. 2016年1月26日の噴気.
図6. 1974年噴火前の6月15日の噴気.ドームの右稜線付近から左方向へやや灰色がかった噴気がたなびいている.

公募登山 能生・シャルマン火打スキー場~放山スキーツアー

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○公募登山 能生・シャルマン火打スキー場~放山スキーツアー

 冬の山遊びはいろいろありますが、スキーを使って登る雪山の楽しさは格別です。全てを覆い尽くした雪は私たちを容易に山の頂に導き、活動のフィールドを広げてくれます。真っ新な雪原にトレースを刻み、自由に山野を駆けめぐり、粉雪を舞上げて滑る爽快さは辛い雪との闘いの日々を忘れさせてくれます。
 雪国に住む私たちは雪を辛く思うばかりでなく、楽しむ術を持つことでより一層豊かな時を過ごしたいものです。
アスターク同人では来る3月13日(日)に山スキーツアーを下記のように計画しました。私たちと一緒に楽しく雪山での一日を過ごしましょう!

期日:2016年3月13日(日)
場所:能生・シャルマン火打スキー場~放山
集合場所:シャルマン火打スキー場センターハウス
集合時間:午前9時00分
行程
  9:00 シャルマン火打スキー場センターハウス
  9:30 リフト乗車、ゲレンデトップへ移動
 10:00 ツアー開始(ルートは当日の天候、雪質により決定)
 12:00 放山山頂着 昼食(焼肉)
 13:00 放山山頂発
   ~  南又川中間尾根下降~スキー場林道
 15:00 シャルマン火打スキー場着、解散
 
持ち物:山スキー、シール、ストック、スキー靴、防寒着、手袋、帽子、昼食(主食、飲み物)、その他各自必要なもの
参加条件:.殴譽鵐任妊廛襦璽ボーゲン、斜滑降、キックターンが確実に出来ること。
       ∋灰好ーでの参加となります。スノーボード、スノーシューでの参加はできません。
参加費:2,000円(リフト代込み)
募集人数:10名程度
参加申し込み〆切日:2016年3月7日(月)
参加申込先:TEL 0255-73-7249(松木:午後6時以降)
      ブログのトップページ「会員専用掲示板の入口」からのアクセスも可。

菅平・菅平奥ダボススキー場~根子岳

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○山行地 菅平・菅平奥ダボススキー場~根子岳
○山行日 2016年1月31日
○メンバー L関原 永田 ほか2名
○報告者 永田

この数週間は公私ともに忙しく山に向かう暇がなかったが、ここに来てやっと落ち着いてきた。しかしながら、遠出やハードな山行はできない状況なので、山スキーでピクニック気分で行ける場所を考えていたら、たまたま関原さんと山仲間Wさんが根子岳に行くというので、私と私の山仲間Tさんとで同行することにした。

9時に菅平スキー場の奥ダボスゲレンデの駐車場に4人が集合する。空はすっきり晴れ渡っているので車の中は暖かいのだが、菅平は北信の中でも特に寒く車の外にでてしまうと凍えてしまうので、できるだけ車内で身支度を整える。
 リフト1本乗り、ゲレンデトップに10:00に到着する。スキーにシールを貼り準備を整えると、強烈な寒さでどんどんと体の熱が奪われてくる。
 菅平では「スノーキャット」という根子岳の頂上手前まで運んでくれる有料の雪上車がリフトと別料金で運営されている。そのルートにはピステンがかかっており、長めの初級者ゲレンデとなっている。山スキーヤーには物足りないが、少ない雪でも笹や藪に引っかかることなく滑り下りることができるので、シーズン始めの体慣らしや初心者にはもってこいの場所だ。そのルートを歩き始める。

 世間話をしていると、TさんとWさんはカヤックをやることが判明し、山スキーで登りながらもカヤックの話で盛り上がった。話の流れ上、この夏にはみんなでカヤック体験する方向となり、田中陽希のGreat Traverseっぽい状況になってきた。
 高度が上がり頂上が近づくと、周囲の針葉樹にこんもりと雪が付着し樹氷と化している。樹氷モンスターといえば蔵王が有名だが、この菅平の樹氷モンスターも例年はなかなかの出来栄えだ。しかしながら、今シーズンはまだ雪が少ないせいか少しやせたモンスターだ。
 12:00に頂上に到着。20名近くの山スキーヤーが頂上付近で休んでおりゲレンデ状態だ。好天とはいえ標高2200mの吹きさらしは寒いので、標高1800mあたりの避難小屋まで滑り昼食をとることにした。
 頂上付近は風で雪が吹き飛ばされ、ところどころ岩がでている。さらに数日前の暖かい日に雨が降ったせいか雪面はかなり固めだ。オフピステの雪の状態はあまりよくないので、圧雪されたルートを滑ることになった。普段山スキーでエッジを利かせて滑ることは少ないが、かなり固い雪面なので、思い切りエッジを利かせて滑る。
 みんなでガンガン滑り、20分ほどで避難小屋に到着する。当初は中で食事をとる予定だったが、外のほうが暖かく気持ちいいので、外で食事をすることになった。30分ほどコーヒーやブランデーを飲みながらのんびりと過ごす。まさにピクニックの気分だ。その後はゲレンデを滑り降り、駐車場で解散となった。

 雪が少なく距離的にも少々物足りない感じもあったが、今シーズン最初の山スキーで体がまだ慣れておらず、家に帰ると少々ぐったりとしてしまった。そういう点では、ちょうどいい手始めとなったのかもしれない。北アルプスや頚城のほうはやっと雪が積もってきたので、今までの分を取り返すべく、滑りに行きたいところだ。

志賀・熊の湯~志賀山

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山行地 志賀・熊の湯~志賀山
山行日 2016年02月03日
メンバー L船山了、船山康
報告者 船山了

 今シーズンは本当に雪が少ない、日本全体では寒気に見舞われ、交通障害や雪害を被った地域は多いが上越に関しては希にみる小雪だ。1月中にも何回か地元の山を歩いてみたが、ほとんど藪こぎ状態で体力の消耗ばかり、その上スカットした晴天にも恵まれず不満を残す山行ばかりだった。

 志賀高原まで出かければ雪質の良いゲレンデに恵まれているだろうと計画はしたが凍った道路を走るには運転に不安が付きまとうし、反面、昔味わった志賀のパウダースノーの感覚が忘れられず、その山域にルートを探して出掛けようとする決断が、なかなかつかない、そんな年齢になったということか?そんな中、天気、気温、風の予報を確認して長野に車を走らせた。道路には雪はなく、湯田中迄はスムーズにこれたが上り坂に掛かればすぐに雪道となりアイスバーンの状態である。幸いにも前方をノロノロとバスが走っており、私も他の車に急かされる事もなく、無事に熊の湯までたどり着けた。

 一安心したが前山スキー場のリフトは動いていないしゲレンデにはブッシュが出ている、廻りのゲレンデも修学旅行の学生だけで、一般のスキーヤーは数える程しか見当たらない。昔の賑やかの頃の志賀高原しか記憶にない私はガッカリと安心の入り雑じった複雑な気持ちであった。車外にでれば標高1700mはやはり寒い!歩き始めても手と耳は痺れている、それでもゲレンデの急斜面を登れば体は暖かくなり、リフト1本分を歩いて前山の山頂に着けば、前方に鉢山、志賀山が流れるガスの中に山体を見せていた。登ってきた下方には熊の湯のゲレンデで遊んでいるスキーヤーが小さく見えている。横手山頂に延びるゲレンデも面白そうだ。風もなく雪質も良い、ゆきの結晶がキラキラ輝き、小さな星形が無数に数えられる。

 当初は志賀山から鉢山に廻るコースも念頭にあったが見渡せばオオシラビソに覆われ、スノーシューで自由に歩き回れる状態ではない。大沼池に向かう登山道だけが切り開かれており、夏道に添って歩き始めた。岳樺の林は上部に枝をはり、歩くに支障は無いが、オオシラビソは枝を地上付近まで拡げており歩きずらく、視界も遮ってルートを見渡す事が難しい。そんな中、小雪のせいで登山道の標識看板が見えており四十八池との分岐道も確認できた。此処からは登山道は沢筋の斜面になるので左側の緩斜面を選んで頂上を目指した。 斜面は雪が少なくブッシュが残り小木の周りは踏み抜きやずり落ちで捗らない。暫くで疎林になり展望も開け、右下には雪で埋まったお釜池が見える、上部には岩が張り出している、ノコギリの切り跡があり、登山道出たと確認できた。山頂はもう一息でついた。
 山頂までオオシラビソに覆われ、展望は眼下に四十八池の湿原が拡がり東舎が見え、鉢山の裾野の樹林がズーと拡がり幽玄な世界がある。もう少し条件がよければあのシラビソの世界をワンダリングするのも面白そうだ。

 奥志賀山への道も探ったが直下の急な下りが不安で諦めた。今日は同じルートを下山する事にする。登ってしまえば下りは楽なもんだ。雪質は良いし午後2時には熊の湯についた。下り道も安心して運転でき、角間の湯に浸れば出掛ける前の不安はすっかり山の中に忘れて来たようだ、今度は鉢山まで足を伸ばせないか妻と語り合いながら帰途についた。
[コースタイム]
熊の湯(150分)志賀山(80分)熊の湯

西頸・シャルマン火打~放山

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○山行地 西頸・シャルマン火打~放山
○山行日 2016年02月06日
○山行者 L丸山 古川
○報告者 丸山

 2月に入っても今だまとまった雪が降らない。生活面ではとてもありがたいが、反比例するように山へ向かうモチベーションは低下したままだ。平年ならどこの山も、コースを選ぶことなく山スキーを楽しめる時季なのに困ったものである。
 今シーズン、スキー用品を全て「おニュー」とした古川に連絡をとれば「買っただけでまだ全然使ってませーん」とのこと。「そりゃーいけんじゃろ!」で、急きょ久しぶりの山へ向かうこととなる。土、日曜ともに悪天が予想され、目的地は海谷山塊の山か放山を考えたが、来月の公募登山下見やお手軽度で後者を選択した。

 冷たい雨のなか国道8号を能生へ向かうが、能生川沿いにシャルマン火打スキー場を目指す頃から雪に変わった。シャルマンは適度な入り様というか、比較的空いた状態でありがたい。リフトトップで2.5mの積雪は山スキーが充分可能でも、公募コースの下部南又沢中間尾根はまだまだ雪が不足している。降雪、ガスで視界が悪く、下見、偵察は止めたほうがいいようにおもわれ、安易ながら山頂へ向かうこととした。
 二人とも朝食を摂ってこなかったため、山頂レストラン(休憩場?)で簡単な食事をすませてスタートした。(このお店、なんも注文しなくてもいいのかな? 持ち込みもいいのかな? 入店した客を見ても知らん顔でしたよ。)

 いつも通り放山へ続く稜線下大池の雪原でシールを装着する。悪天で登山者は見当たらず、30cmほどの新雪ラッセルは気持ちがいい。数日前のトレールがわずかに残り、ところどころにあるブナの幹にマーキングされたピンクテープがかなり高い位置にあって、今年の雪がいかに少ないかよく分かる。それでも、登降時ともに邪魔になる灌木類はほとんどなく、美しいブナ林をぬうスキー登高がこの山の特徴である。細かな沢と不規則な小ピークは下山時やや悩ましくとも、この程度はルートファンディングの楽しさと捉えるべきだろう。
 登りコース左の稜線は南西に延び、標高1,100m付近で西に向きを変える。南西の尾根部分はその西側の起伏を適当に辿り、平坦となる放山へ向かう西向きの尾根に乗る。最後の約20mの急登をこなせば山頂はまもなくであった。いつもの年であれば山頂一帯は笹倉方面からの強風で雪庇状の壁ができているのに、今年はほぼフラットな雪原といってよい状態だ。好天であれば四周の眺めが素晴らしいことは登山者皆が知っていても、もともと山の頂らしくない場所だけにそう悲観するわけでもないのだが・・・。
 今日は全くと言ってよいほど展望が効かず、空沢山方面の広い尾根がわずかなガスの切れ間に見えてもアッという間に白色の中へ消えてしまう。ろくな食べ物もなく、降雪も徐々に強くなったため、これ以上視界が悪くならないうちに下山することにした。

 わずかな登降を交え、往路の跡をたどる。トレールが急降下する地からさらに西へ進み、滑降のために足を踏み込まなかったまっさらなパウダー斜面へとび込む。スキーは苦手という古川の新しい板も調子がいいようだ。かなり重く深い新雪部でもスキーが浮き上がり、軽快に滑っている。この山の良さ、特徴ともいえる適当な間隔のツリーランは、短くとも誰もが楽しめる山スキー好適地であり、雪質を含めて快適そのものとしても過言ではない。
 わたしはといえば、テレの3ピン・ワイヤー、ゲレンデ用カービング、山用軟調子板等数台を見境なく使用し、いつまで経ってもスキーが上達しない、というよりは年ごとにヘタッピーになっており、その現実が悲しくなってしまう。板の補修なぞほとんど行わず、たまのメンテがショップ任せでは情けない限りで、各板ともエッジは錆びついたままだ。そんなこんなで案の定というか、予定通りというべきか、ちょっとした斜面で久々の大転倒をやらかし、全身雪まみれになってしまった。
 大池で再びシールを貼り付け、シャルマンのゲレンデトップへ登り返す。降雪は次第に強くなり、ゲレンデ滑走時はスキーヤー、ボーダーともわずかな数であった。
 あと1mの積雪があればどこでも滑走できるようになるだろう。公募をふまえた南又沢中間尾根の滑走、そして下見のためにも、山だけはもう少し降ってほしい思った帰り道である。

「これなあに?」

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○「これなあに?」
○投稿者 まめ

山で気になるものを見かけ、家に帰って調べても分からないものがあります。

詳しいことが分かる方、教えてくださいませ!


サムネイル左から
・トチの木の花のようにも思えますが、初めて見る色と葉の形状にびっくりしました。

・秋の登山道でドラゴンボールを発見!!きのこの一種のようです。大豆ほどの大きさでした。
・木の幹に付いた泡?触るとかたくなったマシュマロのようでした。これはキノコでしょうか。
・葉に何かが寄生しているように見えますが、これは虫が産んだ卵らしいです。

妙高・杉ノ原スキー場~三田原山〜池ノ峰~杉ノ原スキー場

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○山行地 妙高・杉ノ原スキー場~三田原山
○山行日 2016年02月11日
○山行者 L永田 山越 小林 ほか1名
○報告者 永田

 1月は雪不足でなかなか山スキーに行く気にならなかったが、最近少ないながらもやっと雪が積もりだした。今シーズンはほとんど山スキーに行っておらず体がまだできていないので、お手軽な三田原山へ行くことにした。
 長野市から、私、山越さん、私の山友Tさんが相乗りし、妙高市在住の小林くん単独で、8:00に妙高杉ノ原スキー場に集合した。数年ぶりに杉ノ原スキー場に来たのだが、駐車料金を徴収されるようになったようだ。有料になる=需要が多い、ということだろうから、頚城・北信周辺の活性化につながり喜ばしいことだ。
 9:10 1850m ゴンドラとリストを乗り継いで、ゲレンデトップに到着すると、すでに10名程度の山スキーヤーが準備をしている。
 私たちのパーティは2番手で歩き出す。前の2人組のパーティは谷に降りた後一旦下りだしたが、早めに危険な谷筋を離れたかったので目の前の尾根に取りついた。しかしながら、出だしが少々急で狭い尾根であまりいいルートではないせいか、私たちより後続のパーティは1パーティ目のルートを選択していた。キックターンが多く効率的ではないが、これも練習と思い、高度を稼いでいく。
 この1ヶ月公私ともに忙しく、ランニングなどの心肺系のトレーニングができていなかったせいか、シール登高がやたらと息苦しい。『こんなはずでは。。。』と思いながらも、汗まみれになり息苦しさに耐えて高度を稼ぐ。斜度が緩んできはじめたあたりで、ふと下を見ると、晴天のもとで雲海が広がり、この上ない景色見渡せ、登りの苦しさを忘れてしまう一瞬だ。
 外輪山の稜線に到着すると、右手には妙高山がそそり立ち、左手には真っ白な火打山と最近噴気が多いと話題になっている焼山が見え始める。。
 11:37 2360m アップダウンのある稜線を過ぎ、三田原山山頂に到着する。北からの風が強くゆっくりしていられないので、登頂写真を撮ってすぐにシールをつけたまま下山し始める。
 風が弱い南向き斜面まで戻って、シールをはずして滑降開始だ。しかし、好天で気温が高くなり雪は重くなってしまい、スキーをコントロールしにくく、転倒者続出である。その中で最年少小林くんは軽やかに滑っていく。
 12:40 2180m ここまで降りてくると風は止み日差しも暖かい。私が木にひっかかり転倒したついでに昼食休憩をとることになった。
 30分ほど食事休憩をとり滑降再開するが、下に行けばいくほど、雪質は悪く、地形の凸凹も大きく、藪も濃くなってくる。最初は足に力が入るばかりで疲れてしまったが、徐々にそんな藪と雪にも慣れてきたせいか、後半はそれほど力をいれずに滑れるようになってきた。
 やがて、緩い平原に到着し、先行者のトレースに乗っかり、ボブスレー状態で20分ほど滑っていく。
 14:22 1200m 杉ノ原スキー場のゲレンデ中腹に到着。そのまま滑り降り、駐車場に戻るため最下部のリフトに乗り込む。遅いペアリフトから雪をまとった妙高山は日本離れした景色だ。ヨーロッパあたりのスノーリゾートに来ているような感覚になってきて、得した気分だ。。
 かつて何度か訪れた経験から、三田原山は『お手軽』と考えていたが、日ごろのトレーニング不足などもあり、それなりにきつい山スキーとなった。天気がいいのが救いではあったが、山を余裕をもって気持ちよく楽しむには、日ごろのトレーニングが欠かせないと改めて認識させれらた。

関田・飯山~斑尾山東尾根

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〇山行地:関田・飯山~斑尾山東尾根
〇山行日:2016年2月11日
〇メンバー:L船山 了、船山 康
〇報告者:船山 了

 今回の山行に斑尾山を選んではみたが、現地での雪の状態によっては、近くの袴岳に変更の予定で出発した。しかし心配したこともなくスキー場には雪も充分にあり、程々のスキーヤーもおり、新雪も良さそうな状態である。
 今回の目的の尾根は斑尾山の東に延び、末端はゲレンデに近く周回も可能だが帰りの事はまだ決めていない。
 林道との出合い地に車を止めて歩き出せば膝迄の新雪である、林道添いに少し歩き、尾根取り付く。ブッシュはあるが、以外と歩きやすい。この尾根は市町村の境界らしく植林された落葉松に赤いテープが尾根の真ん中にズーと附けられている。落葉松林は適当に見透視が効き、右手にはゲレンデが、左手には中野の街が見えている。
 先週登った志賀山は雲の中である。標高1100m迄は落葉松で、それより上部はブナ林に替わり、山頂まで続いていた。このコースはもう少し雪が多ければ山スキーにも充分使える印象を受けて山頂に着けば、やはりスキー場の終点からきたスキーヤーやボーダーが多くいた。この人達は私が登ってきた尾根とゲレンデの間の谷に躊躇なく滑り降りていった。こんなブッシュでは楽しいはづはないとは思うが?若いボーダーは例年は雪が多く楽しいですよ!と言っておりました。

 山頂では飯山方面の展望しかないがゲレンデトップに出れば、完全に晴れ上がった青天の下、素晴らしい妙高山が見られた。下りはゲレンデ伝いに降りようかと思ったが、皆が滑り降りていった谷間がどんなものか興味がわき、我々も林に入り込んだ。
 稜線には若干、雪庇状ではあるが雪崩の危険は無さそうだ。斜面には多くのスキー、ボードのトレースがあり、人気の程が伺える。車道迄滑り降りる事が出来た。スノーシューでも適当な登りと景観があり、安全なコースであった。
 コース設定の計画では2万5千分の1の地形図で思案してみるが、雪や林の状況、尾根の状態など夏山の経験だけでは解らない、実際に足を踏み入れる事が大事だ。

海谷・御前山~船浦山

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○山行地 海谷・御前山~船浦山
○山行日 2016年2月11日
○メンバー L丸山 松木智 古川

 船浦山から千丈ヶ岳を偵察をしたいということでスキー山行のお誘いがあり、支度をして真冬の海谷に向かった。
この冬休日と晴天が一致したのはしばらくぶりだ。少雪で下がり気味だったテンションを青空とキラキラ白く輝く西海谷の山々が少しあげてくれた。
 9時過ぎに御前山地区の道路の除雪終点に到着するとすぐに2台の車がやってきた。我々以外に海谷に山スキーに来る人がいたことに少し驚いたが、単独の男性二人のうち一人は三峡パーク・駒ヶ岳方面へ向かったようだった。駐車場所から西を仰ぐと白馬から栂海新道の北アルプス稜線が一目瞭然で爽快な気分になる。我々も板にシールを付け海谷三峡パークへ向かう市道沿いに歩き出した。

 一年ぶりのシール登行はスムーズな動きができず、まっすぐな道路を歩くだけでもすぐに汗をかいた。30分ほど歩いて海川第一発電所の建物が見えてきたあたりで道から外れ、左手にある送電線の鉄塔の間を抜けて北尾根を目指して斜面を登りはじめる。
 動物の足跡にならい緩斜面を登っていくと、もこもこに太ったウサギが上の方に一目散に駆け登っていった。ピツーピツー×2と賑やかに鳴く鳥の声が盛んにするが姿が見えない。柔らかい毛に包まれた柳の芽が暖かそうだ。
 我々以外には声がしない静かな里山の結構な急傾斜をへーこら言いながら登る。久しぶりの山スキーと言いながら松木さんは黙々とあっという間に登っていく。私と丸山さんは急傾斜で足が上がらず一苦労だ。道具のせいにしたくはないが、TLTで急斜面をカニ歩きで一段ずつ上がっていくのは至難の技だった。ブナやイタヤカエデの林を縫って休み休み登っていき、昼近くになった頃ようやく稜線に出た。
 稜線から海川をはさんで向かいに千丈ヶ岳が見える。峡谷伝いに奥を見れば鉢山、白い煙をあげる焼山の頭も見える。焼山は今日も東側の蒸気口からもうもうと噴気を出している。渓谷沿いの山々は標高の低い割にはどれも険しくて、雪をかぶった姿はどこぞのアルプスかと見まがうような人を寄せ付けない威厳がある。

『冬。海谷は冬、そのすばらしさが絶頂に達する。-中略- 海老倉の岩小屋で四季の渓谷と樹林をみつづけなくては海谷の自然は語れまい。日本の渓谷の美しさと樹林の美しさに加えて、ここには岩壁が調和してちりばめられ四季おりおりの変化をみせている。』出典/雪稜五号「頸城山地研究 文献と自然」直江津雪稜会
 海谷の四季についての文章を昭和48年発行の冊子に見つけたが、まったく同感である。40年以上経ってこの山域に足を踏み入れる人の数は減っているが、この文章を書いた故蟹江健一さんが見た景色とほとんど同じ景色が今も見えるはずだ。そして、年月を越えて海谷LOVEな気持ちに深く共感する人間は私だけではないはずだ。

 稜線から山頂までは地形図には見えないアップダウンがあり、もうここまでにしようかという意見も出たが折角なので山頂部までもう一汗、ふたつのこぶをトラバースして一番高いところを目指した。目印らしきものが何もない平坦な山頂部に着いてお昼を食べる。松木さんからもらったチャイが旨い。千丈ケ岳を眺めながらまったりひなたぼっこ、至福のひと時を過ごす。ここで「ヒマラヤひだ」という言葉を初めて聞く。傾斜の強い山腹にできる縦の細かいヒダ状の雪面のことらしい。写真を撮っているとゴロゴロと雷のような地鳴り音とともに雪崩れる音が何度も峡谷に響いた。

 帰りはシールをつけたまま狭い稜線沿いにもと来たルートを戻り、急傾斜をカニ歩きで一歩ずつ下った。誘われたときから何となく分かってはいたが、船浦山はスキーを滑るための山ではなかった。木も密集していて一気に滑り降りる訳にも行かない。午後になり雪がとけ足上げもやけに重くなってきた。「これって何かの罰ゲームですか?」と言うと「筋トレだと思えばいいよ!」と言われてやけくそ気味に大腿筋に意識を集中したが、足が疲れて同じ側を向いて降り続けられないのでキックターンの良い練習にもなった。シールを外したのは発電所近くの平らな道路に出てからだった。
 午後3時頃駐車場所に到着。標高差が少ない割には急な傾斜がありとても難儀した山行だったが、晴天のもと冬の海谷を垣間見ることができとてもうれしかった。残雪期の海谷にまた訪れたい。巨大ブロック雪崩の轟音が谷中に響き渡る、地獄と天国がいっしょになったような初春の海谷にまた行こう、と思った。 

2016年 3月山行・活動予定

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〇2016年 3月山行・活動予定
第28181

今月の一言   「新雪のその後」  村田

 3月の雪の里山を歩くと、陽気に誘われてマンサクが黄色い花を咲かせているのを見ることができる。冬を迎える前に小さい丸い粒の中に用意しておいた花びら、4枚の細い「花びら」をスーと伸ばして、青空の下、雪の上の枝先で咲く。毎年それを見つけて、今年も厳しい雪国の冬を越えてきて春を迎えつつあることを実感する。

 昨年末から「新雪」として降り積もった雪がどんどん姿を変える。3月にもなると深い雪の斜面に大きな亀裂ができていることがある。表面に新しい雪で「化粧」していて見た目では分からないで、うっかり深くもぐってしまうことがあるので注意が必要だ。さらに雪がしまってきて大きな岩のような状態になれば、雪の塊が上から落ちてくる危険に注意しなければならない。そして季節がめぐり初夏を迎え暑さを感じる時期になると、冷たくて喜ばれる「残雪」になってついには溶けてしまい長いストーリーを終える。

 剣岳、針ノ木岳、白馬岳に日本三大雪渓と呼ばれる雪渓がある。身近な山々にも沢があり、結構いつまでも残る雪渓がある。適切な判断があれば大いにそれらも楽しむことが出来る。糸魚川の山々にも万年雪が残るという。その「しぶとさ」というか、標高はそんなに高くなくても「山の深さ」というものを実感させられる。

○3月の山行・活動予定
 03月05日(土)能生・シャルマン火打スキー場~放山 公募登山下見 L松木(智)     
 03月05日(土)リーダー会&公募登山打合せ会 18:00~新井いきいきプラザ
 03月06日(日)戸隠・黒姫山~東尾根山スキー L関原
 03月13日(日)公募登山 能生・シャルマンスキー場~放山 L松木
 03月16日(水)定例会 19:00~新井いきいきプラザ
 03月19日(土)~20日(日) 妙高・三田原山~高谷池ヒュッテ~火打山~澄川 L永田
 03月24日(木)~28日(月) 九州・屋久島/宮之浦岳 L関原 
                 
〇4月山行・活動予定
 04月10日(日) 月例山行 搬出訓練 L関原

*写真はウィキペディアより借用

「継続は力なりを信じて」 

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〇「継続は力なりを信じて」              
〇投稿者 本間

 アスタークの活動理念やその実績も知らないまま、友人に誘われ入会して今年で3年目を迎える。
 漠然と山に登ってみたいというくらいの軽いノリで入会したものの、経験や知識、技術が皆無に等しい私にとって、知れば知るほど「まずい所に入ったなぁ」と言うのが正直な気持だった。

 しかし、そんな自分でも最初に参加した「春の古道整備」で少し気持が楽になった。それは、鎌や鋸で道を覆ったり塞いでいる草木を切り払い、登山者が安全に気持ち良く歩ける道を保全している作業を実際に行って、その実態を知った事だった。そして、この事を知人に話したところとても感動してくれた。
 この活動なら自分でもできると思った。それまでは、どこの山に登っても登山道が整備されているので、誰かが登山道の保全整備を行っているのだろうとの思いはあったが、実際に自分で作業をしたことで、その後は他の登山道を歩くたびに「どんな人、グループ」が、どの様な組織下で整備したのかを想像したり、感謝しつつ登下山するようになった。

 そんな事で、私がメンバーに迷惑をかけずに一緒に行けると思える山行は年間を通して多くはない。都合で行けない場合もある。そんな中で今年最初の山行は、3月下旬に行く屋久島・宮之浦岳登山の前段として米山に行くことになった。残雪の米山に登った事はあるが、降雪期の山には登山目的で行ったことがないので不安ではあるが、楽しみでもある。

 いずれにしても、体力・脚力の準備が第一なので、三ケ日明けから正月に付いた生活と身体の乱れを整えるべく、トレーニングを開始した。内容は、我が家から近くにある春日山神社の石段を上がり、上杉謙信公銅像前を左折して春日山旅館前で折り返す約15~20分の周回コースを10kgの負荷をかけて毎回4周以上行っている。頻度的には都合のつかない日もあるので、実績として5~6日/週で続けている。
 晴れた日や新雪の時は、たまには別コースから頂上にも行ったりして雪景色も楽しんでいる。長年地元に居ながらこのような経験がなかったので、とても新鮮な感じがする。

 年初から一人で、しかも登山に特化したこのようなトレーニングを生まれてこのかたしたことがない。今行っているトレーニング負荷量が適切かどうかも分からないが、このまま続ければどんな感じになるかと思うと楽しみである。目標があればこそと思う。





 

 

ブナの木に思う

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〇ブナの木に思う
〇投稿者 了

 ブナの木との出合いは始めての丹沢登山の時であった。鬱蒼と繁ったブナの林はそれまで見たことのあった森林とは趣を異にし、整然と立ち並びながら威厳があり、真っ直ぐに伸び枝は天を覆うている。
 往々にしてブナだけの純林を形造ることが多く下木も少なく、笹や草が覆い、見透視も効き、ブナの幹だけがが続く景観が見られる。自生地は 標高700~1500mだから市街地では観られない、当然、山登りをして始めて出会える景観なのだ。
 新緑の頃の若々しい青葉は山登りの精神を高揚し、梅雨時の小雨には雨傘の替わりになり、本降りになっても樹木が慰め癒してくれて、沈み込む事は無い。
 真夏の陽射しは空を覆う木葉が遮り心地良い涼しさをつくってくれる。秋の黄葉は気品のある佇まいを演出し、落ち葉の上をカサカサと音をたてながら歩く時は童心のようだ。 秋雨の寂しさを感じた時は文学青年にでもなった様な感覚に襲われる。風雪に曝された樹は武骨に生きているのが感じられ勇気づけられる。雪が何mも積もれば格好のゲレンデとなり何度、私の精神を奮い立たせてことか!
 春夏秋冬、いつ山登りをしても、ブナの木は私の目、耳、鼻、舌、肌の五感に働きかけ下山した時は満ち足りた気持ちにさせてくれた。

 先人はこのブナに木編に無という当て字をした、材として役に立たないと言う意味で付けたようだ。材としては、腐りやすいし、強度も乏しく変形も激しい。炭としても品質が劣る。当然、近代になって大々的に伐採の憂き目にあい、落葉松や杉の植林木に取って変わられた。
 しかし、私は木で無いと書かれるこのブナの木に愛着を感じていた。山行の先はブナで覆われた東北の山が主になり、倒木にビッシリとついたナメコに遭遇して以来、キノコ取りは楽しみの一つになった。 
 ブナの木に誘われる様に木工に興味をそそられる。チェーンソー、丸のこ、カンナを買い揃え生木を乾燥、製材することから始めたが思うようには為らなかった。
 硬木といわれる楢は乾燥すると非常に硬くなり、カンナ掛やノコギリさえも満足には使えず、朴の木ぐらいしか自由に成らなかった。
 ブナの木をまがりなりにも形有るものにした時は、物造りの楽しみの虜になっていた。
 今冬は仕事から解放され電動糸鋸での作品造りに勤しんでおり、ボケ防止に役立てばと願っている。
 我が家には今、多くの動物たちがおり、引き取り手をさがしております。宜しくね!
 ブナの木との出会いは私の人生を豊かにしてくれた、ありがとう!ブナの木!

上田・高梨~富士山

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○山行地 上田・高梨~富士山
○山行日 2016年2月25日
○山行者 L丸山 清水美 船山了 船山康
○報告者 丸山

 冬の富士山へ登ろう! 往復のアプローチを含めてワンディで! ほんとそんなことできるの? と言いつつ集まった平日山行が可能な4人。“♪あたまを雲の上に出し・・・”の富士山ではなく、長野県上田市鹿教湯温泉近くの標高1,029mの富士山(ふじやま)である。
 妙高山を含めて、○○富士と呼ばれる山は全国に300以上あるといわれ、正確に「富士山」と表記される山も15山ほど存在するらしい。今回の富士山もそのうちのひとつだ。

 2月らしく朝からかなりの勢いで雪が降っている。昨夜からの降雪は約30cm、「妙高の天気が悪けりゃ、長野中信地区はピーカンに決まってる」と、いつも通りの希望的予測に基づくスタートであった。黒姫ICを過ぎるころから晴れ間が見え始め、中野を過ぎるころには雲一つない絶好の天気に変わった。
 上田に入り、鹿教湯、大塩、霊泉寺温泉などの丸小温泉郷を内村川の細流に沿って進む。最上流鹿教湯温泉手前の左岸高梨集落は雪のかけらもなく、晩秋か早春の暖かな一日といった按配である。妙高と比較なぞできないが多少の雪はあるだろうと考えて長靴しか用意してこないのに困ったものだ。
 高梨から富士山へ向かう山道は集落東端と西端にあり、ともに小さな沢に沿って市峠へ延びて北の別所温泉方面へ下る。市峠から山頂へは地形図に示された道はないが、標高にして100mちょい、まあそう苦労しないでも何とかなる範囲だ。今回のわたしたちは西端の道を利用することにし、最奥の廃屋跡地を駐車場所とさせてもらった。なおこの山は松茸山として管理されており、秋季の入山は控えるべきである。

 細い沢の入口には獣除けと思われる柵があり、これを開けて進む。右岸には立派な墓が何基もあり、地域的か同族かは分からないが同姓のものが多い。左岸の道はまもなく直進と右手の尾根に向かうものに分かれるが、赤テープが残された尾根を辿るコースを選択した。道はジグザグを繰り返しながらやや東向きに右へ右へと登っている。
 道はカラカラに乾いた落ち葉におおわれ、途中には馬頭観音の石仏、石碑などの石造物が多く、かつては牛馬を利用した他地域との交易が盛んだったのかも知れず、市峠の「市」はその峠で商いを行った名残りかも知れない。女性的で優しい姿の観音菩薩が多いなか、馬頭観音は頭に馬の首をのせた憤怒の表情が多い。馬の守護仏として、また「馬頭観音」の文字だけの石碑は牛馬が死亡、事故に遭った場所に建てられ、動物への供養塔としての意味合いが多いという。そんな余計なことを考えながら登ればいつの間にか踏み跡を外れ、道はどっかに消えてしまった。
「どうしましょう道がないわ。道迷い遭難じゃー!」
「そんなもん、高い場所へ登ればテッペンに決まってる」
「それもそうだ、んじゃこのまま登りましょ」
 峠の位置はもっと北東の尾根にあるようで、尾根を一本越えるが、地図を見ればさらにその先のようだ。
「あーら、あの尾根の凹みが峠じゃないの?」
「あんなとこまで行くの嫌っ! このまま登りましょ」、で道なぞなんのその、イノシシが掘り返した跡の続く尾根を登り続ける。尾根上には獣道があちらこちらに走り、ひとの踏み跡とさして変わらない。土に埋まった同軸ケーブルが現れ、しばらくで古いU・VHFのテレビアンテナが立っている。ブースターと思われる機器もあり、電波状態の悪い地によくあるテレビの共同受信施設だったようだ。

 さらに忠実に登り続ければ、ほんのわずかで三角点と壊れた小さな石祠のある山頂であった。祠そばのアカマツの木には「富士山」と書かれた小さな木片がしばり付けられていた。
 記念写真を撮り、一休みの後
「帰りは市峠経由で普通の道を行きましょ!」
「そうしましょ、そうしましょう!」ということで、南東の峠へ向かうと思われるしっかりとした踏み跡に入った。筈なのに道は再び消えてしまう。
「ありゃまっ、この先は断崖だワ」と了さん。
「嫌ねぇっ! 下に鹿教湯の街が見えるし、もう適当に下りましょ」が全員一致した意見。
 西面へ少しトラバースすれば登りのコースへ合流する。尾根をそのまま下降するが、時々現れる小さな岩場は困難なものではなく簡単に通過できる。西方右手に近づいた杉の植林地へ踏み込めば、人跡と人の手によるたくさんの石組があった。どのような目的で造られたものかはっきりしないが、急傾斜地の土砂流出を防ぐものかもしれない。沢筋がはっきりしてくれば流水が認められるようになり、踏み跡は完璧なものに変わる。
 5mほどの滝下には不動明王の石仏が置かれ、この地でも不動と滝、水はかわらぬ縁があるようだ。登りの道と合流すれば今山行も無事終了である。山道は不明瞭であったが、薄いヤブと好天に恵まれた一日は越後の雪山と違った楽しさを与えてくれた。

*コースタイム高梨9:30-11:00富士山12:00-13:30高梨

関田・温井~鍋倉山

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○山行地 関田・温井~鍋倉山
○山行日 2016年2月20日
○メンバー L小林 松矢
○報告者 小林

 アスタークの山スキーといえば三田原山と鍋倉山は毎年恒例となっており、毎年必ず誰かが山行を計画している。今回自身4年ぶり2度目となる山行を行ってきた。当初3名で予定をしていたが、前日からりかちゃんは風邪気味とのことで、当日にキャンセルの連絡が入り松矢さんと2人となった。昨年末から体調が芳しくないりかちゃんが心配であるが、また山行をご一緒させてもらいたい。

 7:00に新井道の駅に集合出発し飯山市の温井に到着すると、すでに何台か車が道路脇に駐車されており人気ぶりがうかがえた。当日は曇りで昼くらいから雨予報となっていたため早めの行動を心掛ける。8:20準備を済ませ出発すると通過点となる池と山小屋を目指す。
 前日からの気温の上昇と例年になく雪が少ないことで、山小屋手前に竹ポールでバッテンがされ、その先に三角のフラッグが立てられ回避ルートへ誘導されていた。地元の管理者らしき人が整備に当たっていたため林道沿いを歩き途中から左に入った。
 しかし小さな川が流れており再度林道沿いに出ることになった。その後、林道右カーブ手前から左に入りブナ林が立つ沢に進んでいく。徐々に斜度が上がると同時に大きなブナの木が目立ち始める。先行のトレースもあり後を追いながら進んでいく途中、ふと上を見上げるとすでに滑り降りてくるスキーヤーを確認する。
 地図と高度計を見つつ休憩を入れながら登ると稜線に辿り着いた。稜線の向こうの山々は雲がかかっていたが妙高山、黒姫山を確認できた。また上越の平野も確認ができすぐ近くにあることを実感した。

 稜線で一息入れ山頂を目指してしばらく登ると頂上に到着した。山頂付近は風もありすぐに寒さを感じる。そのため少し休憩を取った後は早めに下山の準備に取り掛かり滑り降りることにした。
 頂上付近の雪は柔らかい状態であったがすぐに湿った重たい雪と、所々雪が氷のように固まった状態となり滑りにくい。足を取られやすい状態や立ち木が多い中できるだけすっきりとした斜面を選びながら滑っていく。休み休み滑っていると林道付近まで降りることとなった。その後は雪の状態を考慮し林道沿いを滑って降りることとした。
 また松矢さんの脚の疲労が強い状態であったため山小屋付近で休憩し、軽食を済ませた後はさらに林道沿いを滑り駐車付近の道路に辿り着いた。
 帰りは飯山市人気の某食堂でご飯を食べた。これがまた何ともいえない雰囲気でインパクトのある食堂であった。

 ハイシーズンが過ぎ今後の降雪が期待できず、いい雪の状態で山スキーができそうにないのは残念なことである。経験を積み知識、技術、体力が身についていけるように今後も取り組んでいきたいと考える。
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