○夏の思い出
○投稿者 AOちゃん
太ももが痙攣しだした。部室から駅まで、まだ300m程しか歩いていないのに。背中には35kのキスリング、足には重い登山靴、全身汗まみれだ。平地でこんな有様だ。山道なんて歩けるわけがない。まさかこんなことになるとは。これは何かの間違いではないのか。いやこれは現実、これから約10日間の定着合宿のため剣へ向かうのだ。
やっと雷鳥沢を登り終えた。同期のKが地面にひっくり返り、泡を吹きながらゼーゼー喘いでいる。尋常ではない。どうやら持病があるようだ。先輩の一人も顔面が灰色だ。ここで荷物が数k増える。真っ暗になってから真砂沢ロッジTS到着。雪渓で何回転んだか分からない。へとへとだ。しかしのんびりはできない。運の悪いことに初日から食当が待ち構えているのだ。
もう何日、雪訓をやっているのだろう。5時出発、17時帰還。ストッピングで胸は腫れ、頬も傷だらけだ。朝から夕方まで登って降りての繰り返し、いい加減うんざりしてくる。でも大分体が慣れたのか、最初喉を通らなかった「ベーコン一切れ&沢庵二切れ弁当」がうまいと感じるようになった。
同期のOとSの様子が変だ。もともと丸いOの顔は達磨のようにふくれあがり、Sは手と手首がふくれ、腕時計が抜けないという。腎臓障害のようだ。雪の上にグランドシートのみでは熟睡もできず、昼間の疲れが抜けないのだ。OとSは明日から休養となった。俺とNも体調を聞かれ、当然体調不良と答えるが聞き入れてもらえるはずもなく、明日は源次郎となる。OとSがうらやましい。
先輩が岩と一緒に滑っている。ジャンダルムを登った後の池の谷ガリー。どうやら軽傷で済んだようだ。幸いOBが一緒だったのでリードを交代。ガリー終了後、そのOBはなんと俺に先を行けと言う。それはあまりにも無茶では。しかし嫌とも言えず、慎重に登り長次郎へたどり着く。
先輩、OBがおもしろそうに脱走の話をしている。朝起きると新人が全員いなくなっていたそうだ。昔はどこの山岳部にもあった話らしい。皆楽しそうであるが、俺ら新人は笑う気にもなれない。もし脱走を実行するなら用意周到さと大胆な行動力が必要だ等と考えてみる。
黒四ダム下のつづら折の道を登って行く。やっと定着が終わったのだ。でもうれしくはない。次の山行が待っている。一隊は北海道の沢へ、一隊は南アルプス縦走へ向かう。俺は南アルプス隊だ。北岳から光岳まで、また10日間。なんとわざわざ途中で沢を下り、別の沢を登り返すらしい。
甲府へ夜行列車で向かう。晩飯はアンパンと牛乳。でも雪の上に寝なくて済む。皆、あまり会話もなく眠り込む。甲府の手前で降りる準備を始めるが、Sが見当たらない。キスリングはあるが個装がなくなっている。初め状況がよく掴めなかったが、なんと脱走したのだ。確かに車中では何か思いつめた感があった。このままでは新人は俺一人になってしまう。非常に困る。よくやったなあと感心する一方、なぜ俺も誘わないのだと怒りも感じてくる。Sよ、普通は誘うだろ!
Sを甲府駅で待っている。OBが東京でSを捜索しているようだ。このまま逃がしてはくれないということか。
翌日Sが現れる。当然、表情は暗い。CLがSと話し合う。これで新人一人は免れたと思ったのも束の間、CLはSを返すと言う。どうも精神的に不安定なため山行は無理と判断したようだ。Sが帰って行く。これで新人が一人だけの南アルプス縦走が確定した。
ここまで様々な出来事があった。何度も驚いた。さて、これから行く南アルプスでは何が待っているのか。また指折り日数を数える日々が続く。