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矢代・名立川~不動山

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○山行地 矢代・名立川~不動山
○山行日 2015年10月04日
○メンバー L丸山 船山康 松矢 松木智
○報告者 丸山

 何年も続いた南葉山基幹林道の通行止めをなんとかクリアし、不動山へ向かった。お世話になった関係機関の担当者にはお礼申し上げたい。
 基幹林道から名立川へ続く工事用林道を少し進み、資材置場か残土捨場と思われる広場に車を止めた。久しぶりの不動は小雨があたり肌寒い。ヤブ騒ぎに備えて農作業用の重合羽に身をつつむ。
 名立川の土管橋まで何ヵ所かで道路が決壊、土砂の流出があり、車の通行は不可能である。慣れ親しんだミズナラを見て回るが、キクイムシの被害で多くの木々が枯れ、根ごと倒れた姿が痛々しい。自然の摂理とはいえ数百年もの命が絶え、新しい芽がある程度育つにはいったいどれほどの時間が必要となるのだろう。

 登山道の上にも何本かの倒木が覆いかぶさり通行のじゃまをしている。八月頃だろうか、道周辺の草木が刈られスッキリしているのに残念なことである。今年は山の木の実が豊作らしく、アケビ、ヤマブドウ、サルナシ、ブナの実などたっぷりと味わうことができた。
 標高が低いだけに紅葉の盛りはまだ早く、美しい山肌に接することはできなかった。合羽着用とはいえ、濡れた体は立ち止まれば小さな震えが来るようであり、気温はかなり低い。登山道が二本に別れる平坦な休み場でビール、お酒を飲んでもちっとも美味しくない。芭蕉池へ向かう左の道は通行止めロープが張られ、手入れが施されていないようである。

 ロープをくぐり、急坂を30分ほど登れば山道の左手東側に芭蕉池が現れる。急傾斜地の凹部に湧水が溜まったものらしく、水はわずかづつ東の端から名立川へ流れ出ている。 面積はおよそ1,000屬らいだろうか。池周辺に道はなく、登山道脇の高台から全体を望むことができる。池の北側にはミズナラの巨木が周辺のブナや雑木に隠れて群生していた。だが、ここもまたキクイムシの被害でナラはほぼ全滅状態である。
 およそ20年ちかく、わたしだけが知るマイタケ場であったのに今は見る影もない。これまでわたしが採取した最大株15kgをはじめ、一年おきに2~3株発生していた木も倒れてしまった。2kg程度の流れ物が一株あっても、時機がおくれて採取できる状態ではなかった。ここだけで何回か山菜ザックが一杯になったことが懐かしく、寂しい思いでいっぱいだ。
 巨木の崩壊跡地で簡単な昼食をとり、再び雨と露でビショビショのヤブに突入する。

登山道へ戻りさらに上部を歩いてみたものの、山道は荒れ果てており登山道分岐の休み場へ戻ることとした。道をはじめ人工物、自然物ともいつか壊れ消滅してゆく。人の思惑がいろいろあっても“自然”とはそんなものである。輪廻転生、いつの時代か再びこの山で楽しみを見出す人も出てくるだろう。
「頂上方面はどうするね?」
「この雨ではもう充分ですワ」
「もう下りましょう!」
ということでのんびり山道を下り、名立川から車に向かって登り返す。東飛山で待ち合わせをしているK氏との時間調整を考え、大毛無山北面に建つ横浜・坂本堤弁護士の慰霊碑を訪ねてもみた。最悪、凶悪だったオウム事件もいずれ人から忘れ去られてゆくのだろう。仕方のないことである。

北ア・黒部黒薙温泉旅館・・・初めての泊り

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○北ア・黒部黒薙温泉旅館・・・初めての泊り
○投稿者 なめこタン

 何回も来ているが初めての泊りであった。にも関わらず、従業員の方が
「何回もお出でいただいているお客様ですよね?」
「いやっ、泊りは初めてなんですが・・・」
「釣りか登山帰りに何度もお寄りいただいたことあるような気がするのですが・・・」、悪いことは出来ないようだ。営業トークかも知れないが、そう言われて悪い気はしない。
「まだ泊りのご用意ができておらず、立寄り用の休憩室をご利用ください。館内はお判りでしょうか?」に、とりあえず一通りの説明を受けた。
「だいたい分かります。早い時間帯からすみません」
「ご用意できましたらお声がけいたします。ゆっくりお過ごしください」。
館内はずれにある急なコンクリート階段を降り、内湯ちかく最下位置にある10畳程度の休憩室に入った。きれいに磨き上げられた廊下は土足のまま入るようであり、ちょっと気が引ける。悪天の平日とあってか立寄り客は誰も来ず、わたしたち二人の専用部屋となり、入浴、昼寝を存分に楽しむことができた。

 今年最後の遠征渓流釣りを楽しもうと計画した黒部川本流、黒薙川だが、前日からの雨で流れは増水し、とても釣りなぞできる状態ではない。渡渉なぞおぼつかず、廊下は谷幅いっぱいの濁流である。まあこんなことは数日前からある程度予想しており、仕方のないことであった。
 今からちょうど20年前、信越を中心とした地に甚大な豪雨被害をもたらした7.11災害時は、黒部川宇奈月の面影橋の上で咆哮をあげる黒部の激流に震えあがっていたことを思い出す。ある沢の小滝へ落下し、流れにもまれしばらく浮いて来なかった仲間もいた。 丸山、別山、奥鐘山の巨大な岩壁、幾本もの谷はわたしたちに黒部のやさしさと厳しさを教えてくれた。わたしにとって黒部は頸城、妙高と同様こころの山といえる存在である。そんなこんなを思い出し、当初の目的はとっとと放棄し、山の温泉を目指した今回の山行でもあった。

 黒部峡谷鉄道黒薙駅から山道を徒歩20分ほど歩く。水平な道から最後の急な下りをこなせば、まもなく黒部川の最大支流黒薙川の右岸に建つ小さな一軒宿黒薙温泉旅館がある。ゴールデンウィークから11月下旬の季節営業は、足便が悪くとも秘湯人気高く、たくさんの人が訪れるようだ。一泊二食税別料金は9,000円。食事は山菜、イワナを中心としており、派手さはないが量、質とも十分なものである。
 ここは下流にある富山を代表する温泉地宇奈月の総湯元であり、温泉は2,000L/分と大量に湧出している。そのため未利用の源泉があったり、余り湯が大量に黒薙川へ放出されている。泉質は単純泉(弱アルカリ性低張性高温泉)、源泉温度は97℃を越えているが、加水することなく減温しており、何らかの熱交換システムを採用しているのだろう。透明できれいな湯は特徴に乏しいが、大き目な白い湯花が適度に漂っている。
 かなり以前、この渓谷の上流を目指すため、宇奈月からトロッコ道を何度か歩いたことがある。電車が動き出す前、まだ真っ暗な中ヘッデンを点け、駅員の目をかすめてこっそりと線路上を歩いた。釣欲につられて片道2時間ほどだったろうが、今そんなことをしたら大目玉を食らうに違いない。

 ぢぢいとばばあが
 だまって湯にはいっている
 山の湯のくずの花
 山の湯のくずの花 -田中冬二(ふゆじ)明治27年~昭和55年、詩人-

 お昼ちかく、川の流れに面した六畳間に案内された。宿の外観からは想像しにくいシンプルながら小ぎれいな部屋であり、トイレ(ウォッシュレット)、内風呂にも近く便利でありがたかった。
 私たちを含めた今日の泊り客は男性6人のみであった。そのため女性用の露天風呂“天女の湯”も開放してくれた。宿から100mほど上流にある大露天風呂(混浴)は雨で行き来が面倒なこともあって、これまたありがたい。
 男性3名、女性2名のスタッフが働いていた。山の一軒宿、山小屋にありがちな“泊めてやる”的な感じは全くなく、スタッフとの距離も、つかず離れずで気持ちがいい。山小屋営業が商行為であることを忘れたような小屋番、小屋主に見習ってほしいと感じた宿である。
 翌日は場所を変え、連れがほんの少しの間だけ竿を出してみた。コロコロとよく太った8寸のイワナが姿を見せ、これで今年の釣りは最後となった。

海谷・鉢山エビクラ西壁第2フェースダイレクトルート

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○山行地:海谷・鉢山エビクラ西壁第2フェースダイレクトルート
○山行日:2015年10月10日(土)~11日(日)
○メンバー:L小林 松木(昭) 古川
○報告者:小林

 10月の3連休の初日、天候にも恵まれ海谷・海老クラでのクライミングを行ってきた。当初予定していた2班編成による登攀は永田さんの都合がつかず3名の行動となり、右上ルートを目指すこととなった。

 山峡峠に到着するとすぐに準備をはじめ登山道へと入る。落ち葉や栃の実がたくさん落ちておりすっかり秋も深まりつつあるのだなと感じることができた。川原沿いを歩くと前回訪れたときは感じられなかった木々の紅葉がきれいでこれから見頃になる様子であった。
 何度か渡渉をくり返して海川を遡行すること1時間程でベースとする高台に着いた。不要な物品はデポし登攀用具を持ち第2フェースへと向かう。川沿いを歩き第2フェースに向かう途中に下降路となる第1ルンゼを見ながら進んでいく。トポを見ながらおおよその位置を確認した後藪をこいで取り付き付近まで辿り着く。すぐにピンを確認することができ登攀を開始する。

 1ピッチ目、一つ目のピンは目視で確認ができたため迷わず支点を取ることができたが、その後はハーケンが見当たらずブッシュで支点を取りながら下降点でビレーを行う。
 2ピッチ目、すぐに上にあがると本来のビレーポイントがあるのに気がつく。右上を意識するあまりハーケンやブッシュとなるような支点が思うように見当たらずダイレクトルート付近に合流してしまった。ルートファインディングの甘さを痛感する。
 3ピッチ目、ダイレクトルート核心部には新しいハンガーボルトが打ち込まれていた。L字状ハングの側面を登り核心部を抜けると続けて右上へ登っていく。セカンドで登るりかちゃんが心配であったが、先週のトレーニングの成果もあったせいか難なく登って来られて感心する。
 4ピッチ目、右上へ傾斜も緩く難しくはないが支点となる所がない。途中ハーケンを使用し支点を2つ作りビレー点まで行こうとするが、ザイルいっぱいの声が掛かる。近くの小さな木の根元でセルフを取りビレーシステムを構築する。昭男さんが来ると足場がよくないため先にあるビレーポイントに行き確保してもらい3人が集合する。
 5ピッチ目、6ピッチ目は傾斜も緩く安定した岩場を登っていく。落ちる心配はなくブッシュで支点を取りながら登って行き、蟹江メモリアルルート終了点近くの松の木付近で終了となった。

 その後下降点へ向かうため確保をしながら左へトラバースをする。第一ルンゼに向かうため右下方向へと降りていく。第一ルンゼを確認すると近くの木の幹で懸垂下降を行った。約40m下降すると第一ルンゼのガラ場に辿りついた。その後ガラ場を歩くが小さな崖となっておりそこでも小さな木に捨て縄をくくりつけザイルを通し懸垂下降を行った。しばらく歩くと海川の川原に下りることができた。

 ベースに着くと昭男さんが下山され、我々はすぐに翌日に備えテント設営と夕食の準備を行った。りかちゃんと美味しくラーメンをいただきテントで休むこととなった。
深夜になるとポツポツと雨音が聞こえ始める。朝方まで降ったり止んだりを繰り返し2日目のクライミングは中止となった。
川の増水が心配なことから朝食を済ませすぐに帰りの準備を行い下山となった。川の増水はそれほどでもなく難なく山峡峠まで戻ることができた。

 今回終始リードを行ってみてルートファインディングの甘さからダイレクトルートに合流してしまうなど時間を要してしまった。その中でも支点を見つけたりハーケンを打ったりするなど経験ができたことは良かったと感じている。昭男さんがいるという安心感は非常に大きく、自立したアルパインクライマーになるには今後も豊富な経験が必要であると感じた。
 

北海道・鷲泊~利尻山

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○山行地 北海道・鷲泊~利尻山
○山行日 2015年09月26日~29日
○山行者 L関原 本間
○報告者 関原

 二十歳の時から憧れていた北海道の山行、山頂から眼下の360度全て海が見える利尻富士。日本中探しても海抜0mからはじまる1,719mの山は無い。
 新潟から遙か遠い北海道最北の山。1年前までは、自分の生涯でこの山に登ることを諦めていた。

 ところが昨年NHKBSグレートトラバースで、田中陽希さんがこの利尻山を百名山の最後とし、完登に涙している姿を見て心が震えた。利尻山の数日前、体を壊し家族の支えで弟と一緒に走る放送もあった。あの鉄人が最後まで体に不安を抱え、極限を越えてまで登る姿。あの「あきらめない心」、その姿に感動した。

 これまで利尻山登山を諦めていた3つの壁があった。
1、時間 9月シルバーウィークの5連休でもカーフェリーの計画では難しい
2、費用 旅費だけで10万円以内を考えたが、紅葉時期の北海道ツァーは高額であった。千歳空港からレンタカーを3日間借りて行動する計画も、費用的には最低4人が必要でかつテント泊の日々。それでも10万円以上となる旅費は苦しいものがある
3、仲間 登山しない人と行ける訳もなく会の仲間を3人募ったが、それぞれのスケジュールが合わない

 今年の利尻を諦めていた時、9月6日の朝刊で阪急交通社のチラシが目に飛び込んできた。「2015年ラストチャンス!! 利尻・礼文と日本一早い紅葉の大雪山、9月26日(土)新潟空港出発89,800円~(宿泊、食事付)」エ~~嘘でしょう~? 土曜日新潟から飛行機で出発、2名からOK、利尻島に宿泊。加えてホテル、食事も北海道ならではの秋の味覚のおもてなし。
 消えていた気持ちに火が付き、早速電話する。2日目の団体ツアー礼文島~利尻島の観光だけをキャンセル出来るか問合わせた。電話口の担当者は、その日のフェリー代、昼食の海鮮丼代、バス代等その日の代金を返還しない事と、個人行動の時間は自己責任である事として離団届を提出すれば予約を受付けるとの事。
 北海道を長距離運転しないで、もう1人一緒に行ってくれる人がいればあの広い北海道、利尻島~大雪山、黒岳に連れてってくれるのだ。飛行機で早く、団体割引で安く、そして豪華な食事。その先は嬉しくってあまり覚えていない。
 本間さん69歳の誕生日お祝い旅行として企画、気づいたら本間さんと新潟空港に着いていた。

 登山報告としては前置きが長くなったが、どうしても伝えたい所なのだ。団体旅行はグループや個人それぞれあっても出発から帰着まで同じ仲間として行動が限定される。登山ツアーにしても団体行動は同様である。今回は登山目的の為に、ツアー旅行を利用した。(ツアーの添乗員さんに後日聞いた話では、長く北海道ツアーをしているが、登山で離団する人は私達が初めてだったとの事。)

 9月27日 深夜1時から稚内のホテルは雷雨で停電になり、部屋の非常照明がベッドを照らす事態に不安を覚える。早朝6時、長雨のなか礼文島に渡る稚内港では、ツアーから別行動となるためガイドの清水さんから「くれぐれも気をつけて下さいね」と4度も念を押されてしまった(天気悪い事、初めての登山者等etc)。
 雨の中、礼文島行き約300人の観光の団体客を乗せたフェリーを見送って、稚内港7:15発の利尻島行で、登山がスタートした。波は少し高く、50cm程のローリングを繰り返す中、1時間40分の船旅は大の字で寝ることが出来る広い2等船室で快眠した。
 1時間後、窓からの眩しい朝光に目が覚めた。なんと黒い空が、明るい青空になっている。思わず甲板にカメラを持って利尻山の雄姿を撮りにいく。海面の眩しいキラメキの先に、水平線から裾野が伸びて富士山のようなかたちが綺麗に見える。「ワォ~~すごい~本物の利尻だ~!」、何度も何度も、写真やテレビの放送番組で見てきた姿だ。しかし、やはり自分の目で見る利尻は感動ものだ。もし天候が悪ければと、稚内港の待合所にある残雪期の利尻山の宣伝看板(白い恋人)も写真に撮っていたが、やはり本物は違う。フェリーから日本海の先に見える利尻山は感慨深いものである。4日間の北海道での天候は、この日だけが晴れとなった。

 9時10分、利尻島鴛泊港からホテルの車の出迎えを受け、3合目の利尻北麓野営場まで車で送ってもらう。旅行の荷物はそのままホテルのマイクロバスで宿泊部屋へ運んでもらった。すごく得した気分。登山計画書をホテルの方に渡し、携帯トイレがこの山では義務づけられているのでその方から購入して、登山スタート。
 10分遊歩道を登ると有名な名水甘露泉だ。2Lのポリタンクに給水して、長い登山道縦走の闘いが始まる。そこから約1時間、針葉樹林帯が続く野鳥の森といった感じ。チップ状の遊歩道から登山道へ変化していく。緩い坂道で高度が上がらない。
 3合目の標高が210m、利尻山頂の標高が1720mと標高差1,500mもあるのだ。今日一日で1500m登って、1500m降りる計算。トータル3000m、なんて過酷なんだ。コースタイムが標準で登り5時間30分、下山4時間30分=実働10時間。9時20分スタートで、ホテル着厳守時間が18時、つまり計画の段階で1時間足りない(休憩時間は換算無し)。つまりコースタイムで2時間短縮位でないと登頂出来ない。登山のスピードが今回登頂できるかの鍵を握る。
 6合目を越えてから急登のジグザクとなるが、第一展望台から山麓海岸の先につながる礼文島が薄らと見える。自分のイメージでは、北に向かって登っていく感じだったが、地図では北面の登り。稚内が北で南側に利尻島がある。だから北の裾野の先に礼文島があるのだ。展望台から視界180度の海岸線が見えるのは初めての体験だ。山頂なら全方向360度海が見えるはず。しかし、12時から雲が広がって青空が崩れてきている。早朝登山した方が降りてくる時間となっていた。
 7合目、胸突き八丁は急に高度を階段状で上げていく。この辺から本間さんが遅れだす。体を鍛えている本間さんでも、長い急登は厳しい登山だと感じているようだ。しかし2人で北海道の利尻山に登頂に来たのだ。旅行はおまけのようなモノ。なんとしても2人で登りたい。しかし時間が過ぎていく。そして山仲間を途中で待つ時間が増えていく。18時ホテル夕食前に到着することが離団の条件だ。14時には引き返さないとホテルには戻れない。14時まで後1時間30分、コースタイムではあと山頂まで2時間20分。時間が足りない。このままでは山頂には行けないし、一人だけで本間さんを置いて登頂する事も絶対に出来ない。でもどこかで「一本道だから、後から来てね~」と言いたい自分もいるのだ。それも本音だ。
 本間さんも「ここまで来て、自分の遅れの為に登れないのでは申し訳ない」と思って、「先に行ってくれ、後から行くから」と、いつ言うか悩んでいたという。
 長官山1,218mを越え、利尻山避難小屋から先更に急な尾根となっていく。数名の登山者が9合目から降りてきた。ガスが掛り視界も見込めず、厳しい登りの連続に引き返してきた。9合目で、ついにある決断をして本間さんに伝えた。

 本間さんの雨具、貴重品等を、私のザックに入れ空身で登ってもらう事にした。それしか登頂の道は無かった。あと1時間、これ以上遅れれば2人共登頂は出来ない。空身になってWストックの本間さんは人が変わったように急登を登ってきた。心からお礼を言いたい。何も聞かず、私の指示に従って頑張ってくれた。そこから時間が止まったかのように、近くに利尻山北峰の山頂の祠が見えた。そこまで記憶が無い。それほど真剣で必死だった。2人で掴んだ登頂だった。記憶が無い分「最後あっけなかったな~」、本当にそう思った。
 誰もいない、ガスで何も見えない山頂だった。それでも2人共目頭が熱くなった。この憧れの頂に今アスタークの仲間といる実感。全ての事に感謝しかない。そう思えた。
 10分程、ビールと軽食で余韻に浸っていたら、利尻山岳会の方が1人登ってこられて、利尻山の厳冬期~春スキーの山の話しを聞き、より深く利尻山を知る事が出来感謝している。
 14時15分下山開始。頂上での楽しい利尻の話しを心に詰めて、冬のスキーの斜面のイメージを感じて急坂を1,500m下る。本間さんもかなり良いスピードで下ってくれるので予定時間をカバーする。
 名水甘露泉の場所からホテルに電話して迎えに来てもらう。きれいな夕焼け越しの針葉樹の影はもう夕闇が迫っていた。17時、利尻北麓野営場に戻るとホテルが忙しい時間帯にかかわらずもう迎えに来てくれていた。当たり前に来てくれるホテルの方に嬉しくって、登頂の喜びを伝えたら、ホテルのチェックイン時に登頂日登頂者の名前を入れた登頂記念カードをプレゼントしてくれた。本当に登れて良かった。北海道利尻山がもっと好きになった。こんな自分らしい山旅も素敵だ思う。

2015年11月山行・活動予定

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〇2015年11月山行・活動予定
第27177号

【今月の一言】  「山で一杯」     松矢

 一杯といってもお腹一杯の一杯ではなく、先ずはまあ一杯の方である。山で何が楽しみかというと山頂での缶ビールという方が多数居られることと思う。大汗を掻いて喉をからからにしながら登頂したときの一杯といわずに二杯三杯は至極の時である。アサヒ、サッポロ、キリン飲めるものならなんでもいいし、つまみは要らない。
 昔は結構飲んでヘロヘロになって下山した時もあったが、今は下山後の運転で何かあったら大変なことになるのでノンアルコールビールで相当我満している。
 今年の剣岳の合宿で登頂後キャンプ場に戻ってきたときは、過去に例がない程のビールをしこたま飲んだ。ものすごく美味かった。心地よい疲労感と皆無事に戻ってきた安堵感でチョー気持よく飲めた。
 チョット早いけど来年も美味いビールが飲める様に頑張るぞ。でもその前に体重を落とさなくては、80堋兇蓮⊂鏤魅咫璽襭吋院璽垢鯒愽蕕辰討い襪茲Δ覆發里如▲ライミングをするには重すぎると物見岩でのトレーニングでつくづく感じた今日この頃です。

 
○11月の山行・活動予定

 10月31日(土)~11月01日(日) 西頸・明星山P6南壁 L関原
 11月01日(日)~03日(火) 妙義・裏妙義木戸壁右カンテルート L丸山
 11月07日(土)~08日(日) 西頸・鉱度倉沢ブナ平~梶山新湯 L丸山
 11月08日(日) 長野・大峰山物見岩 L村田
 11月13日(金) リーダー会 新井いきいきプラザ
 11月14日(土) 西頸・明星山P5墓石稜 L小林
 11月15日(日) 海谷・船浦山東壁第三岩稜ルート整備 L松木昭
 11月15日(日) 長野・大峰山物見岩 L村田
 11月17日(火) 定例会 新井いきいきプラザ2F 19:00~
 11月21日(土)~23日(月) 八ヶ岳・赤岳西壁主稜ほか L丸山
 11月28日(土) 長野・大峰山物見岩 L村田

 
〇12月5日(土)~6日(日) 納会

秋山郷・切明ドロの木平~奥志賀~渋湯田中温泉郷

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○山行地 秋山郷・切明ドロの木平~奥志賀~渋湯田中温泉郷
○山行日 2015年10月10日~11日
○山行者 L丸山 船山了 船山康 松木智
○報告者 丸山

 10日 参加したメンバーには申し訳なかったが、わたしは秋の家業を終え少しのんびりしたい気持ちがあり、新井のスタートは朝9:00過ぎであった。
 飯山から津南を経由、あてにならないカーナビを無視して昔からの細い道をたどる。中津川の最狭部で営業する“平家茶屋”で一休み。そのあとは小赤沢の真っ赤な温泉が特徴的な楽養館を目指す。
 「丸山さんが運転する車に乗るなんて初めてかなー?」と了さん。
 「えーっ、おれっていつも車中で酒飲んでグダ巻いていましたっけ?」とわたし。
 「そうそう、その通り!」と松木がチャチャを入れる。
 楽養館は三連休の初日とあって無茶苦茶な混み様かと想像していたがそれほどでもなかった。
 食事が先か、温泉が先か? 施設フロントの方の「この後団体が来館しますので先にお風呂をすませた方がいいですよ」のことばに従って温泉を楽しむ。きょうの湯はやや赤色が薄いように感じたが、久しぶりの訪問で本当のところは分からない。相変わらず温めの湯は長湯が可能で、あえて言えば夏向きの温泉と言えそうだ。

 切明からつづら折りの林道を登り、きょうのキャンプ予定地である佐武流山の登山口を確認する。この先にはオートキャンプ場があるらしく、こちらも確認することにした。車一台2,000円、一名500円、わがパーティーでいえば一泊4,000円ということらしい。止め、止め、そんな金があればうまい物でも食った方がいい。
 BC設営後はヤマブドウや夕食用の天然キノコを採取する。キノコは適当量を確保し豚スキの具材とした。この辺りはドロの木平と呼ばれているらしく、ドロの木が目立ち、スギ、カラマツも植林されているためかキノコ狩りのポイントとしてはやや物足りない。
 あすはここから通行止め林道をショートカットし、苗場山の一角にある大岩山月夜立岩を目指す。地形図を見る限りこの一帯は岩壁の発達著しく、なお登山道の存在も確認できないため未踏の壁が存在するのではないかと考えていた。とくに月夜立岩は、檜俣川に沿う林道から最も近い位置にあり関心を惹いた。ただ仲間が撮影した写真やほかの情報を収集しても、誰が見ても見事な岩壁とは言い難いブッシュの侵入激しい代物である。
 そもそも月夜立岩が、大岩山南のサテライト峰あるいはその一部の屹立した岩峰を指すものかも分からない。サテライト峰を指すとしたら、林道からは南面、東面のアプローチが好ましく思われ、東面を目指す今回の活動となったものである。仮にそれぞれを東壁、南壁とした場合、前者は数本のルンゼ群、後者は傾斜が強く広いフェースとなっている。これまでの経験からこのあたりの岩壁は登攀に向いた硬い岩で構成されているはずで、ある程度の期待を抱いていた。
 「月夜立岩(つきよたていわ)ねぇー・・・」
 「ツキヨタケみたいな名前だね・・・」、まあ意識的にはそんなものである。早い時間から夕食としたため、19:00過ぎには心地よい眠りに付くことができた。

 11日 4:00前から目が覚めれば外はかなりの雨降りの様だ。車数台の往来があり、登山口で止まった車は雨にめげて登山を中止したらしくUターンしていった。テント内はミラーマットが有効でカラッとしていても、外に出しておいた靴類はグッショリと濡れてしまった。
 ゆっくりと朝食を摂り
 「さてどうしますかね?」
 「これじゃきょうはダメでしょう・・・。楽しい名所巡りで帰りましょうや」
 「槍は風雪でしょうね、エビクラも増水で大変そう・・・」、他パーティーの心配もある。
 「久しぶりに奥志賀林道でも通りたいね」ということでテント撤収。

 中津川の右俣雑魚川に沿う林道は燃えるような真っ赤な紅葉には物足りないにしても、落ち着いた黄葉が美しい。要所々々のビューポイントではカメラを構えた観光客が目立つ。林道右手から流れ込む鳥甲山南西面の小沢が興味深い。スケールが劣るためか、これまでまとまった記録はないように思うが手頃感は充分である。チラッと見えるきれいな岩壁や岩峰もあり、昔のように秋山郷へ通いこむことも楽しそうだ。
 先が開けてくれば焼額山、一の瀬など志賀高原のスキー場が近くなる。巨大なミズナラもそこそこ認められ、その方面の楽しみもありそうだ。まあこのあたりはほぼ地元のようなものでさっと流して通り過ぎる。
 湯田中渋温泉郷で一風呂浴びようと立寄ったのは角間温泉の共同浴場「滝の湯」。角間は料金の設定が珍しい方式で行われ、きょうは一名100円であった。賑やかな温泉郷で唯一鄙びたたたずまいはとても好ましい感じを受ける。ちなみに一人当たり入浴料金の詳細は一人なら300円、二人なら150円、四人なら100円、三人ならどうなんだろう。けして難しい算式でないがブログ記事を読んでいる方には楽しみ半分で考えて頂きたいと思う。
 昼食はソバでも食べようと考えていたが適当な店が見当たらない。
 「ここまで来れば妙高まで我慢してもいいんじゃない?」
 「そんじゃカトサンかね?」
 「あっそれがいいですね」ということで妙高高原駅前に向かう訳の分からない軟弱なパーティーの山行報告であったとさ。

北ア・上高地~槍ヶ岳~燕岳~中房温泉

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○山行地 北ア・上高地~槍ヶ岳~燕岳~中房温泉
○山行日 2015年10月10日~12日
○山行者 L関原ほか1名
○報告者 関原

 1978年から今までの山行を振り返り、2年前から挑戦しているのがテント縦走である。衣食住を自分で背負って、北アルプスの稜線を日本海までつなぐ旅でもある。北アルプス稜線の縦走した場所を、赤線を入れて未知なる線がつながるのは愉しいものだ。ピークを目指す山も良いが、ロマンある目標に向かっての縦走は、よりエキサイティングで魅力的だ。
 20代から山行日数は300日を超え、その他に今までのクライミング等(雨雪での中退、転進)で撤退した山も100日以上あるだろう。今までの単発を繰り返してきた山行から、これから自分らしく目標を持った数泊の縦走で新たなる次の目標に向けて歩きだしていきたい。
 今年のテント泊は20日間ほどと決して多くない。長野市にいた今回のパートナーの親友は、富山市に転勤し登山から少し遠ざかっていた。昨年は唐松岳~不帰~白馬~猿倉や、扇沢~針ノ木岳~岩小屋沢岳~種池~扇沢など1泊2日としてはロングな縦走を共にしてきた。昨年10月11~13日に、このルートで中房温泉からスタートの2泊3日を計画したが、大きな台風の接近で取りやめた。しかし1日の好天予報が諦めきれず、前日アスタークの仲間と中房温泉を愉しみ、12、13日は燕岳~北燕岳~東沢を下る山行とした。燕岳稜線からの槍ヶ岳北鎌尾根や表銀座の稜線は素晴らしい景色だった。
 今回は昨年の計画と逆コース、上高地~槍ヶ岳登頂、そこから東鎌尾根~燕山荘~中房温泉へ下山する縦走である。

 10月10日 この連休での上高地から沢渡~松本の国道158号の渋滞を避けたいと思い、燕岳からスタートする表銀座コースを逆にして、帰りの事を考えて大糸線穂高駅の近くの無料駐車場から山旅はスタートした。天気は上々で、久しぶりに大糸線に乗車して松本駅から私鉄上高地線に乗換、懐かしの新島々駅(最近は車で沢渡に入るので、35年ぶりか)。15:30発の上高地へのバスは15名程で沢渡の各駐車場を廻るが誰も乗車しない。普段は朝一番のバスを沢渡で待つ時はいつも満席なのに~。
 今回は、ザックも1席確保で同じ料金で得した気分だ。夕暮れの上高地は、帰りのバスを待つ観光客の行列。「やっぱりだね~」と仲間と話しながら、明神館~徳沢~横尾は3時間の平地道。明神館を過ぎてからはすれ違う登山者も数名となり、ヘッドランプの灯りの先に小屋の灯りが見えると緊張していた心が安らぐ。人の気配がこれほど嬉しいとは・・・。
 予定通り19:30分横尾着、約50張りのテントがにぎやかな宴会を奏でていた。明朝の雨予報に、槍ヶ岳山荘のテント場へ泊りを変更して、最終日の晴れのち曇り予報に東鎌尾根への縦走の望みをつなぐ事にした。

 11日 深夜から降り出した雨は早朝でも時に激しく止む気配が無い。6時にはあれだけあったテントが閑散としていた。「この雨は予報で10時には止むはず」と希望的予想で7時スタートに変更して、小雨になった所でテント撤収。
 槍沢ロッジでも雨は上がらず、小屋の軒先でインスタントラーメン昼食+ビールで槍沢の紅葉を楽しむ。それにしてもこの連休に槍へ向かう登山者が少ない。 
 大曲付近で下山の登山者から昨日2800m以上は5cmの積雪が有り、10m以上の強風で深夜ポールが折れてテントが壊れた話しを聞く。ここからでは槍ヶ岳は雲の中で雪等は確認出来ない。ヒュッテ大槍との分岐付近から、風雪となり3cm程の積雪でトレースが無い中、殺生ヒュッテに到着。稜線でのテント泊は、寒さと強風で危険と判断して、ここでテント泊の手続。 
 テントは我々だけと寂しい限りだが、小屋の宿泊も7名と少ない。小屋に泊りたいと言う疲れ切った仲間に「こんな環境こそ、テントが楽しいと言い切り」岩陰にテントを張り食事の支度をするが、仲間の食欲が無い。「軽度の高山病」のようだ。今日、雨の中標高2,800mまで登ったからのようだ。水分を取って早く休んでもらう。明日は体調を見て、このままならゆっくり下山。槍ヶ岳の登頂も中止だ。

 12日 夜中もガスが晴れず、風雪の夜を過ごしたがマイナス5℃位(もっと寒くなると思っていたが)。朝4時30分起床、相変わらず風は強いがガスは上がっていた。仲間も体調が良くなったらしい(良かった)。テントを畳むのに、強風と凍った金具等で時間が掛る。小屋で支度を整えて、朝日が当たる槍ヶ岳を背にして東鎌尾根を下ることにする。強風とこれからの長い縦走の為に槍ヶ岳の登頂を断念した。
 殺生ヒュッテからヒュッテ大槍のトラバースの道が積雪で分からず小屋の方に聞くが、夏道の東鎌尾根を歩いていないなら冬山だから行くなと言われる。聞く事により自己責任を問われる。確かに今日は冬山だ。しかし標高で100mも下がれば雪は無いし、東鎌尾根上が強風ならヒュッテ大槍から下山する予定だ。まあ~教えてくれないなら自分で探すだけだ。その気になったらすぐ道は分かった。言っている事は正しいと一旦受け入れて、これからどう安全に行動するか? 自己責任で判断することの大切さを学んだ。いい小屋の対応だと思っている。
 大槍へのトラバース道では、アイゼンを装着して快適に風雪の中 ヒュッテ大槍に到着。もう槍ヶ岳は雲の中に隠れてしまった。朝30分だけの素晴らしい大槍が姿を表してくれたことに「ついているな~」と感謝した。これから向かう東鎌尾根は快晴だ。西岳が目の前に大きな岩稜となって見える。曲りくねった登山道がその遠さを教えてくれる。AM7:30、水股乗越で再度下山路を確認する。選択は2つだ。
 1、9時間半の縦走で中房温泉か、2、それともここから大曲りへ下山すれは7時間半で上高地。仲間の体調次第だった。簡単な2時間の差の選択では無い。西岳の登りやアップダウンの続くテントや荷物を持つ縦走と、下山で平坦なモチベーションの上がらない道との差は大きい。
 肩と膝の痛みはあるが、今年の締めくくりとしては、最高の友と最高の天候だが無理は出来ない。仲間の体調を慎重に聞き取り測る。高度は2400m程に落ちて、かなり体調は良いようだ。中房温泉15:50の最終バスの乗車は無理だと予想した。お互い目で合図して、タクシーの料金7,800円を払うことを確認した。

 ここから西岳への登りが正念場、ハシゴや鎖の連続に足取りも重いが着実に高度を上げ、ヒュッテ西岳に到着。外で休んでいたら小屋の人が小屋の前にある縦走路看板を外し始めた。今日で小屋が終わりらしいのだ。今着いたばかりの我々だが、もう登山者は来ないのだろうか? 
 早々に大天井ヒュッテ目指して喜作新道を行く。快晴の中、常念岳の素晴らしい山容が見える。この尾根の小さなアップダウンは心地よく、後ろを振り返れば遙か彼方に朝からの縦走路が延々と続いている。ビックリ平では、鷲羽岳、水晶岳そして遠くに立山、剣岳の山脈が見える。晩秋の表銀座コースを充分堪能した。それにしても登山者にすれ違わないのは本当に信じられない。
 大天井ヒュッテでは、3つの外テーブルと椅子が、鍋釜などに占領されて誰も居ないのに座る所が無い。地面もブルーシートに布団や毛布、枕を並べて今年最後の日向ぼっこをしていた。この小屋も今日終わるようだ。ここで昼食として仲間はドライカレーを注文、私は行動食でやり過ごす。ここまでのタイムは標準時間だが、これからは登りが多くなり遅れそうだ。まあ天気が良いので、下山時のアクシデントに気をつければ大丈夫だと判断した。
 大天井岳のトラバースを越えた頃からガスが掛り、北西の強風が稜線を吹抜ける。高瀬川側の稜線では冷たい風が吹き、安曇野側の巻道では暖かいという地獄と天国が尾根で切替わる登山道となる。ここから燕山荘までは、全てガスに覆われて忍耐の登山道となる。
 燕山荘到着後、タクシーを中房温泉18時に予約して早々に下る。時間は15:15と予定の下山時間を大きく過ぎていたが、まだ下山が終わってないし、暗くなる中で無事に下山できる保証がないので下山報告は、中房温泉へ下山してからと考えたが、留守本部では連絡が無いことに心配していたようだ。今後は下山がかなり遅れるようなら、中間報告をした方が良いと感じた。自分達だけ登っている訳ではないのだ。山の仲間も一緒に、その時間を共に過ごしている。ただ、携帯の電波は稜線上では殆んどつながらず、小屋も場所と機種によって中々つながらない。

 第二ベンチから暗くなり、ヘッドランプを点けて下るが焦ってもなかなか高度が下がらない。予定の18時を過ぎても、中房温泉の宿の灯りが見えない。タクシー運転手から携帯に連絡が有り、「ゆっくり降りてきて下さい」と優しい言葉に嬉しくなるが「待ち時間料金が付くよね~」と2人で急ぐ足取りとなる。
 暗いジグザクな急な下りに足元の石に気をつけて、15分下ると宿の灯りが見えて運転手が登山道の入口まで迎えに来てくれた。トイレいいですか? 少し休んだらどうですか? 言われても17分も待たせた料金が不安で、すぐに運転してもらった。タクシーは外が寒いので暖房が入っていた為に、こちらは汗だくで車窓を全開にする。やっと安心した所で、タイミング良く、姐御からの電話。「今タクシーに乗った所」と言うだけで精一杯。その後電波はつながらない。穂高駐車場ではタクシーの待ち時間の追加料金無しにホッとしたら、今度は富山に帰る仲間の新幹線の時刻が心配になる。
 こんなに遅くなると思わなかった為に上越妙高駅20:49に間に合わず、最終の10:06分で富山へ。新幹線では乗り越す事を恐れて睡魔との戦いだったらしい。一睡もせず帰ったとの事、本当にお疲れ様でした。
 今回のテント縦走が、表銀座へのお互いの想いを叶える事が出来た以上に、充実した人生の生き方を真摯にしっかり学んだと思う。「登山を通して、どんな状況でも50代を生きぬける力強い経験をしたと」。

コースタイム
10日 11:30上越~13:15穂高駐車場~13:52穂高駅~松本14:47~新島々15:27~16:30上高地~横尾19:30
11日 8:00横尾~殺生ヒュッテ15:10
12日 6:00殺生ヒュッテ~6:22大槍ヒュッテ~7:34水股乗越~9:10西岳ヒュッテ18:15~12:10大天井岳ヒュッテ~15:30燕山荘~18:15中房温泉~19:10穂高駐車場~21:30上越妙高駅

海谷・船浦山東壁第三スラブ~第三岩稜

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○山行地 海谷・船浦山東壁第三スラブ~第三岩稜
○山行日 2015年10月17日
○メンバー L小林、古川
○報告者 古川

 先月雨天敗退となった船浦山だが、今回はメンバーも増え、4人2パーティーでそれぞれ第二岩稜・第三岩稜ルートにチャレンジすることとなった。
 トポを見て日没までに戻って来られるかかなり不安があったが、私以外はみな船浦山経験者なのとアプローチが短いこともあり、何とかする!という気持ちで来海沢集落から第二発電所へ通じる杉林の林道を歩き、海川へ向かった。
 第二発電所7:50、すぐ下の海川左岸を藪こぎしながら第二岩稜取付きで永田さん吉越さんチームと分かれる。渡渉(水量ほとんどなし)しながら小林さんとここでもない、あそこでもないと更に川原を進み大きくせり出した岩を周り込むと、先を歩く小林さんが早く来い、見つかったぞと嬉しそうに叫んでいる。ようやくトポにあるとおりの地形を発見。松の木テラスが目印となったようだ。

 ここで時間は8時30分過ぎ、通常どのくらいで取付きまで行けるか分からないが、距離の割には時間がかかったと思う。
 笑顔の小林さんとは対照的に私は内心かなり焦っていた。藪こぎの際ツルが両足に絡まり川原ですっ転んで膝を石に強打したため、内出血で膝周辺が変な形にどんどん膨らみだしており、足を曲げるとかなり痛かった。膝をさすりながら何とか歩いてきたが、取付きを目前にして負傷なんてサイアクだ。どうしようか一瞬迷ったが、足の状態を確認して行けると判断し、このまま続行することにした。川の水で膝を冷やしてから支度をして小林さんトップで第三スラブに取付いた。

 川原からはよく分からなかったが、取付いてみるともろさを物語るような中が空洞になった岩が上のほうにありギョッとする。岩がもろく欠けたりするので要注意とトポにあったが、縦半分に割った具なしシュークリームのような形の岩々を見て納得。あんな場所を登るのは避けたいと思いつつ、一体どうやって空洞になったのか近くで見てみたい気もした。

 最初は中間ブッシュ帯まで第三スラブを登るが、ボルトやハーケンなど一切見当たらず、ツゲなどの灌木でランナーをとった。木の生えている所を狙いながら3ピッチ登り、中間ブッシュ帯と呼ばれる比較的平らな草付きに到着。途中私も1度だけトップをさせてもらったが、ビレイ点にしようと思った木の手前でザイルいっぱいとなり、ロワーダウンする羽目になった。経験不足としか言いようがない。
 中間ブッシュ帯までようやく上がると、目指す第三岩稜が間近に見えてきた。ポイントとなる松の木テラス手前のルートを確認。
 海川左岸まで延びる第三岩稜主稜上にある松の木テラスまで、2ピッチくらい右上すれば届きそうだ。時間もないので早々に中間ブッシュ帯を出発する。

 このあたりで事件が起きた。下でビレイしていると、突然「あっ!!!」と叫ぶ声がして驚いて前方を見ると、小林さんの青いカメラが金属片を撒き散らしながら岩を飛び跳ね、私の横5メートルぐらいを谷底へ転げ落ちていった。「あー!!!」「・・・・・・。」「・・・。」
 このショックは大きかったことと思う。小林さんの思い出のつまったメモリーカードに、合掌。

 しばらくして第二岩稜を登攀中の永田さん吉越さんチームから定時連絡の無線が入る。姿は見えないが同じくらいの高度にいるらしい。距離も時間もこちらのルートの方がかかるため、待たせないようにしなければと気を引き締めた。中間ブッシュ帯から先は傾斜も急になり岩質ももろくなってきて、手掛かりとなる灌木の密集した場所をねらい、岩登りというより木登りをしながら2ピッチ進む。最後テラスに上がるあたりで緊張したが、垂壁の隙間に生える木々に助けられながら何とか這い上がることができた。

 テラスからの眺めは素晴らしく、山頂へと延びる岩稜を背に左に振り向くと紅葉で彩られた海谷渓谷が金山へと続いていた。おだやかな陽を浴びて静かに広がる海谷の秋。眼下の海川のせせらぎだけが聞こえる。こんな景色を見られるなんて・・・と絶句ししばし見とれる。写真を撮り一休みしたい所だったがそんな時間もなく、指示によりすぐに行動を開始する。
 視界が開けてくると、隣のチームの話し声が聞こえてきた。「おーい!」と叫ぶと返事があり第二岩峰の高度感のあるリッジに取り付いている吉越さんの姿が確認できた。

 ここまで小林リーダーの適切なルートファインディングと安全でほどよい間隔・位置にランナーをセットしてくれたおかげで、安心して登ってくることができた。初めてのルートをほとんどトップで牽引してきてくれたため、疲れとプレッシャーがあるのだろう、私がビレイを間違えたりセカンドなのに遅かったこともあり、かなり苛立っている。ビレイの準備する横で『早くして!』と檄を飛ばされ余計手元がぎこちなくなる。頼りないセカンドで余計プレッシャーを与えてしまい申し訳ないと思いつつも、パニクらないように慎重に振る舞った。

 カンテ沿いに1ピッチ登ると、恐ろしげな岩峰がルート上にあった。また出た!スカスカに穴のあいたギザギザしたシュークリーム型の岩だ!どんな作用でどのくらいの年月で空洞化したのか分からないが、縁を触っただけでポロポロ欠けそうだ。やっぱりあんな所行きたくないよ…。
 しかしトポには『岩峰基部から右へ30mトラバースしてクラックを登る』とあり、ギザギザスカスカ岩の縁を掴みながら進む必要がありそうだ。切り立った岩峰の下をトラバースし、またよじ登ってカンテ上に戻ることが私にできるのか?ここが一番の核心部には違いなかった。

 「崩れるから慎重にね!」とアドバイスを残し小林さんが出発。足取りは慎重だが動きにためらいは感じられない。必死で手や足の動きを目に焼き付けようとするが遠くてよく分からない。核心部では周囲を慎重に行き来してよじ登れそうなところを探している。そして取り付いたと思ったら一気によじ登り灌木帯に姿を消した。あそこはどうやって登るのかな・・・不安・・・。しばらくして「オープン!」の声。怖いがガチガチに緊張はしていない。「登っていいよ!」の合図に観念して動き始める。

 上部に行くほどもろい岩、浮石が多く、バランスが取りにくい分厚い苔に覆われた石、滑る草つきや黒くて薄いツルツル苔の部分も増えてきて気が抜けない。今までの少ない経験と勘を頼りに足を踏み出すしかない。トラバースしてギザスカ岩の所まで来て恐る恐る観察すると、なんとびっくり、鍾乳石のような石柱状の部分にスリングを巻いてランナーをとってあり感心した。と言ってもやはりギザスカ岩はもろくて強く掴めないので、そーっとスリングを回収し素早く移動する。
 そしてどんどん足元が悪くホールドも少ない急傾斜になり、核心部のよじ登りゾーンにやってきた。ここでこのルート初めてのハーケンを発見。やはりここをよじ登るのか、そしてやはり人工物がないと難しいのか・・・。手当たり次第に触って確認。左手はもろいギザスカ岩系のアンダーがガチだがあまり信用ならない。右手はかなり上に割り箸半分の太さのツゲの木、体の右側をかろうじて預けられる斜めに右上したクラックがある。
 いろいろとやってみるが上手くいかず、2手目の上部のホールドがとれず足場も悪いため腕力も限界になってきてクラックに体の右側を押し付けたまましばしお地蔵さんと化す。何度かジタバタ&ズルリ&お地蔵さんを繰り返して消耗する。心配になった小林さんが「大丈夫?返事して!」と叫ぶ。「は、はひ!・・・上がれない!・・・」返事もやっとの状態を察してか「ぶら下がっていいからね!」の優しいお言葉。何分もかかって結局、「すみません!このスリング残置してもいいですかー!」、「いいよ!生きて帰る方が大事だから!」の温情をいただき、スリングに足をかけ、芋虫のように体を押し付けてツゲの木様の力を借りて必死にずり上がった。

 核心部を超えると、灌木の間を縫って2ピッチ登り、樹林帯となり終了、装備を解く。このあたりで明らかに大型動物のねぐらと思われる人間一人は横に慣れそうな洞穴を見つけた。洞穴からは乾燥した落ち葉が敷き詰められた幅70センチほどの立派な道がついている。昔は人間も通っていた道かもしれないが、近くでガサガサと動物が降りていく音が聞こえたし、足跡や糞も見つけたのでどうもカモシカのねぐらではないか。時間があればじっくり観察したいところだがそうはいかない。これまでの間、第二岩稜チームは既に登攀を終え、上部樹林帯の開けた草地で私たちの到着を待っている。
 かなりお待たせしているので急いでホイッスルの音のする方へトラバースする。斜面を進むため気は抜けないが、藪漕ぎで体に当たる椿、山椒、黒モジの葉のいい香りにとても幸せな気持ちになる。
 15:30、ようやく全員集合となり安心した。今日の感想など情報交換しながら、赤テープを頼りにグラグラする膝で発電所の送水管までたどり着き、そこからまた変な汗をかきながら送水管脇の鉄はしごを延々15分くらい下ってようやく林道に16:30頃到着。なんとか暗くなる前に戻ってくることができて本当に良かった。「生きて帰ってこられてよかったね~!」「ありがとう!」と労をねぎらいあった。

 今回もまた、トップのおかげで何とか登らせてもらった。本当に感謝です。
 スピードと確実な操作(今更と怒られそうだが)、セカンドをするならセカンドの義務と責任を果たして安心して進んでもらうことが課題だ。

海谷・船浦山東壁第二スラブ~第二岩稜

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〇山行地 海谷・船浦山東壁第二スラブ~第二岩稜
〇山行日 2015年10月17日
〇メンバー L永田 吉越
〇報告者 吉越

 個人的な事情で6月の明星P6南壁以降クライミングから遠ざかっていたが、アスタークの皆さんの温かい誘いもあり、約1年前に登攀経験のある船浦山の第二スラブに挑むことになった。
メンバーは小林さん・古川さん・永田さん・吉越の4名だが、事前の先輩方のアドバイスにより小林さん・古川さん組は第三スラブ、永田さん・吉越組は第二スラブと別れて登る計画。

 6時に道の駅に集合し、途中で古川さんと合流後デンカの第二発電所を目指す。管理用道路の入り口に車を停め、15分ほど歩くと第二発電所に到着。前回は海川の右岸に渡って上流に歩きその後渡渉して壁にとりついたが、今回は海川の左岸を藪漕ぎしながら取りつき場所を目指す。ルートがなかなかわからずやや難儀したが、どうにか辿りつく。登攀道具を装着し9時に壁に取りつく。

 交代でトップをつとめることとし、1ピッチと3ピッチは永田さんがトップ、2ピッチと4ピッチは吉越がトップに。スラブの傾斜はきつくないが濡れている場所が多く、それを避けながら登る。1年前に比べて樹木の数が減ったようで、支点確保になるものが少ない。ピンは途中に2本だけであった。ビレイポイントの確保やザイルの引き上げも久々であったがどうにかこなす。1時間ほどで樹林帯のバンドまで登り、ハング下をトラバースして次の取りつき場所で最初の休憩。

 ここまではウォーミングアップでここから先が本番であることは承知している。休憩後、再びトップを交代しながら3ピッチを登る。傾斜は前半とは異なり格段に急となったが、慎重にルートを選び支点を十分に確保しながら登っていく。クライミングをしている実感が湧く。予定では3ピッチ目でこのルートの核心部分となる予定であったが、ザイルの長さの関係で4ピッチ目が核心部分となってしまう。
 去年、ここでビビりまくったことを思いだし、ここだけは引き続き永田さんにトップをお願いする。狭い岩稜の上から左にトラバースしその後垂直フェイスを登る。垂直フェイスには去年松木昭さんが設置したピンがあり、そこを支点に永田さんは慎重かつスムースに登って、カンテに出た。前に比べればビビりは減ったが、セカンドで登りつつも、足がかり手掛かりを選びザイルにできるだけ頼らないようにしながら核心部分を登りきる。左手を見ると、小林さん・古川さん組の姿が見え、小林さんの大きな声が響いている。こんな広い岩場に4人以外誰もいないことを実感する。
 ビレイポイントが狭いため、そのままトップを交代し次のピッチへ。去年なら絶対できないことであったが、核心部分に比べれば難度は低くトレーニングで少しは進歩したはずと思い込みながら登る。永田さんからは「もう少し体を壁から離した方がルートがよく見える」と有難いアドバイスをいただく。核心部分の後は2ピッチで終わることは承知しているので本日最後のトップを無事終えてビレイを確保。最終ピッチの前にザイルを整え直して永田さんが最後のトップで登る。苔の足場が多く、やや被り気味の岩がに多少苦労しながら壁を登り切った後、セカンドで最後の壁を少しだけ楽しみながら登り、13時に登攀は終了。前回は約6時間をかけて登ったが、今回は約4時間となり、少しは手際が良くなったのかなと勝手に感想。
 
 ここで昼食。靴を履きかえ小林さん・古川さん組との合流地点に移動してギアの交換やザイルを仕舞う。2人と合流後、発電所の送水管を目指す。最後は恒例の送水管の脇の長い長い梯子をひたすら降りる。二度目だが相変わらずこれも結構疲れる。ザイルを付けていないという違う意味での怖さを感じるのも変わらない。道路に出た途端に安堵感が広がる。
 永田さんご指導ありがとうございました。小林さん、古川さんお疲れ様でした。

日光・二荒山神社~男体山

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山行地 日光・二荒山神社~男体山
山行日 2015年10月18日
メンバー L船山了 吉越 長谷川 今泉
報告者 今泉
 
 天候の晴れ間を待っていたかいがあり、秋晴れの山行日となった。
 男体山を御神体とする、二荒山神社で登拝受付をし、入山料500円を払い、お札と簡単な案内図を受け取る。男体山へは幾つかルートがあるが、遠方からの日帰り山行であることから最短の二荒山神社ルートを選んだ。

 登山口はほぼ正面の二荒山神社本殿脇の登拝門を通り、石段を登ると1合目と書かれた立派な石の大きな標識がある。樹林帯の急な登山道を1時間程で3合目に着く。ここから工事車用の車道を20分程進み4合目の標識のある大きな鳥居をくぐり、山頂までは一本道である。
 徐々に登山道は大きな岩の合間を縫うようになり、足場を選んで歩を進める。滑りにくい石なので少し安心。5合目に最初の避難小屋があり小休止。見晴らしも良く眼下に中禅寺湖を中心に、昨年の日光白根山を紅葉とともに眺望を楽しむ。以降、各合目に避難小屋は開放されていたが安定感の危ぶまれるものもある。
 さらに一歩一歩足を挙げて進み8合目を通過すると、間もなく森林限界になりガレた登山道になる。大きな岩もなくなり足の運びも楽になる。勾配も緩やかになりジグザグに登ると山頂に到着。

 奥宮が祀られ2486mと書かれた鳥居前で記念撮影。山頂は広大で信仰の山だけにあちらこちらに祠や、数メートルもある剣、鰐口などが祀られていた。大勢の老若男女、国際色豊かな登山者でにぎわっていた。期待していた山頂からの展望は太郎山と女峰山がガスの合間から少し望めた。
 下山は往路を慎重に下り無事に到着する。

【コースタイム】
新井道の駅4:00~二荒山神社8:00~山頂12:00~二荒山神社16:30~ 新井道の駅21:20

晴れ男2人!北海道山と食の旅

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晴れ男2人!北海道山と食の旅
報告者 本間

 晴れ男は「その人が出かけたり来たりすると、天気が良くなると言われている男性」と辞書に記されています。
 今回の利尻山行で、自分は「晴れ男だ!」と初めて認識したように思います。自分をそう思わせるような「奇跡的な天候」を、日本最北の地「稚内」「利尻」で経験しました。でも、こんなことを文章にしたら、次からツキが落ち、雨男に転ずるかもしれません。

 新潟-新千歳空港から稚内―礼文&利尻島―層雲峡・大雪山を巡る3泊4日の旅の2日目を、利尻&礼文の島巡りに代えて、日本最北の百名山利尻山々行を計画しました。
 行く前から、週間天気予報では総じて曇りで、登山日だけ運が良ければ半日は晴れかな?というもので、雨さえ降らなければ「まぁいいか」と言う気持ちで、私は山仲間の車で新潟空港に向かいました。

 9月26日、新千歳空港に予定通り着陸、先ずは無事着陸と山行の成功を誓い、本場「サッポロ生ビール」で乾杯。「最高級ジンギスカン」でお腹を満たし、幸先の良いスタートを空港の専門店で切りました。
 稚内に向けて370kmをバスで移動し、ホテルでは毛蟹まるごと1杯・イカ・たこ・ホタテ・ほっけ・たら・利尻昆布のり・宗谷牛の夕食に満足し、温泉に浸かって心身を癒し、満足した眠りに就きました。ところが、早朝三時に大きな雷鳴が連発し目が覚めたとたんに停電、外は大雨。どう見ても明日は雨。ほぼ、諦めかけて再度眠りに就きました。
27日小雨で暗い朝でした。50km先の利尻島は雨天ではない事を祈りつつ7時15分乗船しました。フェリーが島に着く30分前頃から雲が切れて青空が広がり、利尻の島影がはっきりとその美しい姿を現しました。
 これで利尻山の頂上に立てば、TV・本などで何度も見た「360度一望の景色」を実際に見ることができるのでは?との期待が膨らみました。乗船時には、頂上の眺望を諦めていたので、登りの不安をよそに俄然胸のトキメク自分がいました。
 2合目の北麓野営場(230m)を出発してから9合目(1420m)では、体力的にかなり厳しい状態になってしまいました。とは言え、自分の遅れの為に仲間の登頂を妨げてはならない、と思う意味での気懸かりはありました。その反面、山道に分かれ道は無く、同じ道の往復なので迷うことは無いと、変な自信だけはありました。ここから頂上(1719m)までの最後の登りは、距離も長くて勾配も急で、後から振り返っても、ここを登り切れたことが信じられません。
 頂上の祠には、祭神にちなむ漁船のスクリューが奉納されており、いかにも日本らしく且つ特色のある頂上だなと印象に残りました。なお、頂上に着いた頃は、残念ながら雲が発生して360度の眺望は叶わなかったものの、とても幸せな時間を二人で共有できました。
 山の天候は勿論ですが、登山経験、知識・技術の乏しい私と行動を共にしてくれる仲間の適切なリードとアドバイスがあり、登頂できたことに喜びと、感謝をしています。今回は、特に制約の多い中で下山のタイムリミットがあり、体力と時間の双方のプレッシャーがありました。私は、今までコースタイムより早く登った山は一回も無かったからです。
今回利尻山鴛泊コースの標準コースタイムは、登り6時間、下り5時間の計11時間に対し、私達は、登り5時間,下り3時間半の計8時間半で往復することができました。

 翌日28日は、また朝から雷がゴロゴロ。雨模様の稚内を後にして「宗谷岬」を訪れました。遠くサハリン(樺太)の島影を辛うじて見ることができました。真に国境の町、ロシアとの歴史を思い巡らせながら、「日本最北端到着証明書」を頂いて、一路層雲峡・大雪山へと向かいました。途中、かなり強い雨になりましたが、殆どがバスの長旅であり、濡れずに済みました。

 私にとって、この旅行の最高な想い出は、この日のホテルの夕食「蟹の食べ放題」でした。ホテルは推定400名程で食事処は満席。最初は2人で遠慮気味に食べていましたが、蟹が意外にも「タラバガニ」ではなく、北陸の「ズワイガニ」で、これが意外と新鮮味があり甘くて美味しく、最後の夜というり安堵感もあり、お酒を飲むのも忘れるくらいに制限時間(19:30~21:00)いっぱい頂きました。
 他の料理も多種ありましたが、皆遠慮してか?蟹が沢山残っていたので、途中からピッチを上げ、遠慮せずに蟹のみを食しました。結局、食事処最後の人となりました。2人でどれだけの蟹を食べたか想像出来ません。
 大勢の宿泊者が居るので、「朝は早く食堂に行かないと食べられないことがある」と添乗員の言葉に従い、パッキングを済ませてから朝風呂に入り、朝6時の営業の30分前に食堂前に並びました。今度は朝食1番のりでした。私の長い人生でも、こんな経験をしたことは無いです。
 山の話より食の話になってしまいましたが、登山も食も観光も、そして4日に渡る2人の会話も多岐に渡って途絶えることなく、全てが本当に楽しい山旅になりました。計画から実行まで尽力してくれた仲間には大感謝です。

 そして、新潟空港に無事着陸。その翌日からは「爆弾低気圧」の影響で、ずっと北海道は荒れた天気が続いています(10月2日:利尻島で強風43.7m)。従って、利尻山行の前後の1週間(ほぼ半月)以上に渡って良い天気だったのは、登山日の9月27日 その日だけとは・・・。
 この後も2人共「晴れ男」であり続けたいものです。 

北ア・大猫山~猫又山

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○山行地 北ア・大猫山~猫又山
○山行日 2015年10月16日~17日
○メンバー L松木智 船山康
○報告者 松木智

 10年ほど前に富山の知人から剱岳の前衛峰、毛勝三山の一つ猫又山から真西に延びる東芦見尾根上にある大猫山に登山道が開かれたとの情報を得て、剱岳の絶景を楽しみに登りました。
 この時はガスで視界が得られず残念な思いをしたことと、大猫山から猫又山に続く稜線の雰囲気が良く、いつか歩いてみたいと思っていました。当時はまだ、この稜線には道は無く、酷い藪ではないものの明らかに闘志家向きのルートであり、「いつか…」と思っているうちに忘れていたのでした。
 近年、この稜線に待望の登山道が開かれたとの情報を得て、冬のスキーに向きそうなルートを偵察方々、積年の思いを遂げようと計画したものです。

 行程が長いため前夜発として早朝の出発に備えました。番場島への道をナビに頼ったのですが、暗いために途中の工事個所での迂回路が分からずウロウロしてしまいました。土地勘のない所への夜の移動は要注意です。馬場島のキャンプ場を過ぎ、白萩川の林道ゲート付近の空き地に車を止めすぐに就寝しました。今回は車中泊としましたが非常に快適でテントの回収も無く、その分ゆっくり眠ることができました。

 翌朝は5時少し前に起き、お湯を沸かしてポットに詰めて出発です。女性5人の乗った車が到着し賑やかに準備をしていました。相変わらずオバちゃんたちは元気です。林道を歩きだして暫くすると辺りが明るくなりヘッデンの必要が無くなりました。前方に小窓尾根のシルエットが見え隠れしています。
 登山口のある取水口に着くころにはすっかり明るくなりここで簡単な朝食を取ります。以前来た時にはブナクラ谷に通じる登山道はこの取水口の左側の斜面にトラロープが張られていましたが、今は林道が延び延長工事の真っ最中です。様変わりした登山道に先ほどの元気なオバ様パーティーも戸惑ったようで、「ブナクラ峠へはこの林道を行くので良いのですか?」と尋ねてきましたが「さぁ?たぶん…」と心許ない返事しか返すことができません。不安げな様子でオバ様パーティーは林道を進んで行き、私たちは大猫山の登山道に取りつきます。
 登山道に入った瞬間から四つん這いを強いられる急な尾根を、立派な立山杉の根っこに縋りながらヒイヒイ喘いで登ります。急登な分高度は稼げますので、呼吸を整えるために立ち止まるたび、奥大日や剱岳が姿を現します。途中、一枚岩の下降がありますが問題なく通過。標高1800mからは痩せ尾根となりアスレチックのような登りに嫌気がさす頃傾斜が緩み待望の大猫平に出ます。
 幾つもの池塘が点在する草原で、大日岳~立山、剱岳の素晴らしい眺望にうっとりしてしまいます。気持ちの良い草原を池塘を巡りながら一登りで東芦見尾根に上がります。標高2056mの三角点手前にあるお地蔵さんに手を合わせます。大猫山への登山道はこの三角点は通らずそのまま稜線を進みます。進むにつれ少しずつ姿を変える剱岳に見とれ、いつの間にか大猫山のピークを過ぎてしまいます。「大猫山山頂は明瞭なピークではなく、尾根の通過路の一部なので見落しやすい」との情報を得ていたのに、やってしまいました。
 気が付けばすでに大猫山~猫又山への痩せた稜線であり、まだそれほど多くの登山者は歩いていない様子で所々藪の濃いところがあります。ですが尾根を挟んで北側には猫又山・釜谷山を眺め、南側に剱岳の大展望を眺めながらの静かな尾根歩きは本当に楽しいものです。
 幾つかアップダウンをくり返すと猫又山山頂直下の草原となり、ブナクラ峠からの登山道と合流すれば、薄っすら雪の残る雪池塘のある平となり、これを左に回り込みハイ松を抜けると待望の猫又山山頂です。山頂には石仏が安置され、毛勝山、釜谷山、後立山連峰の山並み、そして剱岳と立山。晴天に恵まれ山頂からの眺望を存分に楽しみます。立山方面には浄土山の奥に竜王岳が覗き、地獄谷の蒸気が立ち上っています。バスターミナル?と思われる建物が光っているのも見え、この夏のクライマー養成教室での日々が多い出されます。
 今山行の目的の一つである猫又谷は私のスキー技術では無理!と判断せざる得ない急傾斜で、他に面白そうなルートは無いかと、おにぎりをほおばりながら康子さんと相談です。

 さて、ゆっくりしてはいられません。秋の陽はつるべ落とし、明るさのあるうちに林道に戻らなければなりません。猫又山頂からブナクラ峠への急下降を安全に下るためにも時間的なゆとりは必須です。
 往路で通ったブナクラ峠の分岐から下降します。小さなカール状の窪地の先には細い尾根が谷に向かって下りており、ブナクラ峠を挟んで対峙する赤谷山の様子から、この下降路が相当急であることが推測されます。
 カール状の窪地を抜け尾根に入るとほどなく登山道は笹薮に見え隠れしながら一気に高度を下げて行きます。聞きしに勝る急傾斜の下降路で、蹴躓かないよう慎重に歩を運びます。転倒すれば谷底へまっしぐらでしょう。
 急な足元を気遣いながらも、見事な秋色に染まった山並みを存分に楽しむうちブナクラ峠に到着です。赤谷山から下りてきた若い女の子たちのパーティーが賑やかな笑い声を響かせ休んでいます。私たちもここで疲れた足を休めます。

 ここまでくれば登山口のある取水口まで後僅か(といっても2時間は掛かりますが…)、どうやら明るいうちに下山を完了することができそうです。峠の石仏に見送られブナクラ峠を後にしますが、そんな安堵の気持ちからでしょうか、どっと疲れを覚え歩みが遅くなります。キノコを採ったり、写真を撮って気を紛らわせながら川沿いの道を進み、二本の沢の渡渉を問題なく通過すると道は樹林帯に入ります。「仁王杉」と名付けられた立派な立山杉を過ぎると大ブナクラ谷を渡り工事中の林道に出ます。「工事のためルートが分かりにくい!」との声に配慮したのでしょう、細かくつけられた赤布に導かれ難なく車道に出ます。

 後は車を止めてあるゲートまで、夕日に染まる剱岳に背中を押されのろのろと林道を歩きます。仁王杉で休んでいた女の子たちが、やはり賑やかに私たちを追い越していきます。その手にはキノコがぎっしり詰まったビニール袋を提げており、「若いのになかなかやるもんだ」と感心します。
 陽が翳り一気に空気が冷たくなる頃、ようやく車に到着し今日の山行は終了です。

【コースタイム】
 白萩川林道ゲート5:15~5:50大猫山登山口6:05~大猫平8:45~大猫山9:50~11:50猫又山12:20~13:45ブナクラ峠14:00~取水口16:20~白萩川林道ゲート16:50

矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山(秋の古道整備)

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○山行地 矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山(秋の古道整備)
○山行日 2015年10月25日(日)
○メンバー 整備作業班:CL小林 松木(智) 丸山 松木(昭) 関原 永田 古川 船山(康) 清水(美) 松矢 山越 斉木 本間、慰労会班:L船山(了) 今泉、後方支援:早津 白川(会員17名)、西野谷本田区長、一般参加者8名(計26名 )
○報告者 小林

 今年の秋もアスタークの年間活動計画の1つである秋の南葉山古道整備を実施した。古道整備を開始してから10年以上が経ち、たくさんの方々から参加いただき有意義な活動となっている。

 心配された当日の天気は前夜の雨もすっかり止み晴れ間が見えて安堵する。今回は残念ながら一般参加者が8名と例年より少ない結果となってしまったが、他のイベントや行事がある中で秋の古道整備に参加いただけたことは感謝に尽きる思いである。

 6:30会員同士の打ち合わせを済ませ7:00に西野谷万内川砂防公園駐車場に全員が集合すると松木代表より挨拶をいただく。その後各車両に乗り合わせ出発となった。途中山の神の祠で丸山さんより説明をいただき皆で参拝を済ませ登山道へと向かった。
アクセス路も長年の整備のおかげで車に乗っていても大きな揺れはなく走行可能となったことや、脇に生える草木も気にならず事前の準備の成果が表れているように感じた。車両の駐車スペースにも余裕があり、あらためて整備が行き届いていることを実感した。

 登山道からは橋の撤去作業班と分かれて行動を開始となった。一般参加者8名と共に籠町南葉山へと向かう。前夜の雨の影響はなくぬかるんで足を取られる心配もなくゆっくりと歩いていく。植林地や栃の木峠の急勾配ではステップに合わせながら一歩一歩確実に登って行く。稜線からはアップダウンがしばらく続いていくと籠町南葉山へ到着となった。途中でキノコ採りを楽しむが山の恵みを皆で楽しむ姿も見られた。

 一息入れた後、青田南葉山へと向かい見晴らし場では秋が深まり綺麗に彩られた紅葉と平野の景色を望むことができた。また猿掛け付近のブナ林では秋の日差しに包まれて、思わず「きれい」と言ってしまうほど素敵な場所だと感じる。この日は風があり風に吹かれて落ち葉がキラキラと舞う幻想的な風景も歩く私たちを楽しませてくれた。
木々のトンネルを抜け歩いていくと、ひらけた青田南葉山の山頂へ到着し、集合写真を撮り休憩とした。
 山頂付近からは直江津、名立の海が見えると、普段海の見る機会が少ない長野から参加いただいた方から喜びの声が上がった。

 休憩が終わると、3~4人グループに分かれ、猿掛山までの間の草木を集中的に刈る作業に入った。猿掛山に到着すると橋の撤去作業班と合流し、互いの労を労い合い皆で昼食となった。
 昼食が終わると籠町南葉山三角点へと向かった。三角点周辺の草木を刈り小休憩し、切り刻んだ木の上にカメラをセットし集合写真を撮った。ここまで例年になく順調なペースで1時間ほど早い下山となった。ゆっくり下山し途中の橋が撤去された様子や熊除けの回収を確認した。登山道入り口に全員が無事に下山し車両に乗り合わせ、西野谷万内川砂防公園駐車場で一次解散となった。

 その後はいつものように西野谷クラブをお借りして慰労会となった。西野谷本田区長の丸山さんをお招きしアスターク特製のキノコ汁に舌鼓を打った。今年はキノコやブドウ、さるなしなど山の幸が豊富となり、作業途中で採った立派な山ブドウや、船山さん手作りのブドウ酒がテーブルに並んだ。
 今年はムキタケがたくさん採れ、キノコ汁の多くはムキタケであったが、豆腐や里芋、鶏肉が入っており美味しくいただいた。最後に丸山区長の万歳により西野谷部落の発展と会の発展を願い締めくくりとなった。
 
 今回CLとして全体を通して各リーダーや担当者への働きかけなど不足や落ち度が目立つ結果となってしまい反省する。これまで代表をはじめとする方々の労力は大変なものであると実感した。年間活動計画の一つである古道整備が会員一人一人意識を強く持ち、自分にできることは何か十分考えていく必要があるのではないかと思う。地域や一般参加者の協力があって成り立っていることを深く受け止めていくべきである。

 私たちの身近な里山である南葉山が、古道整備を通して少しでも多くの方が知り、古道を歩いてもらい、愛着を持ってもらえるように今後も取り組んでいきたいと考える。

2015年山行・活動一覧(09月~10月)

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○2015年山行・活動一覧(09月~10月)

(10月山行活動数26件100人、2015年山行活動累積数275件850人)

10月25日 矢代・西野谷~籠町南葉山~青田南葉山古道整備 CL小林克也 SL松木智恵美 今泉葉子 斉木壽次 清水美代子 白川昭夫 関原知文 永田稔 早津賢二 船山了 船山康子 古川理香 本間一郎 松木昭男 松矢英一 丸山邦男 山越輝之ほか9名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39673860.html
・籠町南葉山~青田南葉山 TL小林克也 清水美代子 関原知文 永田稔 船山康子 古川理香 松木昭男 丸山邦男ほか8名
・登山口~籠町南葉山三角点広場 TL松矢英一 斉木壽次 本間一郎 松木智恵美 山越輝之
・キノコ汁を楽しむ会準備 TL船山了 今泉葉子 松木智恵美
10月24日 南葉山古道整備事前準備(西野谷本田クラブ17:00~一部宿泊) L清水美代子 今泉葉子 小林克也 中嶋和徳 船山了 本間一郎 松木昭男 松木智恵美 丸山邦男 山越輝之
10月24日 妙高・笹ヶ峰高原~関川水系ニグロ川周辺(南葉山古道整備事前準備) L丸山邦男 小林克也 中嶋和徳 船山了 古川理香 本間一郎 松木智恵美 松矢英一 山越輝之
10月18日 日光・二荒山神社~男体山 L船山了 今泉葉子 長谷川博子 吉越哲也
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39665168.html
10月18日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L永田稔 古川理香 松木昭男 松矢英一 村田秀夫
10月17日 海谷・船浦山東壁第三スラブ~第三岩稜 L小林克也 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39661805.html
10月17日 海谷・船浦山東壁第二スラブ~第二岩稜 L永田稔 吉越哲也
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39663470.html
10月16日~17日 北ア・馬場島~大猫山~猫又山 L松木智恵美 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39670633.html
10月14日 矢代・西野谷~籠町南葉山栃ノ木峠(古道整備事前準備) L丸山邦男 船山康子 本間一郎
10月13日~17日 東北・八幡平/岩手山/秋田駒ヶ岳/松川温泉/乳頭温泉郷/玉川温泉/後生掛温泉etc火山と温泉巡り L早津賢二 早津弘子 早津佳奈子
10月13日 10月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L清水美代子 今泉葉子 小林克也 関原知文 長谷川博子 船山了 船山康子 古川理香 本間一郎 松木昭男 松矢英一 村田秀夫
10月12日 長野・大峰山物見の岩場 L小林克也 永田稔 村田秀夫
10月10日 妙高・休暇村妙高~藤巻山 斉木壽次(単独)
10月10日 矢代・大平~籠町南葉山~青田南葉山 松矢英一(単独)
10月10日~11日 海谷・鉢山エビクラ西壁第二フェースダイレクトルート L小林克也 古川理香 松木昭男
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39648194.html
10月10日~11日 秋山郷・大岩山月夜立岩東壁 L丸山邦男 船山了 船山康子 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39658277.html
10月10日~12日 北ア・上高地~槍ヶ岳~燕岳~中房温泉 L関原知文ほか1名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39660012.html
10月09日~12日 南ア・椹島~千枚小屋/鳥森山 今泉葉子ほか
10月06日 高田・春日山 今泉葉子(単独)
10月05日 妙高・休暇村妙高~藤巻山 斉木壽次(単独)
10月04日 妙高・関温泉~神奈山 村田秀夫(単独)
10月04日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L松木昭男 古川理香
10月04日 西頸・名立川~不動山 L丸山邦男 船山康子 松木智恵美 松矢英一
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39642700.html
10月03日 北ア・中房温泉~燕岳 L永田稔ほか3名
10月03日 妙高・休暇村妙高~藤巻山 斉木壽次(単独)
10月02日 10月リーダー会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L松木智恵美 小林克也 清水美代子 関原知文 松木昭男 吉越哲也

(09月山行活動数29件58人、2015年山行活動累積数249件750人)

09月29日 矢代山地南葉山基幹林道名立側通行許可申請(上越市役所農林水産部2F13:00~14:00) 丸山邦男
09月28日 妙高・笹ヶ峰高原~遊歩道周遊 L船山了 清水美代子 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39630110.html
09月27日 妙高・笹ヶ峰~関川水系ゴウデ川 L丸山邦男 松矢英一
09月27日 矢代・南葉キャンプ場~青田南葉山 村田秀夫(単独)
09月27日 妙高・休暇村妙高~藤巻山 斉木壽次(単独)
09月26日~29日 北海道・鷲泊~利尻山 L関原知文 本間一郎
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39651489.html
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39667433.html
09月26日 矢代・粟立山東尾根上平~万内川西俣 L丸山邦男 丸山美江子
09月26日 長野・大峰山物見の岩場Aルート垢曚 L松木智恵美 古川理香
09月24日 西頸・明星山P6南壁ダイレクトルート~クィーンズ・ウェイ L松木昭男 山越輝之
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39623641.html
09月23日 妙高・燕温泉~大田切川北地獄谷 L丸山邦男 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39626092.html
09月22日~23日 北ア・八方尾根~唐松岳~五竜岳~遠見尾根下降 古川理香ほか
09月22日 妙高・関川本流氷沢出合~笹ヶ峰乙見湖 L丸山邦男 松木智恵美
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39619155.html
09月21日~22日 谷川・吾策新道~万太郎山(~一ノ倉岳~茂倉尾根下降-船山康子) L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39621029.html
09月20日~21日 海谷・鉢山エビクラ西壁~南壁正面 L松木昭男 小林克也 永田稔 山越輝之
09月20日~21日 安達太良山・奥岳登山口~乳首~くろがね小屋~奥岳登山口 L清水緑香ほか3名
09月20日 高田・春日山 今泉葉子(単独)
09月19日~21日 北ア・七倉ダム~七倉岳~針ノ木峠~扇沢 関原知文(単独)
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39616695.html
09月18日 矢代山地南葉山基幹林道名立側通行止解除に関する会合(上越市役所農林水産部2F11:00~12:00) 丸山邦男 上越市林道行政担当3名
09月18日 西頸・島道鉱泉~金冠~鉾ヶ岳 古川理香ほか
09月15日 9月定例会(新井いきいきプラザ2F19:00~) L清水美代子 小林克也 関原知文 船山了 船山康子 松矢英一 丸山邦男 本間一郎 吉越哲也
09月13日 妙高市地域支援センター「アスターク同人」PRポスター提出 丸山邦男
09月13日 西頸・青海田海川~マイコミ平 古川理香ほか
09月13日 矢代・籠町南葉山古道アクセス林道整備 L松木智恵美 松木昭男
09月12日 北ア・爺ヶ岳スキー場~白沢天狗山 L船山了 船山康子
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39607535.html
09月11日 9月リーダ会(新井いきいきプラザ1F19:00~) L松木智恵美 小林克也 清水美代子 古川理香 松木昭男 丸山邦男
09月05日 海谷・船浦山東壁/長野大町・仏崎の岩場 L小林克也 古川理香
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39599312.html
09月05日 妙高・笹ヶ峰周辺周遊 松矢英一(単独)
09月05日 西頸・清水倉~黒姫山 船山康子(単独)
09月04日~05日 北ア・黒部川本流~黒薙川 L丸山邦男ほか1名
http://blogs.yahoo.co.jp/astaac132/39647668.html

安達太良山ファミリー登山('15年9月20日~21日)

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○安達太良山ファミリー登山('15年9月20日~21日)
○投稿者 ミハル

 いままで「山小屋に泊まる」ということにあまり興味がないというか、どちらかといえば首を出したらすぐに星空が見れるテント泊の方が好きでした。きっかけはアスタークの金山合宿。天の川が流れ、コカリナを吹いて頂いたりとなんとも幸せな時間が過ぎ、以来泊まるならテントとしていました。
 結婚、出産、育児がつづき、1泊山行がグンと減り、山へ行くことさえままならなくなっていたのですが、娘も息子も意外とよく歩くことに気づいてから、娘が歩ききれる程度の山を登るようになってきました。旅先で旅館に泊まるなら山へ登って山小屋に! の母の思いをのみ込んでくれた夫と娘。昨年から1泊山行に出かけることができ
るようになりました。

 いつかBSチャンネルで見た山の番組。安達太良山鉄山で朝日を見る、くろがね小屋、小屋の御主人・・・、すべてに出会いたくて、シルバーウィークに出かけてきました。
 「ロープウェイに乗るくらいなら山は登らない」とずっと私の中で抱えてきた概念を変えたのが、登山家田部井淳子さんのエッセイで読んだ一言、「初心者こそゴンドラに乗るべき」です。山に登ることを趣味としない人たちと山へ行ったとき、ゴンドラに乗ったら「こんな景色は見たことがない」と大変感動していたといいます。「文明の利器」ではないけれど、それに乗らなかったら、そのときの素晴らしい景色には出会えないし、山へ登りたいと思うきっかけにならない・・・との言葉に共感し、今回の山行は2歳の力量を信じ、ゴンドラを使用しての山行としました。
 冬以外ゴンドラに乗ることがなかった子ども達はただそれだけで手を叩いて喜び、「これから山へ登る」ことへのモチベーションを上げるきっかけになったとも思います。

 ゴンドラを使用すると、安達太良山山頂(乳首直下)までは1時間ほどとのことで、子ども連れの家族がとても多かったように感じました。この所要タイムは大人の脚で歩くといった前提であり、自分で歩きたい2歳児の歩くペースで登ったら実に4時間近くもかかってしまいました。山行計画は2倍のタイムスケジュールで進んでいたのですが、そのまた2倍以上もかかることになり、このあとのペース配分を綿密にしなければならないという思いが少しプレッシャーになりました。
 憧れの「乳首」へ登頂。小規模ながらもクサリ場があり、一歩間違えば落下という危険な場でもありましたが、夫のサポートで子ども達も登頂することができました。直下でのお昼ご飯メニューは「野菜どっさりビーフン」とデザートのキウイフルーツでした。雲行きが怪しくなってきたので、早々に小屋へと向かいます。

 乳首直下から鉄山へ伸びる「牛の背」はとても眺めがよく、右手には二本松や福島市内の町並み、左手に船明神山。鉄山分岐前には立派な火口「沼ノ平」が口を開き、その奥にはうっすらと磐梯山がそびえていました。
 沼ノ平周りの散策路はガス発生のために閉鎖となっています。そこからいよいよ「くろがね小屋」までガレ場の下りが始まります。1時間30分のコースも子ども達のペースでは倍以上かかることを想定していたため、時間に少しの余裕がある状態でした。
 2歳児はお昼寝の時間も「自分で歩く」と言い、しばらく頑張ります。5歳の娘はラスト30分あたりで疲れもピークに達して足元がフラついてくるも、最後まで歩くんだ! と言い、小屋まで歩ききることができ ました。
 娘は、こちらも驚くほどのハイペースだったため、2歳児のペースにつき合わせているとストレスになると思い、夫と先を歩くようにしました。奥岳登山口から安達太良山山頂まで4時間20分。そこから「くろがね小屋」まで2時間強。合計6時間20分ほどの行程を、2歳の息子はほとんど歩ききり、5歳の娘は全て歩ききるという驚きのガッツを見せてくれました。

 小屋の屋根にはソーラーパネル、入り口には味のある鐘がありました。若いカップルや子ども連れも多く、雑魚寝と言えど毛布や布団はフカフカで暖かく快適でした。夕飯の絶品カレー、朝食のお出汁のきいた味噌汁・・・。山小屋とはこんなに快適で、人が温かい場所なんだということを知りました。
 はじめてお会いする人たちと、それぞれ持ってきたお酒とつまみを交わしながらの夜の会は、私にとってはとても新鮮で、山のこと、震災のこと、御岳山噴火の日のこと、山で九死に一生の経験をされたこと、福島のこと、たくさんのお話を聞かせて頂き、とても濃い時間を過ごすことができました。

 翌朝、5時半の朝食は炊きたてのごはんに付け合せ3点、甘露煮や卵など山の食事とは思えない贅沢な朝食を頂きました。奥岳登山口を目指し少し早い出発としました。歩きやすい「馬車道」と、起伏の激しい「旧道」がありましたが、娘の希望に従い、ひたすら「旧道」を歩くことにします。
 娘のその選択に「たくましさ」を感じながら、子ども達の鬼のような道草(みちくさ)に付き合いながら、1時間20分ほどで下山できるはずのコースを4時間30分強をかけて、無事に下山しました。
 活火山であるがゆえ、子どもを連れて行くかどうかは実行間際まで悩みましたが、連日、情報を入手して挑みました。子どもを連れて行く山行は、無理だと思ったらピークを目指さずに下山する勇気と、せかさず道草に付き合う忍耐力も養われたような気がしています。

戸隠・奥社~八方睨~九頭龍山~一不動~戸隠牧場~奥社

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○山行地 戸隠・奥社~八方睨~九頭龍山~一不動~戸隠牧場~奥社
○山行日 2015年11月03日
○メンバー 古川(単独)

 頸城三山の頭が雪化粧した11月初旬、県境を越えれば陽も差して少しは登りやすいかと思い雨の中戸隠を目指し車を走らせた。戸隠奥社の無料駐車場に着いた頃には雨は止んでいたが、休日のためほぼ満車に近い。ここから眺めると屏風の様な戸隠山の岩峰の上部はやはり薄っすらと白い。雪で滑る急傾斜の岩場は危険だ。今日はこの装備で行ける所まで行こう、と入口の大きな赤い鳥居をくぐった。

 真っ直ぐな杉並木の参道を、樹上で背中を丸めている猿たちを横目に早足で通り過ぎる。奥社まではたくさんの観光客で賑わっていたが、左脇の登山道に入ると途端に喧騒も消えた。もう枯葉も落ち見通しがよくなっている。登り出したとたんに冷たい小雨が降りはじめる。所々消えかけたみぞれ雪が残る急傾斜の道を手をつきながら登っていくと、五十間長屋に到着。この辺りから急に鎖場の連続となり、玉砂利をコンクリートで固めたような滑る岩に気が抜けなくなる。お地蔵さまがいる百間長屋や西窟といったバンドを過ぎ、さてどこまで行けるのかと思案していると、前方に人の気配がする。挨拶をして話を聞くと、前にいた2人のうち1人は蟻の戸渡り手前でコンディションが悪いので引き返してきたとのこと。とりあえずどんな状態か見てみようと先に行かせてもらい、戸渡り手前の長い鎖場を慎重に登る。

 蟻の戸渡りは陽があたり雪が溶けかけてはいたが、やはり恐怖の光景だった。1年前の夏、会の山行で初めてこの山に連れてきてもらった。ルートは奥社右手沢のルンゼ登り、ブヨを手で追い払いながら引きつった顔で岩壁にへばりつき滑る草付きを登った。暗くなる頃にようやく山頂付近の登山道に出て月明かりを頼りに蟻の戸渡りを下った。喉カラカラのショック状態だったが、ここで死んでたまるかという思いが沸いてきて集中できた。全員無事に奥社に戻ってきた時の安堵感と達成感は強烈だった。
 そんな思い出をフラッシュバックしながら迷い佇んでいると、後ろから先ほどのもう一人の方がやってきた。その方と話しているうちに行けるのではないかということになった。ここで終始一人だったら私も最初の方のように引き返していたかもしれない。誰かがいる安心感、一人ではないことがこれほどまで精神的安定をもたらすのかと実感し、慎重に一手、一足ずつ進んだ。

 昨年の白馬村付近を震源地とする地震による登山道崩壊の注意喚起看板が登山口にあったが、こんなに幅が狭かっただろうか。やはり一番安全と思われるまたがり姿勢で少しずつ前進して核心部分を乗り越え、右側についた鎖をたどってトラバースした。
 ようやく蟻の戸渡りを渡り終え安心したところで、先ほど一緒に渡った方と同行することとなった。聞くと1週間の休暇を取って岡山から原付・テント泊で200名山を登って回っており、明日は守門岳に行くと言う。そのタフさに驚きつつ文字通り四方山話をしながら進んだ。

 八方睨みからいつかは行きたい西岳、本院岳方面を観察。戸隠山頂でガスの中写真を撮り、昨夏登ってきたルンゼルートや恐ろしげな屏風岩を右手に覗き込みながら九頭龍山まで急ぐ。一不動避難小屋までの稜線上は、初冬を思わせる冷たい風が吹く中ゆるいアップダウンを繰り返した。ここまでで数組の登山者とすれ違った。小雨が降ったり止んだりのあいにくの天気だが、休日のせいか200名山のせいか、思ったより登山者が多い。避難小屋で小休止もそこそこに牧場への登山道を沢沿いに石につまづかないよう注意してくだる。途2箇所鎖場があったが、戸隠山までの道のりと比べるとかなり歩きやすかった。

 奥社から約5時間で、牛がいなくなり柵が取り払われた牧場登山口に到着。唐松林と笹薮の中にあるサカサ川遊歩道を奥社入口の駐車場まで戻る。相変わらず奥社周辺は大勢の観光客で賑わっていた。朝仰ぎ見た戸隠の岩峰を鳥居越しに仰ぎ見るとすっかり青空になっていた。ほぼ一日山行をともにした方にお礼を言ってお別れし、お土産にルバーブジュースと新そばを買って帰路に着いた。
 今までの一年間を振り返ったり、一期一会を感謝したり、一対一で山と向き合う厳しさを考えさせられたりと収穫の多い山行だった。「考える登山」をしていきたいと思った。

長野・松代尼厳山の岩場

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○山行地 長野・松代尼厳山の岩場
○山行日 2015年11月01日
○メンバー L松木昭 関原 吉越 古川
○報告者 松木昭

 最近の関原さんは以前に増して山行に力が入っている。前から言われているように忙しい人程山に行く時間を作ることが出来る。関原さんを見ているとその通りに思える。そして今年最後の明星山と張り切っていたが、しかし今回のような天候ではどうにもなりません。大事な休日を無駄には出来ず尼厳山の岩トレとなった。

 先回の月例山行で使用した大きな駐車場は無くなり、以前より使用していた駐車場に車を止める。心配していた上空のガスも切れ初めてくる、こちらの天気は良さそうである。毎回のことだが落ち葉を踏みしめての急登が30分程続き良い準備運動になる。ようやく下部の岩場に到着するが木々が多く日が当たらない。温まった体も直ぐに冷え始めてくる。

 今日は4人パーティーなので2組に分かれ登り始める。関原、吉越組は早々に「日陰者ジェードル」5.8に取りつく。このルートはジェードルの左壁を登ったほうがアルパイン風で面白い。私とリカちゃんは順番を待っていたが寒さに耐えきれず、上部の岩へと移動する。まずはショートルート「無名ルート」5.7で体を慣らす。しかし出だしのバランスが悪く上手く行かない。やはり慣れない岩では手足が動かないようである。
 しばらくして関原、吉越組が上がってくるので同ルートを登ってもらう。やはり吉越さんもリカちゃん同様、経験が少ないためホールドに合った体の振りが出来ず苦労する。これもやはり両名共登り込みが少ないためで、コツさえ覚えてしまえば難しくはない。

 その後はすぐ右にあるビッグフェースで遊ぶ。しかし残念な事に私の思い入れの三ツ星ルート「ビックフェース」(昔は名前が違っていた様な気がする)の右上する所のボルトが無いのにビックと同時にがっかりしてしまった。これではルートが消滅したのと同じである。
 私が「物見の岩」の次に行った岩場が「尼厳山の岩場」であった。当時はクラックが主流で簡単なクラックで納得の行くまで登り込んだ記憶がある。またフェースも同様、同じルートを体で覚えるまで毎週登り込んだことが思い出される。その為、今でも物見及び尼厳のルートほとんどを覚えている。
 まれな天才でない限り一歩一歩の積み重ねしか上達の道がない、目標を決めて登り込むことが上達への近道だと思う。

鳥渡る

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○鳥渡る
○投稿者 ヤッちゃん

 夏の繁殖期を終え、9月後半から10月にかけ、越冬のために南の国へ渡るハチクマやサシバなどのタカ類の渡りを秋のすみきった空に探すことができます。この辺りでは牧峠や妙高山が、渡りの通り道になっています。
 牧峠では数回観察を試みようとして、いざ現地についてみると、上昇気流を利用して渡るタカ類にとって気流の発生が弱かったり、曇り空であったりで思い通り観察できず、観察にはゆっくり半日くらい費やさなければ鳥は渡ってくれないと感じました。

 ワシ、タカ類の見分け方がややこしく、自己流でトビとの比較のうえ大きさ、下面の色、尾の形などで見分け、さらに図鑑で確認します。山にドカドカと入ってゆく山行とちがい至極退屈な山行ですが、フイールドスコープを据え、腰をかけてゆっくりとあらわれるハチクマ、サシバを待ち望んでいます。そしていよいよ退屈が限度に来たなら林の中へと消え、雑きのこ探しなど“ながら山行”も私にはあっています。  

 近年、私の住んでいるところでも、早朝や夕暮れ時に白鳥が崩れぎみの編隊を組んで、どこそこの田んぼにおりたつのを見かけます。派手さのないハチクマやサシバ等が静かに去り、入れ替りに冬鳥のハクチヨウやマガン類が頸城平野の水田地帯で採餌する様子が、日中容易に観察することができます。活動がおっくうになりがちな季節、日の短い時雨時には、手近にある期間限定の自然を楽しむこともいかがでしょうか。(画像は阿賀野市観光協会瓢湖からお借りしました。)

剱岳北西面を臨む (大猫山~猫又山稜線からの剱岳)

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〇剱岳北西面を臨む (大猫山~猫又山稜線からの剱岳)
〇投稿者 ち

 この秋、剱岳を望む毛勝三山の一つ猫又山へ、大猫山からの周回で行って来ました。
 苦しい大猫山の急登を経て猫又山までの間、剱岳が道連れとなり大きな励みとなりました。進むにつれ少しずつ姿を変える剱岳の姿にこの夏の合宿が思い出され、あまり馴染みの無い姿の剱岳ですが、親しみ深い山として映りました。
 剱岳の北西面を西から東へと移動して撮った写真です。大猫平~猫又山の間は変化が少ないのですが、順番に見ていくとこの稜線を歩いているように感じられるはずです。

能生・権現岳東壁正面壁 暑い秋ルート

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○山行地 能生・権現岳東壁正面壁 暑い秋ルート
○山行日 2015年11月07日
○メンバー L松木昭、吉越、古川
○報告者 古川

 登山道以外から権現岳が楽しめるとワクワクして臨んだ山行だったが、数少ない登攀記録を読んでもイメージをつかめず、果たして雪崩溝が縦に幾筋も走るあの壁伝いに山頂へ行けるのか半信半疑のまま当日を迎えた。

 県道246号を能生谷方面に上り柵口温泉から急な坂道を右折する。万年雪のある第1雪崩誘導堤に向かって登っていくと権現岳東壁が間近に迫ってくるが、いつ見ても圧倒的な存在感だ。8時40分、コンクリートで埋め立てられた広い雪崩誘導堤内に車を停める。岩壁の下には万年雪と雪崩の説明が書かれた「権現岳ジオサイト」の看板が立っている。温泉客などがたびたび万年雪見物に訪れているようだ。この看板も頑丈にコンクリで固めてあるがもし雪崩が直撃したら簡単に壊されるだろう。今年は万年雪がまだ残っている。消える年もあるが、この時期にまだ残っているということはこのまま冬を迎えて新しい雪の下に埋もれるのだろうか。そんなことを考えながら万年雪の間のガレ場にくだって正面にとりついた。

 今日の天気は薄曇りで肌寒く、上部はガスが漂いよく見えないが幾つもの巨大な縦溝(雪崩溝)が走り、巨大な爪で上から引っ掻いたようになっている。下部はスラブ帯と草付きが入り混じり中央部には狭い凹状壁が伸びている。メンバーはL松木さん(トップ)、吉越さん、私の3人だ。
 1ピッチ目はチムニーの左側からブッシュを利用しいきなり垂直気味の木登りとなる。それから細かくピッチを切りスラブを右上しチムニー内の小テラスで支点を確保したが、ここまで、真下にある万年雪とガレ場がよく見えて高度感があるうえに枯れ草や泥にまみれた人の手垢のついていない岩が続いてうへー、となる。松木さんはピンのある場所を慎重に見極めながらリードしていく。私と吉越さんはトップの登り方を真似しようと見守る。この前後ははっきりした凹凸のないスラブで、フリクションがある程度効き、もろい部分もところどころある程度でそんなに不安はないが、クラックも灌木も勿論ボルトもほとんどないため、慣れない新人2人は緊張の連続だった。「あー滑る!」「ここからどうすればいいんだ!?」「松木さんは左に行ったよ。」などと言いあいながら、引っ張りあげてもらう。大きく右にトラバースしてからハングした岩を避けて鋭角に左上した気がするが、このあたりが一番難しく、松木さんも時間をかけてリードしていた。

 5~6ピッチほどで核心部のスラブ帯を抜けると、草付き混じりの白っぽい階段状の岩が大きく横一面に広がっていた。傾斜はなだらかになり手を突かないで登れるところもあるぐらいだ。藪こぎもあるためノーザイルで登っていく。振り返ると出発地点の雪崩誘導提に停めた車が豆粒のように見える。階段地帯は延々と続ききりがない。汗が出てくる。途中のテラスで黒地に白い水玉の鳥の羽を見つけた。赤ゲラなどキツツキの仲間の羽ではないか。猛禽類の食事場となっているのではと思った。
 階段の上部は大きな円錐状の岩が間隔をあけ何本も立っている。この角の間を抜けて藪をこいでいき、おなかがグーグー鳴る頃ようやく登山道にでた。我々の出た位置は白山権現と山頂の中間辺りで石楠花の並木道が続いていた。すぐに山頂につきお昼を食べる。山頂は雲海の上となり気持ちよく、一瞬だが頚城三山も見渡せた。しばらく休憩してから登山道をくだったが、登りのときの階段状の岩よりもはるかに強い傾斜の連続であった。落ち葉で隠された石や木の根に滑らないようゆっくりくだる。やはり権現岳はアスレチックコースだ。

 登山口まで近づいたころ、「おーい!」と呼ぶ声が聞こえた。鉱度倉沢に出かけていたパーティーがわざわざ迎えに登ってきてくれたのだった。柵口登山口から万年雪まで農道を歩いて車を取りに行かなければ・・・と思っていたので、車で全員出発点まで送ってもらい、大変ありがたかった。
 駐車場所まで戻り最後に今日登ったルートを下から確認したが、遠くから見るのと実際に登るのではまったく感覚が違い、正直言ってまだよく理解できていない。セカンドの気楽さもあり真剣に観察できていないのだと思う。

 今回は、紅葉に染まる晩秋の柵口の里山風景を眼下に味わいながら登ることができた。メンバーに感謝したい。松木リーダーの的確なルート設定のおかげで後続の2人が登りやすかったことは言うまでもない。登山道以外のこの山の自然を感じることができてうれしい。山の全体像を知るのに一歩近づけたと思う。いろいろな角度から地元の大好きな山を楽しめるということはとても幸せなことだ。ありがとうございました。
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