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○平成27年、東北の山麓探訪とあれこれ
○投稿者 ほんま
今年の春、山ならぬ北国の春(桜と新緑)を求めて、4月23日から車で2回目の東北6県9泊10日の周遊をして来きました。
前回は2012年秋に、今回とほぼ同じコースを周遊したのですが、その時は最初から6県も周遊しようなんて考えもせずに出発しました。目指すは仙台に住む息子の嫁が出演する「市民交響楽団コンサート会場」でした。仙台まで行くのであればと思い、「大内宿」を見て回った後に会津若松で前泊し、翌朝「五色沼」を周遊してから仙台に入りました。
ここで、大きく気持ちが動きました。上越から新潟、福島、仙台方面に向かうわけですから、紅葉もジリ貧かと思いきや、大内宿の周りを取り囲む里山の美しさ、そして磐梯高原や五色沼の木々も色鮮やかに染まり、その紅葉が秋空の青さと相まって、とても綺麗で、そして華やかに感じました。
仙台ではコンサートの翌日、地元で評判だという郊外にある蕎麦屋「伝五郎」に案内され、美味しい蕎麦を頂いてから上越に戻る予定でした。が、前述の様に紅葉の美しさに圧倒され、触発されたものですから、「紅葉の途切れる所まで行ってみよう」と、更に北へ向かうことにしました。
しかし、平泉中尊寺・毛越寺や八幡平を過ぎても、なお美しさが衰えることは無く、八戸、奥入瀬渓流・十和田湖を経て、最終的に青森・竜飛崎まで行ってしまいました。おそらく道南もまだ紅葉を楽しむことができるのだろうなぁと、津軽海峡を挟んで遠くに見える北海道の山々に思いを残し、「津軽海峡冬景色」の歌碑の前で、大音量の曲を2回聴いてから決心し、帰路に着きました。
その途中、秋田・男鹿半島の「なまはげ」を見に行く為、早朝の八郎潟農道を走行していました。それ迄は好天が続いていたのに、その日は朝から雨模様。しかも、最短距離の農道を選択したので、カーナビがありながら(通行止め多数あり)思う様に走れず、広い干拓地内を右往左往し、迷子状態になってしまいました。しかも、空は増すます雨雲が厚く覆って暗くなり、その挙句、ラジオからは「竜巻注意報」が流れる始末。前方遠くには垂直に立ち上がる黒い竜巻様雲が数本見えました。八郎潟はその時に初めて訪れたのですが、とにかく“広くて全く誰も居ない所“でした。そこに竜巻が襲ってくるような事態になり、物凄い恐怖感を覚え、必死の思いで八郎潟を脱出しました。それに懲りて、山形や新潟北部の周遊をせず逃げるように上越に戻りました。
私が知っている東北地方の山は、平地から眺める限り、日本アルプスの様な高さや峻険さが無さそうで、優しい感じがするのが好きです。
しかも、百名山に名を連ねるような山々が「ある地域に集中」していたり、あまり連峰を成したりしておらず、県毎に全国的に知られている代表的な山があるので、もし、登ることができれば、なんとなくその県の山を全部登ったような気持ちになるのではないか、と勝手に想像したりしています。
例えば、福島県の会津磐梯山は、名前を聞いただけで♪イャ~会津磐梯山は~♪と体内に民謡が流れ出します。又、人によっては千恵子抄の安達太良山の方が先に浮かんでくるかと思います。蔵王連峰(山形・宮城)は、行った事が無くとも美しい樹氷が目に飛び込んできます。岩手県には岩手山があります。盛岡市街地から近距離にある、日本畜産振興のリーダーであった小岩井農場からの岩手山の眺めは格別です。場内はゴルフコースのように緑が綺麗で、又、有名ブランド「小岩井」の各種乳製品と共にボトルとグラスも一緒に並んでいるのがイメージされます。青森県は、映画にもなって誰もが知る八甲田山遭難事件の八甲田連峰があり、名城弘前城の北方には津軽富士「岩木山」が座し、真っ赤なりんごの実った情景が浮かび上がります。青森・秋田に連なる白神山地は、日本初の世界自然遺産に登録されました。あのブナの林の中を歩いてみたいし、白神岳にも登ってみたいと胸が膨らみます。・・でも、最初はやはり「会津磐梯山」かなぁとも思います。
そして、それぞれの山の近くには有名無名の温泉が数多く湧出しています。登山を愛する人達には、本格的な登山に相応しい山々も沢山あると思います。でも、私の頭に単純に思い浮かぶのは以上の山々です。
今年の春は東北の桜と新緑を見るために、最初から6県を周遊するつもりで家を出ました。日本三大桜で樹齢千年の福島県三春の滝桜は、前年に見たばかりだったのでパスし、最初に訪れたのは会津若松・鶴ヶ城でした。城址は桜まつりの最中で、花は満開で天気も良く、最高に綺麗でした。城内には千利休の息子・少庵ゆかりの茶室跡「麟閣」があり、そこで抹茶を戴いた後、神指城(注)を目指すことにしました。
この城は、直江状(直江兼続)の文言に激怒し、上杉討伐の兵を起こして進軍する徳川家康を迎撃する為、上杉景勝が直江兼続に築城を命じた城で、訪れた時は、地元のおばあさん達がお茶とお酒でお花見を楽しんでいました。桜の本数は20本程度で少ないものの幹は太くて大きく、しかも桜は満開で、且つ、丘の中心には推定樹齢400年の歴史を刻む「高瀬の大木」(欅の巨木:国天然記念物)が風にそよいでいました。結局、日の目を見ることが無かった為、一般観光客も疎らな城跡でしたが、とても見応えがあり、良い光景でした。-(注)神指城(こうざしじょう):石田三成挙兵の報を受け、徳川家康は決戦のため「関が原」に向けて反転。その後、西軍豊臣が敗れ、上杉軍は直接戦場で東軍家康と戦う事はなかったがその後上杉は豊臣から徳川の軍門に下り、会津から米沢に移封される事になった。神指城は築城途中で廃城となり、今は「まぼろしの巨城跡」と言われている-
震災復興中の三陸地方を所々(石巻、陸前高田、久慈・あまちゃんの小袖海岸等)見ながら北上し、奥入瀬渓谷に入りましたが、予想通り新緑はこれからという景色でした。
弘前城は3日程前に強風が吹いたそうで、満開だった桜は花吹雪となり、お堀の水面を埋めて花筏となっていました。角館では、暖冬のために武家屋敷の桜は完璧に葉桜になっており、最も期待していただけに残念でした。東北の桜と言っても、日照時間や海抜、地形等の要因がからみ、単に緯度で決まるものでないと実感しました。
再び、「なまはげ」です。前回、“散々の目にあった八郎潟“。今回は海沿いの国道を選択し、リベンジを図ることにしました。なぜ、「なまはげ」か? 自分が子供であった昔から年越しの行事として有名であった事や、鬼なのにどこか愛嬌があり、いかにも雪の大晦日に相応しい光景として目に焼きついていました。本物のなまはげが居る所はどんなところなのか、実際に自分の眼で見てみたいと男鹿半島を目指しました。現地で説明を受けるまでは、なまはげが真山神社の神様の使者だったとは知りませんでした。
先ず、中腹の真山神社にお参りし、次いで「なまはげ館」で、百十体、百十色の男鹿各地に残る様々な姿、形のなまはげを見てから、隣接する「男鹿真山伝承館」で大晦日のなまはげ行事の再現を見ました。「悪い子はいねがー」「泣く子はイネガー」と、鬼の面を被って蓑を着け、大きな出刃包丁を持って各戸の一年の悪事を諌め、災いを祓い、来る年の吉をもたらす為にやって来る・・・、これは凄い迫力がありました。なまはげと家の主人のやり取りは、嫁姑問題や教育問題等の現実的な内容でありながら、面白可笑しく、観光客を笑わせていました。このような行事を存続させることは難しく、観光客を相手に常設館で見せることになったとか。伝承館のパンフによれば、「真山神社」は景行天皇の時代に武内宿禰がこの地 に下向の折、使命達成と国土安泰を祈り、ニニギノミコト、タケミカズチノミコトを奉斎したことに始まると伝えられる古社で、平安時代以降、神仏習合の霊山として栄えた・・・とあります。
そして、前回素通りした山形県ですが、今回は羽黒山(出羽三山)に絞って行くことにしました。ここでも意外なことが・・・でも、文章が長くなるので止める事にします。
今年の私の山行はとても充実したものだったと自己満足しています。第一に最北の百名山「利尻山」、第二に中央アルプス縦走(千畳敷~空木岳)、第三に立山連峰縦走と、いずれも好天に恵まれ、美しい景色を見て、登山の楽しさ、喜びを同行のメンバーと共有し、事故無く下山できたことです。身近なものとして、春と秋の南葉山の古道整備にメンバーと参加し、一緒に活動した楽しい思い出もありました。
日本全国のいたる山々には神様を祀ってあります。古来山に神が住むと日本人が思い敬ってきた歴史も伝統もそれに伴う民族行事も、年を改める時、特に日本人だなぁと感じます。伊勢神宮に代表される式年遷宮は、解体される木材を他宮社で再使用され、新たに使用する木材は計画的に神社管理の山で植林し、成長した木を使用するという、大昔からの素晴らしい自然環境保護システムがあります。
パリで開催されているCOP21では、先進国と途上国の主張が折り合わず、先行き不透明な状況です。事、環境問題は時間がないのです。自国の利益だけを主張する時ではないと思います。又、議長国フランス・オランド大統領が、このまま環境問題が解決の方向に踏み出さないと、異常気象により食料生産が減少して新たなテロを生み出すとの懸念も述べています。自然を守ることは人を守ること、その逆も言えると思います。中国からの汚染大気の影響で酸性雨による森林立枯れや文化財の侵食進行の影響等は最近余り報道されません。
このような単純なことだけではありませんが、山には美しい自然が無ければ楽しさが半減してしまいます。ゲリラ豪雨で自然崩壊することも人的被害も困ります。温暖化の進行は確実にそして顕著に進んでいます。世界がCOP21で有効な合意ができる様、古来から現代まで自然を敬い保護してきた精神と技術を持つ日本です。日本のリーダーシップに期待しています。
なまはげの蓑から落ちた藁を持っていると、厄払い・幸運になるとの事で、2本拾って持ち帰りました。来年も安全な山行ができるように願うと共に、努力したいと思います。どうぞ、本年もよろしくお願いいたします。(2015.12.8記)
写真説明(サムネイル左上から) 早朝の大内宿、桜花満開の鶴ヶ城、春爛漫鶴ヶ城、神指城跡、会津藩校日新館より磐梯山を望む、岩手山を背景に小岩井一本桜、八甲田連峰、弘前城お堀の花筏、男鹿半島のなまはげ、真山伝承館のなまはげ行事